未唯への手紙
未唯への手紙
少子化と非婚化
『日本のジェンダーを考える』より 結婚
晩婚化、非婚化か進んでいる。男性の生涯未婚率(五〇歳における未婚者の割合)は、一九八〇年の二・二八%から二〇一〇年の二〇・一%へと急上昇した。女性の生涯未婚率も、同じ期間に四・五%から一〇・六%へと上昇した。各年代の未婚率も、平均初婚結婚年齢も上昇の一途をたどっている。
人は結婚に何を期待するのだろうか。子どもをつくれること、夫婦間の分業が可能になること、共同生活によって住居費や食費などの生活費を節約できること、病気や怪我で一時的に働けなくなったときの保険となることなどが考えられる。また、夫婦間の愛情や信頼関係を築くという心理的な便益も重要だろう。
なかでも子どもは、かつては重要な労働力であり、セーフティーネットだった。わが国で、国民年金の制度ができたのは一九六一年のことであり、それ以前は、年金制度に加入していない人が多かった。制度ができてもすぐに十分な年金が支給されたわけではない。当時は農業社会であったこともあり、ほとんどの人にとって、老後は子どもの世話にならないと生きていけないのが現実だった。子どもは労働力やセーフティーネットの提供者としてなくてはならない存在だった。しかし、農業社会から工業社会、ポストエ業社会へと社会の経済構造が変わり、年金制度や介護保険制度が高齢者の世話というかつての子どもの役割を肩代わりした。それによって、子どもがもたらす便益、ひいては結婚の便益が大きく低下した。
一般には、晩婚化、非婚化か少子化の原因であるといわれる。確かに、個人のライフサイクルからみればそうであるが、歴史的な因果関係はその逆ではないだろうか。結婚する人が減ったから子どもが減ったというよりは、子どもを産み育てる必要がなくなったから結婚する必要がなくなったと考えるほうが論理的である。
結婚の便益として、子どもをつくることと同様に大きいのは、夫婦間の分業だった。夫は仕事、妻は家庭という分業によって、より効率的に働き家計を営むことができた。高度経済成長期以前の日本のように女性の稼得能力が非常に低かった時代には、ほとんどの女性にとって自分の所得だけで生活することは困難だった。結婚できるかどうかは女性にとって死活問題であった。結婚して、夫の収入で暮らせるようになってはじめて人並みの安定した生活ができるようになった。「結婚こそが女の幸せ」という、今の人たちからみると結婚に対する過大な期待や思い入れを、女性自身もまた世間ももっていたのはそのためである。
かつては、性別分業があるために、男女とも結婚によって便益が得られた。しかし今では、皮肉なことに、性別分業が結婚の便益を小さくし、晩婚化、非婚化をもたらしている。平均的には、女性の稼得能力は男性よりも低いが、個々のカップルについてみると、女性の稼得能力が男性と同等であったり、女性の稼得能力が男性に勝ることも珍しくない。ジェンダー所得格差が縮小するほど、そして同性内の所得格差が拡大するほど、確率的にはそうしたカップルが増える。しかし、伝統的性別分業がある限り、そのようなカップルにとって、結婚から得られる便益は小さい。
夫婦間分業に関する経済学の議論は、夫婦間の能力や適性に応じて分業が決められると仮定している。つまり夫婦のうち稼得能力の高いほうが稼得労働に専念し、稼得能力の低いほうが家事に専念する。その仮定に基づくと、専業主婦が専業主夫より圧倒的に多いのは、男性のほうが稼得能力が高いカップルが多いからということになる。
確かに現実の夫婦をみると、そのほとんどは夫のほうが稼得能力が高い。しかし、現実は原因と結果が逆である。女性は、伝統的性別分業が合理的となるような男性を結婚相手として選択する。つまり、結婚や出産後、自分が仕事を辞めても経済的に困らないように、自分より稼得能力の高い男性を選んで結婚するのである。男性もまた、妻が一時的に仕事を辞めても家族を養えるだけの経済力がなければ結婚する覚悟がもてない。
これを示しているのが図4‐1である。図は二〇〇四年に独身であった二二歳から三六歳までの男女のうち、所得階層ごとに二〇一〇年までに結婚した者の割合を示している。
男女とも年収五〇〇万円までは、所得が高いほど結婚確率が高くなる傾向にある。男女を比較すると、二つの注目すべき事実が明らかになる。一つは、所得が低いほど男性の結婚確率が女性に比して相対的に低いことである。年収二〇〇万円未満層では、男性の結婚確率は女性のおよそ半分である。それに対し、五〇〇万円以上層では、男性の結婚確率のほうが女性より高い。もう一つの特徴は、年収五〇〇万円を超えると女性の結婚確率は急に低下することである。男女とも年収五〇〇万円以上の層は四〇〇万円台の層より結婚確率が低いが、両者の差は女性のほうが大きい。女性の場合は、年収一〇〇万円台の結婚確率より低くなる。
これらの事実は、いずれも、女性が伝統的性別分業を前提に結婚相手を選んでいるという仮説と整合的である。女性は自分より所得の低い人と結婚したのでは、性別分業からの便益が得られないため、そのような相手は選ばない。その結果、男性は所得が低いほど女性と比べて相対的に結婚確率が低下する。さらに、年収が五〇〇万円あれば、女性は結婚しなくて毛人並みの生活ができる。結婚して一時的に専業主婦になってもいいと思えるほど収入のある男性を見つけるのは難しいことをこの図は示している。
晩婚化、非婚化か進んでいる。男性の生涯未婚率(五〇歳における未婚者の割合)は、一九八〇年の二・二八%から二〇一〇年の二〇・一%へと急上昇した。女性の生涯未婚率も、同じ期間に四・五%から一〇・六%へと上昇した。各年代の未婚率も、平均初婚結婚年齢も上昇の一途をたどっている。
人は結婚に何を期待するのだろうか。子どもをつくれること、夫婦間の分業が可能になること、共同生活によって住居費や食費などの生活費を節約できること、病気や怪我で一時的に働けなくなったときの保険となることなどが考えられる。また、夫婦間の愛情や信頼関係を築くという心理的な便益も重要だろう。
なかでも子どもは、かつては重要な労働力であり、セーフティーネットだった。わが国で、国民年金の制度ができたのは一九六一年のことであり、それ以前は、年金制度に加入していない人が多かった。制度ができてもすぐに十分な年金が支給されたわけではない。当時は農業社会であったこともあり、ほとんどの人にとって、老後は子どもの世話にならないと生きていけないのが現実だった。子どもは労働力やセーフティーネットの提供者としてなくてはならない存在だった。しかし、農業社会から工業社会、ポストエ業社会へと社会の経済構造が変わり、年金制度や介護保険制度が高齢者の世話というかつての子どもの役割を肩代わりした。それによって、子どもがもたらす便益、ひいては結婚の便益が大きく低下した。
一般には、晩婚化、非婚化か少子化の原因であるといわれる。確かに、個人のライフサイクルからみればそうであるが、歴史的な因果関係はその逆ではないだろうか。結婚する人が減ったから子どもが減ったというよりは、子どもを産み育てる必要がなくなったから結婚する必要がなくなったと考えるほうが論理的である。
結婚の便益として、子どもをつくることと同様に大きいのは、夫婦間の分業だった。夫は仕事、妻は家庭という分業によって、より効率的に働き家計を営むことができた。高度経済成長期以前の日本のように女性の稼得能力が非常に低かった時代には、ほとんどの女性にとって自分の所得だけで生活することは困難だった。結婚できるかどうかは女性にとって死活問題であった。結婚して、夫の収入で暮らせるようになってはじめて人並みの安定した生活ができるようになった。「結婚こそが女の幸せ」という、今の人たちからみると結婚に対する過大な期待や思い入れを、女性自身もまた世間ももっていたのはそのためである。
かつては、性別分業があるために、男女とも結婚によって便益が得られた。しかし今では、皮肉なことに、性別分業が結婚の便益を小さくし、晩婚化、非婚化をもたらしている。平均的には、女性の稼得能力は男性よりも低いが、個々のカップルについてみると、女性の稼得能力が男性と同等であったり、女性の稼得能力が男性に勝ることも珍しくない。ジェンダー所得格差が縮小するほど、そして同性内の所得格差が拡大するほど、確率的にはそうしたカップルが増える。しかし、伝統的性別分業がある限り、そのようなカップルにとって、結婚から得られる便益は小さい。
夫婦間分業に関する経済学の議論は、夫婦間の能力や適性に応じて分業が決められると仮定している。つまり夫婦のうち稼得能力の高いほうが稼得労働に専念し、稼得能力の低いほうが家事に専念する。その仮定に基づくと、専業主婦が専業主夫より圧倒的に多いのは、男性のほうが稼得能力が高いカップルが多いからということになる。
確かに現実の夫婦をみると、そのほとんどは夫のほうが稼得能力が高い。しかし、現実は原因と結果が逆である。女性は、伝統的性別分業が合理的となるような男性を結婚相手として選択する。つまり、結婚や出産後、自分が仕事を辞めても経済的に困らないように、自分より稼得能力の高い男性を選んで結婚するのである。男性もまた、妻が一時的に仕事を辞めても家族を養えるだけの経済力がなければ結婚する覚悟がもてない。
これを示しているのが図4‐1である。図は二〇〇四年に独身であった二二歳から三六歳までの男女のうち、所得階層ごとに二〇一〇年までに結婚した者の割合を示している。
男女とも年収五〇〇万円までは、所得が高いほど結婚確率が高くなる傾向にある。男女を比較すると、二つの注目すべき事実が明らかになる。一つは、所得が低いほど男性の結婚確率が女性に比して相対的に低いことである。年収二〇〇万円未満層では、男性の結婚確率は女性のおよそ半分である。それに対し、五〇〇万円以上層では、男性の結婚確率のほうが女性より高い。もう一つの特徴は、年収五〇〇万円を超えると女性の結婚確率は急に低下することである。男女とも年収五〇〇万円以上の層は四〇〇万円台の層より結婚確率が低いが、両者の差は女性のほうが大きい。女性の場合は、年収一〇〇万円台の結婚確率より低くなる。
これらの事実は、いずれも、女性が伝統的性別分業を前提に結婚相手を選んでいるという仮説と整合的である。女性は自分より所得の低い人と結婚したのでは、性別分業からの便益が得られないため、そのような相手は選ばない。その結果、男性は所得が低いほど女性と比べて相対的に結婚確率が低下する。さらに、年収が五〇〇万円あれば、女性は結婚しなくて毛人並みの生活ができる。結婚して一時的に専業主婦になってもいいと思えるほど収入のある男性を見つけるのは難しいことをこの図は示している。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 最期までにや... | 中項目の要約... » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |