未唯への手紙

未唯への手紙

内なる世界と未唯空間

2014年08月26日 | 1.私
第1章の大項目の見直し

 自分のことは第1章にまとめています。まず、存在と無から始まっている。自分が居るのに、宇宙から見たら無であること。これは自分中心であると同時に、宇宙中心が一緒になっている。数学でいうと、0と1が一緒になっている状態です。

 この違和感を埋めるために考えることを始めた。存在にとっても、考えることで、その二つが結びつく。その心もとさです。他者は関係ないです。自分と宇宙との関係です。

 考えることによって、自分に与えられたものは、夢というものとそれを成し遂げるための時間です。それらはすべて、考えることから出てくる。それによって、自分の存在を確かめる。その上で、外なる世界として、社会の構造を見ている。

内なる世界と未唯空間

 その社会の主役は自分でないから、自由にハンドリングできない。自分の内なる世界に社会を取り込んで、自分が主役になる。その世界に全ての社会を巻き込むために、未唯空間を作り出した。そうすると社会がどうなるか。つまり、位相化していくことが見えてきた。

 そして、全てを知ること、考えること、そして、問われたことに応えること。これで第1章の大項目の見直しは終われます。

 このシナリオで大きいのは、数学という考えるためのベース、そして、池田晶子さんの宇宙の旅人です。宇宙とつながることができた。存在と無に対する答が用意された。

世の中へ拡げること

 この考え方を世の中に拡げるつもりはありません。宗教家はなぜ、拡げようとするのかよく分かりません。最大のポイントは私にとって、他者が存在していない。それが故に拡げる相手が存在しない。他者から何を言われようとも、何も感じない。あくまでも自分の問題です。そして、自分が宇宙そのものです。

 多分、ウィットゲンシュタインが問題にしているのは、この辺なんでしょう。それで完結してしまう。真理が存在しないじゃないか、そんなことを彼は言いたいのでしょう。

 それならば、なぜ、社会に関与するのか。どうでもいい社会じゃないですか。それもマルチバースの偶々の地球じゃないですか。食うためならば、大いなる意思の力を使えば、いくらでも成り立ちます。

 ちゃんと回ってきたものを捉えればいいだけのことです。偶然が自分の所にあるのだから。同時に周りのモノは自分を気づかされるためにあるという感覚を持てば、どんな状況でも考える元になります。考えるのは存在することです。

 中学の時に、他者がいないと思った時、全ての人間は仮想であるか、自分であるかと思った時、初恋の女性だけは別な存在だと確信した。それが絶対的な存在のはじまりでした。そこから、社会との接点にしていくことにした。

考えてもらうにはどうするのか

2014年08月26日 | 5.その他
未唯へ

 チキンラーメンのバックが好評でした。私に合うとも言われた。どういう意味?

考えてもらうにはどうするのか

 パートナーから一つの問題提起がされました。考えてもらうにはどうしたらいいのか? 自分の事しか考えないという人に囲まれている。その包囲網を破りたい。

 そういう人たちを本当に考えてもらうには、どうしたらいいのか。これは、個人の存在の力に頼るしかない。なぜ、そこに居るのか、それによって、何が存在しているのか、多面的なことを考えることがメリットがあるのか。

 派遣で来ている人たちは、余分なことを考えないという教育を受けています。それでお金を貰っているという感覚です。それで家族を養っている。従属することでお金を貰う構図になりきっている。考えることができるのか。考えることで損するんではないか。

 これがある限りは、組織は硬直化します。全てを考えられる人はいない。それを指示できる人もいない。皆がベースで考える社会の連中に負けます。

 その社会が遠いところにあるから、日本は助かっている。作るという一点に集中させればいい。それを作る人だけで済みます。

 だけど、存在の力を考えることに結びつけなきゃ、私にとって、答ができない。パートナーの答というよりも、自分のテーマに対しての答を求められている。サファイア全体もパートナーの問題意識からはじめて、成り立ちます。

 パートナー自身も構図に捉われているんでしょう。「自分みたいなもの」という意識。それに甘えている。

考えること

 考えることよりも外に向けては、社会の構造を数学を使って分析する手法を使いました。内なる世界に対しては、自分で全体の空間を作り出すことで、何でも応えられるようにする。

 一つの現象だけでなく、それらを組み上げたもので仮想空間として、未唯空間を作って、そこで答を導いていくこと。どんな現象が起ころうとも、この宇宙に関することならば、全てがそこで答えが出せるようなモノ、そういう自信が持てるモノ。何しろ、新しい現象があれば、その中に組み込んでしまえばいいんだから。発展形です。

 ムハンマドについても、本当に正しいのかの悩みを持ったんでしょう。だけど、奥さんは無条件で信頼してくれた。だから、70人まで信者が増えた。イスラムの女性の強さを感じます。宗教というのは、世界観ですね。あとは行動原理です。

 日本の法華経にしても、唱えることで成仏する。自分が実は仏であることに気づく。そして、仏によって守られていると感覚を個人が持てば、動けます。自分のためではなく、仏のために動けます。

 このメーカーの宗教から新興宗教にどう持って行くのか。メーカーの宗教は時代遅れです。有限にぶつかっているから、新しい形態を探さないといけない。それが環境社会という宗教かもしれない。

 もっと、大きな力とつながることです。大きな力とは、それぞれの人が考えて、自分の生存を確保していく。存在する力です。

 考える力は皆、持っている。何しろ、生まれてきたことによる違和感、社会に対する違和感があれば、考えることで埋めようとします。考えないということも考えています。自分の事だけとか家族の事だけに向けて生きているのは、大きな枠組みを信じているからです。依存しているからです。その大きな枠組みが曲者です。

 誰かが考えてくれるというような、いい話はないです。自分の存在関することは自分で考えるしかない。それらのことをどのようにして、分かってもらえるのか。車を売ることだけ考えるのではなく、お客様のことを考えろ!自分の多面的な能力を考えろ!というのが店長の仕事です。