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OCRした本の位置づけ

生まれてきた理由
 勉強にしても、なぜ、生まれてきた理由からはじめないのか。将来、役に立つからとかでごまかしている。生まれてきた理由の答えを皆と探すために、勉強するのです。
 それを知りたいというのが、人間本来の願望です。なぜ、人生という時間が与えられているのかを考えてみれば分かります。
 歴史が分かれば、今あるものはいい加減で、偶々な物だということがわかります。それが分かれば、変えることができます。真理に向かうことができます。本来の自分の役割を何にするかです。これをミッションという。

禅の言葉
 禅の言葉を見ています。ありきたりです。説得しようとしている。どうも薄っぺらいです。人を誘導させて、利益を得る。そういうところがあります。
 一番の目的は、今の社会を変えることをあきらめさせることです。全てはあなたが悪いのだから、押しとどめようとします。それではダメです。

自分のキャッチフレーズ
 自分の言葉は独特です。一度、集めましょう。個人を活性化して、意見を言わせることです。

スタバのマーケティング
 豊田市駅前のスタバで、ベンティのラテを1時間ぐらい掛けて、飲んでいた。それで7冊の本を片付けた。カップを捨てようとして、メッセージに気づいた、カップに「いつもありがとうございます」とマジックで手書きされていた。
 マニュアルがないスタバ・バリスタのマジックです。来週、名古屋のスタバのバリスタに披露しましょう。

豊田市の交通渋滞
 また、交通渋滞です。こんな狭い道で。車をなくさないない限り、これはダメですね。無駄な時間です。

日本の宗教にないもの
 日本の宗教は「存在と無」には解釈していない。「無」はあるけど、「存在」がない。なぜなのか。多分、中世以降、個人がないのでしょう。

OCR化した本が11冊
 
『シェアハウス』

 トンネル事故で亡くなった5人がシェア仲間だということ。シェアとしての分析に使います。
 「あえて言おう、シェアハウスは、フツーであると」「「所有」しない暮らし方」「他人と住む、もう一つの理由」「友人もシェア?」「つながりを求める私たち」「社会人という孤独」「21世紀型ムラ社会って?」「ムラのルールの作り方」「20世紀型のムラから、21世紀型の「ユルい」ムラヘ」

 位置づけは「10.3.3.1 シェア社会」

『世界正義論』
 「世界秩序形成における超国家的権力集中と脱国家的権力分散の問題」「〈諸国家のムラ〉をめざして」

 位置づけは「10.3.1.4 超国家」

『政治学講義』

 「公共の利益と公民の徳」「公共の利益についての多元主義的理解」「公共の利益を求めて」

 位置づけは「10.4.1.2 公共の概念」

『日本経済の明日を読む2013』

 「欧州債務危機の深刻化」「中国経済の下ブレと政策対応の副作用」「本格的少子高齢化への対応」「国内ビジネスの有望分野・地域の活性化」

 位置づけは「9.8.3.2 EU・地中海」

『主食を抜けば糖尿病は良くなる!』
 
 「糖質制限食で食べて良いもの、悪いもの」「避けるべき食品① でんぷんの多い食材」「避けるべき食品② 砂糖などの甘味」「間食で食べていい食品はナッツとチーズ」など

 位置づけは「7.5.3.4 健康問題」

『宗教改革小史』

 「宗教改革者ルター」

 位置づけは「10.5.1 哲学アプローチ」

『禅の言葉に学ぶ』

 「生きていることは ありがたし」「本当の自分を見つける」

 位置づけは「1.5.4.4 宗教の理念」

『変わる中国を読む50のキーワード』

 「政治改革」「指導者」「権力継承のルール」「温家宝のアピール」など

 位置づけは「4.1.2.4 中国の将来」

『本の透視図』

 「コンピュータと小型の本」「紙の本が消えるまえに」

 位置づけは「6.3.3.1 デジタル図書」

『分厚い本と熱い本』

 「カラマーゾフの兄弟」「『民主主義がアフリカ経済を殺す」「フィデル・カストロ 革命家人生」

 位置づけは「6.3.2.1 一冊の本の価値」
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人権の制度的性格と「強い国家」の必要性

『世界正義論』より

主権と人権とのこの内的結合関係は、近年では、人権の制度的性格という観点からも強調されている。例えば、本書第三章第一節で、国家体制の国際的正統性条件についての「強い最小限人権論」の論客として言及したアレンーブキャナンによれば、人権は人間の尊厳に関わる基本的利益への権利であるだけでなく、かかる基本的利益を確保する制度枠組によって保護される権利であり、その制度枠組を提供する第一次的責任を負うのが国家である。国家はこの責任を果たす限りで、正統性を、したがってまた主権性を国際的に承認される。人権と主権の共起源性の認識は、彼の議論と両立するだけでなく、なぜ人権が要求する制度的保護枠組が国家なのかを示すことにより、この議論により明確な根拠を与えることができる。

ただ、人権保障責任を果たさない国家に対する国際的統制圧力として、ブキャナンは国連と無関係に、EU諸国やカナダ等の「人権レコード優等生」を自任する諸国家の「有志連合」による軍事介入を、権能付与的介入を超えて民主化を強要する介入まで含めて、積極的に拡張しようとしており、この点に関する彼の立場の危険性については前章で批判した。軍事介入について、彼がこのような危険な立場をとる背景には「欧州中心主義」的偏見がある。それは例えば次のような言明に現れている。「実のところ、現在のシステムにおいて最も強力な諸国家は平均以上に良い人権レコードを有していると言えるだろう(中国は顕著な例外で、ロシアも少なくともチェチェン政策においては例外だが)。したがって、現時点においては「中略」国家多数決主義は人権を保護するための最も信頼できるメカニズムではないと論じることができよう。(私個人としては、EU加盟諸国が国際法の性格を決定する権力をもったとしたら、国連総会がその権力をもったとした場合よりも、はるかに気楽。この最後の言明にブキャナンが付した括弧は、かかる臆断と偏見を脹らせた言明をするために彼が克服しなければならなかった躊躇の残滓を表出しているのかもしれない。スタイルだけ真似て私見を述べよう。ただし、括弧なしで。私個人としては、EUが世界秩序を決定する権力をもったとしたら、国連が国家多数決主義の集合的決定システムをもつ世界政府になったとした場合と同じくらい不安だろう。

しかし、ブキャナンのこの言明から欧州中心主義的偏見を除いて、「強い国家が人権保障もよくなしうる」という一般命題だけを抽出するなら、これには真理が含まれている。主権と人権との共起源性は、人権の実効的保障は強い国家権力による支持を必要とすることを含意しているからである。ただし、ここで「強い国家権力」と言うのは、他国を抑圧しうる対外的な強権性ではなく、様々な中間集団の暴力や非公式の社会的専制圧力から諸個人の人権を保護するために、かかる集団を統制できるだけの内的な強権性である。かかる集団を押さえ込めるだけの強い権力をもたない国家は、市民の人権を保障する意図があったとしてもその能力を欠く。人権レコードが不良な途上国については、その原因を、これらの諸国の「道徳的後進性」に帰して済ますのではなく、よく組織された国内的権力構造の未確立が、様々な中間的暴力集団から個人の人権を実効的に保障することを困難にしているという事情を理解すべきである。軍事クー・デタが頻発する途上国においては、その時々の軍事独裁政権は「強権的」に見えるかもしれないが、実は一部の野心家が私兵を率いて企てる暴力行動を押さえ込み、法の支配を貫徹させられるだけの強力な国家権力構造が確立していないのである。したがって、かかる途上国が人権レコードを改善するのを国際社会が支援するためには、その「主権国家建設」のプロジェクトを掘り崩すのではなく、積極的に支援することが必要である。
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シェアハウス

『シェアハウス』より

「所有」しない暮らし方

 また、「THE SHARE」へのインタビューでは、二人でいろいろなものを所有するよりも、人とシェアする方が効率的」(段原さん)、「引っ越すたびに荷物が少なくなる」(並木さん)など、さまざまな備品や設備をシェアして暮らすことで、所有への意識がなくなったという発言もいくつか見られた。このような意見を見ると、多くの若者論で出てくる「所有への意欲がなくなった」という議論が持ち出されるかもしれない。いわゆる「車や家なんて興味がない若者」というアレだ。実際に、私の同期が40代の上司に「車とか興味ないんですよね」と言ったら信じられないという顔をされたと聞いて、逆に私もびっくりしたこともある。私だって、自動車を持とうとは思わない。もちろん、かわいいデザインの車を見て欲しいなと思うこともあるけれど、JRや地下鉄が発達し、車道は都心に近づけば近づくほど渋滞しているこの東京で、車を個人で買うメリットなんてほぽないと思っているのだ。

 しかし、これらの発言はイコール「若者はモノを所有する意欲がまったくない」ということではない。同じ「THE SHARE」内の会話ではこの段原さんの発言の後、奥さんが「私は、所有欲あるなあ……」と続けた。リビングやキッチンなど共用できる設備を、個人で所有する必要がないと気づいたものの、自分の欲しいものについては個人での所有欲はあるということのようだ。『絶望の国の幸福な若者たち』(古市憲寿著、講談社)で古市氏は、若者はお金を使わなくなったのではなく、車などの購入に使わなくなっただけで、衣食住や通信費などの必要なモノにはお金をかけていると指摘している。つまり、シェアハウスに住む私たちは、家に対する価値観が変わっただけなのだ。「一人で所有(占有)する」ことよりも「所有(占有)しなくても、生活が豊かである」ことの方が、家においては重要と判断し、シェアハウスというスタイルを選んだのだ。

「つながり」を求める私たち

 では、話を「日常型」に移そう。インタビューから、人がいることに安心したり、居住者・訪問者を含めた多くの人とのコミュニケーションが刺激になるという、人との関わりを重視するシェアハウス住民の姿が見えてきた。この人との関わりは、シェアハウス住民だけではなく、昨今の若者全体が求めていることではないかと思う。その欲求がもたらした最たる社会現象が「つながり」の広がりだろう。象徴的なものは、ケータイの普及だ。

 携帯電話の普及は2000年頃から本格化し、今では一人が一台以上の携帯電話を持つところまでに至った。さらに2004年には、ソーシャルーネットワーキングーサービス(以後、SNS) mixiがサービス提供を開始。そして、2007年5月には利用者が1000万人を超えるなど劇的な拡大を見せた。近年ではTwitter、Facebookも急速に普及し、2012年にはFacebookが1700万人を超える訪問者数を記録するなど、10~30代を中心にSNSの一般的な普及が見られる。2012年にはチャットや無料電話がより気軽に楽しめるスマートフォンーアプリ「LINE」が爆発的ヒットを飛ばして話題となった。こういった若者層における「つながる」ツールの普及からも、人との関わりに飢える若者の気持ちを垣間見ることができるのではないだろうか。

 さらに、そんな若者の飢えは、こんなデータからも見ることができる。図表9は、博報堂生活総合研究所の「生活定点」からの抜粋だ。実は20代の男女が最も「人と交際する時には、深く付き合いたい方だ」という割合が高く。いかに若者が人との関わりに重点を置いていることがわかるだろう。さらに、この項目の数年間の推移を見ると同項目の回答率は年々高まっており、人との関わりを重視する若者が増え続けていることがわかる。

 また「国民生活選好度調査」(内閣府)を見ると、充実度や生きがいを感じる時に「友人や仲間といる時」と回答した若者も1970年代には58.8%だったのが1998年以降は74%前後となっている。こういった動きを受けて、「ユルい」新たな若者像を描き話題となった『絶望の国の幸福な若者たち』で古市氏は、1990年以降、若者たちのなかで「友人」「仲間」の存在感が増し始めたことを指摘している。若者が人との関わりに飢えていることはわかるものの、携帯電話もSNSツールも発達し、さらに何か不足なんだと疑問に思う人も多いだろう。mixi、Twitter、Facebookなどの流行で、身近な人だけでなく小中学校時代の旧友ともつながり、投稿で近況を知ることができるようになったことに加え、チャット機能が使いやすいLINEも普及し、なにげない気分や報告を気軽に送れるようになった。すでに友達とつながるには充分すぎるほどのインフラが整っているのが、若者の今である。
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