未唯への手紙
未唯への手紙
最期までにやりたいことができる病気
『どんな病気でも後悔しない死に方』より がん
さて、がんの場合に心がけるべき、最も大切なことをお伝えします。
それは、「悪くなった時は、経過は早い」ということです。一方で利点もあります。これも他の病気と異なった利点。それは、「やりたいことは、亡くなるまでの間に本来できる病気」ということです。がんは、それでも、他の病気よりは比較的若い段階でなります。例えば心臓や脳、肺の病気の終末期は現在非常に超高年齢化しています。さらに認知症などの末期では自らの状況を正しく理解し、残された時間に何かを積極的に為してゆくということは難しいものです。
世の中には「がんで死にたい」という方がいます。一つは、この何年から何力月という患う期間に「やりたいこと、やるべきこと」ができるという利点からです。
例えば、突然死は本人には苦しくないかもしれませんが、周囲にとってはつらいものでしょう。だからがん死はそんな一日で死に至ってしまう「突然の死」と比較して、自分ばかりではなく他人にも優しい、とそういうわけです。ある種「短すぎず長すぎない」死までの時間に、自らや家族のことを考えて生活することも可能です。自らの死を考える時間も、与えられるといえば与えられます。
また他の利点として、多くの場合、「自らの意思をやろうと思えば反映できること」「物理的には、多くの場合、自ら決断が可能であること」「緩和ケアの主対象疾患でありQOLに配慮してもらいやすいホスピス・緩和ケア病棟に入れること」などを挙げられる方が多いです。
私個人としては、認知症で寝たきりとなり、あまり満足なケアを受けていない方に比べると、がんは幸せなのではないかとも感じます。一方で問題は、その「悪くなると早い」という病気の性格があまり知られていないために、タイミングを様々な点で逃しているということです。ここからそのことを考えましょう。
ゆえに治療を受けながら、後悔が残らないように、やるべきこと、やりたいことを積極的に行っていかねばなりません。もちろんことはそう簡単ではありません。治療には副作用もありますし、定期的な通院もありますから、身体がだるかったり食欲がなかったり、動く気力がなかったりなどしてあっという間に次の通院日が来てしまって、あまりやるべきことや、やりたいことをできないということも少なくありません。
しかし、その時間が大切な時間なのです。なぜならば抗がん剤も以前よりは随分と副作用も少なくなりましたし、その対処法も整ってきましたから、「状態が急速な低下を示している段階」まで、抗がん剤治療が行われていることがしばしばあるわけです。
がんの場合の間違いは、状態が急速な低下を来たしてから、やるぺきことややりたいことを片付けようとしたり、あるいは最期をどこで過ごすのかを決めたりすることです。しかしそのような状態になると、身体が思うようになりません。状態悪化を来たす前に、全ての準備をしておかねばなりません。
準備とは、もちろん「やるべきことをやること」「やりたいことをやること」になります。いつ急速な状態悪化が来ても良いようにです。
5年生存率はあくまで目安にしか過ぎません。それよりずっと長く生きる方もいれば、そうではない方もいます。だからこそ、いつそれが来ても良いように準備しなければなりません。これは「焦ってください」ということを言っていません。かと言って、大丈夫大丈夫と安うけあいもしていません。答えはその合間です。長期生存を成し遂げた方の傾向を見ると、「準備をしていたらいつの間にか病気のことを忘れた」というのが最良なのではないかと感じています。
さて、自分のやりたいことの準備ばかりではなく、最期の医療に向けた準備をしなければいけません。
どういうことかと言いますと、がんの治療を行ってくれる大きな病院は、しばしば治療ができなくなると、他の病院に皆さんを紹介することになります。大きな病院は治療をする患者さんがたくさん来ますから、なかなか終末期の方を診続ける余裕がないからということが主因とされています。とはいえ、これも病院や科、あるいは主治医の先生ごとに考え方が異なるようです。ですので、事前に「いざ終末期ということになったらどうしたら良いのか?」を聞いておかなければなりません。
私は、この時に、終末期の当座(何カ月か)を過ごす場所と、終末期の最後(短い週単位から日にちの単位)を過ごす場所はどこか、そしてまた入院するとしたらどういう時かを事前に明らかにしておくことが重要と考えます。
私の場合は可能な限り、三者体制を敷くことが多いです。もともと自院にかかっている患者さんには、在宅医と訪問看護師の導入をお勧めし、最後の入院場所の選択肢を増やすためにホスピス・緩和ケア病棟の予約をしてもらいます。
まず、なぜ在宅医と訪問看護師を導入するか。それは家で生活できる時間を延長するためです。在宅医や訪問看護師は家まで来てくれますし、きちんと終末期の診療・看護をしてくれる施設は24時間体制で対応してくれます。いやむしろ、がんの患者さんは極力そういう施設を選ばないといけません。また終末期医療に通じ、できれば緩和ケアの知識・経験が多いところのほうが良いことは言うまでもありません。
体力が落ちると病院の外来に通うのも難しくなります。在宅医も緩和ケアの知識・技術を持っているところも少しずつではありますが増えてはいますから、そちらで薬物調整をしてもらうことも可能です。在宅医も処方Iを出せますし、薬局も訪問して薬剤を届けてくれます。つまり家から一歩も出ずに、医療・看護を受けることができ(もちろん介護もですが)、さらに薬剤まで届けてくれるのです。そして入院診療よりも、もちろん医療費ははるかに安いのです。
とりわけ在宅医や訪問看護師の関わる時間が数カ月程度となることが多いがんの終末期では、無尽蔵に医療費がかかるわけではありませんから、ぜひとも利用してほしいところです。
さて、がんの場合に心がけるべき、最も大切なことをお伝えします。
それは、「悪くなった時は、経過は早い」ということです。一方で利点もあります。これも他の病気と異なった利点。それは、「やりたいことは、亡くなるまでの間に本来できる病気」ということです。がんは、それでも、他の病気よりは比較的若い段階でなります。例えば心臓や脳、肺の病気の終末期は現在非常に超高年齢化しています。さらに認知症などの末期では自らの状況を正しく理解し、残された時間に何かを積極的に為してゆくということは難しいものです。
世の中には「がんで死にたい」という方がいます。一つは、この何年から何力月という患う期間に「やりたいこと、やるべきこと」ができるという利点からです。
例えば、突然死は本人には苦しくないかもしれませんが、周囲にとってはつらいものでしょう。だからがん死はそんな一日で死に至ってしまう「突然の死」と比較して、自分ばかりではなく他人にも優しい、とそういうわけです。ある種「短すぎず長すぎない」死までの時間に、自らや家族のことを考えて生活することも可能です。自らの死を考える時間も、与えられるといえば与えられます。
また他の利点として、多くの場合、「自らの意思をやろうと思えば反映できること」「物理的には、多くの場合、自ら決断が可能であること」「緩和ケアの主対象疾患でありQOLに配慮してもらいやすいホスピス・緩和ケア病棟に入れること」などを挙げられる方が多いです。
私個人としては、認知症で寝たきりとなり、あまり満足なケアを受けていない方に比べると、がんは幸せなのではないかとも感じます。一方で問題は、その「悪くなると早い」という病気の性格があまり知られていないために、タイミングを様々な点で逃しているということです。ここからそのことを考えましょう。
ゆえに治療を受けながら、後悔が残らないように、やるべきこと、やりたいことを積極的に行っていかねばなりません。もちろんことはそう簡単ではありません。治療には副作用もありますし、定期的な通院もありますから、身体がだるかったり食欲がなかったり、動く気力がなかったりなどしてあっという間に次の通院日が来てしまって、あまりやるべきことや、やりたいことをできないということも少なくありません。
しかし、その時間が大切な時間なのです。なぜならば抗がん剤も以前よりは随分と副作用も少なくなりましたし、その対処法も整ってきましたから、「状態が急速な低下を示している段階」まで、抗がん剤治療が行われていることがしばしばあるわけです。
がんの場合の間違いは、状態が急速な低下を来たしてから、やるぺきことややりたいことを片付けようとしたり、あるいは最期をどこで過ごすのかを決めたりすることです。しかしそのような状態になると、身体が思うようになりません。状態悪化を来たす前に、全ての準備をしておかねばなりません。
準備とは、もちろん「やるべきことをやること」「やりたいことをやること」になります。いつ急速な状態悪化が来ても良いようにです。
5年生存率はあくまで目安にしか過ぎません。それよりずっと長く生きる方もいれば、そうではない方もいます。だからこそ、いつそれが来ても良いように準備しなければなりません。これは「焦ってください」ということを言っていません。かと言って、大丈夫大丈夫と安うけあいもしていません。答えはその合間です。長期生存を成し遂げた方の傾向を見ると、「準備をしていたらいつの間にか病気のことを忘れた」というのが最良なのではないかと感じています。
さて、自分のやりたいことの準備ばかりではなく、最期の医療に向けた準備をしなければいけません。
どういうことかと言いますと、がんの治療を行ってくれる大きな病院は、しばしば治療ができなくなると、他の病院に皆さんを紹介することになります。大きな病院は治療をする患者さんがたくさん来ますから、なかなか終末期の方を診続ける余裕がないからということが主因とされています。とはいえ、これも病院や科、あるいは主治医の先生ごとに考え方が異なるようです。ですので、事前に「いざ終末期ということになったらどうしたら良いのか?」を聞いておかなければなりません。
私は、この時に、終末期の当座(何カ月か)を過ごす場所と、終末期の最後(短い週単位から日にちの単位)を過ごす場所はどこか、そしてまた入院するとしたらどういう時かを事前に明らかにしておくことが重要と考えます。
私の場合は可能な限り、三者体制を敷くことが多いです。もともと自院にかかっている患者さんには、在宅医と訪問看護師の導入をお勧めし、最後の入院場所の選択肢を増やすためにホスピス・緩和ケア病棟の予約をしてもらいます。
まず、なぜ在宅医と訪問看護師を導入するか。それは家で生活できる時間を延長するためです。在宅医や訪問看護師は家まで来てくれますし、きちんと終末期の診療・看護をしてくれる施設は24時間体制で対応してくれます。いやむしろ、がんの患者さんは極力そういう施設を選ばないといけません。また終末期医療に通じ、できれば緩和ケアの知識・経験が多いところのほうが良いことは言うまでもありません。
体力が落ちると病院の外来に通うのも難しくなります。在宅医も緩和ケアの知識・技術を持っているところも少しずつではありますが増えてはいますから、そちらで薬物調整をしてもらうことも可能です。在宅医も処方Iを出せますし、薬局も訪問して薬剤を届けてくれます。つまり家から一歩も出ずに、医療・看護を受けることができ(もちろん介護もですが)、さらに薬剤まで届けてくれるのです。そして入院診療よりも、もちろん医療費ははるかに安いのです。
とりわけ在宅医や訪問看護師の関わる時間が数カ月程度となることが多いがんの終末期では、無尽蔵に医療費がかかるわけではありませんから、ぜひとも利用してほしいところです。
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