哲学は後付け
哲学については、元々、その気はなかった。自分の存在と無から、なぜこうなっているのかから始めた。
存在と無みたいなことを、考えたり、表現しているものがなかったので、結局、哲学に行ってしまった。皆、素直ではないというのが、感想です。生まれてきた以上は、皆、そういうことを考えているはずだし、それを知りたがっているはずです。
池田晶子さんのように、宇宙の旅人という概念までたどり着いた人もいる。親というのは、親ではないのも知りました。ずっと、しこりでした。それに言葉を与えられた。
今の未唯空間も、存在と無とか孤独と孤立の悲しさから始めています。最後は存在の力で終わる、というか、始まるという歴史観を持ってこれたことは幸いです。
哲学がどうのこうのという哲学者には、一番の論点である、なぜ、自分がと言うところが抜けています。特に日本の哲学は、海外から持ってカタチになっている。自分の言葉になっていない。元々、日本には、禅などに、そういう概念があるからです。
存在と無と一神教
存在と無から考えると、どうしても一神教にはなれない。自分自身が大いなる存在だから、多神教にならざるを得ないし、自分が中心になるので、宗教そのものがあり得ない。現象学にしても、キリスト教という一神教を否定するところから、はじめて出てきました。
何も考えない自分が好き
台風の風が強いので、今日は収まるまで、様子を見て、それからいくなりしようかなと追っている。こんなことを思う自分は好きにはなれない。
概念を言葉にすると難しい
それにしても、言葉は難しいですね。ハイデガーではないけど、言うからある、言わなければない、言っても言わなくても、あるところにはある。言うことは大変難しい。そういうことの存在を考えているのも、考えているだけでは分からない。言わなきゃ。だけど、それに適用した言葉があるかどうか。
ないものは考えられない。あるものしか考えられない。あるものも、この思考形式でしか考えられないのだから、考えられた途端にそれは嘘になる。こんなものには付き合っていられない。
環境社会の政治形態
9.7の政治形態は、あまりにも唐突だし、中身がない。むしろ、今の衆愚政治みたいなものを、どのようにして、LL=GGでまとめていくのか、そこで新しい民主主義ができるということに向けていかないといけない。
特に、国の役割のところです。今の国の役割は分配が主であるけど、これは民主主義で決めていることです。その民主主義を変えようとしているのに、逆転する発想になります。つまり、分配できないことから、中央集権を変えて行くということです。
明治維新の時に、中央集権にして、国民は幸せになれたのか、というところから、新しい地方分権にしていくということです。つまり、分配の機能ができなくなった以上は、中央主権である理由がない。軍事だけです。
国民国家と国際関係
国際関係のところは、国民国家がキーになります。それから、どちらに向けっていくのか、超国家なのか、地方なのか、そのバランスをどうとるのか。それと環境社会をどうのようにして、実現していくのかが関係します。特に、思考停止にある、日本の悩みは大きいです。
哲学については、元々、その気はなかった。自分の存在と無から、なぜこうなっているのかから始めた。
存在と無みたいなことを、考えたり、表現しているものがなかったので、結局、哲学に行ってしまった。皆、素直ではないというのが、感想です。生まれてきた以上は、皆、そういうことを考えているはずだし、それを知りたがっているはずです。
池田晶子さんのように、宇宙の旅人という概念までたどり着いた人もいる。親というのは、親ではないのも知りました。ずっと、しこりでした。それに言葉を与えられた。
今の未唯空間も、存在と無とか孤独と孤立の悲しさから始めています。最後は存在の力で終わる、というか、始まるという歴史観を持ってこれたことは幸いです。
哲学がどうのこうのという哲学者には、一番の論点である、なぜ、自分がと言うところが抜けています。特に日本の哲学は、海外から持ってカタチになっている。自分の言葉になっていない。元々、日本には、禅などに、そういう概念があるからです。
存在と無と一神教
存在と無から考えると、どうしても一神教にはなれない。自分自身が大いなる存在だから、多神教にならざるを得ないし、自分が中心になるので、宗教そのものがあり得ない。現象学にしても、キリスト教という一神教を否定するところから、はじめて出てきました。
何も考えない自分が好き
台風の風が強いので、今日は収まるまで、様子を見て、それからいくなりしようかなと追っている。こんなことを思う自分は好きにはなれない。
概念を言葉にすると難しい
それにしても、言葉は難しいですね。ハイデガーではないけど、言うからある、言わなければない、言っても言わなくても、あるところにはある。言うことは大変難しい。そういうことの存在を考えているのも、考えているだけでは分からない。言わなきゃ。だけど、それに適用した言葉があるかどうか。
ないものは考えられない。あるものしか考えられない。あるものも、この思考形式でしか考えられないのだから、考えられた途端にそれは嘘になる。こんなものには付き合っていられない。
環境社会の政治形態
9.7の政治形態は、あまりにも唐突だし、中身がない。むしろ、今の衆愚政治みたいなものを、どのようにして、LL=GGでまとめていくのか、そこで新しい民主主義ができるということに向けていかないといけない。
特に、国の役割のところです。今の国の役割は分配が主であるけど、これは民主主義で決めていることです。その民主主義を変えようとしているのに、逆転する発想になります。つまり、分配できないことから、中央集権を変えて行くということです。
明治維新の時に、中央集権にして、国民は幸せになれたのか、というところから、新しい地方分権にしていくということです。つまり、分配の機能ができなくなった以上は、中央主権である理由がない。軍事だけです。
国民国家と国際関係
国際関係のところは、国民国家がキーになります。それから、どちらに向けっていくのか、超国家なのか、地方なのか、そのバランスをどうとるのか。それと環境社会をどうのようにして、実現していくのかが関係します。特に、思考停止にある、日本の悩みは大きいです。