未唯への手紙
未唯への手紙
歴史という認識
中国の先のカタチ
その意味では、中国がどういうカタチになっていくのかも、ここから出てくるかもしれません。ただし、中国は大きすぎます。地方主体の国家です。文化大革命を見ていても、上海よりも哈爾濱の方が徹底していた。それぞれの都市が点でバラバラに動いて、毛沢東がひとり居るだけで、あとは勝手に動いていく。
中国は中央集権でもなんでもない。ローカルとグローバルの新しいカタチができれば、ローカルを活性化しながら、超国家として、コントロールするカタチです。NBAとしての共産党は中華思想が邪魔になる。
社会の位相化における政治・経済
位相化における、政治・経済がどうなるのか。中央政府はあくまでも、意思決定だけに過ぎない。そこはパーティと議論の場になる。Think Globally。地域はなるべく、直接民主制に近いカタチにして、自分たちの行動を決めていく。Act Locally。
ミカロスのカウントダウン
12月8日からのカウントダウン。宇宙全体で埋めないと、この喪失感、ミカロスは解決できない。ミカロスの最初をメールの最後の1008です。それによって、時間を止めます。
ミカロスの記号はmmにします。ちなみに今日は、mm-52です。宮司みゆきから始まって、mmに縁があります。バリエーションは中野美代子nmですけど。カウントダウンはスケジュール表に書き込みます。ミカロスをエネルギーに変換させます。
歴史という認識
歴史からのタイムリミット。これが重要です。いつまでに、どう変わらないといけないのか。
歴史という認識を持つのは、いつなのか。変わる時しかないでしょう。そして、今です。多様な認識があります。歴史は複雑に見えて、簡単です。
まずは、サファイアの認識を入れます。ローカルとグローバルに分けて、その間の関係づけを行い、それをいかに安定的に循環させていくのか。
環境社会の原点
未来のシナリオを考えた時に、環境社会においては、人が多いことが悪さしていることを感じた。人が減れば、それで幸せになれるか。より多くの人がいることで、幸せになれる世界というのが、最初の認識だった。
人は生きる意味を持って、存在の力で多面的にやっていけば、人が多いほど、世界は活性化していきます。
歴史における矛盾
歴史における矛盾とは何か。地域だけの話なのか。国民国家というカタチで、民族と国が一致している日本にとってみて、何が矛盾なのか。東欧では、その一番ベースのところが矛盾になっているけど。
やはり、中央集権であること、それでもって、方向が出せていけないこと。こんないい条件なのに、方向が出せないのはなぜなのか。
一番、こういう条件の時に、方向を出せたのは、ナチです。全体主義として、方向を出して、ヨーロッパを席巻した。日本の場合は、なんとなく帝国主義になって、国民への圧迫だけで海外に進出した。
その方向の否定から、今は何も出ていない。それが一番の矛盾です。モノを作ると言っても、無尽蔵にあるわけでないし、一つを潰せば、次に行かないといけない。そんな畑作農業みたいなことをやっている。そこには、循環という考え方がない。日本の場合は、特に循環に欠けている。
周りを海に囲まれているので、悪いものは何でも流してしまえば済む。静脈系の考え方に欠けている。ライン川に放射能を流したら、どうなるか。その国自体が潰されます。それだけの緊迫感がない。デンマーク辺りはその緊迫感を感じている。だから、自分たちは豚で行くと決めたオイルショックの時には、日本と同様の食料自給率であったが、今は100%を超えている。
この矛盾をどう解決するのか。中央主権ではムリです。また、意思の力ではムリです。それぞれがどう生きていくかを考える世界。それをいかにゆるやかにつなげていくかです。
歴史が変わる時には、矛盾を解決させるために変わる場合と、矛盾を拡大する場合とあります。革命はサイコロみたいなものです。どっちに転がるか。それを、私にとって、いい方に変えたい。単にそれだけです。
その意味では、中国がどういうカタチになっていくのかも、ここから出てくるかもしれません。ただし、中国は大きすぎます。地方主体の国家です。文化大革命を見ていても、上海よりも哈爾濱の方が徹底していた。それぞれの都市が点でバラバラに動いて、毛沢東がひとり居るだけで、あとは勝手に動いていく。
中国は中央集権でもなんでもない。ローカルとグローバルの新しいカタチができれば、ローカルを活性化しながら、超国家として、コントロールするカタチです。NBAとしての共産党は中華思想が邪魔になる。
社会の位相化における政治・経済
位相化における、政治・経済がどうなるのか。中央政府はあくまでも、意思決定だけに過ぎない。そこはパーティと議論の場になる。Think Globally。地域はなるべく、直接民主制に近いカタチにして、自分たちの行動を決めていく。Act Locally。
ミカロスのカウントダウン
12月8日からのカウントダウン。宇宙全体で埋めないと、この喪失感、ミカロスは解決できない。ミカロスの最初をメールの最後の1008です。それによって、時間を止めます。
ミカロスの記号はmmにします。ちなみに今日は、mm-52です。宮司みゆきから始まって、mmに縁があります。バリエーションは中野美代子nmですけど。カウントダウンはスケジュール表に書き込みます。ミカロスをエネルギーに変換させます。
歴史という認識
歴史からのタイムリミット。これが重要です。いつまでに、どう変わらないといけないのか。
歴史という認識を持つのは、いつなのか。変わる時しかないでしょう。そして、今です。多様な認識があります。歴史は複雑に見えて、簡単です。
まずは、サファイアの認識を入れます。ローカルとグローバルに分けて、その間の関係づけを行い、それをいかに安定的に循環させていくのか。
環境社会の原点
未来のシナリオを考えた時に、環境社会においては、人が多いことが悪さしていることを感じた。人が減れば、それで幸せになれるか。より多くの人がいることで、幸せになれる世界というのが、最初の認識だった。
人は生きる意味を持って、存在の力で多面的にやっていけば、人が多いほど、世界は活性化していきます。
歴史における矛盾
歴史における矛盾とは何か。地域だけの話なのか。国民国家というカタチで、民族と国が一致している日本にとってみて、何が矛盾なのか。東欧では、その一番ベースのところが矛盾になっているけど。
やはり、中央集権であること、それでもって、方向が出せていけないこと。こんないい条件なのに、方向が出せないのはなぜなのか。
一番、こういう条件の時に、方向を出せたのは、ナチです。全体主義として、方向を出して、ヨーロッパを席巻した。日本の場合は、なんとなく帝国主義になって、国民への圧迫だけで海外に進出した。
その方向の否定から、今は何も出ていない。それが一番の矛盾です。モノを作ると言っても、無尽蔵にあるわけでないし、一つを潰せば、次に行かないといけない。そんな畑作農業みたいなことをやっている。そこには、循環という考え方がない。日本の場合は、特に循環に欠けている。
周りを海に囲まれているので、悪いものは何でも流してしまえば済む。静脈系の考え方に欠けている。ライン川に放射能を流したら、どうなるか。その国自体が潰されます。それだけの緊迫感がない。デンマーク辺りはその緊迫感を感じている。だから、自分たちは豚で行くと決めたオイルショックの時には、日本と同様の食料自給率であったが、今は100%を超えている。
この矛盾をどう解決するのか。中央主権ではムリです。また、意思の力ではムリです。それぞれがどう生きていくかを考える世界。それをいかにゆるやかにつなげていくかです。
歴史が変わる時には、矛盾を解決させるために変わる場合と、矛盾を拡大する場合とあります。革命はサイコロみたいなものです。どっちに転がるか。それを、私にとって、いい方に変えたい。単にそれだけです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
デジタル情報革命
『哲学15 変貌する哲学』より デジタル革命の諸側面 情報とメディアの中の哲学
デジタル情報革命は、ブームを超えて確実に進行してきている。デジタル情報技術が、ニューメディア・ブーム、パソコン・ブーム、マルチメディアーブーム、インターネット・ブームと、何度かの局地的で小規模な流行と衰退の満ち引きを繰り返しながらついに、政治・経済・ビジネスの前面に登場してきた事態、と言ってもいい。一九世紀の産業革命がモノ作りの革命を起こしたとすれば、IT革命は、情報が脱モノ化する革命と捉えてよい。つまり、今回、もっとも根本的で本質的なのは、情報がデジタル化され、非=物質化、脱=物質化するという点である。
従来、例えば文字情報は石、パピルス、紙などに刻まれることによってはじめて成立した。ところが、デジタル技術は、この文字のみならず、音、写真、動画などメディア的差異を乗り越えて、すべてをOと1との情報に還元し得る。この技術は、文字を紙から、音をレコードから、写真を印画紙から、動画をヴィデオテープから、つまり総じてそれぞれのメディアの物質性から解放したことを意味する。このことゆえに、歴史的にさまざまな労苦が払われた複製が、デジタルではいわば瞬時に可能となった。
ところで情報の値段とは、これまで一体なんだったのだろうか。それは〈情報そのもの〉ではなく、その〈容れ物〉の値段である、という主張がある。例えば、米国の社会学者、マークーポスターは『情報様式論』のなかで「消費者たちは書籍の製造に対して支払っていたのであって、公共図書館でただで利用できるその中の情報には支払わない」と言う。レコード録音についても、お金が支払われる商品は、里じディスクであって、そこに収録されている曲なのではない。情報はそれが出荷される〈パッケージ〉と分離できないものであり、このパッケージに価格票がついていたのだと指摘している。
確かに、書籍の値段は書かれた内容で決まるのではなく、部数や制作費から割り出されるのだし、ギターソロでもオペラでも、同じCDの値段である。このように、情報の値段が、情報そのものではなく、その容れ物の値段だったとしたら、生成・伝達がきわめて安価になるデジタル技術によって、容れ物から逃れた情報の値段はどのようになっていくのだろうか。
例えば、音楽の世界では、音質をほとんど劣化させることなくファイルのサイズを劇的に縮小するMP3技術の登場によって、状況が激変している。今やレコードやCDというモノを購入するのではなく、インターネットからファイルをダウンロードして音楽を聞く時代になった。そして、今日では例えば、数十グラムの院体のうちに、膨大な音楽、写真、動画などすべて収められるような装置を持つことが日常的になり、また、一〇〇グラム程度の常時ウェブに接続可能なマシンを携帯することは、都市の日常的な風景となっている。そして、例えば、「グヌーテラ」や「ウィニー」などというファイル交換ソフトが出現している。中央コンピュータにアクセスせずに、匿名でネット上のどんな相手とでもファイルなどを交換することができるもので、急速にインターネット上に広がっている。
多くの情報を、中央政府や中央サーバを通さず、必要な個人個人がネットを通して、自由に交換できる世界。確かにこれは民主主義の最高形態かもしれないが、同時に電子の無政府状態と言ってもいい。この世界にどんなビジネスチャンスがあるというのだろうか。ITという革命によって、新しく〈得るもの〉はあるかもしれないが、同時に、想像できないほどの〈喪失〉が我々を襲うことになるだろう。
近代は終わったのか、情報とは何か、著作権とは、と蕩々たる議論をしているうちに、テクノロジーは、そんな議論をあざ笑うかのように、足下の砂を瞬時に削り取っていく。いずれにしても、一九九〇年代中葉から始まるIT革命ブーム、そして、ネットワークに常時接続が常態であるような今日のウェブ社会は、我々をどう変えてしまっているのだろう。革命というからには、我々が疑うことなく立脚してきた近代という地盤そのものの変動、消滅を意味するはずである。この革命は、実は〈従来のビジネス〉の消滅ではなく、〈ビジネスそのもの〉の消滅を、あるいは、〈従来の著作権〉の消滅ではなく、〈著作権そのもの〉の消滅を意味しているのかもしれないのである。
デジタル情報革命は、ブームを超えて確実に進行してきている。デジタル情報技術が、ニューメディア・ブーム、パソコン・ブーム、マルチメディアーブーム、インターネット・ブームと、何度かの局地的で小規模な流行と衰退の満ち引きを繰り返しながらついに、政治・経済・ビジネスの前面に登場してきた事態、と言ってもいい。一九世紀の産業革命がモノ作りの革命を起こしたとすれば、IT革命は、情報が脱モノ化する革命と捉えてよい。つまり、今回、もっとも根本的で本質的なのは、情報がデジタル化され、非=物質化、脱=物質化するという点である。
従来、例えば文字情報は石、パピルス、紙などに刻まれることによってはじめて成立した。ところが、デジタル技術は、この文字のみならず、音、写真、動画などメディア的差異を乗り越えて、すべてをOと1との情報に還元し得る。この技術は、文字を紙から、音をレコードから、写真を印画紙から、動画をヴィデオテープから、つまり総じてそれぞれのメディアの物質性から解放したことを意味する。このことゆえに、歴史的にさまざまな労苦が払われた複製が、デジタルではいわば瞬時に可能となった。
ところで情報の値段とは、これまで一体なんだったのだろうか。それは〈情報そのもの〉ではなく、その〈容れ物〉の値段である、という主張がある。例えば、米国の社会学者、マークーポスターは『情報様式論』のなかで「消費者たちは書籍の製造に対して支払っていたのであって、公共図書館でただで利用できるその中の情報には支払わない」と言う。レコード録音についても、お金が支払われる商品は、里じディスクであって、そこに収録されている曲なのではない。情報はそれが出荷される〈パッケージ〉と分離できないものであり、このパッケージに価格票がついていたのだと指摘している。
確かに、書籍の値段は書かれた内容で決まるのではなく、部数や制作費から割り出されるのだし、ギターソロでもオペラでも、同じCDの値段である。このように、情報の値段が、情報そのものではなく、その容れ物の値段だったとしたら、生成・伝達がきわめて安価になるデジタル技術によって、容れ物から逃れた情報の値段はどのようになっていくのだろうか。
例えば、音楽の世界では、音質をほとんど劣化させることなくファイルのサイズを劇的に縮小するMP3技術の登場によって、状況が激変している。今やレコードやCDというモノを購入するのではなく、インターネットからファイルをダウンロードして音楽を聞く時代になった。そして、今日では例えば、数十グラムの院体のうちに、膨大な音楽、写真、動画などすべて収められるような装置を持つことが日常的になり、また、一〇〇グラム程度の常時ウェブに接続可能なマシンを携帯することは、都市の日常的な風景となっている。そして、例えば、「グヌーテラ」や「ウィニー」などというファイル交換ソフトが出現している。中央コンピュータにアクセスせずに、匿名でネット上のどんな相手とでもファイルなどを交換することができるもので、急速にインターネット上に広がっている。
多くの情報を、中央政府や中央サーバを通さず、必要な個人個人がネットを通して、自由に交換できる世界。確かにこれは民主主義の最高形態かもしれないが、同時に電子の無政府状態と言ってもいい。この世界にどんなビジネスチャンスがあるというのだろうか。ITという革命によって、新しく〈得るもの〉はあるかもしれないが、同時に、想像できないほどの〈喪失〉が我々を襲うことになるだろう。
近代は終わったのか、情報とは何か、著作権とは、と蕩々たる議論をしているうちに、テクノロジーは、そんな議論をあざ笑うかのように、足下の砂を瞬時に削り取っていく。いずれにしても、一九九〇年代中葉から始まるIT革命ブーム、そして、ネットワークに常時接続が常態であるような今日のウェブ社会は、我々をどう変えてしまっているのだろう。革命というからには、我々が疑うことなく立脚してきた近代という地盤そのものの変動、消滅を意味するはずである。この革命は、実は〈従来のビジネス〉の消滅ではなく、〈ビジネスそのもの〉の消滅を、あるいは、〈従来の著作権〉の消滅ではなく、〈著作権そのもの〉の消滅を意味しているのかもしれないのである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
歴史/物語の哲学
『哲学11 歴史/物語の哲学』より
ヘーゲル 『歴史哲学講義』
ヘーゲルはベルリン大学で「世界史の哲学」と題する半年単位の講義を、一八二二年から一八三一年の間に計五回行った。本書はこの講義を弟子と息子が編集して出版したものである。歴史をはじめて哲学の本格的な主題とした記念碑的な書である。
ヘーゲルによれば、世界史を哲学的に考察したとき、理性が世界を支配していること、世界史が世界精神の理性的かつ必然的な歩みであることが明らかになるという。そして、精神・理性の本質は自由であって、それゆえ世界史は、絶対の最終目的である自由の実現へ向かう過程にほかならないとヘーゲルは言う。
ヘーゲルはこの過程を次の四つの段階において考えている。
(1) 東洋世界の段階。ここでは、ただひとり専制君主だけが自由である。
(2) ギリシャ世界の段階。共同体のなかの特定の人々だけが自由となっている段階。ここでは、共同体と自由な個人とが共在している。
(3) ローマ世界の段階。特定の人々だけが自由となっている点ではギリシャ世界と変わらない。ただローマ世界においては、自由な個人は同時に、過酷な国家目的に身をささげる。
(4) ゲルマン世界の段階。キリスト教において潜在的に存在していた精神性が、ここで世俗の権力によって現実のものとなり、自由が最終的に到達される。
自由は国家においてはじめて実現する。
予備知識をもたない者には、へーゲルの歴史哲学は壮大にすぎ、いかにしてこのような認識が可能になるのか疑問を禁じることができないであろう。ヘーゲルが言おうとすることを正しく理解しようとすれば、さまざまな対立が弁証法的に統一され、位相を異にするさまざまな事柄が媒介されてゆく次第を踏まえなければならない。ヘーゲルによれば、啓蒙期以降の人間は、事物を単なる物質として、それ自体で存在するものと見なした、か、この「自体存在」も、あくまでそれを知る意識にとっての在りようであって、決定権を握っているのは人間の精神である。主導権を握る人間の精神・理性の本質は〈自由〉にほかならない。そして、この単なる知の運動に見えるものは同時に存在の運動でもあるがゆえに、精神・理性の本質である〈自由〉はまた、歴史が到達する最終目的とも見なされるのである。
ヘーゲルの歴史哲学をどのように受け止めるべきか、判定を下そうと思えば、へーゲルの哲学の根幹部分に対する評価を定めなければならないであろう。
クローチエ 『歴史の理論と歴史』
「すべての真の歴史は現代の歴史である」と喝破したことで知られるイタリアの歴史家、ペネデット・クローチェの主著。この言葉に示されているように、クローチエの主張の眼目は、過去の事実をそれ自体で存在するものとして見るのではなく、現代の研究者が現在の関心にもとづいて注視し探究することによって構成されるものと見なすところにある。周知のように、この見方は今日の歴史哲学の基調となっており、時に論争のテーマとなっているものである。この見方をすでにクローチエが先取りし、しかも確固たる姿勢で提示していたことは、瞳目に値する。本書は今日あらためて注目されるべき書であると言えよう。
本書の原題はTeoria e Storia della Storiagrafiaであり、丁寧に訳せば「歴史叙述の理論ならびに歴史叙述の歴史」となるであろう。この標題に対応して、本書の内容は「歴史叙述の理論」(第一部)と「歴史叙述の歴史」(第二部)とから構成されている。第一部では、年代記録をはじめとする、これまでのさまざまな歴史理論が、クローチエの観点から批判的に検討されている。目次を見て、はっとさせられるのは、第二部の「歴史叙述の歴史」という標題である。ここでクローチエは、古代ギリシャ以来さまざまな歴史家が歴史を語ってきたときの視点や枠組みについて考察し、歴史叙述のあり方が歴史的にどのように変遷してきたかを論じている。このように、歴史叙述が辿ってきた過程をさらに歴史的に探究しようとする試みは、今日ヘイドン・ホワイトが行っていることにほかならない。クローチエは「メタヒストリー」の先駆者だったのである。
扱われているのは、ギリシャ・ローマ、中世、ルネサンス、啓蒙主義、ロマン主義、実証主義の時代における歴史叙述である。たとえば中世においては、善と悪との対立図式を当てはめたり、勧善懲悪の観点に立って歴史が語られたりしたことが指摘されている。クローチエ自身の立場は、「新しき歴史叙述」と題された最終章において示されており、実証主義の後に来るものとして位置づけられている。そこでは文献学的な実証主義と文学性をそなえたロマン主義とが両立されるべきことや、歴史と哲学とが統一されるべきことなどが論じられており、興味深いテーマを提供しているが、説明としては残念ながら未完に終わっていると言えよう。なお末尾でへーゲルが言及されているため、その歴史哲学との類似を予想させるが、他方でクローチエは別の箇所で、ヘーゲルの歴史哲学を萌芽的で未熟なものにすぎないことを指摘しているため、両者を同傾向のものと見なすことはできない。
ヘーゲル 『歴史哲学講義』
ヘーゲルはベルリン大学で「世界史の哲学」と題する半年単位の講義を、一八二二年から一八三一年の間に計五回行った。本書はこの講義を弟子と息子が編集して出版したものである。歴史をはじめて哲学の本格的な主題とした記念碑的な書である。
ヘーゲルによれば、世界史を哲学的に考察したとき、理性が世界を支配していること、世界史が世界精神の理性的かつ必然的な歩みであることが明らかになるという。そして、精神・理性の本質は自由であって、それゆえ世界史は、絶対の最終目的である自由の実現へ向かう過程にほかならないとヘーゲルは言う。
ヘーゲルはこの過程を次の四つの段階において考えている。
(1) 東洋世界の段階。ここでは、ただひとり専制君主だけが自由である。
(2) ギリシャ世界の段階。共同体のなかの特定の人々だけが自由となっている段階。ここでは、共同体と自由な個人とが共在している。
(3) ローマ世界の段階。特定の人々だけが自由となっている点ではギリシャ世界と変わらない。ただローマ世界においては、自由な個人は同時に、過酷な国家目的に身をささげる。
(4) ゲルマン世界の段階。キリスト教において潜在的に存在していた精神性が、ここで世俗の権力によって現実のものとなり、自由が最終的に到達される。
自由は国家においてはじめて実現する。
予備知識をもたない者には、へーゲルの歴史哲学は壮大にすぎ、いかにしてこのような認識が可能になるのか疑問を禁じることができないであろう。ヘーゲルが言おうとすることを正しく理解しようとすれば、さまざまな対立が弁証法的に統一され、位相を異にするさまざまな事柄が媒介されてゆく次第を踏まえなければならない。ヘーゲルによれば、啓蒙期以降の人間は、事物を単なる物質として、それ自体で存在するものと見なした、か、この「自体存在」も、あくまでそれを知る意識にとっての在りようであって、決定権を握っているのは人間の精神である。主導権を握る人間の精神・理性の本質は〈自由〉にほかならない。そして、この単なる知の運動に見えるものは同時に存在の運動でもあるがゆえに、精神・理性の本質である〈自由〉はまた、歴史が到達する最終目的とも見なされるのである。
ヘーゲルの歴史哲学をどのように受け止めるべきか、判定を下そうと思えば、へーゲルの哲学の根幹部分に対する評価を定めなければならないであろう。
クローチエ 『歴史の理論と歴史』
「すべての真の歴史は現代の歴史である」と喝破したことで知られるイタリアの歴史家、ペネデット・クローチェの主著。この言葉に示されているように、クローチエの主張の眼目は、過去の事実をそれ自体で存在するものとして見るのではなく、現代の研究者が現在の関心にもとづいて注視し探究することによって構成されるものと見なすところにある。周知のように、この見方は今日の歴史哲学の基調となっており、時に論争のテーマとなっているものである。この見方をすでにクローチエが先取りし、しかも確固たる姿勢で提示していたことは、瞳目に値する。本書は今日あらためて注目されるべき書であると言えよう。
本書の原題はTeoria e Storia della Storiagrafiaであり、丁寧に訳せば「歴史叙述の理論ならびに歴史叙述の歴史」となるであろう。この標題に対応して、本書の内容は「歴史叙述の理論」(第一部)と「歴史叙述の歴史」(第二部)とから構成されている。第一部では、年代記録をはじめとする、これまでのさまざまな歴史理論が、クローチエの観点から批判的に検討されている。目次を見て、はっとさせられるのは、第二部の「歴史叙述の歴史」という標題である。ここでクローチエは、古代ギリシャ以来さまざまな歴史家が歴史を語ってきたときの視点や枠組みについて考察し、歴史叙述のあり方が歴史的にどのように変遷してきたかを論じている。このように、歴史叙述が辿ってきた過程をさらに歴史的に探究しようとする試みは、今日ヘイドン・ホワイトが行っていることにほかならない。クローチエは「メタヒストリー」の先駆者だったのである。
扱われているのは、ギリシャ・ローマ、中世、ルネサンス、啓蒙主義、ロマン主義、実証主義の時代における歴史叙述である。たとえば中世においては、善と悪との対立図式を当てはめたり、勧善懲悪の観点に立って歴史が語られたりしたことが指摘されている。クローチエ自身の立場は、「新しき歴史叙述」と題された最終章において示されており、実証主義の後に来るものとして位置づけられている。そこでは文献学的な実証主義と文学性をそなえたロマン主義とが両立されるべきことや、歴史と哲学とが統一されるべきことなどが論じられており、興味深いテーマを提供しているが、説明としては残念ながら未完に終わっていると言えよう。なお末尾でへーゲルが言及されているため、その歴史哲学との類似を予想させるが、他方でクローチエは別の箇所で、ヘーゲルの歴史哲学を萌芽的で未熟なものにすぎないことを指摘しているため、両者を同傾向のものと見なすことはできない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
中項目の要約 本・図書館、生活
本・図書館
多読の世界
本との対話:豊田市中央図書館 本と関わり 情報源になる
多読の効果:年間借出冊数 千冊を超え 多読で言葉を得る
図書館観察:三つのパターン 図書館調査 文化を守る
図書館に入り込む:ボランティア 図書館内部 協議会に参加した
図書館を使う
新刊書:新刊書 新鮮な情報 広範囲な興味を満たす
本を読む:本を家で読む キンドル 街で読む 地下鉄で読む
図書館ブランド:図書館のプロ 町おこし 市民と図書館を守る
図書館の役割:米国の公共図書館 観光拠点 生涯学習拠点
本から広がる
影響を受けた本:本から影響を受けた 方法序説、複雑性とは何か
本から得たもの:本が存在する 思いをつなげる 本から発信する
図書館の可能性:生涯学習 地域の活性化 電子書籍の可能性
地域の図書館:公共図書館が拠点 ライブラリ 知識の集積
知恵が動かす
本との出会い:本で多様な意見 時空間を超えた出会い
知恵を作り出す:見る、知る、考える 読める環境 個人の分化
図書館を育てる:本の気づきから行動 グループと図書館を育てる
知の入口・出口:本を読む市民 知の入口の認識 図書館の再編成
情報センター
調べる:調べるには 集める 整理する 検索する
学習する:個人状況を把握 学習を支援 専門性を高める
情報センター:図書館は情報センター 知の入口 ネット化する
場の活用:アゴラとサードプレイス 賛否両論の本棚
市民に寄り添う
I love Library:図書館は市民に寄り添う公共性を皆で育てる
私の読書環境:家での本の処理 大量情報処理 未来予測が可能
市民の役に立つ:グループ 情報活用から発信 図書館クラウド
市民に広げる:どこでも図書館 読める環境 ビジネス活用
図書館コミュニティ
読書支援:市民の知りたい欲求 本の魅力で意識アップ
学習支援:生涯学習支援 事例の展開 図書館ポータル
地域活性化:コミュニティで地域活性化 どこでも図書館
情報技術:ソーシャルウェブ 各種情報提供 個人の分化
内なる図書館
本がある意味:多くの本がある 伝えたい心 印刷物が変わる
社会ライブラリ:関心事でコラボ 図書館はシェアの先駆け
歴史ライブラリ:歴史の体系化 未来を語る 歴史が変わる
情報で社会変革:情報に溢れる 個人から発信 社会変革
生活
考えるしかない
ひとりぼっち:一人だけの生活 他人の存在を信じない
好奇心は旺盛:考え抜く 思いを伝える 扉を開ける
考えるツール:考えるために アナログ デジタル ハイブリッド
単純に考える:人生を単純に 生活規範 本で考える
内なる生活
個人的なこと:身体は散々 プロの生活 未唯は絶対的な存在
内なる生活:自分だけの生活 目的のために 会社を使い切る
四つの役割:数学者 社会学者 歴史学者 未来学者 役割
行動しないこと:私は行動しない 観察する 意見を出す
社会を見る
孤立した存在:依存しない 存在は見えない 無限次元空間
存在を楽しむ:自分を使い切る 夢を持つ 変革のシナリオ
情報を得る:企業の情報 ソーシャル 本の情報 思いをつなぐ
シナリオを描く:インタープリター ファシリテーター シナリオ
考える生活
基本スタンス:考えることは生きること 本で分化 組織を使う
μがいる:もう一人のμと対話 発信し続ける 無為な生活
考え続ける:存在の力 日々の発見 シンプル 啓示を受ける
考えてもらう:先行きと全体を考える 問われれば応える
自由な生活
やること:パートナーの存在 理解者を探す つながる瞬間
生活の目標:偶然の意味を知る 会社を救う 歴史観をつくる
自由な行動:身体は外の世界 根本を知る 海外を知る
考える拠点:言葉にする 最期まで考える 存在の力を活かす
自分の時間
未来研究:公共図書館の使命 存在と無 未来を予言
エッセイ:エッセイを書く ロジック進化 サファイア表現
未唯空間を完成:DNA抽出 未唯空間の表現 社会ライブラリ
一人の生活:会社を活用 生活パターン 皆、一人で生きる
サファイア生活
知るために:知るための生活 偶然でつなげる 組織に抵抗
表わすために:表すため 読むことは書くこと 感じて、考える
未唯空間まとめ:雑記帳で考える 未唯空間にまとめ SNSで表現
未唯空間の先:読むから書く デジタル出版 未唯宇宙を描く
サファイア革命
新しい数学:新しい数学 アナロジー 空間配置 数学的世界観
社会を変える:組織の分化 組織の外から攻撃 社会を変える
歴史は変わる:歴史の分岐点 市民意識 時空間のコード 予言
無為に生きる:自分という存在 すべてを知る 存在の無へ
多読の世界
本との対話:豊田市中央図書館 本と関わり 情報源になる
多読の効果:年間借出冊数 千冊を超え 多読で言葉を得る
図書館観察:三つのパターン 図書館調査 文化を守る
図書館に入り込む:ボランティア 図書館内部 協議会に参加した
図書館を使う
新刊書:新刊書 新鮮な情報 広範囲な興味を満たす
本を読む:本を家で読む キンドル 街で読む 地下鉄で読む
図書館ブランド:図書館のプロ 町おこし 市民と図書館を守る
図書館の役割:米国の公共図書館 観光拠点 生涯学習拠点
本から広がる
影響を受けた本:本から影響を受けた 方法序説、複雑性とは何か
本から得たもの:本が存在する 思いをつなげる 本から発信する
図書館の可能性:生涯学習 地域の活性化 電子書籍の可能性
地域の図書館:公共図書館が拠点 ライブラリ 知識の集積
知恵が動かす
本との出会い:本で多様な意見 時空間を超えた出会い
知恵を作り出す:見る、知る、考える 読める環境 個人の分化
図書館を育てる:本の気づきから行動 グループと図書館を育てる
知の入口・出口:本を読む市民 知の入口の認識 図書館の再編成
情報センター
調べる:調べるには 集める 整理する 検索する
学習する:個人状況を把握 学習を支援 専門性を高める
情報センター:図書館は情報センター 知の入口 ネット化する
場の活用:アゴラとサードプレイス 賛否両論の本棚
市民に寄り添う
I love Library:図書館は市民に寄り添う公共性を皆で育てる
私の読書環境:家での本の処理 大量情報処理 未来予測が可能
市民の役に立つ:グループ 情報活用から発信 図書館クラウド
市民に広げる:どこでも図書館 読める環境 ビジネス活用
図書館コミュニティ
読書支援:市民の知りたい欲求 本の魅力で意識アップ
学習支援:生涯学習支援 事例の展開 図書館ポータル
地域活性化:コミュニティで地域活性化 どこでも図書館
情報技術:ソーシャルウェブ 各種情報提供 個人の分化
内なる図書館
本がある意味:多くの本がある 伝えたい心 印刷物が変わる
社会ライブラリ:関心事でコラボ 図書館はシェアの先駆け
歴史ライブラリ:歴史の体系化 未来を語る 歴史が変わる
情報で社会変革:情報に溢れる 個人から発信 社会変革
生活
考えるしかない
ひとりぼっち:一人だけの生活 他人の存在を信じない
好奇心は旺盛:考え抜く 思いを伝える 扉を開ける
考えるツール:考えるために アナログ デジタル ハイブリッド
単純に考える:人生を単純に 生活規範 本で考える
内なる生活
個人的なこと:身体は散々 プロの生活 未唯は絶対的な存在
内なる生活:自分だけの生活 目的のために 会社を使い切る
四つの役割:数学者 社会学者 歴史学者 未来学者 役割
行動しないこと:私は行動しない 観察する 意見を出す
社会を見る
孤立した存在:依存しない 存在は見えない 無限次元空間
存在を楽しむ:自分を使い切る 夢を持つ 変革のシナリオ
情報を得る:企業の情報 ソーシャル 本の情報 思いをつなぐ
シナリオを描く:インタープリター ファシリテーター シナリオ
考える生活
基本スタンス:考えることは生きること 本で分化 組織を使う
μがいる:もう一人のμと対話 発信し続ける 無為な生活
考え続ける:存在の力 日々の発見 シンプル 啓示を受ける
考えてもらう:先行きと全体を考える 問われれば応える
自由な生活
やること:パートナーの存在 理解者を探す つながる瞬間
生活の目標:偶然の意味を知る 会社を救う 歴史観をつくる
自由な行動:身体は外の世界 根本を知る 海外を知る
考える拠点:言葉にする 最期まで考える 存在の力を活かす
自分の時間
未来研究:公共図書館の使命 存在と無 未来を予言
エッセイ:エッセイを書く ロジック進化 サファイア表現
未唯空間を完成:DNA抽出 未唯空間の表現 社会ライブラリ
一人の生活:会社を活用 生活パターン 皆、一人で生きる
サファイア生活
知るために:知るための生活 偶然でつなげる 組織に抵抗
表わすために:表すため 読むことは書くこと 感じて、考える
未唯空間まとめ:雑記帳で考える 未唯空間にまとめ SNSで表現
未唯空間の先:読むから書く デジタル出版 未唯宇宙を描く
サファイア革命
新しい数学:新しい数学 アナロジー 空間配置 数学的世界観
社会を変える:組織の分化 組織の外から攻撃 社会を変える
歴史は変わる:歴史の分岐点 市民意識 時空間のコード 予言
無為に生きる:自分という存在 すべてを知る 存在の無へ
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
中項目の要約 歴史、仕事
2013年10月17日(木) 中項目の要約 歴史、仕事
歴史
歴史に関心
ナチ成立:歴史への関心は、ナチが成立した理由が始まり
全体主義の実態:全体主義の実態をロシアと中国に探った
グローバル化:グローバル化で集中と格差と米国の動きを追った
テロの世界:ローカルの反発としてのテロと新しい民主主義
歴史の分析
歴史を学ぶ:ローカルとグローバルの歴史と先行きを見る
歴史の見方:歴史での偶然と必然、そして仮説からシナリオ
各国のシナリオ:フィンランド・トルコなどの歴史のシナリオ
歴史を研究する:地球規模の課題から超国家と未来のシナリオ
歴史の現象
歴史の意識:グループの力、メディアから歴史の意識を図る
国民国家:フランス革命後の国民国家の状況から国の意味
国のあり方:中央集権での分配の限界からローカルへの分散
ソーシャルな世界:ソーシャル組織の発想から新しい政治原理
歴史の認識
多様な認識:平和を求めて、歴史が変わるという歴史認識
サファイア認識:グローカルでの持続可能な循環という認識
未来のシナリオ:人が多いほど、幸せになれる未来のシナリオ
幸せへの道:ローカルのニーズを明確にし、グローバルが支援
矛盾への対応
クライシス:画一的な対応に依存せずに、自立する価値観
地域の再生:地域は自立し、自律して、地域の知恵と強みで再生
ネットでつながる:国という制約をネットでつながることで破る方法
歴史の変わり方:歴史は何から変わるか、それでどうなるか
社会構造の変革
Local meets Global:歴史はローカルがグローバルに従属する方向
Global meets Local:グローバルが活性化したローカルに寄り添う方向
新LmG:ローカルがグローバルに支援させる方向
サファイア社会:ローカルとグローバルをネットでつなぐ世界
変革のシナリオ
新しい市民社会:市民が集まり、周りを取り込み、既存組織を吸収
ソーシャル支援:成功体験を集約し、市民が儲かる仕組みをつくる
各国のシナリオ:フィンランドでは、シスの精神で、自立を果たす
国の連携:国家間の連携で地域を活かす超国家の成立
内なる歴史
歴史の時空間:時空間の位相として、内なる歴史のシナリオ
ソーシャル社会:環境社会移行を前提に、ソーシャル社会を想定
超国家社会:集団性からの離脱のために、超国家発想が必要
未来の歴史書:137億年の歴史を踏まえて、2050年の変節点を描く
仕事
夢をかなえる
三つの部門を経験:社会を含む設計のために、三つの部門を経験
皆の夢をかなえる:システムは思いをまとめ、組み合わせるもの
作ることは楽しい:全体を理解して、システムを作ることは楽しい
使ってもらう:システムは使ってもらうもので作るものではない
サファイアの発見
ローカルで考え:Think Locally 役割を現場と一緒に考える
ローカルで実現:Act Locally お客様との接点で、大きな視点で行動
グローバルで企画:Think Globally 組織を超越し、全体の循環を意識
グローバルの力:Act Globally モノつくりに拘って、全体の活力源
販売店の循環
私の役割:ミッションは、先を見て、循環を観察し、情報共有
店舗の環境:店舗にグループを作り、要望を分類し、知恵創出
インフラ再構成:クラウド、ネットを活用して、サファイア構成
組織の位相化:店舗スタッフの分化から組織の位相化を図る
販売店の拡大
メーカーとの関係:お客様を取り囲むB-B-Cのために、メーカー連携
お客様とつながる:スタッフが300人を把握し、2000万人とつながる
社会とつながる:メーカーを含めて、社会コミュニティに参画する
社会の中の販売店:町一番のお店は、社会の中にあることを認識
サファイア化
ポータル機能:ポータル作成はイメージを与え、個人環境を作る
コラボレーション:コミュニティでのコラボで思いを行動に移す
ネットワーク:ソーシャルネットでありモノを使いこなす
ライブラリ配置:ネットに配置されたライブラリとプル型接続する
販売店から変革
販売店ヒアリング:販売店経営者にサファイアモデルを提示
販売店要望:社会変化に対応して、お客様とつながる要望
意識の解析:経営者の意識にメーカー施策は合っていない
要望実現への道:販売店ネットの上に店舗コミュニティの情報共有
サファイアの進化
先を見て、考える:存在の力を使って、社会を動かす方法を考える
進化の方法:サファイア進化で、組織を超え、地域活動に拡大
シェア社会:車を皆で使うための条件からシェア社会を構築
いい社会を支援:いい社会を地域インフラでお互い様の生活と定義
内なる仕事
社会変革に参画:社会変革とつなぐイメージを内なる世界でつくる
地域の情報共有:地域コミュニティの情報共有をポータルで構築
企業の変革:シェア車を構想することで、企業の変革を想定
新しい車社会:次世代のクルマの新しいインフラを想定する
歴史
歴史に関心
ナチ成立:歴史への関心は、ナチが成立した理由が始まり
全体主義の実態:全体主義の実態をロシアと中国に探った
グローバル化:グローバル化で集中と格差と米国の動きを追った
テロの世界:ローカルの反発としてのテロと新しい民主主義
歴史の分析
歴史を学ぶ:ローカルとグローバルの歴史と先行きを見る
歴史の見方:歴史での偶然と必然、そして仮説からシナリオ
各国のシナリオ:フィンランド・トルコなどの歴史のシナリオ
歴史を研究する:地球規模の課題から超国家と未来のシナリオ
歴史の現象
歴史の意識:グループの力、メディアから歴史の意識を図る
国民国家:フランス革命後の国民国家の状況から国の意味
国のあり方:中央集権での分配の限界からローカルへの分散
ソーシャルな世界:ソーシャル組織の発想から新しい政治原理
歴史の認識
多様な認識:平和を求めて、歴史が変わるという歴史認識
サファイア認識:グローカルでの持続可能な循環という認識
未来のシナリオ:人が多いほど、幸せになれる未来のシナリオ
幸せへの道:ローカルのニーズを明確にし、グローバルが支援
矛盾への対応
クライシス:画一的な対応に依存せずに、自立する価値観
地域の再生:地域は自立し、自律して、地域の知恵と強みで再生
ネットでつながる:国という制約をネットでつながることで破る方法
歴史の変わり方:歴史は何から変わるか、それでどうなるか
社会構造の変革
Local meets Global:歴史はローカルがグローバルに従属する方向
Global meets Local:グローバルが活性化したローカルに寄り添う方向
新LmG:ローカルがグローバルに支援させる方向
サファイア社会:ローカルとグローバルをネットでつなぐ世界
変革のシナリオ
新しい市民社会:市民が集まり、周りを取り込み、既存組織を吸収
ソーシャル支援:成功体験を集約し、市民が儲かる仕組みをつくる
各国のシナリオ:フィンランドでは、シスの精神で、自立を果たす
国の連携:国家間の連携で地域を活かす超国家の成立
内なる歴史
歴史の時空間:時空間の位相として、内なる歴史のシナリオ
ソーシャル社会:環境社会移行を前提に、ソーシャル社会を想定
超国家社会:集団性からの離脱のために、超国家発想が必要
未来の歴史書:137億年の歴史を踏まえて、2050年の変節点を描く
仕事
夢をかなえる
三つの部門を経験:社会を含む設計のために、三つの部門を経験
皆の夢をかなえる:システムは思いをまとめ、組み合わせるもの
作ることは楽しい:全体を理解して、システムを作ることは楽しい
使ってもらう:システムは使ってもらうもので作るものではない
サファイアの発見
ローカルで考え:Think Locally 役割を現場と一緒に考える
ローカルで実現:Act Locally お客様との接点で、大きな視点で行動
グローバルで企画:Think Globally 組織を超越し、全体の循環を意識
グローバルの力:Act Globally モノつくりに拘って、全体の活力源
販売店の循環
私の役割:ミッションは、先を見て、循環を観察し、情報共有
店舗の環境:店舗にグループを作り、要望を分類し、知恵創出
インフラ再構成:クラウド、ネットを活用して、サファイア構成
組織の位相化:店舗スタッフの分化から組織の位相化を図る
販売店の拡大
メーカーとの関係:お客様を取り囲むB-B-Cのために、メーカー連携
お客様とつながる:スタッフが300人を把握し、2000万人とつながる
社会とつながる:メーカーを含めて、社会コミュニティに参画する
社会の中の販売店:町一番のお店は、社会の中にあることを認識
サファイア化
ポータル機能:ポータル作成はイメージを与え、個人環境を作る
コラボレーション:コミュニティでのコラボで思いを行動に移す
ネットワーク:ソーシャルネットでありモノを使いこなす
ライブラリ配置:ネットに配置されたライブラリとプル型接続する
販売店から変革
販売店ヒアリング:販売店経営者にサファイアモデルを提示
販売店要望:社会変化に対応して、お客様とつながる要望
意識の解析:経営者の意識にメーカー施策は合っていない
要望実現への道:販売店ネットの上に店舗コミュニティの情報共有
サファイアの進化
先を見て、考える:存在の力を使って、社会を動かす方法を考える
進化の方法:サファイア進化で、組織を超え、地域活動に拡大
シェア社会:車を皆で使うための条件からシェア社会を構築
いい社会を支援:いい社会を地域インフラでお互い様の生活と定義
内なる仕事
社会変革に参画:社会変革とつなぐイメージを内なる世界でつくる
地域の情報共有:地域コミュニティの情報共有をポータルで構築
企業の変革:シェア車を構想することで、企業の変革を想定
新しい車社会:次世代のクルマの新しいインフラを想定する
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
歴史哲学の意味
安心して踏み込むための歴史哲学
そして、個人がそれに踏み込めるかどうかの部分が残っている。それをやるためには、今までこうやって来たのだから、この考え方をこう変えればいいという、環境社会の哲学、つまり、歴史哲学が下支えすることになる。
歴史哲学は、歴史を見るためにモノが、歴史を変える為の哲学になる。市民を安心させるため、そして、大きな流れをつくるモノです。歴史哲学は、ナチの時代の意思の力から、自分はそこに居てもいいという、存在の力に大きくシフトします。
社会の位相化とサファイアの考え
そこにおけるサファイアの考え方は、ローカルとグローバルをキッチリと分けて、ローカルから出発したループを作るということ。静脈から動脈を作る。分配を担っていた、動脈が弱くなったから。援助を受けずに、細胞の方が活性化していきます。
心臓に支配された世界から、新しい流れを作り出す。押し出す力では心筋梗塞になります。それを理論的に証明するのが、未唯空間です。
キーワード空間でつなぐ
キーワードでこれらがつながっていく世界を表現すれば、何が変わるのか、何を意識すればいいのかが分かってきます。そのキーワードを支えるのが、未唯宇宙です。言われていることとか、考えたことをものを項目に埋め込みます。
図書館コミュニティの持つ意味
図書館も大きな意味を持ちます。社会の変化に先行している。それも、今後、大きく変わります。北欧などは、人が遍在しています。そこで、拠点を持てないところは、バーチャルで拠点を作ります。その拠点が図書館です。
コミュニティというのは、地域で動かしていくための知識と意識を集約するところです。同時に、市民を勇気づけて、活性化するところです。では、具体的にしようとして、店舗コミュニティの情報共有というのは、それに対して、どういう役割をするのか。
そこはコミュニティという概念をハッキリさせるということと、情報共有という、ネットを用いた、集めるものをメーカーからカタチにする。
企業はエネルギー源
企業と市民との関係、企業と行政との関係、そして、日本を動かすエネルギーとしての企業の役割。儲けるためではなく、存続させるために企業はある。そこに戻って、日本のエネルギー源として、活性化の元を作り出す。
個人が無償でやる部分と、個人の集合体としての企業、当然目的があるわけですから、それがやるメリットに分かれます。
本が行動を起こすには
そこから、図書館の方向性、電子書籍の位置づけが出てきます。どのようにして、情報を一致させるか、蓄えるか、コラボレーションさせて、行動させていくのか。
現在では、本だけでは行動に移りません。昔はそれで出来ました。聖書を印刷することで、ルターが出てくることで、宗教改革につながった。民主主義も同じように、リバイアサンなどの宣言が情報として、市民に与えられた。
マルクスの資本論も影響を与えました。ただし、受ける人で曲解されます。オリジナルと関係ないところで、火を噴きます。コミュニティ化していけば、その部分はなくなります。共産党みたいなかかわりではなく、あくまでも個人主体です。
そして、個人がそれに踏み込めるかどうかの部分が残っている。それをやるためには、今までこうやって来たのだから、この考え方をこう変えればいいという、環境社会の哲学、つまり、歴史哲学が下支えすることになる。
歴史哲学は、歴史を見るためにモノが、歴史を変える為の哲学になる。市民を安心させるため、そして、大きな流れをつくるモノです。歴史哲学は、ナチの時代の意思の力から、自分はそこに居てもいいという、存在の力に大きくシフトします。
社会の位相化とサファイアの考え
そこにおけるサファイアの考え方は、ローカルとグローバルをキッチリと分けて、ローカルから出発したループを作るということ。静脈から動脈を作る。分配を担っていた、動脈が弱くなったから。援助を受けずに、細胞の方が活性化していきます。
心臓に支配された世界から、新しい流れを作り出す。押し出す力では心筋梗塞になります。それを理論的に証明するのが、未唯空間です。
キーワード空間でつなぐ
キーワードでこれらがつながっていく世界を表現すれば、何が変わるのか、何を意識すればいいのかが分かってきます。そのキーワードを支えるのが、未唯宇宙です。言われていることとか、考えたことをものを項目に埋め込みます。
図書館コミュニティの持つ意味
図書館も大きな意味を持ちます。社会の変化に先行している。それも、今後、大きく変わります。北欧などは、人が遍在しています。そこで、拠点を持てないところは、バーチャルで拠点を作ります。その拠点が図書館です。
コミュニティというのは、地域で動かしていくための知識と意識を集約するところです。同時に、市民を勇気づけて、活性化するところです。では、具体的にしようとして、店舗コミュニティの情報共有というのは、それに対して、どういう役割をするのか。
そこはコミュニティという概念をハッキリさせるということと、情報共有という、ネットを用いた、集めるものをメーカーからカタチにする。
企業はエネルギー源
企業と市民との関係、企業と行政との関係、そして、日本を動かすエネルギーとしての企業の役割。儲けるためではなく、存続させるために企業はある。そこに戻って、日本のエネルギー源として、活性化の元を作り出す。
個人が無償でやる部分と、個人の集合体としての企業、当然目的があるわけですから、それがやるメリットに分かれます。
本が行動を起こすには
そこから、図書館の方向性、電子書籍の位置づけが出てきます。どのようにして、情報を一致させるか、蓄えるか、コラボレーションさせて、行動させていくのか。
現在では、本だけでは行動に移りません。昔はそれで出来ました。聖書を印刷することで、ルターが出てくることで、宗教改革につながった。民主主義も同じように、リバイアサンなどの宣言が情報として、市民に与えられた。
マルクスの資本論も影響を与えました。ただし、受ける人で曲解されます。オリジナルと関係ないところで、火を噴きます。コミュニティ化していけば、その部分はなくなります。共産党みたいなかかわりではなく、あくまでも個人主体です。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
社会の位相化は始まっている
未唯へ
今日はIさんが居ないので、スタバには寄りません。コンビニでスタバのフラペチーノを買いました。
社会の位相化は始まっている
社会の位相化はもう、始まっている。それはインターネットから始まった。それはフェーズとしてはゲームの世界かもしれない。それをコミュニティ化することで、次の段階に移ります。そこに、メーカーという企業を巻き込む。それによって、行政も引きずられる。
目的はインターネットと同様に、市民が決めていく。世界の様相を変えていく。電気がないアフリカと言えども、ケータイで自分たちの置かれた位置を知って、市場をコントロールする世界。そういった、色々な様相が見えている。それを社会の位相化というカタチで力に変えていく。偶々ではなく、一つの必然として。
今度の周縁は過疎エリアです。お互いが直接のコミュニケーションが難しかったところ、意思決定できなかったところが中心になってきます。そこでは、位相が非常に重要です。ローカルでの動きが活性化できます。
位相化の特徴はインターネットと同じです。ローカルがそれに変えた方が楽だというところで、変わっていく。それをキャッチアップして、グローバルが変わっていく。
グローバルの部分は、キャリアなどが商売になるので、色々な人が入り込んでくる。それで個別的に変わってくる。ネットの方もコストが高い、光ファイバーからモバイル型に変わっていく。デバイスも変わると同時に、それを集約するためのデータベースが出てきている。
要するに、振り向けば、できる直前の世界になっている。そこで一押しするだけです。
ここまで来たら、当たり前の流れです。それに気づいていないだけです。ベースがベースなだけに成功体験が邪魔しています。太平洋戦争も、日本にとってみたら、成功体験なのでしょう。
なぜ、インターネットができてきたのか。単に軍事だけではないでしょう。物理的な制約、国民国家の制約、企業だけがグローバル化することにの弊害がインターネットを作った。そして、インターネットの上に、個人の自由と権限を持ってきた。その意味では、次の時代のイメージを作ってはいるけど。
それが商売のためにゲーム化して、今は女子化している。これを過程と見るとしても、その先をどう見ていくのか、その先を見せていかないといけない。このまま、ゲーム化だけで終わったら、生まれてきた理由は何も分からない。
だから、やはり、生きる理由です。存在の力です。それを正面から見ていかないといけない。
様相が変わる
その一押しは、コンパクトな社会として、シェアする世界として、様相を変えていきます。モノを買うことの資本主義から、共有する世界に変わっていきます。
大きく概念が変わるのは、環境社会という意識を持った時です。それは危機感からきています。このまま、無限の世界を続けるわけにはいかないので、自分の世界はなるべくコンパクトにする欲求がカタチになる。消費者ではなく、生活者として、主体的になっていく。その時に、個人がバラバラでは力にならない。
コミュニティでもって、一つのカタチにしていく。それを確認して、個人を取り込むと同時に、行政などに発信していく。一つの単位として扱う。つまり、集合が点になり、点が集合になるという、数学モデルになっていく。これらはもう、始まっているというか、そろそろ完成の域に近づいています。
今日はIさんが居ないので、スタバには寄りません。コンビニでスタバのフラペチーノを買いました。
社会の位相化は始まっている
社会の位相化はもう、始まっている。それはインターネットから始まった。それはフェーズとしてはゲームの世界かもしれない。それをコミュニティ化することで、次の段階に移ります。そこに、メーカーという企業を巻き込む。それによって、行政も引きずられる。
目的はインターネットと同様に、市民が決めていく。世界の様相を変えていく。電気がないアフリカと言えども、ケータイで自分たちの置かれた位置を知って、市場をコントロールする世界。そういった、色々な様相が見えている。それを社会の位相化というカタチで力に変えていく。偶々ではなく、一つの必然として。
今度の周縁は過疎エリアです。お互いが直接のコミュニケーションが難しかったところ、意思決定できなかったところが中心になってきます。そこでは、位相が非常に重要です。ローカルでの動きが活性化できます。
位相化の特徴はインターネットと同じです。ローカルがそれに変えた方が楽だというところで、変わっていく。それをキャッチアップして、グローバルが変わっていく。
グローバルの部分は、キャリアなどが商売になるので、色々な人が入り込んでくる。それで個別的に変わってくる。ネットの方もコストが高い、光ファイバーからモバイル型に変わっていく。デバイスも変わると同時に、それを集約するためのデータベースが出てきている。
要するに、振り向けば、できる直前の世界になっている。そこで一押しするだけです。
ここまで来たら、当たり前の流れです。それに気づいていないだけです。ベースがベースなだけに成功体験が邪魔しています。太平洋戦争も、日本にとってみたら、成功体験なのでしょう。
なぜ、インターネットができてきたのか。単に軍事だけではないでしょう。物理的な制約、国民国家の制約、企業だけがグローバル化することにの弊害がインターネットを作った。そして、インターネットの上に、個人の自由と権限を持ってきた。その意味では、次の時代のイメージを作ってはいるけど。
それが商売のためにゲーム化して、今は女子化している。これを過程と見るとしても、その先をどう見ていくのか、その先を見せていかないといけない。このまま、ゲーム化だけで終わったら、生まれてきた理由は何も分からない。
だから、やはり、生きる理由です。存在の力です。それを正面から見ていかないといけない。
様相が変わる
その一押しは、コンパクトな社会として、シェアする世界として、様相を変えていきます。モノを買うことの資本主義から、共有する世界に変わっていきます。
大きく概念が変わるのは、環境社会という意識を持った時です。それは危機感からきています。このまま、無限の世界を続けるわけにはいかないので、自分の世界はなるべくコンパクトにする欲求がカタチになる。消費者ではなく、生活者として、主体的になっていく。その時に、個人がバラバラでは力にならない。
コミュニティでもって、一つのカタチにしていく。それを確認して、個人を取り込むと同時に、行政などに発信していく。一つの単位として扱う。つまり、集合が点になり、点が集合になるという、数学モデルになっていく。これらはもう、始まっているというか、そろそろ完成の域に近づいています。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
社会/公共性の哲学
『哲学10 社会/公共性の哲学』より テクストからの展望
プラトン 『国家』
最初に取り上げるのは、プラトンの『国家』である。ただし、注意しなければならないのは、ここでいう国家とは近代的な意味でのstateではなく、むしろ人々が良き生を送るために構成された社会の秩序全体を指す言葉「ポリテイア」であり、場合によっては「国制」と訳されるものに他ならないことである。プラトンの『国家』とアリストテレスの『政治学』をその頂点とする古典古代の政治学においては、まさにこのような意味での国家のあり方の探究(政体論)が、最重要の課題とされた。ここには、人々の良き生の実現のためには、その人間の暮らす社会のあり方が最も重要な意味を持つ、という古典古代における政治学の根本的信念を見てとることができる。
その意味で、『国家』がまず正義をめぐる議論から始まるのは自然である。「正義とは強者の利益である」という考えに対し、プラトンは正義とは人の生き方に関わる問題であり、「魂への配慮」こそが人間にとって最も大切であると主張する。そのように考えるプラトンにとって、政治もまた「魂への配慮」と不可分であった。人間の魂を理知的部分、気概的部分、欲望的部分に分けて考えるプラトンは、この区分に対応したポリスの秩序を構想し、逆に正義を実現したポリスのあり方から、良き魂のあり方を類推していく。
プラトンによれば、理想のポリスは三つの階層から成る。プラトンはまず、もっぱら生産活動に携わる階層とそれを守護する階層とを分けた後、後者の守護層をさらに主に軍事を担当する補助者と、統治にあたる真の守護者とに区分する。この三つの階層は、人間の欲望的部分、気概的部分、理知的部分に対応するものであり、それぞれに節制、勇気、知恵という徳が対応する。正義とは、ポリスの構成員がそれぞれの任務を果たし、全体としての調和、かとれていることに他ならない。個人の魂の正義もまた同様であり、欲望的部分、気概的部分、理知的部分の調和がとれていることこそが、正義である。
しかしながら、古典古代の哲学者のなかでもプラトンを突出させているのは、いかにしてこのような理想のポリスを実現するか、という問題意識であった。このことは、彼の師であるソクラテスが「魂の配慮」を課題とする社会変革を目指す途上で、アテナイの民主政との深刻な対立を引き起こし、結果として刑死を選んだことと深く関係している。プラトンの出した結論は、真に理想のポリスを実現するためには、「善のイデア」を把握した哲学者と政治権力とが二体化する「哲人王」が不可欠である、というものであった。ここに哲学と政治権力との関係をめぐる、政治学史上最も強烈な考えが示された。
「洞窟の比喩」に示されているように、人は現実の世界(洞窟)から自らを解き放ち、洞窟の外で「善のイデア」(太陽の光)を直接目にしなければならない。現実世界とイデアの世界とを峻別する二分法的思考もまた、プラトンが後世に残した大きな遺産である。むしろ現実に存在する諸物のなかに形相(エイドス)を見いだしたアリストテレスの思考とともに、およそ社会について考える人間のモデルとなった思考法である。
ルソー『社会契約論』
完全に自立した諸個人から一つの政治秩序を樹立するという、ホてフズの掲げた課題に挑戦しながらも、絶対的な主権者への服従という答えを出したホベフズとは異なり、人民主権という結論を導き出しだのがルソーである。しかしながら、本当に人間社会の完全な自律は可能なのだろうか。ホッブズ以来の近代政治思想は、ルソーにおいてその究極の表現と、また究極の苦境に到達する。
ルソーが『社会契約論』において自らに課したのは、「各人が、すべての人々と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由であること」はいかにして可能か、という問題であった。これに対しルソーが示した答えが社会契約である。すなわち、「各構成員をそのすべての権利とともに、共同体の全体にたいして、全面的に譲渡する」ことであった。各人が自分をすべて与える以上、すべての人にとって条件は等しい。また、社会契約によって成立する公的人格をルソーは共和国と呼ぶが、この共和国において集団としての人民が主権者であり、主権者の命令に従うことは、自分自身の意思に従うことと同じであるとルソーはいう。
社会契約によって、それまで自己保存しか考えてこなかった個人は、公的人格の共同の自我と一体となる。もし正しく政治体が構成されているならば、各個人は自分がその一部となる新たな全体と同一化し、もはや自らの存在を共同的存在から区別しなくなる。ルソーはこのことを一般意思の概念によって示す。すなわち、一人ひとりの人間の特殊意思の総和である全体意思とは区別される、人民の真の共通利益こそが二般意思である。各個人は自らの特殊意思か二般意思に従わせることで、むしろ自由であることを強制されるのである。このような論理こそが、後世ルソーをして「全体主義の祖」と言わしめた所以である。
しかしながら、真に重要な問題は、一つの人間社会が完全に自律的であるとはどういうことか、である。すべての個人が等しく法を作る主体となり、等しく法に従う。このことを保障する、いかなる外部の絶対的根拠も存在しない。この場合に、人々ははたして自らの作り出した法に従いうるか。この問題を徹底して考え抜いたのがルソーである。ちなみに、ルソーは、一般意思はつねに誤ることがないとする一方で、主権者である人民はしばしばその判断を誤るとしているが、このギャップを如実に示しているのが「立法者」なる一章である。
ルソーによれば、「立法者」とは、国家組織の外部にある超人的存在であり、ばらばらな個人か二つの全体にまとめ、自然の人間を道徳的存在にまで高めることをその任務とする。いかなる強制力も持だない「立法者」は、もっぱら説得によって人民を導かなければならない。また本の最後でルソーは「市民宗教」論を展開し、人々が良き市民たり得るための精神的基礎を論じてもいる。このようなルソーの議論にこそ、ルソーが抱え込んだ理論的・実践的課題の困難の大きさが示されていると言えるだろう。
プラトン 『国家』
最初に取り上げるのは、プラトンの『国家』である。ただし、注意しなければならないのは、ここでいう国家とは近代的な意味でのstateではなく、むしろ人々が良き生を送るために構成された社会の秩序全体を指す言葉「ポリテイア」であり、場合によっては「国制」と訳されるものに他ならないことである。プラトンの『国家』とアリストテレスの『政治学』をその頂点とする古典古代の政治学においては、まさにこのような意味での国家のあり方の探究(政体論)が、最重要の課題とされた。ここには、人々の良き生の実現のためには、その人間の暮らす社会のあり方が最も重要な意味を持つ、という古典古代における政治学の根本的信念を見てとることができる。
その意味で、『国家』がまず正義をめぐる議論から始まるのは自然である。「正義とは強者の利益である」という考えに対し、プラトンは正義とは人の生き方に関わる問題であり、「魂への配慮」こそが人間にとって最も大切であると主張する。そのように考えるプラトンにとって、政治もまた「魂への配慮」と不可分であった。人間の魂を理知的部分、気概的部分、欲望的部分に分けて考えるプラトンは、この区分に対応したポリスの秩序を構想し、逆に正義を実現したポリスのあり方から、良き魂のあり方を類推していく。
プラトンによれば、理想のポリスは三つの階層から成る。プラトンはまず、もっぱら生産活動に携わる階層とそれを守護する階層とを分けた後、後者の守護層をさらに主に軍事を担当する補助者と、統治にあたる真の守護者とに区分する。この三つの階層は、人間の欲望的部分、気概的部分、理知的部分に対応するものであり、それぞれに節制、勇気、知恵という徳が対応する。正義とは、ポリスの構成員がそれぞれの任務を果たし、全体としての調和、かとれていることに他ならない。個人の魂の正義もまた同様であり、欲望的部分、気概的部分、理知的部分の調和がとれていることこそが、正義である。
しかしながら、古典古代の哲学者のなかでもプラトンを突出させているのは、いかにしてこのような理想のポリスを実現するか、という問題意識であった。このことは、彼の師であるソクラテスが「魂の配慮」を課題とする社会変革を目指す途上で、アテナイの民主政との深刻な対立を引き起こし、結果として刑死を選んだことと深く関係している。プラトンの出した結論は、真に理想のポリスを実現するためには、「善のイデア」を把握した哲学者と政治権力とが二体化する「哲人王」が不可欠である、というものであった。ここに哲学と政治権力との関係をめぐる、政治学史上最も強烈な考えが示された。
「洞窟の比喩」に示されているように、人は現実の世界(洞窟)から自らを解き放ち、洞窟の外で「善のイデア」(太陽の光)を直接目にしなければならない。現実世界とイデアの世界とを峻別する二分法的思考もまた、プラトンが後世に残した大きな遺産である。むしろ現実に存在する諸物のなかに形相(エイドス)を見いだしたアリストテレスの思考とともに、およそ社会について考える人間のモデルとなった思考法である。
ルソー『社会契約論』
完全に自立した諸個人から一つの政治秩序を樹立するという、ホてフズの掲げた課題に挑戦しながらも、絶対的な主権者への服従という答えを出したホベフズとは異なり、人民主権という結論を導き出しだのがルソーである。しかしながら、本当に人間社会の完全な自律は可能なのだろうか。ホッブズ以来の近代政治思想は、ルソーにおいてその究極の表現と、また究極の苦境に到達する。
ルソーが『社会契約論』において自らに課したのは、「各人が、すべての人々と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由であること」はいかにして可能か、という問題であった。これに対しルソーが示した答えが社会契約である。すなわち、「各構成員をそのすべての権利とともに、共同体の全体にたいして、全面的に譲渡する」ことであった。各人が自分をすべて与える以上、すべての人にとって条件は等しい。また、社会契約によって成立する公的人格をルソーは共和国と呼ぶが、この共和国において集団としての人民が主権者であり、主権者の命令に従うことは、自分自身の意思に従うことと同じであるとルソーはいう。
社会契約によって、それまで自己保存しか考えてこなかった個人は、公的人格の共同の自我と一体となる。もし正しく政治体が構成されているならば、各個人は自分がその一部となる新たな全体と同一化し、もはや自らの存在を共同的存在から区別しなくなる。ルソーはこのことを一般意思の概念によって示す。すなわち、一人ひとりの人間の特殊意思の総和である全体意思とは区別される、人民の真の共通利益こそが二般意思である。各個人は自らの特殊意思か二般意思に従わせることで、むしろ自由であることを強制されるのである。このような論理こそが、後世ルソーをして「全体主義の祖」と言わしめた所以である。
しかしながら、真に重要な問題は、一つの人間社会が完全に自律的であるとはどういうことか、である。すべての個人が等しく法を作る主体となり、等しく法に従う。このことを保障する、いかなる外部の絶対的根拠も存在しない。この場合に、人々ははたして自らの作り出した法に従いうるか。この問題を徹底して考え抜いたのがルソーである。ちなみに、ルソーは、一般意思はつねに誤ることがないとする一方で、主権者である人民はしばしばその判断を誤るとしているが、このギャップを如実に示しているのが「立法者」なる一章である。
ルソーによれば、「立法者」とは、国家組織の外部にある超人的存在であり、ばらばらな個人か二つの全体にまとめ、自然の人間を道徳的存在にまで高めることをその任務とする。いかなる強制力も持だない「立法者」は、もっぱら説得によって人民を導かなければならない。また本の最後でルソーは「市民宗教」論を展開し、人々が良き市民たり得るための精神的基礎を論じてもいる。このようなルソーの議論にこそ、ルソーが抱え込んだ理論的・実践的課題の困難の大きさが示されていると言えるだろう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
ポスト国民国家の問題状況
『哲学10 社会/公共性の哲学』より グローバルな公共性はいかにして可能か
「冷戦構造」が崩壊した一九九〇年代以降の現実として、国民国家パラダイムの機能不全が語られている。はたして国民国家は、最適な統治単位なのか。例えば、地球温暖化、国際テロリズム、エイズ危機、核の拡散、民族紛争、圧政への対応、途上国における人権の蹂躪や労働条件の苛酷さ、国際金融市場の不安定化、等々。こうした諸問題に対処するためには、各国主権の一部を諸々の国際機関に移譲しつつ、国際的な権威の下に問題解決に当たるべきではないか。そのような考え方がしだいに浸透しつっある。国民国家の主権は、もはや絶対的な正当性をもつのではない。主権の正当性はつねに疑問に付されており、「ポスト国民国家」と呼ばれる状況が生まれている。そうしたなかで私たちは、いかなるグロし(ルな統治を模索しうるのか。-グローバルな公共性は、いかにして構築可能か。そのためのグランドデザィンとなる理路を示すことが、現代の哲学において問われている。
これまで二〇世紀における支配的な「公共性」の理解は、「国民国家」を前提とするものであった。「公共性」とは、ベルソナ(仮面)としての人格的本性が、人々の前に現われる場所のことをいうが、人間の人格的本性は、「世界」において現われるのではなく、「世間」や「世の中」といった特定の「場所」において現われる。公共性は、話されている言語や意味連関の文脈、あるいは、新聞やテレビといったメディアの流通範囲によって規定される「空間的境界」をもっており、二〇世紀の理解によれば、そのような理想の空間(場所)とは、最広義には「天下=国家」とみなされてきた。これに対して「世界」とは、国家と国家のあいだに成り立つ関係にすぎず、人々の人格の本性が現われる場所ではないと了解されてきたのであった。
ところが現代社会において問題となっているのは、諸々の公共空間の境界がもはや国家に制約されない広がりをみせている、という事実である。例えば、インターネットの技術によって、私たちは世界大の仮想空間を手にしている。いわゆる「世間」や「世の中」といった公共空間においても諸外国の文化が話題となり、多文化的なコミュニケーションが盛んである。私たちの生活世界は、すでに国家の境界にしばられない多様な広がりをみせており、各国ごとに築かれてきた「世間」や「世の中」は、相互に浸透しつつある。その結果として私たちは、見知らぬ同胞人よりも、見聞する異邦人に対して、ますます共感をいだくようになっている。現代人のコミュニケーションは、意味連関、文脈、生活感覚、共感(同感)、共在・共生の感覚、共同性、等々のレペルにおいて、すでに国家の制約を大きく超えている。
こうして新たに可能となったコミュニケーションは、一方では、新しい「道徳や統治への要求」を生み出すと同時に、他方では、国家統治の道徳的基礎を危ういものにしている。例えば、累進課税やその他の制度に基づく高所得層から低所得層への所得移転は、「配分的正義」の理念によって正当化されているものの、その正当化の基礎にある「同胞性」や「協同」の道徳は、国家によって限定される必然性がみあたらない。配分的正義のための道徳的基礎は、もはや国家という統治形態によって明確に限定することができず、その範囲は、脆弱化・多層化・曖昧化・拡張化、等々の作用に晒されている。そうした状況のなかで、配分的正義をめぐるさまざまな見解が噴出している。
グローバリズムの観点からみれば、配分的正義をめぐる現代のイデオロギーは、大まかに「慎重派」と「急進派」の二つに分けることができるだろう。「慎重派」の立場は、「現実的なものこそが理性的なものである」との見方から、国家による配分的正義の正当化を試みる。これに対して「急進派」の立場は、「道徳的当為は普遍的形式的な理性によって与えられる」との見方から、世界大の配分的正義を展望する。これら二つの立場には、それぞれ「運動論(=企て論」が伴っている。「慎重派の運動論」は、道徳的疑念を国家的信念へと回収することによって、国家統治の正当性を再生しようとする。これに対して「急進派の運動論」は、現実の動態の源泉として、世界を普遍化するュートピア的な実践を担おうと企てている。
こうしたイデオロギー的文脈のなかで、「グローバルな公共性」というものは、いかなる理路によって形成されるのであろうか。以下ではその道筋について、多角的に検討してみたい。
「冷戦構造」が崩壊した一九九〇年代以降の現実として、国民国家パラダイムの機能不全が語られている。はたして国民国家は、最適な統治単位なのか。例えば、地球温暖化、国際テロリズム、エイズ危機、核の拡散、民族紛争、圧政への対応、途上国における人権の蹂躪や労働条件の苛酷さ、国際金融市場の不安定化、等々。こうした諸問題に対処するためには、各国主権の一部を諸々の国際機関に移譲しつつ、国際的な権威の下に問題解決に当たるべきではないか。そのような考え方がしだいに浸透しつっある。国民国家の主権は、もはや絶対的な正当性をもつのではない。主権の正当性はつねに疑問に付されており、「ポスト国民国家」と呼ばれる状況が生まれている。そうしたなかで私たちは、いかなるグロし(ルな統治を模索しうるのか。-グローバルな公共性は、いかにして構築可能か。そのためのグランドデザィンとなる理路を示すことが、現代の哲学において問われている。
これまで二〇世紀における支配的な「公共性」の理解は、「国民国家」を前提とするものであった。「公共性」とは、ベルソナ(仮面)としての人格的本性が、人々の前に現われる場所のことをいうが、人間の人格的本性は、「世界」において現われるのではなく、「世間」や「世の中」といった特定の「場所」において現われる。公共性は、話されている言語や意味連関の文脈、あるいは、新聞やテレビといったメディアの流通範囲によって規定される「空間的境界」をもっており、二〇世紀の理解によれば、そのような理想の空間(場所)とは、最広義には「天下=国家」とみなされてきた。これに対して「世界」とは、国家と国家のあいだに成り立つ関係にすぎず、人々の人格の本性が現われる場所ではないと了解されてきたのであった。
ところが現代社会において問題となっているのは、諸々の公共空間の境界がもはや国家に制約されない広がりをみせている、という事実である。例えば、インターネットの技術によって、私たちは世界大の仮想空間を手にしている。いわゆる「世間」や「世の中」といった公共空間においても諸外国の文化が話題となり、多文化的なコミュニケーションが盛んである。私たちの生活世界は、すでに国家の境界にしばられない多様な広がりをみせており、各国ごとに築かれてきた「世間」や「世の中」は、相互に浸透しつつある。その結果として私たちは、見知らぬ同胞人よりも、見聞する異邦人に対して、ますます共感をいだくようになっている。現代人のコミュニケーションは、意味連関、文脈、生活感覚、共感(同感)、共在・共生の感覚、共同性、等々のレペルにおいて、すでに国家の制約を大きく超えている。
こうして新たに可能となったコミュニケーションは、一方では、新しい「道徳や統治への要求」を生み出すと同時に、他方では、国家統治の道徳的基礎を危ういものにしている。例えば、累進課税やその他の制度に基づく高所得層から低所得層への所得移転は、「配分的正義」の理念によって正当化されているものの、その正当化の基礎にある「同胞性」や「協同」の道徳は、国家によって限定される必然性がみあたらない。配分的正義のための道徳的基礎は、もはや国家という統治形態によって明確に限定することができず、その範囲は、脆弱化・多層化・曖昧化・拡張化、等々の作用に晒されている。そうした状況のなかで、配分的正義をめぐるさまざまな見解が噴出している。
グローバリズムの観点からみれば、配分的正義をめぐる現代のイデオロギーは、大まかに「慎重派」と「急進派」の二つに分けることができるだろう。「慎重派」の立場は、「現実的なものこそが理性的なものである」との見方から、国家による配分的正義の正当化を試みる。これに対して「急進派」の立場は、「道徳的当為は普遍的形式的な理性によって与えられる」との見方から、世界大の配分的正義を展望する。これら二つの立場には、それぞれ「運動論(=企て論」が伴っている。「慎重派の運動論」は、道徳的疑念を国家的信念へと回収することによって、国家統治の正当性を再生しようとする。これに対して「急進派の運動論」は、現実の動態の源泉として、世界を普遍化するュートピア的な実践を担おうと企てている。
こうしたイデオロギー的文脈のなかで、「グローバルな公共性」というものは、いかなる理路によって形成されるのであろうか。以下ではその道筋について、多角的に検討してみたい。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
中項目の要約 次の世界、社会
次の世界
分化
スタッフ・市民:スタッフの分化でお客様と接し、市民の分化
コミュニティ:店舗コミュニティのポータルで情報共有
会社・社会:企業の分化で組織分化の意味を示し、行政の分化
関係づけ:それぞれの分化の関係付けで、社会全体の分化
意識
意識の成り立ち:次の世界の意識のために歴史哲学を明確にする
自己意識:変革要因から、トリガーで意図して変える
公共意識:意見を述べ、情報共有し、公共意識で新しい行政
日本人の意識:日本人は企業の分化で、生かす道を探る
未来
存在と無:投げ込まれた存在として、存在の力で変えていく
ジャンルの未来:LL=GGの究極のつながりで歴史の変節点に挑む
LとGの階層:LLとL、LとG、GとGGの関係と分化を示す
LL=GGの未来:知識と意識の地域インフラから環境社会を実現
サファイア循環
事務局:サファイア事務局で公共意識とパートナーを育成
新しい民主主義:市民主体の存在の力で新しい民主主義を作る
歴史の中の循環:歴史の中から、日本の役割で地域の物語を構成
革命のシナリオ:サファイア革命と体制を維持するシナリオを作る
歴史を哲学する
個人の役割:歴史における個人が存在の力を発揮して、変革
周縁の状況:国民国家で個人に武器を与え、周縁から変える
歴史が変わる:環境社会に対し、分化し、 歴史は加速し、変わる
2050年の到達点:2050年に人類は試され、新しい一歩を踏み出す
サファイア革命
国のあるべき姿:国は産業支援し、地域は再構築し、超国家に進む
地域で支える:地域はコミュニティ主体で、多様な要望に応える
ソーシャル社会:社会の様相は、シェア、高度サービスをネット化
複雑性が支配:変革の仕方は、複雑性の論理で展開する
全てを知りたい
知るということ:放り込まれた存在として、知ることは存在そのもの
まとめるモデル:未唯空間のジャンルに集約し、事実を付与させる
未唯宇宙の活用:未唯宇宙で個人の分化を表し、全てをつなぐ
分かったのか:知ったことは問われれば応え、山を下りる
生まれて、死ぬ
存在の力:存在と無から、真理を求めて、存在の力に至った
考えること:大いなる意思に基づき、考えることができた
知ったこと:内なる世界、サファイア、位相化、存在が分かった
死ぬ時の思い:与えられた時間を自分だけに使うことができた
社会
社会の観察
社会との接点:社会をコンビニ、ケータイを接点で考える
社会の動き:マスコミ、行政から政治、経済を見ていく
社会情報の入手:社会情報を本と会社から入手し、先を見る
地域を捉える:地域から見て、行動することで地域を捉える
社会の問題
内から見ていく:社会を見るために、ボランティアから始めた
行政の分析:行政を分析するために、市民案を提出してみた
社会構造の把握:地域を核に、社会をトポロジーで解析する
世界の課題世界の課題には超国家的な対応が必要
地域との関係
ハメンリンナ:ハメンリンナで環境問題に対応する4つの方策
地域での活動:地域での活動と環境学習設備設立に参画した
行政を超える:行政の存在理由をグループで果たし、超える
GmLとLmG:GmLでローカルがなくなり、LmGで再興する
サファイア社会
分配論理は限界:環境社会は分配の限界から循環にしていく
地域の独立:地域に権限を委譲し、思いを集め、分化を図る
コミュニティ:地域コミュニティでポータルで情報共有する
静脈系循環:地域の知恵で、活性化し、静脈系を再構成する
国に依存しない
クライシス:壊される世界を想定して、分散自律型に変えていく
地域から構築:情報共有で地域を活かし、情報共有で循環させる
技術で救うこと:技術展開のインフラに時間とコストが掛かる
意識から変える:ゲーム化をコミュニティ化した、コンパクト社会
地域活性化
活性化の武器:ソーシャルで、コミュニティに意識と知識を集約
市民主体:公共意識でコラボすることで、市民主体になる
社会問題に対応:環境・エネルギー問題を地域の知恵で対応
シェアする社会:情報共有で状況把握し、新しいシェアが可能
意識と知識
サファイア機能:コミュニティにサファイア機能を配置する
生活者意識:消費者から生活者意識のライフスタイルを支援
市民エネルギー:市民がつながる合意形成で、専門家とコラボ
ネットの役割:ソーシャルネットで企業とのコミュニティ構築
内なる社会
日本人を変える:組織に依存しない市民で、シェア社会を実現する
変化のきざし:公共図書館、ソーシャル情報共有が先行している
新しい社会:地域での社会保障などで新しい快適生活を実現
新しい民主主義:コミュニティでの意思決定の集合の民主主義
分化
スタッフ・市民:スタッフの分化でお客様と接し、市民の分化
コミュニティ:店舗コミュニティのポータルで情報共有
会社・社会:企業の分化で組織分化の意味を示し、行政の分化
関係づけ:それぞれの分化の関係付けで、社会全体の分化
意識
意識の成り立ち:次の世界の意識のために歴史哲学を明確にする
自己意識:変革要因から、トリガーで意図して変える
公共意識:意見を述べ、情報共有し、公共意識で新しい行政
日本人の意識:日本人は企業の分化で、生かす道を探る
未来
存在と無:投げ込まれた存在として、存在の力で変えていく
ジャンルの未来:LL=GGの究極のつながりで歴史の変節点に挑む
LとGの階層:LLとL、LとG、GとGGの関係と分化を示す
LL=GGの未来:知識と意識の地域インフラから環境社会を実現
サファイア循環
事務局:サファイア事務局で公共意識とパートナーを育成
新しい民主主義:市民主体の存在の力で新しい民主主義を作る
歴史の中の循環:歴史の中から、日本の役割で地域の物語を構成
革命のシナリオ:サファイア革命と体制を維持するシナリオを作る
歴史を哲学する
個人の役割:歴史における個人が存在の力を発揮して、変革
周縁の状況:国民国家で個人に武器を与え、周縁から変える
歴史が変わる:環境社会に対し、分化し、 歴史は加速し、変わる
2050年の到達点:2050年に人類は試され、新しい一歩を踏み出す
サファイア革命
国のあるべき姿:国は産業支援し、地域は再構築し、超国家に進む
地域で支える:地域はコミュニティ主体で、多様な要望に応える
ソーシャル社会:社会の様相は、シェア、高度サービスをネット化
複雑性が支配:変革の仕方は、複雑性の論理で展開する
全てを知りたい
知るということ:放り込まれた存在として、知ることは存在そのもの
まとめるモデル:未唯空間のジャンルに集約し、事実を付与させる
未唯宇宙の活用:未唯宇宙で個人の分化を表し、全てをつなぐ
分かったのか:知ったことは問われれば応え、山を下りる
生まれて、死ぬ
存在の力:存在と無から、真理を求めて、存在の力に至った
考えること:大いなる意思に基づき、考えることができた
知ったこと:内なる世界、サファイア、位相化、存在が分かった
死ぬ時の思い:与えられた時間を自分だけに使うことができた
社会
社会の観察
社会との接点:社会をコンビニ、ケータイを接点で考える
社会の動き:マスコミ、行政から政治、経済を見ていく
社会情報の入手:社会情報を本と会社から入手し、先を見る
地域を捉える:地域から見て、行動することで地域を捉える
社会の問題
内から見ていく:社会を見るために、ボランティアから始めた
行政の分析:行政を分析するために、市民案を提出してみた
社会構造の把握:地域を核に、社会をトポロジーで解析する
世界の課題世界の課題には超国家的な対応が必要
地域との関係
ハメンリンナ:ハメンリンナで環境問題に対応する4つの方策
地域での活動:地域での活動と環境学習設備設立に参画した
行政を超える:行政の存在理由をグループで果たし、超える
GmLとLmG:GmLでローカルがなくなり、LmGで再興する
サファイア社会
分配論理は限界:環境社会は分配の限界から循環にしていく
地域の独立:地域に権限を委譲し、思いを集め、分化を図る
コミュニティ:地域コミュニティでポータルで情報共有する
静脈系循環:地域の知恵で、活性化し、静脈系を再構成する
国に依存しない
クライシス:壊される世界を想定して、分散自律型に変えていく
地域から構築:情報共有で地域を活かし、情報共有で循環させる
技術で救うこと:技術展開のインフラに時間とコストが掛かる
意識から変える:ゲーム化をコミュニティ化した、コンパクト社会
地域活性化
活性化の武器:ソーシャルで、コミュニティに意識と知識を集約
市民主体:公共意識でコラボすることで、市民主体になる
社会問題に対応:環境・エネルギー問題を地域の知恵で対応
シェアする社会:情報共有で状況把握し、新しいシェアが可能
意識と知識
サファイア機能:コミュニティにサファイア機能を配置する
生活者意識:消費者から生活者意識のライフスタイルを支援
市民エネルギー:市民がつながる合意形成で、専門家とコラボ
ネットの役割:ソーシャルネットで企業とのコミュニティ構築
内なる社会
日本人を変える:組織に依存しない市民で、シェア社会を実現する
変化のきざし:公共図書館、ソーシャル情報共有が先行している
新しい社会:地域での社会保障などで新しい快適生活を実現
新しい民主主義:コミュニティでの意思決定の集合の民主主義
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ | 次ページ » |