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未唯への手紙

未唯への手紙

ゆとり世代の叱り方、教え方

2013年10月13日 | 3.社会
『「ゆとり世代」が職場に来たら読む本』より

Q:軽く注意をしただけなのに、ものすごく落ち込んでいる様子です。その後、仕事の話をしようにも近寄ってこないし、周囲には「会社を休みたい」とまで話しているようです。

A:上司が想定しているより2倍以上のショックを受けています。そう考えて、言葉遣いや叱り方を選んでください。

Q:ほんの少しミスをしただけなのに、まるで「もう立ち直れない」と言わんばかりの落ち込みようです。と思えば、「まるで自分は悪くない」と言わんばかりのふくれっつらをしています。いったい何を考えているのでしょうか?

A:反省するのはいいが、すねてはダメだということを理解させましょう。

Q:会議で使う資料を「10部コピーしといて」と頼んだら、コピーはしてあるが、クリップ留めなど束ねることはしていない。言ったこと「だけ」しかできないのはなぜでしょうか?

A:繰り返し訓練することで、仕事における「普通」が何なのかを理解させるしかありません。

Q:仕事が終わらず、処理すべきことが残っているにもかかわらず「定時なので帰りホす」と言ってきます。目が点になってしまいました。

A:うまくいかなかったことを「やりきる」ことが責任感だと教えましょう。

Q:仕事上の大切な連絡をしているにもかかわらず、メモをとりません。きちんと仕事が進むかどうか、不安でなりません。

A:自己過大評価が不遜な態度につながっています。やるべきことを一つひとつ教えるしかありません。

Q:報告・連絡・相談がきちんとできません。こちらから聞けばきちんと答えるのに、なぜ自分から報告に恥ないのでしょうか?

A:基本的に「待ち」の姿勢でいることが多いです。余計なことをして叱られるのが嫌だから、聞かれるまで待っているのです。

Q:新人に営業の電話をかけさせたところ、理由を付けてはサボっています。--そんなに何度も何度も電話されたら、自分なら嫌だけどなぁ」と同期社員に漏らしていると聞きました。

A:自分の価値観で物事を判断しています。「新人はお客様に育てられるもの」という意識を持たせましょう

Q:片付いていない仕事があるので「休日出勤してほしい」と頼んだところ「週末はボランティアで忙しいので無理です」と言われました。仕事に区切りがついてからにしてほしいのですが……

A:「お金をもらっている」仕事の結果に対しては周囲の期待値が高いということを認識させましょう。

Q:業務上の提案をなかなかしてきません。話をしてみると一提案しても採用してもらえないじゃないですか」と、自分の提案がなかなか認められないことへの不満が原因のようです。

A:鼻を折られて傷付いています。他人の責任にしがちな気持ちを、自分の責任に向けさせましょう。

Q:最近、部下のケアレスミスが続いています。仕事に対するやる気がみられず、それがミスにつながっているようです。

A:「うまくいかない」ことに落ち込んでいます。やる気のなさが周囲に伝わるようではプロ失格であることを教えましょう。

Q:ビジネスマナーがなっていないと注意したところ、「研修で勉強した通りに、ちゃんとやっていますけど…」と不満そうです。本人はそれなりに、こなしているつもりのようですが…。

A:「できているはず」というのは自己判断に過ぎません。「他人からどう見えているか」を考えるクセを付けさせましょう。

Q:新入社員の靴がボロボロなので、きれいにするよう注意しました。すると「お金がなくて買えないので、しかたがないじゃないですか」と言います。そういう問題ではないと思う乃ですが…。

A:「お金がない」ことの責任にしています。仕事の場にふさわしい姿勢や恰好をすることの大切さを教えましょう。

Q:興味のないことはとことん知ろうとしません。

A:この「食わず嫌い」の姿勢を変えさせましょう。

Q:「オフィスが汚くて、やる気が出ないなあ」昼休みに、新入社員がボヤいているのを聞きました。まあ確かに、きれいとは言い難いですが、会社に何を期待しているのでしょうか?

A:「たくましさ」とは何かを考えさせましょう。

Q:業務時間中に「集中したいので」と言って耳栓をしています。周囲からどう思われるか考えていないのでしょうか?

A:自分にとっての効率だけを求めています。「周りはどう見ると思う?」と問いかけてみましょう。

平均的な1日のなかでのレジャー時間

2013年10月13日 | 7.生活
『世界の社会問題3』より OECD諸国のレジャー時間の測定

上述の分析が示すところでは、OECD諸国全体について1年をつうじて有償労働の平均量にはいちじるしい違いがある。さらに労働に使用される平均年間時間は過去30年にわたって減少している。しかし、労働に使用される平均年間時間の一般的な減少は必然的に、利用できるレジャー時間の対称的な増加を意味しているのであろうか。答えはノーである。対象とする人口という点とすべての残余時間がレジャーに使用されるという想定において、残余的手法の弱点は明らかである。最終的に細部への分解は典型的なある1年をしだいに形成してきた要素の一部を明らかにしているだけである。人びとがレジャーに配分する時間の実態的な推計を点検するためには、生活時間調査だけが提供できるデータが必要である。

ある人の平均的な1年のうちの平均的な1日において、レジャーにふりむけられた時間の割合をよりよく理解するためには、まず大人が24時間をどのように他の主要な活動に分割しているかをみることが重要である。ここでとられている手法は1日の時間を5つの主要な分類群に分割している。5つの分類群というのは、1)狭く定義されたレジャー、2)有償労働、3)無償労働、4)個人的なケア、5)その他の時間(説明されていないか、定義されていないかのいずれかの時間の使用)である。生活時間調査において完全な方法論上の標準化と比較可能性を確保できる限りにおいて、平均的な1旧こついて人びとが時間を分割する方法については、各国間にいちじるしく違いがあることが観察され「うる」。記憶にとどめておくべきことであるが、生活時間調査の結果は病気ないしは休暇の時期の時間配分傾向を測定するうえで完全に正確であるとはみなされえない。この研究にとって充分な情報をもつ最新の生活時間調査が利用できるのはOECD加盟国のうちの60%だけである(本章で分析されている18か国)。しかもその方法論はさまざまである。不幸なことに、ハンガリー、アイスランド、オランダからは、現存の生活時間調査を含めるうえでは、不充分な情報しか利用可能でない状態であった。

「有償労働」にはフルタイムとパートタイムの仕事、職場での休憩、職場への通勤、求職活動に使われる時間、在学時間、往復の通学時間、家庭内でおこなわれる有償労働が含まれる。「無償労働」には、すべての家事労働(雑事、料理、掃除、子ども・他の家族・家族外のメンバー向けのケア、ボランティア活動、ショッピングなど)が含まれる。「個人的なケア」には睡眠、飲食、他の家事・医療一個人サービス(衛生、身づくろい、医師・美容師へ通うことなど)が含まれる。「レジャー」には、趣味、ゲーム、テレビ鑑賞、コンピュータの使用、気分転換の庭仕事、スポーツ、友人や家族とのつきあい、イべントヘの参加などが含まれる。「その他の時間」には他の分野で言及されなかったすべての活動が含まれる。

図が示すように、OECD加盟の18か国すべてで、人びとは大半の時間を「個人的なケア」に使っている。これらの国々において「個人的なケア」に使用される時間の比率の違いはそれほど大きくはなく、6%ポイントの差である。すなわち、もっとも低いカナダ、スウェーデン、メキシコ、ノルウェーでの全時間の43%からもっとも高いフランスの49%の範囲である。

「個人的なケア」のなかでどの活動が多いのだろうか。すべての国をっうじて個人的なケアの主要な要素は実際上睡眠である。OECD諸国全体をっうじて、人びとは一日当たり8時間22分の睡眠をとっている。したがって、睡眠はOECD諸国全体の平均的な個人的なケア時間の約77%を占めている。2番目に重要な要素は食事である。このための時間はOECD諸国全体の平均で、個人的なケア時間の14%、つまり1時間37分を占める(トルコについては、食事が他の個人的なケア時間から分離できないため、この計算およびつぎの計算から除外される)。したがって、睡眠プラス食事は平均して個人的なケア時間の90%超を形成する。個人的なケア時間の残りは「個人的、医療、家事サービス」を対象としている。この最後の分類群は、個人的な衛生、医者に行くこと、散髪、車の修繕などといった各種の活動を対象としている。睡眠、飲食、および個人的な衛生のある部分(たとえば、個々に寝過ごす、友人や家族と長時間のランチをとる、自分の髪をシャンプーしたり切ったりする)は個人的なケアと分類するかわりにレジャーとして分類できる可能性があるので、個人的なケアとレジャーのあいだの区分にはいちじるしく裁量的な要素がある。

個人的なケアにつづいて、レジャーは典型的につぎに大きな時間の分類群である。これはOECD加盟の18か国の平均で時間の22%を占める。レジャー時間の比率が最大なのはノルウェーで、時間の27%を占める。最小なのはメキシコで16%である。レジャー量が多いのはまた、ペルギー、ドイツ、フィンランドである。逆に低い国は、日本、フランス、ニュージーランドである。

日本とメキシコは、有償労働時間の比率がレジャーよりも多いことを示しているただ2つの国である。韓国は有償労働とレジャーの時間の比率がおなじである。他の15か国のすべての平均で、レジャー時間は有償労働時間よりも多いことが示されている。 OECD加盟の18か国を平均すると、有償労働時間は重要度ではレジャーにっづくということになるが、その境界は微妙である。多くの国では、たとえばメキシコ、ニュージーランド、オーストラリア、イタリア、ポーランド、ペルギー、ドイツでは、実際には無償労働時間が有償労働時間よりも多く使われている。メキシコはまた無償労働時間がレジャーよりも多い唯一の国となっている。

4つの時間の分類群(レジャー、個人的なケア、有償労働、無償労働)のうち、各国間でレジャー時間の比率の違いがもっとも大きく、メキシコとノルウェーのあいだではその差は11%ポイントに達する。無償労働時間についても同様に差が大きく、韓国(小)とメキシコ(大)のあいだでは11%ポイントの差がある。有償労働の差は相対的に少なく、ペルギー(小)と韓国(大)との差は9%ポイントである。

岡崎図書館の10冊

2013年10月13日 | 6.本
未唯空間の進め方

 余分なものは買わないようにしましょう。ブランドのバックを買おうと思ったが、考えること自体をやめます。スタバのキャリーで十分です。これは未唯空間も同じです。答えに向かいます。全てはコンセプトです。考えて、未唯空間に持ち込みます。

社会の位相化に対する企業の役割

 社会の位相化に対する、企業の役割を明確にするためのポータル。ポータルでは、マーケティングしか変えないけど、窓としてのポータルで、内部のメーカーに位相化の動きを伝えることになる。メーカーのなかに情報共有を進めて、それぞれが個別に動けるようにする。

 ある意味では、インターネットと同じ考え方です。組織の考え方とやり方をインターネットの中に溶かし込んでいく。そのメーカーが主導権を持って、社会を変えていく。革命における、組織をあり方です。従来の成功体験に溺れいるやり方を変えていくためには、彼らを駆逐しないといけない。

ファインマン物理学

 ファインマンの人生を描いたマンガを、夕食後にみていた。面白かった。そこで思い出したのが、ファインマン物理学です。未唯が生まれた時に、軽装版のファインマン物理学1を買いました。未唯が数学者になる時には、必要になると思っていた。

 結局、誰も読まないで、終わってしまった。思いは伝わらないものです

未唯へ

 無印の味噌ラーメンはなかなか、おいしい。何もないのに。

 久しぶりに、日曜日に歩きました。

スタバのようなクルマ

 ポルテを買うつもりだという、打診が奥さんからありました。スタバのようなサードプレースが欲しいだけです。本当にスタバのように車はないです。とんでもないものばかりです。ろくでもない。どう見ても、哲学があまりにも足りない。この先、どうなっていくのかを思っていない。考えていない。

岡崎図書館の10冊

 913.6『我、六道を懼れず』

 210.7『血盟団事件』

 810.4『相席で黙っていられるか』日中言語行動比較論

 913.6『図書館の魔女』

 913.6『海賊女王 下』

 010.1『図書館と表現の自由』

 337.9『世界恐慌(上)』経済を破綻させた4人の中央銀行総裁

 361.4『パワートーク』一瞬で人生を変える3つの話し方

 723.1『奈良美智完全読本』美術手帖全記事1991-2013

 116.4『知のエッセンス』働くものの哲学

豊田市図書館の追加の6冊

 108『哲学01 いま〈哲学する〉ことへ』

 108『哲学10 社会/公共性の哲学』

 108『哲学11 歴史/物語の哲学』

 108『哲学15 変貌する哲学』

 289.3『危機の女王 エリザベスⅡ世』

 702.3『レオナルド・ダ・ヴィンチ論』

中国の都市への移動

2013年10月13日 | 4.歴史
内なる世界からの発信

 社会の位相化を言う以上は、他のことには構っていられません。内なる世界から発信します。

世界歴史への思い

 大学の教養部の時に、金がないときに、岩波の「世界歴史」全巻を予約した。なぜなのか。それまで、私の中には、受験の世界史はあったけど、世界歴史という概念がなかった。何かを求めるものがあったんでしょう。今につながっています。

 大学入学前から、戦間期に、ワイマールがああなったのかという疑問を持っていた。教養部の歴史の授業が戦間期だったので、歴史に関心を持ち、教養部封鎖で、図書館に通学していたので、本を読み始めた。最初に読んだのは、「わが闘争」だったけど。

 歴史哲学は、ヘーゲルをもう一度、借りましょう。

多様体の概念から社会の位相化

 なぜ、多様体の概念が生まれたのか。それがすべてになっていないのか。それを一般の人は知ろうとしない。座標系のことは知っているけど、さらに単純な多様体は知らない。これは教育の問題なのか。

 サファイア革命との関係もあります。すべての社会生活を位相化するわけにはいかない。ローカルにとってみたら、従来通りに見えるものなのかもしれない。その方が、革命を成就できる。

 ムスリムがヨーロッパに進出したときに、彼らは自分たちの宗教を押し付けようとしなかった。それまでの支配者に比べると、はるかに安い税金だけをとった。それが故に、フランク帝国のような大きな力とぶつかるまで、ムスリムは勝てた。民衆にとって見たら、どちらでも同じだったから。

 全てを崩すような、モンゴル的なやり方では、民衆を巻き込んだ形で、反乱が起きるでしょう。そうではなくて、上の部分だけを変えてしまうというやり方です。民衆にとっては、今まで以上のことができ、ローカルでの自由と権限が拡張でき、全体の構造が変えらる世界になった。そこから、イスラム教の良さを横に伝播して、変えさせていく。自分たちのアイデアとして,変えさせていく。

中国の都市部への移動

 中国は農村部から都市部へ人口を移そうとしている。2005年に中国に行った時には、3億が都市で、10億が農村と捉えたけど、それを逆転させるつもりです。

 都市へ来た農民はどこに住むのか。高層マンションみたいです。では、何をするのか。都市での産業がそれほどの吸引力を持つのか。

 ペテルスブルグの風景をイメージします。ナチの前線ラインから、ペテルスブルグを眺めた時に、何もないところに、都市があり、周りに高層マンションが作られていた。都市の住民はそこに住んで、地下鉄で運ばれていった。ペテルスブルグの街の地下から、人が湧き出てきた風景は圧巻だった。

 都市への移動の動機は、社会保障です。都市部の人間だけに、国家が年金などを渡します。何のために、広大な土地を持っているのか? 都市に集めることで、どうしていくのか。地方都市でも、すぐに何千万と人が集まる土地柄だから。

 むしろ、地方分権させた方がいいに決まっている。中国には地方という考え方が強い。全体をまとめきれない。いまだに中央集権ができない。あるのは、中華思想だけです。

 農村は消費者にできないから、都市へ持って来て、消費者にしようという考え方でしょう。以前ハ、農村は豚一匹だけで生きていられたけど、今は、豚肉はアメリカから輸入する。そのためには、NBAとしての共産党としては、消費者はいるけど、生産者はいらないという考えでしょう。

位相化はインターネットで実験済み

 ネットワークもトポロジー構造を持っています。誰も意識していないのに、出てきて、それまでのやり方を変えてしまった。LAN・WNのように、ローカルとグローバルとその関係を持っている。つまり、位相化です。

ルネッサンスと宗教改革

2013年10月12日 | 4.歴史
『デンマークの歴史教科書』より ルネッサンスと宗教改革 1300-1650年

○こうしてデンマーク人はそれを獲得した

 王は、市民と農民を、“誤った無思慮な犬の群れ”として、反乱を起こすことを大目にみていた。しかし、特に農民は、貴族と仲が良い王を持ってきたと感じるようになった。多くの農民は、農園を王に捧げ、王の小作人となることを強制されていた。そして貴族は小作人を思いのままに使う許可を得ていた。

 王は外国との貿易の大部分を貴族に委ねていた。たとえば、穀物と家畜をドイツヘ売ることで、多くの貴族がとても裕福となった。

 古来、貴族は王の兵士だった。一方で、税金を払うことを免れていた。しかし今や、銃と大砲の時代だった。それは、鎧に身をまとった貴族軍は時代遅れとなったことを意味した。多くの貴族がその代わりに、土の高級官吏となった。同様に税金の支払いは免除されていた。

 1500年代は、商売と手工業の開花期だった。商人は国のためにたくさんのお金を稼いだ。そのため上は、都市の商売のためになる法を作ろうとした。少しずつ、コペンハーゲンの商人は外国との貿易を貴族から引き継いでいった。一部のこれらの商人はとても裕福になった。王と貴族が商人からお金を借りたので、商人もまた、次第に国家の運常への影響力を獲得していった。

 変化をもっとも感じたのは教会の聖職者たちだった/司教と修道院長はもはや、田家の迎行に影響力を持だなかった。教会はその価値を失い、経済面で下に頼った。しかしや聡t昔は独立した身分として残された。その身分には、川教、司祭長、川祭、教師が含まれていた。彼らの仕事は、デンマーク人がルター派の教えに基づいて暮らすのを世話することだった。

 修道院には、これまで同様に修道士と修道尼がいた。王は彼らに、残りの人生を修道院にいる許可を与えた。しかしカトリックのミサを開いてはいけなかった。都市では、多くの修道院が病院になっていった。それらは、高齢者、貧困者、病人の而倒をみる一種のケアホームであった。しかし病院には貧困者と病人を受け入れる場所だけがあり、残りの者は、生きるために物乞いをしなければならなかった。物乞いを抑えるために、市民からの分担金で賄われる貧困基金が設立された。集まった額は必要性がある者の間で分けられた。しかし十分ではなく、多くの者が同様に物乞いしなければならなかった。 2-5万人が物乞いをしてどうにか暮らしていたと推算されている。これは人口の5―10%に相当した。

○肥えた時代一誰かにとって

 1536―1660年は貴族の富裕時代と呼ばれる1536年の宗教改革以降、教会は王の下に置かれ、独立した権力を全く持たなくなった。今や貴族だけがほとんどの土地を所有し、枢密院に座って王とともに国を治めていた。その時代の人部分は、経済的にはうまくいっ九。デンマークは農業国で、穀物の価格は1630年ごろまで上がり続けた。その成果が一番最初に貴族の地主に恩恵をもたらした。より多くの土地を買い占めて領地を拡大した。森を切り払い、牧草地を畑に変えた。多くの貴族が新しい屋敷を建てる余裕を持った。

 農民は穀物価格の高騰の恩恵はたいしてうけなかった。収穫物はこれまで同様に、蒔かれた種の3-4借の穀物に過ぎなかった。主に農民自身で使い、一部は税金と支出に回った。ほとんどの農民は、農場と畑を地上から竹りる小作人だった。小作人の数は増加し、1650年ごろには耕作地のわずか6%だけが自作農のものだった。王はおよそ半分、貴族は約40%を所有していた。残りのわずかな部分が祁市の市民が所有する畑だった。小作人の生活は生存を賭けた日々の戦いだった。生産したものの主要な部分を自分たち白身で使い、残りを地主が、ランドギルデと呼ばれる小作料として受け収ったそのうえ、小作人は年問決まった目数、地主のために無償で働く義務があった。これはホウヴェリと呼ばれた。

 不作の年は、小作人が小作料を払うことができないことを意味した。もっともいい場合、地主から借金できた。最悪の場合、農場から追い出された。多くの戦争が農民に過酷な状況を強いた。農民はデンマークと敵の両方の兵士に食住を提供しなければならなかった。また、要塞建設と軍隊の他の仕事を強制的にさせられた。

○スウェーデン人との騒動

 1520年代にスウェーデンは最終的に、デンマークとノルウェーとの同盟から去った。グスタフ・ヴァーサもデンマーク王、クリスチャン3世もいずれも、同盟にまつわる高価な戦争をもう望まなかった。

 1500年代はじめには、ノルウェーは経済的に弱体化していた。わずかな貴族が残っていたが、国を治めるのに十分な力はなかった。クリスチャン3世はこれを利用した。1536年に王位を継いだと凱ノルウェーの枢密院を廃止した。これによってノルウェーは独立国でなくなり、スコーネとユトランドがそうであったように、デンマークの一部となった。 1560年代はじめには、フレデリク2世がデンマーク王位を、エーリク14世がスウェーデン王位を継いだ。両王は北欧全体の支配を欲したため、ここにデンマークとスウェーデンの問の平和な関係は終わりを告げた。

 1563年に、続く約100年間でデンマークとスウェーデンが戦った4回の大きな戦争の1回目が起きた。戦争の最も重要な理由は、北欧の統治権、バルト海貿易の支配権、デンマークが徴収していたオアスン海峡の通航税だった。戦争の結果として、デンマークは大きな領土を放棄しなければならず、国はもはや、北ヨーロッパの大国でなくなった。

デンマークの農耕民

2013年10月12日 | 4.歴史
『デンマークの歴史教科書』より 農耕民 紀元前1万1000-1000

○デンマークでは

 およそ6000年前、現在デンマークと呼ばれる地域にはじめて農業がやってきた。すでにエルテベレ期の狩猟民は農業を知っていた。なぜなら北ドイツの農耕民と接触し、物を交換していた。しかし土地を耕し、家畜を飼うことは、狩猟民であることよりもはるかに多くの労働を必要としたので、必要性が出てくるまではデンマーク人は農耕民にならなかった

 ところがデンマークでは人口が増えていった。これは、狩猟、漁猟、食用ベリーや植物の採集では十分ではないことを意味した。飢えで死にたくなければ、狩猟民は農耕民になる必要があった。どのよ引こしてデンマーク人が農耕民となったのかは学者の問で意見が分かれる。ある者は、デンマーク人は少しずつ自分で農耕民であることを学んでいったと主張する。別の者は、デンマークに移住してきた人々から人地を耕し、家畜を飼うことを学んだと言う。

 人々はこれまで同様に多くの道具を石で作った。それゆえ、紀元前4000-1800年の時代は、農耕石器時代と呼ばれる。

○どうやって大地を耕したのか

 人が大地を耕した最初の方法は、焼畑農法と呼ばれる。大木を切り倒して森を開き、潅木や小さな木を焼く。燃焼の熱によって、土の一番上の数センチの層に含まれる栄養分が解き放たれる。同時に熱は雑草の種子を壊す。一旦は穀物を栽培することができるかもしれないが、数年後には土壌の栄養分は使い果たされ、雑草がはびこる。そうなると、最初からやり直し、新しい森を切り開かなければならなかった。

 焼畑農法によって、森の大きな面積が燃やされていった。そのため、餌となる動物や鳥の生息地が減っていき、人々は農業からもっともっと多くの食糧を手に入れなければならなくなった。同時に同じく、人口が増えていった。700一800年の問に、焼くのに適した森を見つけるのは難しくなっていた。生き残るためには、別の方法で畑を耕さなければならず、そのためそれほど急速には畑はやせなかった。

 こうして人々は次第にアード農法に移っていった。アードとはとても単純な鋤で、畑を縦横に引っかき、耕した。この方法で、畑がやせるまでより長く耕すことができた。しかしアード農法は焼畑よりも多くの労働を必要とし、畑を“すく”のに長い時間がかかった。耕す前に、石や根を取り除かなければならなかっ:だ。100㎡の畑をすくのに2日かかることが実験でわかっている。

○家畜

 実際には、農耕石器時代の豚、羊、ヤギ、牛を、家畜、と呼ぶのは間違っている。それらの動物は実際には年中外におり、牧夫が番をしていた。豚は、堕落に近い森で、根っこや木の実、食川になるものを自分でほじくり返して食べ物を得ていた。草が多い地域では、多くの羊やヤギが飼われた。牛はもっとも重要な家畜で、役畜として使われた。牛からは食べる肉の半分以上を取得し、衣服の革にも使われた。しかし牛は他の家畜よりもより手問がかかった。例えば、木々や潅木の葉を切り分けて、冬の食べ物としなければならなかった。

 農耕石器時代の最初の頃は、まず肉を目的に家畜を飼った。しかし次第に牛レ孔ヤギから乳を絞り始め、羊の毛を衣服を作るのに使い始めた。

○死は身近

 農耕石器時代の人々は狩猟石器時代と同じようには自然に依存していなかった。しかし、十分な食べ物を確実に得ていたと言うわけではない。干ばつや雨は収穫を台無しにし、動物は病気にさらされた。これは飢饉を意味した。

 農耕石器時代の人骨の調査から、わずかな数だけが40歳になったことがわかる。多くが出産中に亡くなり、生きて生まれた者のほぼ3分の2が成人になる前に死んだ。今日、多くの人が死を恐れ、死とは、滅多に話さない遠ざけられるものとされている。農耕石器時代でも人は、可能な限り長く生きたいと願った。しかし当時は薬、医者、病院などはなかった。だから死は常に身近なものであり、日常の生活の一部だった。死者は集落の近くの塚に埋葬された。もしかしたら、死者は崇拝されたのかもしれない。死者は必ず高価な贈り物とともに墓に埋葬された。

○集落

 集落は森の外れ、湖、小川、せせらぎもあるフィヨルドのそばにあった。ここでは、漁猟を営み、飲み水を得ることができた。同じ場所に何年も暮らしていたので家々は頑丈に建てられた。

 狩猟石器時代には、ひとつの集落の住民は独立したグループだった。農耕石器時代には、部族社会が出現した。つまり、複数の集落の住民が、部族長のような共通したリーダーの下に集まった。部族長は隣の部族と物を交換し、もし暮らす地域が敵に攻撃されれば、部族の男たちの先頭に立った。それぞれの部族は集会場を持っていた。ここに共同で死者への墓室を持った大きな塚を建てた。塚では、綺麗な陶器、琥珀細工、斧、動物、そして時には人川も捧げられた宗教的儀式が行われた。集会場では、フリント製斧や琥珀のような物も交換された。

豊田市図書館の26冊

2013年10月12日 | 6.本
豊田市図書館の26冊

 237.04『ヴェネツィア』東西ヨーロッパのなかめ 1081-1797

 134.96『存在と時間(三)』

 914.6『常識にとらわれない100の講義』

 913.6『人類資金Ⅲ』

 131.3『国家』

 238.95『デンマークの歴史教科書』デンマーク中学校歴史教科書 古代から現代の国際社会まで

 336.1『「アイデア講義」の実況中継』企画のプロが教える

 702.37『ミケランジェロ』

 798『超絶難問論理パズル』アタマの底力をひきだす72問

 289.3『マンガ はじめましてファインマン先生』超天才物理学者の頭の中

 913.6『1973年のピンボール』

 316.4『テロリズムの歴史』

 709『名景世界遺産 街並み編』

 361.9『図表でみる世界の社会問題3』OECD社会政策指標 貧困・不平等・社会的排除の国際比較

 490.15『どんな病気でも後悔しない死に方』

 336.4『「ゆとり世代」が職場に来たら読む本』彼らの価値観を理解すれば、100%戦力化できる!

 367.21『日本のジェンダーを考える』

 367.75『ひとり暮らしの老後に備える』

 A369『とよた市民活動ガイドブック 平成25年度』

 481.71『働くアリに幸せを』存続と滅びの組織論

 543.5『福島原子力帝国』原子力マフィアは二度嗤う

 675『今より高く売る!小さな会社のブランドづくり』「日経トップリーダー」の超人気セミナーを実況中継

 021.4『写真でアピールするレイアウト&カラーズ』

 537.06『「メイド・バイ・ジャパン」逆襲の戦略』四畳半から世界を狙う!

 497.04『観察力--確信を育てる』先入観という汚れを全て拭き取ろうとする配慮こそ、観察者の第一の要件だとだと思っています。ひらめきは、観察の結果築き上げられた未完の理論の先端からスパークし、そのひらめきから発見が生まれるのです。

 493.74『依存症のすべて』「やめられない気持ち」はどこから来る?

ミカロスの気持ち

2013年10月11日 | 1.私
ミカロスの気持ち

 ミカロスには、バッハの無伴奏チェロ曲が合います。

 一言もしゃべらずに、3時前に帰っていきました。当分、そうでしょう。それが今月末まで続くのです。もしかすると、異動前の12月8日まで続きます。

 ミカロスでは、やる気がしない。ブランドのバックを高島屋に見に行ったけど、小さなバックでも、17,000円します。ミカロスで気持ちが悪い。早く帰ろう。

 ミカロスを補うために、3日間、本に徹しましょう。

 ミカロスのエネルギーは、社会との唯一のつながり。大きく捉える。それはどんなエネルギーなのか。考える人生も、他のことを見て、止めましょう。

 マスクとイヤホンは必須にしましょう。しゃべるのは面倒だから。ICレコーダーだけが、接点です。完全なる内なる世界です。問われれば応えるが、それ以外はすべてブログです。ログです。

 土日の生活がこれでいいのかですね。あまりにも考えることが少ない。だけど、土日まで考えたら、しんどい。

 明日は、会社がある、普通の月曜日として暮らします。ミカロスの状態ですね。ミカロスはM.IKAROSにします。これなら、意味が分からないでしょう。ミカロスとして、存在します。

 土日は本に徹しましょう。今までは、新刊書だけだったけど、未唯空間を創造するのに役立つ本にも拡大させます。何しろ、社会の位相化を進めないといけない。

未唯空間の要約の説明

 未唯空間の要約の説明は、項目の題名がなぜ、そうなっているかを的確にできるようにすることで、必要条件を確認します。必要十分である必要はありません。自分の中で、関係づけられれば十分です。

科学技術は薄くなっている

 科学技術は薄く、広くなっている。新しい技術で、社会を変えることは不可能です。浅い技術は、拡大する。拡大して、使える人間が変わらないと変わらない。デメリットを持っています。

アメリカの民主主義

 太平洋戦争では、アメリカの民主主義に期待したのでしょう。米国人が殺されることで、アメリカは変わっていくと思った。だけど、アメリカ人は野蛮人です。それが通用しなかった。

 彼らは、殺された以上に殺すという論理を持ってきた。ルメイではないけど、日本に対しての無差別爆撃、原爆の実験場。そんなものは、完全に野蛮人です。アメリカが民主主義が故に、手を打つという見方をしたのは大きな間違いです。アメリカの表現上の民主主義を見ていたのでしょう。インディアン討伐、南北戦争での殺し合いを見ても分かるように、根本にあるのは、野蛮人です。

パートナーのロジック

 私の場合は、3段論法ではなく、空間の配置です。その背景を持っています。

 パートナーには、背景がない。現時点で持ってきたこと、考えたことから作り出すしかない。その時に、拘りがどこまで作用するのか。柔軟性がないのは確かです。それで自分の首を絞めている。譲歩ではなくて、柔軟性です。本質は変えないことです。

図書館の貸し出しルール

 豊田市図書館の貸し出し禁止ルールが、図書館法にあっているかを図書館大学などに確認します。若手に聞けば分かるでしょう。図書館側のミスの可能性もある時点で、一方的に、貸し出しを中止するのは、人権侵害にならないのか。

 ルールを作るなら、色々な事を想定して作れ! あとから、ごまかしで一つずつ対応するのは、ルールではない。

一人でしかできないこと

2013年10月11日 | 1.私
LL=GGは宇宙方程式

 LL=GGを宇宙方程式にする可能性があります。宇宙方程式は宇宙の構造自体を表します。何しろ、これで存在の力も示せるし、地球原理もこれで説明できます。そして、LLが亡くなる時に、GGがなくなるということが証明にもなります。それを空間論で行います。

 それが故に、存在する理由する意味にしました。それと、私の原典である、存在と無とつながることです。

ICレコーダーでの対話

 コラボレーションするためには、テーマを決めて、グループでディスカッションすることです。これを行うためのツールとして、ICレコーダーで自分との対話です。ここでも、もう一人の私のμが役立ちます。ブログにコメントを書いていた。ソクラテスではないけど、新しい対話になります。

 ICレコーダーは一つのテーマごとになっている。それに意見を追加機能で入れ込みます。イヤホンさえあれば、できます。あとは書き出しです。その時に、もう一人の自分が意見を出すということです。自分を分化すればいいし、それ自体が分化を促進します。自己革新です。

 この意見を出すというのが、今回のポータルの最大の目標です。一人の頭ではできないこと。それでできていく世界。一人で生きていく世界。一人で変えていく世界。

一人でしかできないこと

 ここのお仕事を見ていると、集まって、時間の無駄だけやっています。一人でできないのか。一人でしかできない事の方が、皆でやることよりも多い。そして、価値がある。

 数学的思考とか、空間配置を使う時には、イメージを合わせることはできない。作ったものでイメージしてもらうしかない。作る時は、使う時のイメージから作り出す。その時に、人の頭の中は当てにできない。

 デカルトが方法序説で述べたように、一人で作った方がきれいです。整合性がつきます。

 そのためのツールつくります。研究開発部署にいた時には、アップルにツールを作ってもらった。ジョブスまどが作ったのは、そういう世界でしょう。それを拡げていくことです。

 その頃に、UNIXワークステーションが出ました。技術者の環境に投資するという考え方です。それを使えば、一気に設計が進みます。

 民主主義の多数決も同じだけど、それが意味を持たない。それぞれが考えて、やるべきことをやって、それで全体を作り上げる。ローカルな部分とグローバルの部分を分けてやることが、位相化です。

 位相化のベースは個人の分化から始まります。

 一人でやることを考えたら、自分の持っている資質、考え方とか空間認識を人に移植するのは難しい。

 空間論とか、トポロジーでやれば、簡単なことを、ケース分けとか変なやり方でやれば、イレギュラーが起こる。空間を使えば、ローカルとグローバルを一気に考えることができる。その時に、余分な人間は余分です。

皆が考える時代

 係長になった時に、SL制度で、皆、考えるんだ、ということになり、管理する人間をなくした時代があった。

 能力がない人間が管理したら、余計な事ばかりになります。そこから、この会社の衰退ががじまった。

 やはり、O会長のような人でないと無理です。日本を含めた、方向が出せない。VCにしても、既存の勢力に潰されました。そして、エリカさんは、この会社から脱出しました。どうでもいいものはどうでもいい。くだらないものはくだらない。

技術者のシステムを作るには

 あなたにインジェクター解析システムは作れますか。私は作れました。技術者にインフラとツールを用意すれば、ニーズのある人が作り出します。それを横展開すれば、多様なモノが作れます。そこには、無駄なものはありません。無駄な人もいません。

ポータル検討会

 ポータルのシステム会社との検討会が終わりました。これで、店舗コミュニティでの情報共有ができるのか、満足していません。色々な手段があるけど、スタッフが本当に使って、分化ができるのか。

数学モデルと現実の世界

2013年10月10日 | 2.数学
数学モデルと現実の世界

 LとGとの関係が出てくると、LLとLとの関係、GとGGとの関係が出てくる。そして、LLとGGとの関係になる。それは、ものすごく、遠いように見えるけど、これはつながっています。それが次の世界の特徴です。

 数学モデルでは簡単にできることを、現実社会でどのようにしていくのか、そのためのツールが用意されている。個人の方から拡大したということです。個人がどこに所属するのか、所属しなくても、自分たちでグループを作れば、グループとして、どうやっていくのか、考えられる。本当に自律した世界です。

 その中に、組織の論理を入れ込むような、スパルタのような世界もあるし、直接民主制のアテネように様なカタチもある。それが、その時によって、お互いに連合していく。その不安定なものをいかに、安定よくやっていくかが、全体のコントロールです。EUで言うところの、Think Globallyです。

クルマを位置づける

 そういった中で、クルマというものをどう位置付けていくのか、どう変わっていくのか。販売店システムもその中に入ってきます。と言っても、人が主役です。そして、スタッフが発信すること。

 富山での6時間の社長とのミーティングを思い出します。組織でのスタッフの扱い方を変えたくない。変えれない。過去の成功体験から脱出できない。社長は責任を持つというけど、その責任は何の責任なのか。企業存続の責任と言っていたけど、時代に合わない企業は淘汰されます。だから、一生懸命、見ていこうとしています。

 日本は、国民国家というあまりにも特殊な世界にすっぽり、はまってしまった。それの悪さの弊害に気づく前に、依存の世界に入ってしまった。

組織はつぶれていく

 SNSをチャッターでやるとしたら、どのようにやるのかを私の方でやります。題材はポータルの検討会そのものです。組織が成り立たなくなった理由は、国民国家と同じです。つまり、大きさと個人の分化との関係です。

 もう一つあるのは、リーダーシップという幻想です。そんなことが分かる人はいないして、一つのことしかできない。分化できていない。

 だから、上から下への座標系が成り立たなくなっている。それぞれのところで、次元が異なっている。次元が異なっている部分を集めて、それで新しいものを作ったところに負けてします。あまりにも、矮小的な人間が支配する組織だと、それを認めない。では、リーダーは何をしているのか。過去の経験だけでの判断です。そして、組織はつぶれていく。この会社もそのパターンを辿ろうとしている。

 三部門を亘ってきたところからすると、皆、ロジックは違っています。

歴史哲学での見方

 歴史哲学は重要です。環境社会の哲学と言っているのは、歴史哲学です。歴史は、一気に変わるわけではないけど、大きく変わる時があります。特にコード化の世界では、一気に変わってしまう。20世紀と21世紀では大きく異なります。

 21世紀には、科学技術の進化という幻想はなくなりました。ネットワークを使って、人間をどう変えていくのか、どう分化させていくのかが新しい構成です。

国境

 スンナ派はイラクとヨルダンでは、国境の引き方で人数比が変わる。それによって、国が安定するか、不安定になるかが変わる。国境という概念と国というものの役割が国民国家にとっては、分けられない。今は、そこは横につながってしまう。

 トルコとのように、地域から発想していくカタチにならざるはえない。そうしないと安定はしない。それとも、民族とか宗教というものを全て、無視するのか。それは心の拠り所がなくなります。

 ウクライナ・コサックは民族ではなく、自由を求める人の集まり。それでも国民国家になりうる。それを一つの単位にしていくしかない。その中を分けることは可能だが、他のものと合わせることで、旧ロシアのような形にすると、破滅につながる。