未唯への手紙
未唯への手紙
社会の位相化は始まっている
未唯へ
今日はIさんが居ないので、スタバには寄りません。コンビニでスタバのフラペチーノを買いました。
社会の位相化は始まっている
社会の位相化はもう、始まっている。それはインターネットから始まった。それはフェーズとしてはゲームの世界かもしれない。それをコミュニティ化することで、次の段階に移ります。そこに、メーカーという企業を巻き込む。それによって、行政も引きずられる。
目的はインターネットと同様に、市民が決めていく。世界の様相を変えていく。電気がないアフリカと言えども、ケータイで自分たちの置かれた位置を知って、市場をコントロールする世界。そういった、色々な様相が見えている。それを社会の位相化というカタチで力に変えていく。偶々ではなく、一つの必然として。
今度の周縁は過疎エリアです。お互いが直接のコミュニケーションが難しかったところ、意思決定できなかったところが中心になってきます。そこでは、位相が非常に重要です。ローカルでの動きが活性化できます。
位相化の特徴はインターネットと同じです。ローカルがそれに変えた方が楽だというところで、変わっていく。それをキャッチアップして、グローバルが変わっていく。
グローバルの部分は、キャリアなどが商売になるので、色々な人が入り込んでくる。それで個別的に変わってくる。ネットの方もコストが高い、光ファイバーからモバイル型に変わっていく。デバイスも変わると同時に、それを集約するためのデータベースが出てきている。
要するに、振り向けば、できる直前の世界になっている。そこで一押しするだけです。
ここまで来たら、当たり前の流れです。それに気づいていないだけです。ベースがベースなだけに成功体験が邪魔しています。太平洋戦争も、日本にとってみたら、成功体験なのでしょう。
なぜ、インターネットができてきたのか。単に軍事だけではないでしょう。物理的な制約、国民国家の制約、企業だけがグローバル化することにの弊害がインターネットを作った。そして、インターネットの上に、個人の自由と権限を持ってきた。その意味では、次の時代のイメージを作ってはいるけど。
それが商売のためにゲーム化して、今は女子化している。これを過程と見るとしても、その先をどう見ていくのか、その先を見せていかないといけない。このまま、ゲーム化だけで終わったら、生まれてきた理由は何も分からない。
だから、やはり、生きる理由です。存在の力です。それを正面から見ていかないといけない。
様相が変わる
その一押しは、コンパクトな社会として、シェアする世界として、様相を変えていきます。モノを買うことの資本主義から、共有する世界に変わっていきます。
大きく概念が変わるのは、環境社会という意識を持った時です。それは危機感からきています。このまま、無限の世界を続けるわけにはいかないので、自分の世界はなるべくコンパクトにする欲求がカタチになる。消費者ではなく、生活者として、主体的になっていく。その時に、個人がバラバラでは力にならない。
コミュニティでもって、一つのカタチにしていく。それを確認して、個人を取り込むと同時に、行政などに発信していく。一つの単位として扱う。つまり、集合が点になり、点が集合になるという、数学モデルになっていく。これらはもう、始まっているというか、そろそろ完成の域に近づいています。
今日はIさんが居ないので、スタバには寄りません。コンビニでスタバのフラペチーノを買いました。
社会の位相化は始まっている
社会の位相化はもう、始まっている。それはインターネットから始まった。それはフェーズとしてはゲームの世界かもしれない。それをコミュニティ化することで、次の段階に移ります。そこに、メーカーという企業を巻き込む。それによって、行政も引きずられる。
目的はインターネットと同様に、市民が決めていく。世界の様相を変えていく。電気がないアフリカと言えども、ケータイで自分たちの置かれた位置を知って、市場をコントロールする世界。そういった、色々な様相が見えている。それを社会の位相化というカタチで力に変えていく。偶々ではなく、一つの必然として。
今度の周縁は過疎エリアです。お互いが直接のコミュニケーションが難しかったところ、意思決定できなかったところが中心になってきます。そこでは、位相が非常に重要です。ローカルでの動きが活性化できます。
位相化の特徴はインターネットと同じです。ローカルがそれに変えた方が楽だというところで、変わっていく。それをキャッチアップして、グローバルが変わっていく。
グローバルの部分は、キャリアなどが商売になるので、色々な人が入り込んでくる。それで個別的に変わってくる。ネットの方もコストが高い、光ファイバーからモバイル型に変わっていく。デバイスも変わると同時に、それを集約するためのデータベースが出てきている。
要するに、振り向けば、できる直前の世界になっている。そこで一押しするだけです。
ここまで来たら、当たり前の流れです。それに気づいていないだけです。ベースがベースなだけに成功体験が邪魔しています。太平洋戦争も、日本にとってみたら、成功体験なのでしょう。
なぜ、インターネットができてきたのか。単に軍事だけではないでしょう。物理的な制約、国民国家の制約、企業だけがグローバル化することにの弊害がインターネットを作った。そして、インターネットの上に、個人の自由と権限を持ってきた。その意味では、次の時代のイメージを作ってはいるけど。
それが商売のためにゲーム化して、今は女子化している。これを過程と見るとしても、その先をどう見ていくのか、その先を見せていかないといけない。このまま、ゲーム化だけで終わったら、生まれてきた理由は何も分からない。
だから、やはり、生きる理由です。存在の力です。それを正面から見ていかないといけない。
様相が変わる
その一押しは、コンパクトな社会として、シェアする世界として、様相を変えていきます。モノを買うことの資本主義から、共有する世界に変わっていきます。
大きく概念が変わるのは、環境社会という意識を持った時です。それは危機感からきています。このまま、無限の世界を続けるわけにはいかないので、自分の世界はなるべくコンパクトにする欲求がカタチになる。消費者ではなく、生活者として、主体的になっていく。その時に、個人がバラバラでは力にならない。
コミュニティでもって、一つのカタチにしていく。それを確認して、個人を取り込むと同時に、行政などに発信していく。一つの単位として扱う。つまり、集合が点になり、点が集合になるという、数学モデルになっていく。これらはもう、始まっているというか、そろそろ完成の域に近づいています。
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