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LL=GGとサファイア循環

LL=GG

 まだ、LL=GGを考えています。方向としては、LLからGGに移行させることです。

 個人の思いという、ワーと広がったものを企画にどう持っていくかです。その方向にどう持っていけるか、それがイコールなるのか。これは民主主義の究極な姿です。色々な民主主義制度があるけど。

 バラバラな個人が集まって、一つになることはない。いかに個人を鍛えて、そこにつなげていくかがポイントです。反対方向については、あくまでもサファイアのルートを通ります。絵で見ても分かるように、企画から、徐々に広がっていきます。

シェアにするための要素

 シェアの4つの要素を摘出します。なぜ、その一つ一つができないのか。そして、それができないと、シェアができない。そして、日本は廃っていく。

 日本の場合は共用に対する考え方ができていません。一人ずつの世界で、バラバラに動いているだけです。そこからやっていかないといけない。そのもとは何か。原因の原因を突き止めていく。それが未唯空間のアプローチです。

 出発点をハッキリさせて、それを戻すということです。それが必ず、循環させることになる。何しろ、LL=GGです。

サファイアとLL=GG

 サファイア空間も一度、LL=GGで書きましょう。

 スタッフが変わると同時に、シェアの世界ができる。その関係性をめがけて、どちらを先にしたらいいのかも含めて、サファイアの中で答えを出していく。

イライラが始まっている

 人間を見ているとイラつきます。なぜ、生まれてきた理由を考えないのか。考えたら、そんな行動はできないだろう。

Liferayのソーシャル・プラットフォーム

 コラボレーションとソーシャルを概念を表に出せるオープンがオープンソースの狙いです。Liferayポータルは多分、エサです。

 集合知という観点からすると、発現することです。見ていることではない。それをまとめる骨格を作るのが、コラボレーションとソーシャルでしょう。

 個人対組織ではダメです。必ず、その間にコミュニティが必要です。コミュニティでの知識と意識を保証するプラットフォームとして、考えましょう。
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図書館はシェアそのもの

『シェア』より シェアヘの抵抗感をなくす

活用型PSSのもうひとつのカテゴリーは、値段が高い、なかなか手に入らない、あるいは社会的ステータスといった、よくある参入障壁を取り除くものだ。もっとも古くからあるPSSのひとつ、公立図書館を例にとってみよう。一八五四年に設立されたマサチューセッツ州のボストン市立図書館は、アメリカで初めての大規模な無料の、地方自治体が運営する図書館で、本を家に持ち帰って読むことが許された。しかし、このシステムは当時まだめずらしく、一般市民が幅広い分野の知識や文学に触れることはできなかった。アメリカ中のだれもが利用できるように、図書館を一般市民に開放したのは、スコットランド系アメリカ人のビジネスマンで慈善活動に熱心だったアンドリュー・カーネギーだった。

カーネギーは、教育と情報が人生における成功のカギだという強い信念をもっていた。これこそが、彼がペンシルヴァニア州のアルゲニーにある地元の電報会社で働くなかで学んだ教訓だった。カーネギーは電報会社の創業者、ジェームズーアンダー‘ソン大佐個人の蔵書から本を借りたものだった。大佐は、社員が本を読むことができるように、毎週土曜の午後になると四〇〇冊の蔵書がある個人図書館を開放した。これは、社員にとって、よそではけっして得られない特権だった。大佐自身が司書になり、ひとりに一冊ずつ貸し出して、翌週になるとまた別の本と交換した。

移民でありながら必死に働き大金持ちになったカーネギーは、自身の経験から、「知識と能力によって成功できる社会」を強く信じていた。この信念が、彼を世界的な図書館設立運動に駆り立て、カーネギーは「図書館の守護聖人」とまで呼ばれるようになる。そして、一八〇〇年代の後半にアメリカで一六八九を超える図書館を設立した。その多くは市民の集いの場となり、メイン州からカリフォルニア州まで、数多くの小さなコミュニティに娯楽と教育の機会を与えた。カーネギー図書館の建築はスハニッシュ・コロニアル様式からバロック様式までさまざまたが、共通の特徴があった--壮麗な入り口には、堂々とした階段があり、これが人々を迎え入れ、学びによる向上を象徴的に表していた。一八九五年に設立されたピッツバーグのカーネギー図書館の入り口には、カーネギー自身の「すべての人に無料で開放する」という言葉が石に刻まれている。内部の書架は開放され、そしてすべての図書館の外側には、知識の光がさし込む様子を象徴する、玄関灯かランタンが灯された。

アンドリュー・カーネギーの図書館建設の逸話と、ルイーズのルイ・ヴィトンの新作バッグのストーリーには、コラボ消費のコンセプトに欠かせない共通の要素がある。それはどちらもアクセス、つまり、所有することなしに、モノを手に入れることだ。ルイーズは、バッグ・ボロー・オア・スティールをとおして、手の届かないバッグを--またそれがもつステータスを--手に入れた。カーネギーは、人々がよりよい人生を送ることができるよう、図書館をとおして知識とコミュニティを手に入れられるようにした。

太陽光パネルのような「環境製品」は、ブランドもののバッグと同じ問題を抱えている。値段が高いので、たいていの人には手が届かない。もし、「クリーンな太陽光発電と、環境を破壊するエネルギーと、同じ値段だったらどちらを選びますか」と聞かれれば、ほとんどの人が間違いなく「クリーンなエネルギー」と答えるだろう。しかし、そのあとに必ず「だけど高すぎて……」とか、「だけど取りつけとかメンテが面倒だから……」といった言葉がつづくことになる。ソーラーシティのCEO、リンドンこフイヴは、こう言う。「みんなエコに暮らしたいのはヤマヤマだけど、目玉が飛び出るほど高いものにはだれも手を出さないよ。筋金入りの環境オタクだってそれは同じさ」ふつうの家に太陽光発電システムを取りつけるのに二万ドルから四万ドルかかることを考えれば、人々がそっぽを向くのも無理はない。それに、だれもソーフーパネルそのものが欲しいわけではない。クリーンな電力が使えて、電気代が節約できればそれでいいのだ。シチズンレーやソーラーシティといったPSSは、顧客の自宅にソーラーパネルを取りつけ、管理し、メンテナンスを引き受けることで、この需要を開拓し、会社が機器を所有することで、顧客は修理や壊れた時の取り換えなどで悩んだりお金を使ったりしなくて済む仕組みになっ七いる。これらの企業は、州や地元自治体からの環境奨励金やリベートの手続きを顧客に代わって行うことで、「面倒くさい」という不満を解消しようとしている。
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シェアの進化 歴史的なターニングポイント

『シェア』より

作家のトーマス・フリードマンは、「歴史的なことの最中にいる時には、その重大さに気づかないものだ」と言う。私たちがこの本を書いたのは、今私たちは、消費のシステムをめぐる前向きで歴史的な変革の時代にいると信じるからだ。今この時期が、消費のための消費から脱け出し、この風潮が終わると経済がどうなるかという恐れから脱け出したターニングポイントだったと思われるようになることを、私たちは望んでいる。だがこの変革はまだ始まったばかりで、このムーヴメントが「何か」ということは、簡単に把握できない。革命だろうか? 一時的な現象か? 新しいニューエコノミーか? コラボ消費が今後どのように進化してゆくかを見るのが楽しみだ。これからどんな予想もつかないものがシェアできるようになるのだろう? 「交換業界のグーグル」になるのはどの企業か? 社会通貨版のアメリカン・エキスプレスになるのは、どの会社だろう?

一〇年余りの間に私たちは、金融の世界が、従来の銀行からソーシャルレンディング市場へ、さらに新しいVENのようなピアーツー・ピアのヴァーチャル通貨へと進化するのを見てきた。食の世界では、食品生協の利用者が急増し、CSA(地域が支える農業)のプログラムが三倍になり、今ではシェアードアースやランドシェアをとおして自分の庭をシェアする人々もいる。カーシェアのような特定のサービスを見ても、協調の方法が急速に進化していることがわかる。ジップカーやストリートカーなどの企業は、個人の所有物ではないカーシェアのシステムを組織する、信頼できる仲介者として成長している。過去三年間で、ライドシェア(ヌーライド、ジムライド、リフトシェアの企業数とユーザー数は確実に増えている。今では、リレーライズのような、オーナーが自動車を使わない時に直接利用者に貸し出せるようなピアーツー・ピアのカーレンタルも現れた。ピア・ツー・ピアのコラボレーションの方法は、驚くべき勢いで進化していて、日々新しいシェアのモデルやビジネスチャンスが生まれている。

コラボ消費のこれまでの進化や、この現象が生まれている社会経済環境を見ると、ある種の行動やアイデアは、次の一〇年間も重大な影響力をもって続いてゆくと確信できる。人々は、これまでの銀行口座と並行して「評判の口座」を持つようになり、そこでの評判はさまざまな種類のコラボ消費への貢献度を測るものさしになるだろう。人々が自分の余剰キャパシティ(自動車、エネルギー、スペース、モノ、食品、スキルなど)を「売る」ことができるP2Pのマーケットプレイスは、第二の収入源と見なされるようになるだろう。モノの再分配やスワップは、モノを捨てるのと同じくらい自然な習慣になるだろう。自動車メーカーは、自分たちを自動車や輸送ビジネスではなく、移動手段を提供するサービスとして見直すようになるだろう。所有物や中古品の修理、アップグレード、カスタマイズを提供するサービスが爆発的に増えるだろう。製品やサービスをなんでも現金で買うのではなく、才能やスキル、アイデアやヴァーチャル通貨と交換することがあたりまえになるだろう。手作り品や地産品への志向は、ますます浸透するだろう。エヴリブロックやネイバーグッズなどのご近所ネットワークが拡がり、地域

住民のクラウドソーシングを使って、創造性や社会性のあるプロジェクトが実行されるだろう。携帯やPCのアプリやソフトを使って、どんな種類のモノもサービスもシェアできるような、総合的なエコシステムができるだろう。コラボカルチャーやシェアカルチャーが、コアの「文化」になるだろう。

あとになってこの時代を振り返れば、人間の基本的な欲求--特に、昔の市場原理や協調行動が自然と満たしていた、コミュニティヘの欲求、個人のアイデンティティヘの欲求、承認の欲求、そして意味のある活動への欲求--を満たすようなサステイナブルなシステムを、一足飛びに再構築した時代だったと思うに違いない。まさにそれは、「革命」と呼べるものだ。社会が重大な危機に直面した時に、永遠に満たされない所有欲や浪費欲から脱け出して、みんなにとっていいことを再発見する方向へ地殻変動を起こしはじめたのだ。
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