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オープンソースによる自前主義と「共働」の実現

『自治体ICTネットワーキング』より 自治体ICTネットワーキングの時代

自前で道具を開発するために重要となるのがオープンソースソフトウエア(プログラムを人間が解読可能な形で、無償で公開しているソフトウェア)である。自治体が早い段階からオープンソースを大規模に活用した事例として、長崎県と岐阜県を紹介している。両県は開発したシステムのソースコードを公開し、システムの開発機会を地域のベンダーに開放する「パブリックソフトウェア」を2003年に導入した。長崎県では、オープンソースの利用により生じた不具合については、県が全面的にリスクを負担することにしている。より概念的なレペルで、オープンソースの持つ「共働性」(ソフトウェア開発方式)に着目するならば、「コモンソース」の呼び方が適切ではないかと提起している。さらにオープンソースの「開放性」について、ソースコードの開放と、開発の成果としてのプログラムそれ自体の開放の2つの側面があると指摘した。そのうえで、広義のオープンソースソフトウェアは開発の共働性(コモンソース性)と成果物の開放性(フリー・ソフトウェア性)の2つの特徴を含んでいるとした。IPAの調査によれば、オープンソースソフトウェアの採用について、「業務分類やシステム階層分類などに応じて採用していくべき」との回答が84.9%にのぼっている。「積極的に採用していくべき」も10.1%を占め、ほぼすべての団体でオープンソースソフトウェアの重要性を認識していることがうかがえる。

以前の段階の技術ではオープンソースソフトウェアといえども、導入する自治体が自身で整備したサーバやパソコンなどに直接搭載する形でしか実現しなかった。「丸ごと」開発に比べれば小規模で自治体にとって取り組みやすいとはいえ、投資額はそれなりに大きく、また、システムダウンなどのリスクを自分で抱え込むことになる。その結果、技術レベルに自信があり、かつそれなりの人的対応ができる自治体しか本格採用に踏み切れなかった。この基本的状況は変わっていないが、クラウド時代の到来によって、自治体が開発したソフトウェアや設計したデータベースを管理の行き届いた事業者のインフラの上に置きながら、ソフトウェア開発に注力できるという意味で、敷居が低くなったと言えよう。
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商品資本主義から知能資本主義へ

『2100年の科学ライフ』より 遠い未来 二〇七〇年から二一○○年まで

これまでの議論では、テクノロジーが資本主義の営みをどう変えつつあるかだけを問うてきた。しかし、ハイテクの進歩が引き起こしたさまざまな混乱は、資本主義そのものの性格にどんな影響を与えているのだろうか? 現在の変革がもたらしている種々の混乱は、ひとつの概念にまとめられる。それは、商品資本主義から知能資本主義への移行だ。

アダム・スミスの時代、富は商品(コモディティ)で計られた。商品価格は変動するものの、平均して見れば、ここ一五〇年間着実に下がりつづけている。現代のあなたは、一〇〇年前のイギリスの王には口にできなかった朝食を食べている。世界じゅうの珍味が、今ではふつうにスーパーで売られている。商品価格が下がったのは、量産技術の向上、コンテナの使用、輸送手段の進歩、通信技術の開発、それに競争など、さまざまな要因による。

商品資本主義に取って代わりつつあるのが、知能資本主義である。知能資本には、まさにロボットやAIがまだ実現できていない、パターン認識と常識的判断が含まれる。

MITの経済学者レスター・サローはこう言っている。「今日、競争の武器になるのは、知識と技能だけである。シリコンバレーとルートー28沿いに最先端企業が集まるのは、そこに頭脳があるからだ。それ以外のものは、何もな]」

この歴史的移行がどうして資本主義の土台を揺るがすのだろう。至極単純なことだが、人間の脳は大量生産できない。ハードウェアは大量生産してトン単位で売ることができるのに、人間の脳ではそれができない。となると、常識が未来の通貨になるだろう。商品の場合と違い、知能資本を生み出すには、人間を育成し教育しなければならず、これには個人の数十年にわたる努力が要る。

サローは語る。「競争上の優位を決める条件は次々と脱落していき、長期的な競争優位を確保する源は知識だけになった」

じっさい、ソフトウェアが今後ますますハードウェアより重要になっていくだろう。コンピュータチップは価格が下がりつづけており、いずれトラックー台分いくらで売られるようになる。一方で、ソフトウェアは昔ながらのやり方で構想を練らなければならず、人間がじっと座ったまま鉛筆と紙を使って作業する必要がある。ノートパソコンに保存されたファイルには、貴重なプランや原稿やデータがあって、何十万ドルもの価値があるかもしれないが、ノートパソコンそのものには数百ドルの価値しかない。もちろんソフトウェアは簡単にコピーして大量生産することができるが、新たなソフトウェアの開発はそうはいかない。それには人間の思考が必要なのだ。

アメリカ経済に占める製造業のシェアがここ数十年で急激に低下した一方、知能資本にかかわる分野(ハリウッド映画、音楽、ビデオゲーム、コンピュータ、通信など)のシェアは急上昇した。この商品資本主義から知能資本主義への移行は、前世紀から始まった緩やかなものだが、移行のペースは徐々に速まっている。

一部の国はそれがわかっている。戦後の日本の事例を考えてみるといい。日本は目立った天然資源をもたないが、それでも経済力は世界有数である。今日の日本の豊かさは国民の勤勉さと団結のあかしであって、足もとに富が埋まっていたからではない。

残念ながら、多くの国はこの基本的な事実を理解していない。そして国民に未来への備えをさせず、もっぱら一次産品に頼っている。つまり、天然資源が豊富でこの事実を理解していない国家は、将来貧困に陥る可能性があるのである。
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内なる世界ですべての体系ができる

ポータルの可能性

 皆に本を読んでほしいということとポータルとはつながっています。ポータルはうまくいかなくても、私の思考が有効です。一年間で内なる世界を作り上げます。

グローバル・コミュニティ

 ヨーロッパのコミュニティはグローバル・コミュニティです。国の多様性をコミュニティで行っています。地域の中に、国そのものの場合もあります。

 地方をどう作っているのか。金を使える、行政のICTです。何しろ、組織と個人の間に、コミュニティを作って、そこを活性化して、色々なものを貯め込んで、それをつながていく。店舗もコミュセンも同様です。

本を書くのは生まれてきた理由を説明するため

 本を読んで思うのは、なぜ、現実的なところから問題提起するのか。例えば、商品を売るには、コミュニケーションすることで、あなたは儲かります。という言い方です。本来、生まれてきた理由から思考しないと、シンクロできないでしょう。

 「日常思考のおける10の落とし穴」にしても同じです。元々、その裏にあるのは何かです。個人の問題です。

 すべて、組織に依存して、その中で自分がどう動くかに限っています。組織が変わったら、おしまいです。社会が変わったら、おしまいです。それらを変える方向にもっていかないと。それ以前に、自分のために考えるのではなく、皆のために考えることです。

内なる世界ですべての体系ができる

 内なる世界で、すべての体系ができている、思いができている。そこで解決したものを表に出すかどうかです。表に出すときは、すべての体系があるから、行動に移すだけです。行動も自分ではなく、全体の体系から誰にやってもらうかをハッキリさせます。

 ふつうは外なる世界で作ろうとするから、これやったら、どうなるか、考えることと行動が一致しているので、短絡的になってしまう。

 この典型はNPOです。NPOは課題が思いついたら、それを片付けようとします。他のものに目を向けないし、その課題の本質なところが抜けてしまう。

 内なる世界と外なる世界のいいところは、内なる世界ですべてできているし、納得している。そのまま、なくなっても、それで十分です。

 竜馬は「夜明けが見たかった」と言ったといわれるけど、自分の中でできていたので、ろくでもない世界は見たくなかったのでしょう。

アナロジーの世界

 すべての事象を対象にする、内なる世界はアナロジーが効く世界です。歴史と数学と社会と仕事、すべてアナロジーで作っています。アナロジーがいいのは、理念が統一されるからです。抜けている部分が分かるし、その対応策が分かります。

模倣されにくい強み

 模倣されにくい強みがある資源には三つの特徴がある。

 一つは偶然で生まれたもの。意図して作ったわけでないので、真似しにくい.

 二つ目は複雑な要素を組み合わせたもの。

 三つ目はその会社の文化や価値観に沿ったもの。
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