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今年、DNAとしてOCRした416冊 2/5

209.71『第一次世界大戦』

209.74『ホロコースト・スタディーズ』

209『世界史史料』

209『国家と国民の歴史』

209『世界の歴史』

209『137億年の物語』

210.0『日本の個性』

210.3『古代の社会と人物』

210.6『大日本帝国の興亡』

210.77『平成史』

210.7『平成史』

221.07『北朝鮮現代史』

222.07『覇王と革命』

222.9『チベットの歴史と宗教』

223『マンダラ国家から国民国家へ』

227.9『第三次中東戦争全史』

227『アラブの春は終わらない』

230.7『失われた二〇世紀』

232『ローマ世界の歴史』

232『古代ローマとの対話』

233.05『イギリスの歴史』

233『イギリスの不思議と謎』

233『驚きの英国史』

234.0『ドイツ史と戦争』

234.9『ワルシャワ蜂起1944』

234『100のトピックで知るドイツ歴史図鑑』

235.06『フランス革命の志士たち』

235.06『フランス革命はなぜおこったか』

235.9『オランダの歴史』

237『フィレンツェ史』

238.07『情報戦のロシア革命』

238.07『ソ連史』

239.5『物語 近現代ギリシャの歴史』

242.03『古代エジプト文明』

253.0『アメリカ』

253『アメリカ史研究入門』

280.7『超自分史のすすめ』

289.2『アッバース大王』

289.3『ファインマンさんの流儀』

289.3『ニールス・ボーアの時代』

289.3『ムッソリーニ』

290.1『地域社会とは何か』

290.8『中央アジア』

290.93『中欧』

292.21『胡同の記憶』

293,5『ルクセンブルグ』

293.09『東ヨーロッパ鉄道一万キロの旅』

293.48『中欧 世界遺産と歴史の旅』

293.4『ドイツの田舎』

293.7『イタリア 世界遺産と歴史の旅』


301『公共哲学からの応答』

302.22『変わる中国を読む50のキーワード』

302.22『モンゴルを知るための65章』

302.22『現代中国を知るための40章』

302.22『ほんとうの中国の話をしよう』

302.27『トルコを知るための53章』

302.27『「アラブの春」の正体』

302.27『イスラエルを知るための60章』

302.2『アラブ革命への視角』

302.2『イスラムを生きる人びと』

302.2『カンボジアを知るための62章』

302.2『ロシア極東』

302.36『アンダルシアを知るための53章』

302.38『デンマーク流「幸せの国」のつくりかた』

302.3『現代ロシアを知るための60章』

302.3『なぜ、フランスは一目置かれるのか』

302.42『現代エジプトを知るための60章』

302.45『ケニアを知るための55章』

302.45『ウガンダを知るための53章』

302.48『ボツワナを知るための52章』

302.4『エジプト 岐路に立つ大国』

302.4『ルポ資源大陸アフリカ』

302.53『かつての超大国アメリカ』

304『ふしぎな社会 おかしな行政』

304『2050年の世界』

304『失われた30年』

304『公智と実学』

304『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』

304『盛衰』

304『未来恐怖』

304『知の逆転』

304『なぜ大企業が突然つぶれるのか』

304『日本の現場』

304『《非常事態》を生きる』

304『日本の危機』

304『2033年地図で読む未来世界』

307『ベッカー先生の論文教室』

309.0『社会を変えるには』

311.0『「統治」を創造する』

311.1『政治哲学入門』

311.1『現代政治理論』

311.1『政治哲学』

311.7『アクセス デモクラシー』

311『現代政治学』

311『ヒューマニティーズ 政治学』

311『起源』

311『政治学講義』

311『政治』121003

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今年、DNAとしてOCRした416冊 1/5

002.7『「調べる論」しつっこさで壁を破った20人』

002.7『勉強上手』

002『学ぶとはどういうことか』

007.35『ビッグデータの衝撃』

007.3『アップル、アマゾン、グーグルの競争戦略』

007.3『ウェブはグループで進化する』

007.3『インターネット・デモクラシー』

007.3『デザインするテクノロジー』

007.3『IT時代の震災と核被害』

007.3『つながり進化論』

010.1『二十一世紀の図書館におけるプライヴァシーと情報と自由』

010.21『TOKYO図書館紀行』

010.23『ドイツ図書館入門』

010.2『図書・図書館史』

010.4『図書館の基本を求めて』

010.4『図書館を読む』

010.5『ず・ぼん』

010.8『図書館情報技術論』

010『図書館概論』

014『情報の特性と利用』

015『高齢社会につなぐ図書館の役割』

016.23『読書を支えるスウェーデンの公共図書館』

016.25『ボストン市立図書館とJ.ウィンザーの世界』

019.9『街場の読書論』

019.9『現代史のリテラシー』

019.9『野蛮人の図書室』

019.9『分厚い本と熱い本』

019『それでも、読書をやめない理由』

020.2『本の透視図』

023『書物の環境論』

024『アマゾン契約と電子書籍の課題』

033.51『2020年中国自動車販売4,000万台』

044『自由の条件とは何か』

069.63『大英博物館』

070.14『戦後日本のメディアと市民意識』

070.16『報道記者のための取材基礎ハンドブック』

070.17『日清・日露戦争と写真報道』

100『14歳からの哲学』

104『考える日々Ⅲ』

104『死とは何か』

104『私とは何か』

104『応用哲学を学ぶ人のために』

104『世の中の見方が変わる哲学』

104『残酷人生論』

104『超訳「哲学用語」事典』

104『100の思考実験』

104『不安時代を生きる哲学』

111『「実在」の形而上学』

111『アリストテレス はじめての形而上学』

124.22『老子』

125.4『入門 朱子学と陽明学』

130.2『物語 哲学の歴史』

130.2『哲学講義』

130.2『西洋哲学史Ⅲ』

130.2『西洋哲学史Ⅳ』

130.2『西洋哲学史』

1304『哲学オデュッセイ』

131.5『生の短さについて』

131『ギリシア思想入門』

133.4『自由論』

133『哲学塾授業』

133『世界を変えた哲学者たち』

134.2『純粋理性批判1』解説

134.2『純粋理性批判2』解説

134.2『純粋理性批判3』解説

134.2『純粋理性批判7』

134.2『純粋理性批判7』解説

134.4『はじめてのヘーゲル「精神現象学』

134.94『知識ゼロからのニーチェ入門』

134.94『超訳 ニーチェの言葉Ⅱ』

134.94『ニーテェの手紙』

134.95『フッサール「現象学の理念』

134.9『現代ドイツ思想講座』

135.34『孤独な散歩者の夢想』

141.5『ファスト&スロー』

141.5『悩まない!技術』

141.5『アイデア・ハンター』

143『よくわかる臨床発達心理学』

146.1『精神分析と自閉症』

159.4『非エリートの思考法』

159.4『働く女性が知っておくべきこと』

159.7『僕は君たちに武器を配りたい』

159.8『歴史のおしえ』

159『あなたと宇宙とあなたの使命』

159『The Tools』

159『踊らされるな、自ら踊れ』

167.8『イランのシーア派イスラーム学教科書Ⅱ』

182.8『ブッダを知る事典』

188.84『禅の言葉に学ぶ ていねいな暮らしと美しい人生』

188.84『絶望しそうになったら道元をよめ!』

188.8『道元禅師全集』

192.3『宗教改革小史』

201.1『歴史哲学講義』

201.1『歴史哲学講義』

201『世界史的考察』

204.54『まるまるサファリの本』

204『世界歴史』

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2012のOCR416冊

未唯へ

 いよいよ、最終日ですね。

 明日は、年賀状のために休みます。

 会社を辞めたときのシミュレーションを行います。

SFDC

 サファイアにSFDCを入れ込みます。それで循環させます。まあ、なるべく、言葉はそのまま使いましょう。

 2015年からのサファイア革命の準備です。色々な武装化を提案させていきます。

要件の変更

 基幹系の連携はSの意見は毎回違います。私が提案するなら、そんなものは他ります。動いているのなら、そのまま使えばいいです。一緒に野垂れ死にすればいい。

 今後のメッセージ系はすべて、こちらにします。これはSFDCを通じて、TMとかeとつなげます。個別のアプリを介在させない。基幹系も情報系も関係ないカタチにします。

 何がメッセージになるかわからない世界です。前回のポータル以降にも、震災とか、SNSが起こってきた。お客様ポータルもやってきた。それぞれがバラバラに進んでいる。

退社後のシミュレーション

 休み中は歩きとチェックと本です。未唯空間よりも未唯宇宙です。本は戦略的に使います。

 それを自分の中でどういうカタチにしていくのか。その関連で、今年電子化した本の整理を行った。

OCR2012 416冊の一部

 NDC=0 総記 36冊
  007.35『ビッグデータの衝撃』120715.
  007.3イ『インターネット・デモクラシー』120417.
  019.9マル『分厚い本と熱い本』121208.

 NDC=1 哲学 55冊
  104イケ『私とは何か』120528.
  134.2カン7『純粋理性批判7』解説1200203.
  134.95タケ『フッサール「現象学の理念』120415.
  141.5カネ『ファスト&スロー』121216.
  188.8ト『道元禅師全集』120430.

 NDC=2 歴史
  201.1ヘゲ『歴史哲学講義』120616.
  209ロイ『137億年の物語』121018.
  234.9デイ『ワルシャワ蜂起1944』121126.
  239.5ムラ『物語 近現代ギリシャの歴史』120319.
  293.09サク『東ヨーロッパ鉄道一万キロの旅』120829.

 NDC=3 社会科学 183冊
  302.27シゲ『「アラブの春」の正体』121111.
  304ダイ『知の逆転』121224.
  312.1『日本はなぜ開戦に踏み切ったか』120715.
  312.27サカ『中東政治学』121028.
  321.1イノ『世界正義論』121208.
  331.72ワタ『ハイエクの大予言』120625.
  333.6イワ『グローバル・エコノミー』120513.
  335.1ソ『ソーシャルシフト』121201.
  361.4『現代コミュニティ心理学』120715.
  366グラ『ワーク・シフト』121130.
  367.7タカ『超高齢社会』120709.
  372.38フク『フィンランドはもう「学力」の先に行っている』121028.
  391.2フ『文明と戦争』120925.

 NDC=4 自然科学 30冊
  401フ『複雑系から創造的偶然へ』120305.
  443.9フジ『137億光年の宇宙論』120212.
  451.85ハン『地球温暖化との闘い』121224.
  493.12エベ『糖質制限完全ガイド』121124.

 NDC=5 技術 23冊
  501.6ヒロ『原発ゼロ社会へ!新エネルギー論』121201.
  539.09クマ『なぜメルケルは「転向」したのか』120223.
  539.09ジヨ『原発とメディア』121014.
  543.1カト『スマートグリッド「プランB」』120602.

 NDC=6 産業 21冊
  675バノ『エンパワード』121224.
  675ボツ『シェア』121202.
  675リ『グランズウェル』121224.
  694シ『スマート化する社会』120109

 NDC=7 芸術 3冊

 NDC=8 言語 2冊

 NDC=9 文学 5冊
  983グロ2『人生と運命』120312

 NDC=C クルマ 3冊
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取りあえず、気分を変える

辞めることは止める

 昨日は辞めると騒いでいたけど、やはり、すべてを知りたい、そのための時間をもらうことにしていた。できるかどうか分からないけど、時間が与えられるなら、それを使います。だから、パートナーのためでなく、自分のための生きます。

未唯空間の環境

 未唯空間の9.環境はまだまだ、中途半端です。同じことを書いていますこれをまずはキッチリさせましょう。社会の変化をハッキリさせます。未唯空間8.販売店で2015年までやることを決めて、10.次の世界で2015年から2030年、そして2050年までのシナリオの埋めていきます。まあ、なるようになります。もっと、自分を自由にさせます。

先を見て、全体を見る役割

 ルサンチマンのことの存在はありません。彼らに分かるはずがない。全体と先だけを見ていきます。全体をつなげるのは私です。考えるのは私で、やるのはそれぞれのところでやればいい。研究開発部署の時と同じように、宇宙人として動きます。8,9,10で空間を張りましょう。

 そのために、本が重要です。社会の変化だけでなく、多くの提案があります。こうなればいいと、願うだけで十分です。

自分のミッションに従う

 だから、異動以前に戻します。もともと、納得してないことです。自分の仕事は自分のミッションから自分で決めていきます。考えてない人に考えさせるのは私の仕事ではない。考える人しか相手にできません。完全にフリーです。

 何しろ、組織に縛られずに、誰にでも言っていきます。怖いものはない。先のこと、全体のことを考えるのは私だけです。聞かれたら、存在を掛けて、応えます。それで十分です。年間高々、500万円です。

顔つきはよくない

 周りの連中の顔つきはよくない。この最近のパートナーはかなり、悪くなっています。

 私の仕事は私が決めます。Sの報告することが仕事ではない。考えていない人の存在は見えていません。本当の関係者に、先の姿と全体の姿を説明していきます。

 その中で、Sの役割を考えてさせます。それでこの会社をどうにか、生き残させることができる可能性が出てきます。

気分を変える

 昨日のブログで、先の話をまとめたから、なんとなく、自分の方向が見えてきました。とりあえず、お昼に、ザッハトルテを5つ、帰りに4つ、そこから気分を変えます。どこかで、パフェを食べたいけど、適当な店が見当たりません。

 そう願っていれば、そうなっていくのが、私の信条だったはずです。考えて、願う。今までもそれで変えてきた。次期ネットにしても、最初やらないと言っていた。同じようなものです。
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ハイデガーは、「人間」をこう規定した

『数学的推論が世界を変える』より

ウィノグラードとフローレスが、「人工知能が人間そっくりになることは不可能」という点について、の哲学を使ってどう論証しているか。それを理解するために、まずハイデガーの哲学に関する筆者の理解を要約しておく。

ハイデガーは、人間の存在を、他の動物や物の存在とは区別して〈現存在〉という名称で呼んでいる。物はもちろんのこと、人間以外の動物は与えられた環境の域を超えることができず、狭い現在を生きることしかできない。それに対して人間は、現に与えられた環境を他の「可能」な環境と重ね合わせ、相対化し、現在の中にズレを生じさせて、過去や未来といった次元を開くことができる。そうハイデガーは論じる。そして、そのようにして生物学的環境から〈世界〉へ〈超越〉することができる、という人間固有のあり方を〈世界―内-存在〉と呼んだ。

他の存在は、〈現存在〉である人間が〈了解〉することによって存在するが、そのような他の存在物をいっせいに存在せしめる当の人間がどうして存在するか、というと、「気づくと、そこにそうして存在し、すべてのものを存在物として見ている」と言うしかない、ハイデガーはそういうふうに人間の存在を規定する。

とりわけ、ハイデガーの論のポイントは、「存在」を「言語」と重ね合わせているところだ。彼はそれを、「言葉こそ存在の住居である」と表現し、次のように説明している。「言葉が存在の住居であるからこそ、われわれは絶えずこの住居を通りぬけることによって存在者にゆきつく。泉にゆくとき、森を通ってゆくとき、われわれはいつだってすでに〈泉〉という語、〈森〉という語を通りぬけているのである、たとえこれらの語を口に出したり、言葉のことを考えたりしなくとも」(木田元『ハイデガーの思想』)。

さて、ウィノグラードとフローレスは、このようなハイデガーの〈世界―内-存在〉を、次のように要約する。

ハイデガーは単純な客観的スタンス(客観的物理世界が第一義的な実在である)と単純な主観的スタンス(私の思考と感情が第一義的な実在である)のどちらも否定し、代わりに、一方は他方なしには存在できないとしている。解釈されるものと解釈者は独立に存在しているのではなく、存在が解釈であり、解釈が存在なのである。先入観は主体が誤って世界を解釈してしまう状態ではなく、解釈の(したがって存在の)背景をもつための必要条件である。

これは、ハイデガーの〈存在被投〉と呼ばれる考え方である。ハイデガーは、人間は「世界に投げ込まれた」存在であり、「内省的」にではなく、意識せずに行動する「臨在的なもの」であるとする。ウィノグラードとフローレスは、このようなハイデガーの「実在論」を足場にして、人工知能が人間そっくりになることの不可能性を論証していく。
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AKB総選挙と宗教

『前田敦子はキリストを超えた』より

「誰かのために」生きること。しかしAKBの宗教としてのステージはそこにとどまらない。総選挙があるからだ。そして総選挙を通じて、あっちゃんはアンチからの攻撃に耐え、ある種の自己犠牲をAKBのために果たした。その姿はあたかもキリストのごとき「超越者」であった。「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」。AKBというものがもし宗教であるとすれば、それはこのあっちゃんという超越的特異点がそれを完成させたといってもよい。たとえあっちゃんを推しメンにしていないとしても、あっちゃんのこの自己犠牲あふれる言葉に、私たちはひざまずくしかないからだ。

「推す」よりもさらに強い信仰の力。あっちゃんにはそれがある。それはたとえあっちゃんが卒業し、「夢の河」をわたり、いまはAKBにいないとしても、おそらく今後AKBが続く限り、何度でも繰り返し参照され続ける言葉となるだろう。この世界から、アンチというものがいなくならない限り。

総選挙。それは本当に不思議な、宗教的としかいいようのない空間である。私は二〇一二年、はじめて武道館で総選挙を観覧した。まさに武道館がひとつになった約三時間半だった。

メンバーが登壇すると、会場全体がその名を叫ぶ声で包まれる。筆者も推しメンの島崎遥香が二三位で呼ばれステージに立ったときは、思わず自然に「ぱるる!」と叫び声をあげていた。歓声の大きさだけではない。スピーチの途中に涙で声につまるメンバーがいると、即座に「がんばれ!」と声援が飛び交った。「私は可愛くないですし……」というメンバーがいると、すぐさま「そんなことないよ!」と励ます声がかけられる。

まるでひとつの生き物のように、武道館の空気はシンクロした。高城亜樹や松井玲奈の順位が発表された瞬間、「ありえない」と会場全体が凍りついた。篠田麻里子が「席を譲らないと上にあがれないメンバーは、AKBでは勝てないと思います」と後輩たちに挑戦状を突きつけた瞬間、「おお!」と会場全体がどよめいた。最後に、一位の大島優子がセンターの椅子に座ると、会場は「優子! 優子!」のコールでまさに一体となった。そこでは、日本中の何万人ものAKBファンの投票でこう決まったなら、どんな結果であっても受け入れねばならないという感覚が共有されている。しかも自分がそこに参加したというたしかな手応えがあるから、納得できる。この手応えたるや、すさまじい。

こうした一体感に満ちた描写は、どこかファッショな、「気持ちの悪い」印象を与えてしまうかもしれない。しかし興味深いことに、武道館はたしかに一体感に満ちていたが、観客たちの「推しメン」はみなばらばらなのである。今回の総選挙に参加したメンバーは総勢二三七名。客層を見ても、いかにも「アイドルオタク」という風貌の人は完全に少数派であり、老若男女に子連れにカップルと実に多彩であった。メンバーもファンも多様でありながら、AKBの総選挙は圧倒的なまでの一体感を生み出すのである。

だから私は、いまはまだ〈世界宗教〉という観点から見れば大変に規模の小さなAKBの総選挙も、今後も続いていけば、世界を一つにする可能性があると信じている。劇場公演を見て、握手会に足を運び、総選挙で投票する。こうしたメンとヲタの間の「関係の絶対性」のゲームを回し続けることで、あっちゃんのような小さきキリスト的存在をリザレクション(転生)させるシステムとして、AKBはキリスト教を超える可能性がある。

それはいってみれば、一神教への信仰による世界平和とはまったく違う道である。AKBのファンにとって、あくまで信仰/推しの対象は一人一人のメンバーであり、それは異なっている。しかし総選挙の場を通じて、年に一度超越者を、センターを選ぶ。その瞬間、AKBという共同体はまさに一つになる。いうなれば民主的に超越者を決める多神教。それがAKBという〈宗教〉なのである。

こう言い換えてもいい。「推しメン」は偶然性で決まるが、「センター」は必然性で決まる、と。人の趣味は多種多様だ。だからAKBの数多くいる少女たちの中からどれを選び推すのかというのは、それこそ主観的で偶然の問題でしかない。いいかえれば「どうでもいい(どうとでもなる)」問題である。しかしAKBには特異点としてのセンターが必要だ。それはセンターである「べき」存在、つまりAKBの巨大な共同体に認められた存在でなければならない。
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チョムスキー 民主主義の限界について

『知の逆転』より

--ある意味、市場原理を政治に当てはめたのが民主主義ではないかと思うのですが、さまざまな問題が出てきている。ソクラテスは人間の幸福のためには慈悲深い君主による君主制がベストで、次が寡頭政治、そして民主政治、専制政治の順になると、プラトンの『国家』の中で言っているわけですが

チョムスキー それはプラトンの見解です。アリストテレスは同意していません。プラトンは権威主義的でしたから。でも、かなり人口に檜灸している考え方です。

--同意されないということですね。

チョムスキー それはたまたま慈悲深い専制君主に行き当たる場合だってあるでしょう。民主主義はそれ自体に価値がありますが、実際には、なんらかの権利を求める場合、人々はその権利獲得のためにたいへんな努力を払う必要があります。単に与えられた権利の場合、ありがたみがないので、結局十分に使わずじまいになってしまう。獲得のために努力した場合には、それを使うことになるからです。

--一九世紀のイギリスの思想家、アクトン卿は「過激な民主主義というものは、国外では帝国主義的であり、国内では独裁的である。古代アテネの民主主義は、「個人の良心」というものが「多数派の意志」というものに従属させられてしまっていた。これは全く理不尽である」と言ったわけですが、アメリカの過激なトークショー司会者たちや、極端な原理主義者の台頭を目のあたりにすると、この先現在のような民主主義の形態が、そのまま続いていけるのだろうかという疑問を持つわけですが。

チョムスキー いまの話でガンジーの指導書のことを思い出しました。西欧文明についてどう思うかと聞かれて彼は、「おそらくいい考えでしょう」と答えています。「民主主義」についても「おそらくいい考え」だと言えるでしょう。西欧社会における民主主義はこれまでほぼポジティブであったでしょう。アテネの民主主義も、女性と奴隷を別にすれば、自由人というものを基盤とした、おそらく最も純粋な民主主義であったと思います。

問題は民主主義の限界ということです。人類にとって、核の脅威や環境崩壊よりも大きな問題かもしれません。

アメリカは世界中で最も自由な国のはずですが、国内で力の不均衡がある。情報システム、メディア、広告などが、ほんの一部の手に集中しているのです。アメリカは自由ですが、情報へのアクセスという点では、局在している。

巨大な力を持つアメリカの企業は、地球温暖化というのは根拠のない仮説にすぎないと、やっきになって大衆の説得を試みていて、しかも成功しつつある。人為的な理由による地球温暖化を信じているのは、人口の三分の一にすぎないわけですから。

先の(二○一〇年の)中間選挙を見てください。当選した共和党議員の大部分が、地球温暖化を否定しています。主要委員会の若い共和党リーダーは、「そんなことが起こるわけがない。神が許すわけがないから」と言ったのです。

自由国家では、国内の支配がごくわずかの巨大なパワープレーヤーに集中してしまいがちになる。しかもアメリカでは三分の一が聖書に書いてあることを文字どおり信じている。この二つが一緒になると、たいへん危険なことになります。

組織というものに対する民衆の態度を見てみるといい。政府、共和党、民主党、銀行など、人々はそれらを嫌悪しているか、猪疑心をもって見ています。共和党は民主党より嫌われているくらい。議会に対する支持率は一桁台です。民衆はこれらの組織を信用していないし、組織が彼らの意見を反映しているとも、彼らのために働いているとも思っていません。形式上は民主主義であり、人々は選挙に行くわけですが、実質上は違っています。
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「次の世界」の整理 5/5

生まれて、死ぬ

 10.8章は自分に対する総括です。意思がある、私の存在として、総括します。今までの自分のキータームを持ってきました。それを集めると、一つのものになります。

 疎外感ではないけど、この世界がどうなっているかわからない。自分という意識に対して、だれも応えてくれない。だから、自分で考えるしかない。

 そこで出てきた、色々な答え、キャッチフレーズが自分なりにピッタリはまっています。

 だけど、サラリーマンであることは間違っているかもしれない。生きていくためには正しいけど。生きていく必要もないけど。まあ、社会との接点にはなってくれた。社会というものがあるかどうかは分かりません。

 本当は哲学と数学で留めておきたかった。だけど、未唯空間ができてしまった以上は、どうしようもないです。突き進むしかない。でも、外なる世界はあまりにも邪魔者が多すぎる。行動を起こすのは面倒くさい。だから、内なる世界で留めておくつもりだった。

 この先、どうなるかわからない。誰も認めてないけど、外へ押し出すのも一つの手です。最低でも、反応は分かります。すべてを知ることの一つです。ただ、すぐ、内へ戻ってくるでしょう。まあ、それもいいです。

 なぜ、社会を変えるとか、歴史を変えると言っているのか。それは自己肯定しながら、死ぬためです。自分に還るためです。私のわがままです。付き合ってもらう人がいないから、まあ、いいでしょう。まあ、いいでしょう。

 池田晶子さんの「宇宙の旅人」に出会うまでは色々な束縛のもとにいた。池田さんはソクラテスをベースに、自分の中の束縛、特に父親との関係を解いていった。哲学者として、社会的にも認められて、「14歳の君へ」という本も書きました。それは、多感な中学生に対して、束縛から脱して、自分の世界を作るようにしたメッセージです。

 偶々、ここにいるということは存在を軽くします。やりたいことをやって、出ていけばいいんです。やらなくてもいいんです。そこから、内なる世界を作りました。

 社会に対抗するために、というよりも、仕事の中でサファイア循環を見つけて、未唯空間を作りました。その数学モデルの究極の形として、LL=GGを作りました。これをどうするかです。まあ、これをどうするかです。これをベースにすべてを知ることにします。

 最後は考えることでおしまいにします。空間で考えることを与えてくれた数学があり、全てを知ることは偶然に頼ることを教えてくれた偶然があった。

 全てを知ることで、先のことが見えてくる。それを言うことも、言わないことも自由であること。個人の分化から始めて、歴史を変えることまでのシナリオができた。まあ、この辺でいいでしょう。

 明日から、カウントダウンしていきます。第9章・第8章・…です。
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「次の世界」の整理 4/5

歴史を変える

 唐突に、2050年に終わるというのが、歴史の到達点です。今まで、137億年来たのに、なぜ、急激に終わるのか? これは歴史のコード化という、相対性からです。

 人が増えれば、それの総和、または相乗で時間の密度が高まります。今までの一億年、一万年がこれからの一年に当たります。これは仮説だけど、実感です。その割には、変化を無視しています。従来通りの一年・二年として扱っています。

 だから、2050年に歴史の区切りをつけます。そのために、変えるためのインフラを2030年までに作らないといけない。

 ここまで来ると、皆からは荒唐無稽に見えるでしょう。だけど、私が1950年に生まれてきたのはそういう意味です。私以外、どんな愛する人に対しても意識は感じません。。これが真実なんです。皆は幻想を描いています。

 2050年以降どうなるのか。それが次の一歩であり、ビックバーン仮説です。もう少し、イメージを膨らませないといけません。終わりになるのではなく、LL=GGになった時に、どう変わっていくかです。ならなかった時には破滅のシナリオです。

 では、歴史を変えるとは何か。LL=GGに持っていくことです。つまり、個人と全体がつながることです。個人が変われば、全体が変わる。全体が変われば、個人が変わる。それをカタチにすることです。

 個人にとって、生まれてきたことの意味にとっても、それが歴史の究極です。

 歴史を変える原動力は危機感です。その後ろにあるのが、さまざまなクライシスです。個人の意識が変わり、行動が変わり、コミュニティに集約することです。

 これらは自然に起こることです。起こらなければ、意図して変えるしかない。意図して変えるということは、個人と組織の意思を変えることです。そのベースは格差の社会です。

 大きな歴史を個人が変えられるかを過去のケースを見てみた。宗教家のムハンマド、キリスト、法然、彼らは歴史を変えています。カリスマというものは、革命家、宗教家は個人がやっているように見えるけど、グループであり、偶然であり、時代の流れです。

 偶然がカタチをとると、悲惨です。ナチスはヒットラーも含めて、ああいうカタチになると思っていなかったでしょう。だけど、事実は事実です。

 カリスマをカリスマで抑える。それも偶然です。結果としては全体主義を民主主義というもので、世の中を変えてしまった、ルーズベルト。彼は原爆をこのように出現させた。歴史のもとには個人がいるけど、裏には流れがあり、それを偶然が支配している。

 では、歴史を変えるモノは何か。それは数学です。数学はトポロジーということで、ローカル中心を社会に先行して作り上げてしまった。これを見習って、歴史を変えていく。そうなるとトポロジーの先がどうなるかで予測ができます。LL=GGの世界に入ります。

 これは自然の流れというよりも理念的な流れです。頭で考えています。皆は歴史は成り行きだと思っているけど、裏には道理が走ります。数学という、すべてのベースが変わっていきます。

 ソーシャルなどはなぜ作ったのか、パソコンをアラン・ケイはなぜ、構想したのか。その先の世界を夢見て、先人は作ってきた。先人の思いをまっとうに受け継いでいけば、社会が変わり、歴史が変わります。つまり、先人の武器を使って、世の中の考え方を変え、歴史を変えることができます。それが戻ることはたぶん、ないでしょう。
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次の世界」の整理 3/5

社会を変える

 社会を変える。最初は哲学のアプローチです。人間の歴史の中で、色々な考えがあり、その考えで作られてきたことを理解しないといけない。それがないと、今あることが当たり前になってしまう。変えることが常態であることを知る。

 特に、民主主義で我々の幸福をどう見ていくのか。社会の常識は支配階級の常識の押し付けです。

 大きいのは、存在をどう見ていくのか、生きている理由をどう見ていくのか。それがないと、人のことは構っていられないという世界です。取りあえず、従属しながら、生きていくという道しか、本当にないのか。

 といっても、支配する方にも論理がある。偶々、そこに生まれたからでは、矛盾になります。

 意識を変えるところの目的は、社会は変わるものだという自信に基づいて、見ていくことです。新しい民主主義といっても、そんな難しいものではない。新しい「われわれ」を作り出すことです。その前提は公共意識です。

 社会を変える目的は日本人を変えることです。これは逆説的です。日本人が変われば、社会は変わるけど、社会が変わらないと、日本人は変わらない、

 今の日本で考えると、枠から作っていくしかない。外部からの力も必要になってきます。何しろ、独立を自力で得た経験がない国だから。社会を変えるという難しいことを考えるよりも、日本人を変えるほうを考えた方がいい。

 資産を持ちながら、大きな錯覚の上に安穏としています、危機感は環境社会で圧迫されます。変わらないと、国債とか年金も含めて、つぶれます。この会社もそうです。組織を変えないと崩壊は避けられない。組織を分化させれば、マーケティング付いてきます。日本を先導する役割を持っているはずです。

 だから、枠組みから変えていけばいいです。日本は内から変わることはできない。外からの期待に対して、変えていく。

 その前に、日本人のよさから考えていくも必要です。モノつくりから世界のために何ができるかを考えていく。何しろ、世界から見ると一人ぼっちでやってきた。そうはいかない。世界を変えていく、役割を持っています。そこから、日本を変える意識を持っていくことです。

 すぐに思考停止に入ります。今も集団的浅慮です。それでどうにかなるというのが、日本人です、これは太平洋戦争開戦時の状況です。どうにもならないことになります。個人とか組織レベルでお金を貯めていることではすまない。どう使っていくかです。

 そのために、格差が広がってもいいけど、要するに問題を解決することです。

全てを知りたい

 第10章は本当に不思議な構成になっています。「社会を変える」のあとは、個人的に「すべてを知りたい」になっています。私の中ではしっくり来ます。他から見ると、次は「世界をかえる」だろう。

 全てを知りたいという思いは強いのは確かです。そのために生きているつもりです。生まれてきた理由そのものです。その結果として、社会が変わるか、世界が変わるかというのはたいしたことではない。全てを知ることです。

 全てというのは難しいです。全てなんて、あるはずがない。だから、偶然を使っていきます。偶然も意味合い一つです。今度の異動に関しても、どうでも取れます。自分のいいように取るのか、悪いように取るのかは自由です。

 意味を取ったら、それに従います。それが「意思」の力です。数学を得たことも偶然の賜物です。貧しい家庭で、数学に行けて、四方さんに会えるとは、どんな偶然なのか。そこで得たものを大企業に入って、大企業という、何でもやっていいところへ来て、実験できたこと、皆、偶然です。偶然が意味あるものとしたときに、どう意味を返すかです。

 全てを知りたいことから、作り上げたものは未唯宇宙です。この意味をハッキリさせましょう。未唯空間に世の中で起こっていることを全て、くっつけます。単にそれだけでなく、それを宇宙として見ていきます。当然、LL=GGも含まれます。

 だから、今どうなっているかということと、偶然で得たことを体系の中に入れていくことが何なのか。その体系が未唯宇宙です。まあ、無限次元を使っているから、いくらでも広がります。そこからいかにコンパクトに答えを出していくかです。

 我々の多重宇宙もそのようにして作られてきたのでしょう。そこに住んでいる私というもの、その他のものが何なのか。それを意識せずに、私を攻撃する人はどうでもいいです。自分が世界を作れば、それが私が知りたい理由でしょう。

 その結果として、知ることができたのか? まあ、無知の知は十分、わかりました。知ってどうするかというのは、単なる生まれてきた理由の意味です。

 知ったことから、体系はできたけど、それを表に出すことはない。聞かれたら応えるだけです。その意味は聞く人でないと、考えていない。考えていない人に説明しても無意味です。これは禅問答と同じです。考えている人が聞くから意味があるのです。だから、全存在を掛けて応えます。

 全てを知った後はどうするのか? ニーテェのように、次の頂きを目指します。そして、そこから、次の頂きが見えたら、山を下ります。紛れます。
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