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未唯への手紙

未唯への手紙

環境社会の歴史哲学

2013年10月10日 | 4.歴史
環境社会の歴史哲学

 20世紀の真ん中に生まれて、変革の時代を生きてきた。それからすると、当然、変わるはずだという感覚はあります。だけど、身の回りを見ると、ほとんど、何も変わっていない、変えたくない、ツールだけが変わっている、そういう時代です。

 それが故に、閉塞感に埋まっている。個人的なレベルで勝手に方向を決めている。もっと、大きな流れでどうしていくのかは、表に出てこない。

 それを考えるのが、多分、歴史哲学でしょう。その歴史哲学の一つのキーワードは環境社会でしょう。有限を前提とした社会で、皆が従う社会ではなく、考える社会です。それをイメージして、先人は道具を作り上げてきた。道具とネットワークだけではおもちゃになるだけです。環境哲学から考えていくしかないでしょう。

 それを知りたくて、ずっと考えてきた。16000冊の本、哲学にも行ってしまった。そこで、色々なキーワードを見つけてきたり、作ったりしています。それらを集めて、一つの体系にしていく。

 一つの体系がいいのは、それができれば、色々起こってくることをその中に位置づけして、体系を変えるなり、取り込むなり、捨てることができます。自分の目、そのモノになります。目をなるべく、シンプルのさせるためには、全てを蓄えないといけない。だから、ストックの情報も必要になってきます。必要なのは、全体を見えるようにする。

国民国家の破たん

 国民国家としてやってきたものは、それは国と国民の契約という側面と民族的に自分たちを自立させることであった。社会主義の終焉において、グローバリズムとナショナリズムという二つでもって、国民国家は変質してきた。

 国家ありきと部分が、国家と国民の契約の部分が変わってきた。国が契約に基づいて、分配することが不可能になってきた。グローバリズムというのは、国という単位がいかに、あやふやなモノかを示した。ナショナリズムからすると、国という単位で押し切れない状態になってきた。アフリカなどでは部族でまとまるのが一番いい。

 日本のように、一億人が同じだと思っている、幻想の世界だけではない。東ヨーロッパの集まりは、偶々なカタチになっている。移民も含めて、色々な形態が出てきた。

国民国家の空間

 数学で行くと、空間上に次元の呪いが出ている。一つのところは、小さくまとまるが、大きくすると、それぞれ、次元の異なるものがバラバラにあって、そこでの常識が異なっているという世界です。これは国民国家という、デカルト平面では考えることができない世界です。

 その意味では、20世紀はナチの国家社会主義も含めて、国民国家という単位で、ナショナリズムで国家という形態でまとめてきた。国民はその枠の中で、自分たちを発揮させてきた。座標系が一番、重要である。

 その典型が組織というものです。メンバーを自分たちで決めて、その中で組織化していく。座標系に従って、上から下への命令形にしていく。その座標系では、幸せよりも効率化が優先される。効率で出てきた利益をメンバーに分配させる。分配の仕方が社会主義と資本主義で分かれる。

 国家は人権を保障するという契約の元に成り立っている。国家が衰退すれば、人権も侵される。逆に、自分たちが戦って、国が豊かになる。

 ナショナリズムと一緒でないところは、それで明確にできる。日本のようにナショナリズムと一緒になっているところは、国と国民が一蓮托生に世界を作り上げていく。ナチズムがその典型になっている。人が土着性を持っているので、移民が国と国民の関係を変えていく。

 国と国民の契約形態が荒くなってきている。国家の枠を変えていく、バーチャル化に向かうことになる。そうなると、国家はいくつも出来てくる。国家の分化です。制御を上からでなく、下からやっていって、それを契約という関数で表していく。それによって、東ヨーロッパの諸国が制御できます。EUにそれだけの想像力があるかどうかわからないけど。東ヨーロッパは民族を後付けするしかない。偶々住んでいるところではなく、帰属意識を持っている民族性をバーチャルなキーにしていく。

 国家が解体することと、地域が解体することは別です。地域はいくらでも、新しいつながりができます。ギリシャも都市国家の集まりとすることです。ギリシャという共同体を作った上で、EUに帰属するのか、トルコを中心として地中海連合にのっかかるかを決めていけばいい。都市国家にしても、アテネとスパルタでは大きく異なります。ペロポネソス戦争がそれを表している。ペルシャという、共通の敵がいなくなった途端に、戦いが勃発している。そして、カルタゴのように、攻撃される前にローマを攻撃して、そして、滅ぼされた。地中海そのものを共同体にした方がはるかに平和になります。

 それぞれの役割を持って、その役割を決めるのは、ローカルの人たち、バーチャルを含めた人たちが決めていくしかない。人権を守ると同時に、生活を守るために。

皆が発言できるようにする夢

2013年10月10日 | 5.その他
皆が発言できるようにする夢

 I havea dream、私には夢がある。

 SNSも皆が発言できるようにしたい。店舗のスタッフが発信できるようにしたい。それが情報共有の最大のポイントです。会議をしていても、発言できる人が限られている。それに皆が依存している。そして、多数決の論理です。個人が生かされない。

 自分から発信するためには、色々なことを知らないといけない。一つの側面だけではダメです。甘えていてはダメです。発信した以上は、それをどうしてやっていくのか、というのを一緒に考えていける。命令ではない。命令できるほどの人はもういない。自分たちで位相化していくことです。

 お客様とのコミュニケーションをこの中に入れておきます。それが本当なベースです。それを誰と話せばいいのか。とりあえず、あのチャッターの中で話していきます。

 キング牧師の夢に見られるように、どんなイメージを持つのか、誰がどういう風にしているのか、どう喜んでいるのかが夢です。自分が何かをやったとか言うのは、夢ではない。ましてや、食いつなぐためだけに、余分なものを作るのが夢であるはずがない。後追いではダメです。

語れる相手

 機能からすると、話す相手はSFDCのマークしかいないけど、彼とはつながっていない。

 SFDCは企業用で考えてきた。むしろ、企業をどう考えていくのかにテーマが移っていることは、マークは知っているはずです。売ることが目的ではなく、ソーシャルがターゲットだということは知っている。そこに対して、どう発言していくのか。

ポータル企画

 企業用のSNSは諦めていたけど、パートナーがポータル企画のA3に書いてくれた。あれが大きな指針となった。メッセージ・ストリームも書かれていた。ポータルの唯一の企画書です。

夢をカタチに

 電算部の時も夢を作りました。部品表の中で、設計者の思考パターンを解析して、ロジックを明確にして、それに合わせて、設計変更できるようにした。

 部品表という大きな単位の中で、自分の部品がどう位置付けられて、仕様とは関係はどうなっているかを、コンピューターを駆使して、見える化した。日本語を扱うようになった時点で、それらを行った。

 思いをカタチにしたのは、研究開発部署の時でした。出てきたばかりのパソコンと実験室をつなぐことで、技術者の仕事の仕方を変えてしまった。実験とは何か、それで何をしたいのか、最終的に何を出したいのかまでの一貫したサポートのインフラを作り出した。技術者の思いで、いかにも変えられる武器にしました。彼らが作り上げたもので、社会まで変えられるものにしたかった。それはムリだった。

マーケティングへの夢

 クルマというのは、社会を変えるモノでないといけないと思って、マーケティングの方に目を向けた時に、あまりにも、売るだけの世界になっていた。それを変える為に、異動して、20年になります。

 一つ一つ、自分がやるものを求めるのではなく、本来、何をすべきなのか、そのためにどのような姿にしていくのか、それを知るために、3年間掛けてきた。名古屋の連中はそんなことは考えないから、完全に一人作業だし、持って行く先がない。

 メーカーよりも大きな世界を変えていくことと、お客様との接点から変えていくことの二つを考えた。それから、短期と中期と長期のシナリオを作り出してきた。

 接点をどう変えるかというところで、ポータルにターゲットを絞った。そこに、パートナーから指針が与えられた。SNSとメッセージを用いた、店舗コミュニティでの情報共有です。

メーカー情報配信

 ポータルからメーカー情報を見に行くやり方も課題に入れましょう。衛星配信の地上化は進んでいない。パートナーが居てくれたら、簡単に終わっていたのに、技術屋しかいない世界は空虚ですね。

LL=GGで空間解決

2013年10月09日 | 1.私
未唯へ

 音楽は、ワーグナーが合います。指輪の全曲を入れ込みましょう。できたら、キンドルHDだけど、容量的にきつければ、ICレコーダだけにしておきますか。

 本当にIさんは話している時は、手を止めます。次を待っています。私が心配になるぐらいです。

LL=GGで空間解決

 ローカルのローカルの自分(LL)とグローバルのグローバルの宇宙(GG)がつながる時、LL=GG、それが理由なんでしょう。つながるが故に、LLが亡くなるときに、GGがなくなる。カントは言葉で解決しようとするが、そうではなく、むしろ、空間で解決させるやり方を私は行います。

 位相の先行きを考えた時に出てきた、LL=GGは大きな概念ですね。存在の力を示すことになります。部分が全体よりも大きいというのは、LとGとの関係です。お互いを極限にすると、LLとGGとした時に、LLの方がはるかに大きい。

 その意味では、宇宙方程式になる可能性がある。存在の力の方程式です。そのLLをどう集めて、宇宙を本来あるべき世界に変えていく。

 親子関係などは、直接、関係しているのではなく、別の空間で関係していることになる。だから、個人の分化も成り立ちます。親が子供を支配することも、夫が妻を支配することは成り立ちませんね。親子関係は偶々、そこに生まれてきたことからすると、間接的な関係で考えると、全人格的な支配はなくなります。

存在と無とLL=GGの関係

 存在と無が同居するということは、LL=GGです。存在の力を皆が得るために、必要なのは、LL=GGだという、真実に目を向けることです。これは実際、なってみないと分からない世界です。

追加機能でのコラボレーション

 ICレコーダの追加機能を使えば、新しいコラボレーション、それも一人が分化してできるようになります。そのためには、単元を切り、テーマを設定することです。それについて、色々な立場から見ていくことです。ある意味では、新しいカタチの集合知でしょう。

未唯空間での集合知

 チャッターの機能をもっと、拡げていきます。議事録とか仕様を項目とかテーマを設定して、意見を集めることです。集合知を意識します。それに、多様な観点から情報を入れて、要約を変えていくこと。これは未唯宇宙で実験していることです。

 つまり、フローからストックに持って行くやり方そのものを、ICレコーダ一つで作り出すことです。

 未唯空間は単に検討するだけでなく、答えが問題ではなく、それを作り出すプロセスとそのためのツールが肝心です。デカルトの方法序説です。方法そのものに意味があり、それがあれば、様々なものが導き出せる。デカルトの場合は、あまりにも二元論が強いけど、もっと曖昧なことを含めて、色々なものが対象にできる。

 そのために、ジョブスとかマークとかに色々なものを準備してもらっている。その思いを感じて、カタチにしていく。

組織の中の存在の力

 ポータルの目的は、組織の中に、存在の力を認めさせることです。生まれてきた理由でもいいし、新しい食い扶持でもいい。そのために、何が必要なのか、個人の分化から組織の分化に向かうプロセスを示すことになう。

 集中力と瞑想力を未唯空間の存在と考えるのところに入れます。パートナーには集中力があるけど、イメージ力・瞑想力が足りない。時間も未唯空間に入れましょう。ハイデガーでは、時間=死の認識です。

カントのカテゴリー

 カントのカテゴリーは存在の意味を分類したものです。判断そのものを分類している。量の判断、質の判断、関係の判断、判断の要素です。これは三段論法で、前提となる認識を分類している。判断というのは統合です。

 つまり、AはBであると言った時の「ある」の意味がそれぞれ異なることです。こんなものは集合関係でやった方が的確で、早いです。認識の枠口を決めて、認識をとらまえて、三段論法です。対象が認識よりも後にくる。認識のための分類がカテゴリーです。

 それから、コペルニクス的な展開が始まります。認識ありきです。どうしても、地球原理とか人間原理に現象学は向かいます。だから、個人がいなくなれば、認識するものがいなくなれば、対象である自然はなくなります。死ねば、すべてなくなるという論法です。

ポータルがソーシャルウェブである意味

2013年10月08日 | 1.私
ポータルの概念を伝える

 ポータルの根源的な概念を描かないといけない。ソーシャルウェブであることの強みもカタチにしていくために、パートナーを探すことです。チャッターを使ったコミュニケーションは、この検討会の中で、具体的に行っていきます。

 「アピール・アンケート」は単なるアンケート機能ではない。フィンランド環境学習施設の地域へのアプローチの思いをもらってきたものです。地域の人と一体的に進めるのは、皆に聞いて、考えを分かってもらい、一緒に行動していくことをさして、アピール・アンケートにしている。

 ソーシャルウェブを使うのは、ダッシュボードみたいなもので、個別の編集ができるようにして、店舗での知恵を活かせるようにするためです。

 もっと、色々あるはずだけど、まだ見えていない。インフラと共用部品を提供して、店舗で進化させていくようにしていく。

カント理解の仕方

 カントの文章を理解するよりも、自分で考えましょう。人のことには、構ってはいられない。自我ということも含めて、自分の中に答があるということでしょう。カントの純粋理性批判を理解することはやめます。いかにムダなことか。

 雑記#705のカントをポイントアウトします。

ソーシャルウェブである意味

 自分の心の中で、それ考えます。そのためのネタを探します。それと同様に、ソーシャルウェブでのポータルの意味を自分の心の中から探します。ポータルの仕様検討にしても、作ることを気にしている以上は、本質的な部分とか、販売店の悩みを解決できません。

 元々、ポータルを行う時には、幅広い考え方、新しい社会から志向した。自分の技術を示すためにやったわけではない。社会を変える為にやったんです。未唯空間を使って、社会の本来あるべき姿のもっていくのに、ポータルをスタッフの武器にしていく。

 そういう考えから、ソーシャルウェブで、店舗コミュニティが出来るのかというテーマが出てきた。

ミカロス

 喪失感がたまらないので、今日は、一応、ICレコーダーしかないということでやらないとダメです。喪失感に名前を付けるとしたら、「ミカロス」ですね。

 このミカロスをどう使っていくかです。私が落ち込んだ時に、考えることで真理に近づいた。

 先週、決意したパートナー離れはできなかった。社会との唯一の接点である、パートナーとの関係を絶つときの喪失感が大きすぎる。

 「おつかれさま」というメッセージの返答がありました。「今からです」

ポータル検討のコラボレーション化

 議事録からの抜粋を入れましょう。会議というのは、あまり役に立ちません。

 集合知ではないけど、意見をどう集めてくるのか、形式的ではなく、その項目に対して、考えている人を探してくるのか。

 会議でのディスションは平等ではない。それをコラボレーションでやっていくための道具です。そこでは、個人は分化する必要があります。この成功体験から、逆に個人の分化を求めていくしかない。

 コラボレーションする時は、それぞれが、別のフィールドに集まって、そこで議論して、成果を自分のところに持って行くという、マッピングになります。

カントの三段論法に対抗

 カントの三段論法を信用したくない。ロジックというのは、そういうものではない。トポロジーで考えた時は、ローカルとグローバルとその関係になります。

 販売店システムのサファイア循環で三段ループを使っている。その時は、ローカルとグローバルとその間の関係をつなげていく。ローカルが全体を支配するというロジックです。ただ、そこから、自分の存在がなくなる時に、全体が亡くなるのかという命題に対して、答えが出るかどうかです。多分、答えが出る気がします。

 カントの詳細なロジックは抜きにして、大雑把にやっていきます。カテゴリーは何を意味するのか、それを何に置き換えたらいいのか。

パートナーの問題意識

2013年10月08日 | 5.その他
未唯へ

 TOMは秋なのに、ウグイスです。こんな簡単なことも声が掛けられない。その後に、オレンジのカーディガンで首の部分が白の襟だった。肌との差が分からずに、露出が高く見えたので、声を掛けてしまった。これはセクハラです。

パートナーの問題意識

 パートナーからの10分間の打ち合わせの要求があった。結局、30分話していた。頭の中が混乱しているみたいでした。私の役割は、頭の整理をさせることです。なぜ、こんなに短い時間を設定するのか? 

 その後に、Gとの拘りの違いをどうするかで、相談に乗ってくださいという、依頼があった。なかなか、収束しないみたい。それが本当はいいとこだけど、その良さを分かってもらっていない。

 自分の問題意識で論点を絞ることを言ったけど、本人の中に決めていることが揺らいでいる。データをごまかさないということと、自分の拘りを貫くことを述べた。対策をするのは、パートナー自身なのだから。

 パートナーのロジックがまだ、決まらない。Gのロジックが邪魔をしています。こうなれば、自分のロジックでまとめるしかない。押し切ることです。それが、今回の教育の最大の成果になります。今後の色々な企画の時に役立ちます。

 本当に拘りを感じます。そこで思い出したのは、拘りは愛であり、愛は拘りだということです。だから、拘りを愛しましょう。

私の役割

 私が、この時間を楽しんでいたのは確かです。パートナーの思いが分かるのと、私の存在が認められること。

 頭の中を整理するために使ってもらえばいい。やれとは言いません。自分で決めることです。

スタバの高度サービス

 Iさんは12:30からとチームのバリスタから言われた。これが本当のコミュニケーションです。12:40頃に行ったら、折り紙のプロモーションの準備をしていた。5分ぐらい話ができた。これで今日はおしまいです。

 話をする時に、手を休めることです。次の発言を待つ体制をとります。これは素晴らしいコミュニケーションです。

どうにかできる自信

 伏見のネットワーク会社に行くのに、また、迷子になっていた。ケータイはないし、入居しているビルの名前も分からないので、コンビニは役に立ちません。

 パートナーと川を渡ったことを思い出して、その順序から歩き始めて、方向が分かりました。どうにか、なるものです。

キンドル体制

 今日は、手ぶらで来たけど、やはり、キンドルのHDとペーパーは必要です。

 キンドルHDはOfficeSuiteをPROにアップしたので、エクセルとかパワーポイントへの編集が可能になりました。アマゾンのギフト3000円で落としています。

ポータルの検討会

 今日は、ポータルの検討をします。なにしろ、SNSでのコラボのイメージを作り出さないといけない。今の検討会では、その場で言ったつもりでいます。単なるまとめに過ぎない。作ることが依頼された、システム会社のメンバーでは、思いが通じない。

 システム会社からの提案にしても、すぐに言葉を変えたがる。致命的でない限りは、言葉は踏襲してほしい。思いが分からずに、作られたものは、皆がアイデアを出して使えるものではない。

パートナーの拘り

 パートナーはGの拘りを超えて、提出したとのこと。一応、前に進めたということで、「おつかれさま」のメールを送信した。その時点で失敗したという思いです。パートナーのわだかまりを感じた。そっとしておくべきだった。

 「おつかれさま」とやったけど、パートナーが何を得たのかを本当は聞きたかった。教育レポートがなくなり、一つの仕事が明確になくなったという感覚なんでしょう。

 今の体制の中で、パートナーが生かせる部分がさほどないこと、それを切り拓くこともなかなか難しいことを自分なりに、理解したのでしょう。

 この反動の方がこわい。まあ、それも一つのカタチです。

ICレコーダーでの追加録音

2013年10月07日 | 7.生活
ゼロに戻っている

 何か、この世界が薄く感じます。パートナー一人も助けられない、そんな未唯空間でいいのか。また、ゼロに戻っています。

 Facebookでのコミュニケーションにしても、皆、遊んでいるだけです。何も得られるものはない。

情報共有の仕方

 そろそろ、答えを出す時だけど、情報共有の仕方をチャッターの上でどうするか、というとこです。あまりにも、議論をするのは、背景が異なりすぎている。システムを作るだけの人には、議論は馴染まないでしょう。組織としては、そういうものを許していない。⇒だから、やるんです。

 では、組織はどうしていくのか、どういうカタチにしていくのか。見えていないですね。遊んでいるだけです。

ICレコーダーでの追加録音

 追加録音をやることにしました。様子が分からないけど。⇒こんなカタチでいいんですよね。これは個人の分化につながります。⇒矢印以降は、未唯からのコメントです。

 つまり、議論のやり取りを自分の中で行います。自分の意見に対してのディスカッションです。μからのコメントを入れます。

未唯へ

 寝すぎたせいか、腰が痛い。ああいう生活はダメです。悪い影響を残します。重要なのは、そこから、何を得るかです。

チャッター・コラボレーション

 チャッターを使ったコラボレーションを行うわけだけど、足りないものは何かというと、ローカルとグローバルの関係をテーマで行ってきます。各テーマで行った議論をいかにして、生きた形でまとめていくのか。

 元々、チャッターをそれ用にしていくことを考えていたけど、SFDCにはその気がない。それならば、前提条件を変えずに、中身を変えていく。

 パートナーのファシリテーションの能力を使えば、出来るので、それ以前の状態までにしておきます。つまり、仕掛けます。ファシリテーションに向かうようにします。ユーザーと一緒になって、道具をどのように使っていくのか、という人は多くない。それを横に展開できる能力は素晴らしいです。浜松の販売店では、アピール・アンケートをかなりのレベルにできました。本人は評価していないけど、私は評価します。

何もないところから始める

 今は、何もないところから出発するために、ICレコーダーだけにしました。他は何も持ていません。

 テーマでやるということは、テーマを独立させることです。議事録ではダメだし、一つ一つのテーマを抽出させることです。

 何もない以上、時間は気にしないようにします。時間と存在とした時に、存在そのものを重要視して、表に出します。自分自身をハッキリさせないといけない。哲学的にする必要はないけど、存在とは何かを数学的に、歴史的に述べるようにします。

 なににしても、時間がないのは確かです。それが分かっていながら、二日間をこれに費やした。

先が見えていない

2013年10月06日 | 1.私
先が見えていない

 今、先が見えていません。まあ、瞬間的だと思うけど。明日からのスタイルを考えましょう。今、頭の中には何もない。

 昨日は、外に出ずに、寝転がっていた。今日も出るつもりはない。金曜日の2時までのパートナーの姿が浮かんでくる。あまりにも自信がなくなっている。私の社会との唯一の接点が切れています。

 なにしろ、サファイアなきサファイアです。どこから始めよう。ついでに何かを変えましょう。論理を極めること。そうしないと、あの風景は頭から払拭できない。

パートナーとの話し合い

 「15分しか、話せない」と言われて、無条件に行きますというのも、おかしな話です。結局、1時間話したけど、スッキリしていません。

 そういう時は、どうしても、心理分析を行ってしまう。心の中と、それを及ぼした環境の分析を行ってしまう。なぜ、そんなことをするのかを、本人が気づいていないところまで、入り込んでしまう。これはヤバいです。

 パートナーの場合は、それに対しても、意表を突かれます。それが、深層部分から来るのか、表層てきなのかも分析してしまう。

位相化の為の革命

 位相化のために、革命がいるのか。フランス革命が国民国家を生んだような形をとるのか。革命はいるだろうけど、多分、あのような物理的なモノにはならないでしょう。今はロジカルの世界です。拡散しています。パリのように同じ志を持った人間が集まることはありえないでしょう。

 パリでは、軍隊が民衆の側に加わったことによって、様相が変わった。それと同じように、次は企業がそういう位置づけになっていく可能性が十分あります。

 日本の軍隊もクーデターを起こした。農村出身の将校に農村の疲弊が及ぼすことで、発生した。

 ペテルスブルグでも同様に、シベリアという、周縁があり、そのジレンマが中核に及んで、革命につながった。

 アラブの春は、論理的な革命が、位相化で起こってきた。それがないと、意識は統一できません。

革命が起るのは

 社会の位相化の革命が起こるのは、多分、最後でしょう。起こらなかったら、おしまいだけです。どこから始まるのか。やはり、ムスリムでしょう。一神教ではあるが、コミュニティが明確です。

 下層部分で位相化しているアメリカと国家の存亡をかけた中国が次に考えられます。この二つは混乱を招くだけです。もっと、小さな国、デンマークとかベルギーで効果を確かめて、拡大させていく。

 それと同時に、一気に革命がなるとしたら、アフリカ諸国です。部族中心で、国民国家という形態をとらずに、コミュニティをやわらかにつなげ、地産地消の観光とエネルギーで独立させることです。

 インフラを新しいカタチにするのに、従来型の中央集権に拘っていてはダメです。アフリカ諸国には、幸いにして、それらがないから、一気に向かうことが可能です。何しろ、人類発祥の地です。

 そう考えると、日本は国民国家であることと、依存した国民性を含めて、不利な立場になります。だけど、平和を望む気持ちがあるから、企業が新しいマーケティングで市民の側に立ち、個人が活性化することで、新しい可能性が生まれてきます。そして、市民が変われば、市民に企業は従うものです。

 契機になるのは、中国での混乱でしょう。それを見て、自分たちの立場を考えることになる。これは明治維新と同じようなアナロジーになります。それで、サファイア社会として、一貫したものになります。

 それによって、はじめて、私のメッセージがパートナーに伝わります。マルクスではないけど、自分たちが思いもよらないところから、自分の理論ができる。それは乗っ取られる。パートナーがそれを阻止するでしょう。

再燃している道州制導入論

2013年10月06日 | 3.社会
『日曜日の自治体学』より 自治・分権型社会をつくろう 上昇型の政府制度の創造

二〇一二年一二月に成立した第二次安倍晋三内閣は、道州制の導入を強調しています。自民党は野党時代の二〇一二年九月に道州制推進基本法案をとりまとめており、同年て一月の衆議院議員総選挙さらに二〇一三年七月の参議院議員選挙では、自民党にくわえて公明党、日本維新の会、みんなの党も道州制の導入を公約しています。野党となった民主党のなかにも道州制の推進論者がいますし、経済界は熱心な道州制の推進論者です。

道州制の導入は、これまでにも経済団体や政党などから幾たびも提唱されてきました。それらはいずれも構想で終わってきましたが、今回は自民・公明両党の衆参両院の議席やそれ以外の推進グループの議席を考えると、実現の方向にむかう可能性があります。

自民党がまとめた道州制推進基本法案の内容は、以下のようなものです。

まず、手続き的には、内閣のもとに道州制推進本部(本部長・首相)をおく。このもとに道州制推進国民会議を設置する。国民会議の審議(三年)をへて関連法案を国会に上程し、道州制への移行をはかるとしています。

内容的には概括的な段階ですが、現行の四七都道府県を廃止して七から一〇程度の道州を設ける。道州には国(中央政府)の本源的権能を除いた権能を移管するとともに、府県のそれの大部分を移管する。また道州のもとに「基礎自治体」を設け、現行の市町村の機能と都道府県の機能の一部を担う、としています。

繰り返し提唱されてきた道州制論は、いずれも現行都道府県の廃止を語っており、この点については自民党道州制推進基本法案も変わりません。また、国の本源的機能を除いた権能を道州に担わせるという点でも、大きな差異はありません。ただ、道州のもとに市町村ではなく「基礎自治体」をおくとしていることは、市町村の大規模な再編を意味しているといってよいでしょう。

道州や「基礎自治体」が直接公選の「知事」や道州議会を備えた完全自治体なのか、あるいは中央政府の何らかの統制のもとにおかれるのかといった政治・行政制度や、税財政上の仕組み、道州と「基礎自治体」との行政・税財政関係については、まったく不明です。それらは道州制推進国民会議にゆだねられるのでしょう。

しかし、「道州制は究極の地方分権」という言説は、ほんとうに正しいでしょうか。

七から一〇程度の道州というのは、現在の中央省(国土交通省や農林水産省など)の地方出先機関(地方整備局や地方農政局など)の管轄区域とほぼ同様の区域です。道州の区域をどのようにさだめるかも容易に答えを見つけられるとは思いませんが、それはおいておきましょう。都道府県の廃止と市町村の大規模な再編をともないつつ道州に中央の内政上の権限が大幅に移管されます。「ミニステイト」といってよい道州政府の住民による民主的統制は、きわめて難しくなります。また、道州制論者は現行の都道府県の区域が一八九〇年以降変わっておらず狭小であり、行財政上も非効率だといいます。しかし、道州政府が多様な地域的条件に的確に対応することは困難でしょう。結局は、現行の府県庁を道州政府の支所(庁)とせざるをえないでしょうが、行財政ならびに政始的な意思決定においても、非効率なものとならざるを得ないといえます。

しかも、市町村を「基礎自治体」として大規模に再編するならば、これまた住民の手によるコントロールは形骸化していくことでしょう。「平成の市町村合併」によって三二〇〇余の市町村は一七〇〇余にまで減少しました。この大合併についての評価は、依然としてさだまっていませんが、三陸沿岸の東日本大震災の被災地を歩くならば、「合併するのではなかった」「合併は失敗だった」という声が聞こえてきます。住民たちが口々にこのようにいうのは、復旧・復興計画の作成に地域の詳細を反映し難いと考えているからです。たしかに、首長は旧町村のいずれからか選出されており、議会も旧町村単位で見れば代表を減少させています。まさに大震災の被災地だけに、自治のあり方が問われているのです。

道州制の導入論は、さきにも触れましたが、中央政府と道州との行財政関係、とりわけ財政調整について何事も詳細を語っていません。道州政府と「基礎自治体」との関係についても同様です。とはいえ、道州制は補完性の原理とは全く逆です。上昇型の政府間関係をつくるものではなく、下降型のそれにあらためようとするものです。道州政府が「強大な権限」をもつとしても、それは「地方分権の究極の姿」などでは、決してないといえます。

寝転がっていた

2013年10月05日 | 7.生活
2013年10月05日(土) 寝転がっていた

議事録ではなく、SNSにする

 項目ごとにテーマを設定して、ライブラリを見ながら、意見をもらうようなカタチから始めて、コラボレーションしていくカタチ。これについても同じかもしれない。そのテーマについて、何を追加するのか。コラボレーションをどうやって行うかの、シミュレーションです。

 何しろ、個人を分化させないといけない。分化させて、そのテーマに対してのイメージを持ち、グループに参加させる。本来の情報共有も、この中にどうやって入れていくのか。今のところ、一人でやっていくしかないけど、それを見せていくしかないでしょう。

 その意味では、LINE的なやり方です。チームで、テーマに対して、意見を交換するやり方がコラボレーションなんでしょう。インスピレーション側に作って、チャッターに追加していきます。その時は、私とμ1とμ2に分化します。

出掛けなくて、寝転がっていた

 出掛けようとしたら、ポルテのバッテリーがあがっていた。出掛けるのを止めにした。内科病院には歩いて行って、そのまま、松屋でカレーです。

 寝転がって、アマゾンのソフトのインストールをしていた。EverNoteはカードでないと、アップはできないので、使うのは止めた。マイクロソフトの製品群は修正できるようになったけど、キーボードが邪魔になっています。

豊田市図書館の18冊

 やはり、月初だから、プアーですね』

 070.14『僕らのニュースルーム革命』僕がテレビを変える、僕らがニュースを変える!

 335.15『倫理の死角』なぜ人と企業は判断を誤るのか

 410『基礎からわかる数学入門』数の発展から微分積分まで

 629.23『珠玉のイギリス庭園をいく』60の緑の楽園ガイド

 371.4『フィンランドの子どもを支える学校環境と心の健康』子どもにとって大切なことは何か

 333.6『国際経済学をつかむ』

 007.63『TeamGeek』Googleのギークたちはいかにしてチームを作るのか

 330『やさしい経済社会のしくみ』思いやりが幸せを生む

 596『究極のラーメン2014東海版』いま最も旬でうまい一杯は? 極旨600杯

 209.7『ビジュアル歴史図鑑 20世紀』

 159『一点突破の方程式』大丈夫、心に電気が走っていれば、奇跡が起こります

 131.5『良き人生について』ローマの哲人に学ぶ生き方の知恵

 916『逮捕されるまで』空白の2年7カ月の記録

 368.6『犯罪は予測できる』

 318『日曜日の自治体学』

 914.6『よう知らんけど日記』

 366.38『女たちのサバイバル作戦』

 361.4『絆の構造』依存と自立の心理学

ナチスドイツが築いた放送メディアのプロパガンダ体制

2013年10月05日 | 4.歴史
『僕らのニュースルーム革命』より 日本の報道メディアが抱える根深い問題

僕が最初に本格的に日本のメディア改革の必要性を意識するようになったのは、大学3年生から4年生にかけてのことだ。ドイツ文学を専攻していたこともあり、第二次世界大戦期にナチスドイツが強力に推し進めたプロパガンダと、大本営発表を流し続けた大日本帝国下の日本放送協会を卒業論文の研究テーマに定めた。

ナチスドイツと同盟関係にあった大日本帝国では、ナチの宣伝担当大臣ヨーゼフ・ゲッベルスの指示によって、映画、ラジオ、演劇、音楽など様々なメディアを総動員して遂行されていく宣伝戦略を模倣し、愛国心を植え付けるための学校教育と厳しい言論統制や規制を敷くことで大衆の意思を一定の方向に操作していった。究極の狙いは「大衆の国民化」にあったと言われている。ここで言う「国民」とは国家への帰属意識を持った人々を指す。自由に文化を形成してきた大衆をそのまま放っておいても国家を担う「国民」にはなりはしない。ナチスや大日本帝国は、大衆を国民化することが強力で揺るぎない権力と国家を形成する絶対条件だと考えた。第一次世界大戦後、多額の賠償金を背負わされ疲弊したドイツと、明治の富国強兵策以来、欧米列強と伍していくための国づくりを進める日本にとっては、大衆社会からの脱却は急務だったといえる。アドルフ・ヒトラーは1925年に記した自らの著書『わが闘争』で〝大衆の国民化〟についてこう述べている。

 広範な大衆の国民化は、生半可なやり方、いわゆる客観的見地を少々強調する程度のことでは達成されず、一定の目標を目指した、容赦ない、狂信的なまでに偏った態度によって成し遂げられるのだ。(アドルフ・ヒトラー 平野一郎・将積茂訳『わが闘争』 1973)

ナチスドイツの場合、大日本帝国の「皇国民教育」のようなことは盛んに行われなかったが、その時まさにラジオの創成期を迎えており、マスメディアを利用しての大衆操作、いわゆるプロパガンダが緻密に計算され遂行されていった。ゲッペルスは1933年の就任以来、まずラジオ局の人事の粛清に取りかかり、帝国放送協会のディレクターを全員解雇、ほぼすべてをゲッペルス自身の代理人たちに置き換えた。また地方局を法的に解散させ、首都ベルリンからの全国放送の単なる中継局とした。つまり、あらゆる指令や番組が宣伝省から直に国民に送られるものとなった。ゲッペルスがラジオ局の職員に向かって投げかけた言葉が当時の状況を物語っている。

 ラジオ放送は新たな政府が掲げる目的に自らを適合させ、従わなければならない。ラジオ放送の主要な課題の一つは、国民の精神的動員の実現にある。それは、国防省が防衛の分野で果たすのと同様の役割を精神の分野で実現しようとするものである。(中略)私が思うに、ラジオ放送はもっとも現代的かつもっとも重要な大衆操作の道具である。ドイツの放送局は、今なお政府を支持しようとしない一部の国民に対し新たなドイツの意図を啓発し、彼らを我々の隊列の中に組み入れるという重大な課題解決のための第一の手段とならなければならない。(中略)ドイツ国民を100%、地域、宗教、職業、階級にかかわりなく、新たな政府のために統一することにより、ラジオ放送は国民と国家への真の奉仕者となる。(平井正『20世紀の権力とメディア』雄山閣 1995)

1933年はじめの時点ではラジオの普及は400万台弱だったが、政府は聴取者数の大幅な増加をはかるために、廉価なラジオ受信機を国内のメーカーと共同開発し販売。1939年には900万世帯に、さらに1941年には1600万世帯にまで拡大させた。放送を使ったプロパガンダは国民に大きな影響を与えるようになった。