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やはり図書館はパブリック・フォーラムと考えるべき

『図書館と表現の自由』より 図書等の収集、管理ないし廃棄及び利用と表現の自由

アメリカでは、道路や公園などは古典的なパブリック・フォーラムとされ、このようなフォーラムは本来市民の表現の場だと捉えられ、そこにおける表現の自由は強く保障される。これに対し公民館や公会堂などは限定的パブリック・フォーラムないし創出されたパブリック・フォーラムと呼ばれ、州や地方公共団体にはこのようなフォーラムを創出する義務はないが、それが市民の表現の場として創出され開放されている限り、そこにおける表現の自由はそのフォーラムの目的と矛盾しない限り広く保障される。しかし、そもそも本来市民の表現の場として開放されていない非パブリック・フォーラムにおいては、つまりパブリック・フォーラムではない場合には、見解に基づく差別に当たらない限りは、その場本来の目的のために使用し、表現を排除することも広く許される。この枠組みの中で図書館はパブリック・フォーラムかどうかが問題とされてきたのであった。

従来下級裁判所などで支配的だったのは、公立図書館を限定的なパブリック・フォーラムと捉える立場である。州や地方公共団体には図書館を設立する義務はないが、ひとたび設立されて、一般公衆の利用に供された場合は、そこにおける図書館の決定には憲法の制約が及ぶ。内容に基づく制約はやむにやまれない政府利益を達成するため必要不可欠な制約でない限り許されず、これが許されるかどうかは裁判所による厳格審査に服する。これに対し内容中立的な制約の場合は、そこまで厳格な基準を満たす必要はないが、それでも重要な目的を達成するために必要な限度の制約に限定されていることが必要である。この立場では、図書館が、図書等の内容に基づいて収集、管理ないし利用において利用者の権利を制約するような決定を行った場合は、それは疑わしいものと推定され、図書館の側で、それが正当な決定であったことを証明しなければならないことになる。

日本では、そもそもこのようなパブリック・フォーラム論が妥当するのかどうかについて判例理論が確立しておらず、学説の意見も一致していない。パブリック・フォーラム論に従うと、問題の場がパブリック・フォーラムかどうかに焦点が当てられ、パブリック・フォーラムでないとされると表現活動の制約が広く認められてしまう点など問題点はある。しかし、道路・公園などといった古典的なパブリック・フォーラムや公会堂や公民館など市民の表現の場として創出された限定的パブリック・フォーラムの場合には、パブリック・フォーラムであることを認めて、そこにおける表現の自由をしっかりと確保すべきであろう。

この点、地方公共団体の設置する公立図書館は、地方自治法にいう「住民の福祉を増進する目的をもってその利用に供するための施設」としての「公の施設」であり(地方自治法二四四条一項)、地方公共川体は、この利川において、「正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない」(同二項)とされ、さらに「住民が公の施設を利用することについて、不当な差別的取扱いをしてはならない」(同三項)とされている。これは実質的に公立図書館を限定的なパブリック・フォーラムとして認めたものと見ることができる。実際、国立国会図書館であれ、公立図書館であれ、その本来の(あるいは主要な)目的は、知や情報へのアクセスをすべての人に認め、すべての人の情報を受け取る自由を実質的に確保することであり、それはまさに表現の自由の行使のための場を確保することである。とすれば、図書館は、一種の限定的な創出されたパブリック・フォーラムに当たるといえるのではなかろうか。実際、最高裁判所も、船橋市西図書館事件判決において、公立図書館を、「住民に対して思想、意見その他の種々の情報を含む図書館資料を提供してその教養を高めること等を目的とする公的な場」であるとともに、「そこで閲覧に供された図書の著作者にとって、その思想、意見等を公衆に伝達する公的な場でもある」と捉えている。これは最高裁判所としても図書館をパブリック・フォーラムと捉えているものと理解してもよいのではなかろうか。
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