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世界の少子高齢化

『2033年地図で読む未来世界』より

世界の人口はかつてないほど高齢化している。現在の高齢化現象は進行するスピードがあまりに速いため、今後世界のどこでどのような影響を及ぼすか、正確に推測するのが難しくなっている。国連の推計によると、2050年の65歳以上の高齢者の人口は今の3倍になると見込まれている。1950年には1億3100万人であったのが、現在は5億2300万人に増え、2050年にはなんと一気に14億人に膨らむと考えられている。中位数年齢(人口を年齢別に並べた時の真ん中のひとの年齢)で見ると、2010年は29歳、2030年は34歳、そして2050年は38歳になる。

現在の高齢化現象にはいくつかの特徴がある。まず、高齢者を性別に分けると女性のほうが断然多いということだ。伴侶を失った高齢女性は、孤独、貧困、身体・精神の障害といった問題に直面しやすくなるだろう。もう1つの特徴は、都市に比べて田舎に高齢者が多いということだ。とくに発展途上国では、若者の流出、そして高齢になってからの故郷へのUターンという2つの現象の影響で、田舎に高齢者が集まりやすい。このことは政治的・社会的に大きな問題を引き起こしている。

一般的に、高齢化が始まるのは生活レベルが向上した証だと考えられている。医療の進歩、衛生環境の改善のおかげで死亡率が減少し、平均寿命が延びる。女性の社会的地位が向上し、識字率が高くなると、出生率が低下する。

ところが、現在の発展途上国は高齢化が進むスピードが速すぎるのだ。おそらく多くの国で経済成長が高齢化に追いつけなくなるだろう。経済的な準備が整うより先に、多くの高齢者を養う必要に迫られてしまう。とくに家族の絆を大切にする伝統が根強く残る国では、一家の働き手が担う責任は堪えがたいほど重くなる。どんなに一生懸命働いても、老いた両親を支えられる最低生活費さえ稼ぐことができないかもしれないのだ。

いや、発展途上国だけではない。先進国も似たような悩みを抱えている。たとえば欧州では、2050年に13人の労働力人口が10人の高齢者を支えなくてはならなくなる。国の予算の多くが高齢者の年金や医療保険に充てられれば、いったい若者たちはどう感じるだろう。激しい反発が起こることが懸念されている。

日本とドイツ 人口減少で冬の時代へ ドイツと日本の今後の人口推移はよく似ていると考えられている。ドイツの人口は2010年時点で8200万人。最近の調査では2033年に7700万人になると推測されているが、これは20年間で6.1%の低下に相当する。一方、日本の人口は現在1億2700万人だが、2033年までに1500万人減少、つまり11.8%低下すると見込まれている。

この人口減少には、いわゆる「人口推移の冬の時代」に特徴的な2つの現象が伴う。1つ目は少子化だ。すでに2010年には、合計特殊出生率(女性1人が一生に産む子の平均数)はドイツで1.4、日本では126に低下している。そして2つ目が高齢化である。高齢者は若いひとより死亡率が高いため、75歳以上の高齢者が増えると普通死亡率(人口1000人あたりの死亡数)も上昇するのだが、両国とも近年は年間10%以上の上昇率を記録している。
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シリアは世俗国家

シリアは世俗国家

 シリアはエジプトなどとは状況が異なるみたいです。何が違うのか。世俗国家だと言うことと、イスラムとの戦いの図式になっています。民衆蜂起というよりも、軍の権力争いかもしれない。

 アメリカの後ろにはイスラエルがいます。トルコも変な形で絡んでいます。イスラム同胞団とかシリア自由軍などの名前はあるけど、世俗国家との死に物狂いの戦いです。

 民衆がデモに出かける割合はエジプトなどに比べて、少ないみたいです。いろいろな思いが交錯しています

 そうなってくると、エジプトのイスラム同胞団が穏健派というけど、権力に対して、どう出てくるかです。アラブの春は一様ではない。

 シリアの場所はポイントをついています。隣にヨルダンがいます.その隣はイスラエルです。ヨルダンがある意味では基地になっています。

 エジプトのように、アラブの春という感覚ではないです。反政府側から自爆テロが発生しては、民衆はついていけない。大きな誤解があるから、そこで動いているという感じです。

 「シリア」はシリアの情勢を詳しく書かれている。アラブを春と新しい民主主義と見るのかは、シリア情勢で変わるのでしょう。フェイスブック革命というのは幻想なんでしょうね。シリアの場合はそういう図式が当たりません。アメリカの存在が大きく出ています。

歴史の未来

 その意味では、未唯空間の歴史の未来の部分と関係します。歴史の未来は結局、生きてきた理由にたどり着きました。

 歴史とした時も、内なる歴史は個人を生かすカタチに行くけど、実際の歴史は毎回、大きく曲がっていきます。そして、プラスに行くのと、マイナスに行くのが、フリップ・フラップになります。それは循環ではなく、本当にフリップ・フラップです。

生まれてきた理由

 なぜ、世の中は他人との関係重視して、自分が生きてきた、生まれてきた理由をベースにしないのかわからない。それがないと、先に進めないでしょう。組織の中で安穏として暮らすとか、汲々として暮らすといってもベースは違います。何のために生きているのかです。

ネットワーク会社は使えない

 今日、決めたことがあります。ネットワーク会社は使えない。ダメです。満足に一つの表も作れない。今の営業では信頼がおけない。8月になれば、ほかり出しましょう。

 ネットワークの敷設だけをやっていればいい。それ以外のことは、最低限のこともできません。それが今日のミーティングで出来ません。ミーティングの後半、プロジェクトリーダーの目が死んでいた。思考停止しています。

 電話についても、ネットワーク会社経由で設置を行っているが、存在理由が分からないので、直接、キャリアから状況を聞きます。そうでないと、Hに対して、推進している意味がない。

 その代わりに、クラウドを持っているTと組みます。ネットワーク会社はその下請けをするぐらいでしょう。

OCR化する本

 今日中に、未唯空間の歴史をまとめたい。懸案だった、4-8の骨子が出来ました。その前にOCRする本が5冊あります。それで今日は睡眠時間になってしまいそうです。OCRした本は、「シリア」ではないけど、キッチリ、読み切ります。

パートナーの企画

 パートナーの企画での自分の立ち位置に迷っています。今まで経験したことがない部分です。イメージが違うみたいです。

 もう一つは企画の位置付けにあるOとの関係です。彼は調整には動きません。言いぱなしです。パートナーが動けば、Oは動きます。Oは自分の成果にするために動きます。その時点で、パートナーは引けばいい。

 ソニーがパナソニックにやったことと一緒です。市場を席捲される前に、次のアイデアを仕掛けます。どっち道、作るのは電算部ですから、自分の企画をそこに入れ込むことです。トリガーを掛けて、流れを作ればいい。

 これは曖昧なところです。曖昧さに、ファシリテーションを仕事にしてきた、パートナーが耐えられるかどうかです。組織への依存度が高いから、心配です。自分のミッションで行動してもらいたい。キャリアとの調整も組織に依存しながら、動いていた。自分としての成果はなかったみたいです。

看板を建てる

 家の近くの会社の駐車場であった所に、セブンイレブンが作られている。1ヶ月もしない間に、箱モノが出来つつあります。盛り土があると思ったら、セブン・イレブンの看板の土台作りでした。これが一番の難工事みたいです。

 石垣島では、台風の時に看板が倒れないというのが、市の条例がありました。それを守るために、300万円掛けたことがあります。
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モンゴル 人民革命と全体主義の恐怖政治

『モンゴルを知るための65章』より

清朝が滅亡し帝政ロシアが瓦解すると、ハルハ・モンゴルは反共・シナ従属か、容共・独立かの二者択一を迫られた。最善の策は自力独立だが、力及ばぬのがモンゴルのつらいところであった。モンゴルが中華民国から独立するにはソ連の軍事援助は不可欠だが、それには不安と拒絶感の強い共産主義を受容せねばならない。しかしマルクス・レーニン主義は資本主義の成立を前提とし、小資本の蓄積もない遊牧経済のモンゴルに適合するかは未知数だった。また、唯心的傾向の強い仏教を信じるモンゴル人には、唯物弁証法や唯物論は精神的にも感情的にも馴染まぬものだった。内蒙古は独立援助の勢力に反共・反シナの日本を選択したが、ハルハは地政学的にソ連と組む以外に道はなかった。モンゴル独立の達成はこうしたジレンマの克服でもあった。

結局ハルハは共産主義を受け入れ、ソ連を侍んでモンゴル人民共和国として独立した。内蒙古が日本の敗戦によりいまだに中国の支配下にあるのを見れば、主権国家の名目を獲得できたハルハの選択は大筋では正しかった。しかしその代償は大きかった。かつてロシアはモンゴル帝国の影響力をタタールの帽と呼んだが、20世紀は逆にソ連がモンゴルヘの幄となった。

1924年の人民共和国憲法は、最高権力を勤労人民に置き、4000人に1人の割合で選出された代議員の国家大会議が政権を担うと定めている。それはソ連の模倣で、会議は会議の焼き直しだった。選挙も普通・平等・直接が原則だが、党の反対者の立候補はなく、有権者は賛否の表明をするだけで、候補者はソ連同様ほぼ100%の支持率を獲得した(坂本是忠『モンゴルの政治と経済』)。人民共和国時代は、自然科学の論文ですらマルクス、エングルスらの論著が最初に引用されるなど、自由主義社会の識者には自明の奇怪なことが社会全体で行われていた。

革命という名の伝統破壊は、平等のイデオロギーを建前に1929~1932年、貴族・寺院、富裕牧民から一般牧民までの財産を没収し、強制的に集団化した。これには反乱もおきたが、集団化は農牧業協同組合として1955~1959年に結実した。世界の共産主義者は集団化による経済発展を夢想したが、結果は反対だった。私有財産を失い勤労意欲は低下し、自由をなくした人民の生産効率は上がるはずもない。ウィーン学派の経済学者ハイエクは、「ある決定的な社会的目標へ向けて、社会全体の労働を計画的に組織化すること」(西山千明訳『隷属への道』)を集産主義とし、ファシズムや共産主義などの全体主義に共通の性格と述べている。ハイエクはすでに半世紀前、このような経済の自由を統制した計画経済は、必ずや政治・文化・生活の不自由にいたると喝破していた。モンゴルはまさに「隷属への道」の渦中にあった。

ハイエクは、経済の自由、金銭の自由こそすべての自由の根拠とした。蓄財・散財は個人の自由であって権力が統制してはならない。「私有財産制は、財産を所有する者だけでなく、それを持たぬ者にとっても、もっとも重要な自由の保障である」とはそのことを指す。政府が経済を統制し富の再分配という道徳を語ると、それを実行するごく一部の官僚に権力が集中し、ほかはすべて隷属する。戦後日本の左翼が蛇蝸のごとくきらった戦前の日本は、実は統制経済であり、不完全の社会主義社会だった。熱狂的な軍国少年が戦後共産主義者に転じたのは、本質が全体主義的だからである。その意味で共産主義とファシズム、左翼と右翼は共通の性格をもつ。

こうした社会ではスパイが横行し、人々は常に監視されるという。1987年、私がモンゴルのホテルの一室でモンゴル人学者と社会主義批判の話になったとき、彼はベッドの下に手を入れ盗聴器を探しだした。私が「ソ連製盗聴器なら大丈夫」と言うと、彼は真顔で「彼らはソニーを使う」と言った。これがブラックユーモアでない点に全体主義の姿が見える。

ハイエクによれば、全体主義国家では社会の最悪の者が指導者になる。レーニン、ヒトラー、スターリン、毛沢東、ポルポトらは恣意的正義にもとづき大虐殺を実行した。モンゴルでもボドー、ダンザン、アマル、ゲンデンら首相経験者が、日本のスパイとか反革命分子などの罪状のもと、ソ連などで処刑された。ノモンハンの国境紛争で日本・満洲国軍を破った英雄チョイバルサン将軍は、2年に亙る粛清を実行したのち、1939年首相となった。ソ連で処刑されたゲンデン旧宅は現在「政府による被害を記念する博物館」となり、その一階の内壁に赤で書かれた軍人721人、青の民間人9852人、黄の僧侶1万7612人の処刑された人の名を公開している(1999年現在)。

1992年新生モンゴル国憲法は、政治信条の違いによる弾圧を禁じたが、1998年民主化運動の指導者ソリグが暗殺されるなど、政情は安定しない。モンゴルの自主独立には希望も課題も多い。
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情報を自分の血肉とするには

『勉強上手』より

情報を集めるだけでは傍観者にすぎない

 仕事は人に教えて初めて自分のものになるという。それと同じで、インプットした情報はアウトプットして、初めて自分のものになるのだ。

 情報は、集めるだけでは傍観者にすぎない。使って初めて当事者になれる。

 ツイッターではリツイート機能で、人の情報を拡散できる。これは情報の橋渡しをしているだけで、自分のものになったとはいえない。その情報十自分の考えを述べて、初めて自分の意見となるのだ。

 伝える前には、思考する段階が生じる。

 集めた情報のうち、何を伝えるか。どう伝えるか。その段階で思考することで、自分なりの考えが肉付けされていく。

 たとえば、おばちゃんたちの世間話で、芸能界を話題にしているときに「あの人、ハッキリものを言いすぎるから、奥さんに逃げられるのよ」などと、話す。芸能人が知り合いかのように話す思考は理解できないが、自然に自分なりの分析をしているという点は興味深い。情報をインプットした後、思考した上でアウトプットしているのだ。

 アウトプットの手段はさまざまである。

 ブログで書いてもいいし、人に話してもいい。

 私の場合、読んだ本の内容を覚えるのは、人に話したときである。だから、会話の端々に最近読んだ本についての話を入れる。人にうまく伝えられないと、その本の内容をまだ消化しきれていないことになる。本を読みながら、「この情報、今度どこかで話してみよう」などとアウトプットを考えておくと、結構頭にしっかりと入るのだ。

 アウトプットし続けていると、目の前で交わされている話題に瞬時に入っていける瞬発力も養える。ただ「へえ」「なるほど」と聞いているだけではなく、「私はこう思う」と自分の意見を的確に述べられる。話題が豊富な人は、アウトプットをするのに慣れているから豊富になれるのだ。

文章を書くことで思考が鍛えられる

 私は元々雑誌で書評を書いていたのだが、それだけでは足りず、二〇〇九年か らブログでも書評を書き始めた。自分が薦めたい本を選んで書いているという、完全に趣味の世界である。人が生み出したコンテンツを目利きする、キュレーターに当てはまる。

 自分がいいと思った本しか紹介しないので、つまらないと思った本は俎上に載せない。つまらなかった本を批判するのに時間をかけるより、面白かった本を褒めるほうに時間をかけたほうが、単純に自分も楽しいのだ。

 書評を書き続けていると、文章も上達する。さらに、思考も鍛えられている。書評はあらゆる文章の中で、案外難しい部類だと私は思う。本を要約する能力は問われるし、数百ページに渡る本からどのエッセンスを抜き出して伝えるかという抽出力も必要だ。

 単なる本の解説になったら面白くないので、薦める側の感動や思いも伝えたい。面白く読ませたいし、その書評を読んだ読者が、その本を「買いたい」と思うような文章も心がけなくてはならない。

 このように、書評一つ書くのに、さまざまな能力が問われるのだ。

 実際に書いてみると、その本をどこまで理解できているのかが分かる。理解していたつもりでも、いざ文章にしようとすると、キーボードを打つ手が止まってしまうことも、しばしばあるのだ。どんなに素晴らしいと思った本でも、自分の言葉にできず、諦める場合もある。自分の立ち位置が見えてこないのだ。

 そうかと思えば、十ページほど読んだだけで、スラスラと書けてしまう本もある。本にも相性があるのだろう。

 それだけではない。書評を書き続けていると、さまざまな波及効果があることに気づく。

 まず、本を褒めるように、人を褒めるのがうまくなった。これはコミュニケーションの基本でもあり、誰でも褒めてもらえると嬉しい。それもお世辞ではなく、相手のいいと思った部分を見つけて褒めるのだから、心からの賛辞である。

 さらに、書評を読んでくれた人から感想をもらい、そこからネットワークが生まれることもある。相当頭の訓練にもなっているだろうし、いいことずくめなのだ。

 ツイッターでつぶやいてみるのもいい訓練になる。一四〇字に自分の言いたいことを凝縮するのは要約力も表現力も問われる。大勢の人が集うSNSでは、自分の発言に目をとめてもらうために、検索キーワードに引っかかるような言葉もちりぱめた方がいいだろう。

 そのようにあれこれ工夫していると、読み手を(ッとさせるような文章を書けるようになるかもしれない。文章を書くのにも戦略は重要なのだ。
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 ポータルは事務局機能

自転車の道

 道路に自転車を走らせるようにする法案。

 元々、図面で見ると、道路幅があるはずです。占有しているところは、占有している人が撤去させるという法律。高校へ行く道も該当の家があった。2車線なのに、その家のために、1車線になっている。40年掛かっても、実体は変わっていない。その家の前では警告音を鳴らすようにしています。

 車線の幅も短くして、大型車はゆっくりと走るしかないようにする。軽は普通に走れます。対面の場合に、それができなければ、一方通行にしていく。それで自転車と歩行者の道を作り出す。市街地の適当な小道には自転車の腺を入れる。優先権を明確にする。歩行者は全面が優先です。どこを歩いてもいい。

 住宅地の狭い道は混在です。徹底的に混在です。クルマも自転車も歩くスピードに合わせればいい。それなら、自転車も納得がいきます。狭い道に線を引いてもどうにもなりません。優先権だけつけておけばいい。人、自転車です。後はその他です。

つながるにおけるポータルの役割

 つながるにおける、ポータルの役割が見えてきました。商品がつながると言って、既存のシステムを時間を掛けて、変更している。それよりもメッセージとそこからのリンクを全て、ポータルに集めてしまう。

 クレームだろうとライブラリ変更メッセージだろうと、受け側でコントロールします。本社・店舗限定から、販売店システム全体に拡張させます。それも、ナレッジデータベースも使います。各種ライブラリとナレッジを混在させます。最大の特徴は既存システムの変更がなくて済みます。

 お客様のポータルもその中に入れ込みます。つまり、店舗からお客様に拡張させます。

 これならば、地域コミュニティでも使えます。本当は、こちらから考えています。地域コミュニティの事務局機能を体現させたポータルです。

パートナーのポータル企画

 パートナーはSFDCの説明を聞いたあと、一言も話題にしようとしません。自分の中で考えているのか、聞いたことを無視しようとしているのか。自分の中で消化できていないのは確かです。

 組織の考え方からすると、組織を裏切るカタチになります。既存システムの維持部署に居るわけですから。今までやってきた、ポータルからすると、先が見えるはずです。ちっぽけな組織の壁は破ればいいのです。

ゲーム化からコミュニティ化

 エジプト革命は、ゲーム化のフェーズからコミュニティ化の中間にあります。デモにしても、ゲーム化の一環です。力にはならない。

 恐いのは、コミュニティ化になるときに、カリスマが出て来ることです。その場合にはコミュニティにはならない。専制政治的な動きになります。

 ゲーム化においては危機感がベースになるけど、コミュニティ化においては、平和に対する心です。

 今日はネットで本を調べます。本屋で物理的なものを見つけました。「Rality is BROKEN」です。全てはゲームから始まる。私としては、コミュニティ化につなげていきたい。

クルマに求めるもの

 クルマに求められるものは形状が変えられるようにするということです。そうすれば、種類が減ります。あんなに多くある必要はない。部品の共有化できない。ちょっとこすっただけづ、実費で20万円になります。

 今、望まれて、そうしているわけではない。そういう技術を作ってこないだけです。トランスフォーマーではできている。

一瞬たりとも、無駄にするな

 「一瞬たりとも、無駄にするな」その時に無駄とは何か。金儲けの仕事を考えていることなのか。

 生きていること自体がムダならば、それは意味ない。だけど、一瞬たりともの言葉は使いたい。

 部内会議に出たけど、相変わらずポイントは絞れていない。そんなんで、先行きはあるのか。時間を無駄にしている。

アイデアボックス

 マーケティングでメーカーとスタッフをつなぐシステムはアイデアボックスそのものです。

 2年前にマーケティン部の室長に文句言ったことを思い出します。メーカーからスタッフに直接、アイデアを求めることは意味がない。では、どうするのか。お客様とスタッフ、スタッフと本社、本社とメーカーの三段ループです。

 その意味では、2年前に企画も設計も終わっています。今、設計しているものが2年後にどうなるかです。今回の企画は大きすぎるけど。
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世界をよりよく知り、よりよく変えていく

『フェイスブックをつくったザッカーバーグの仕事術』より

一人ひとりに自分の声を与えるんだ。知ることは得をすること

 何年か前、ある伝統メディアの幹部が、サーゲイ・ブリンに「グーグルは、伝統メディアの懐から金を奪うこと以外に、社会にどんな貢献をしているのかね」と噛みついたことがある。

 サーゲイ・ブリンはあっさり答えた。「単純なことだよ。ちゃんとした情報を持っていれば、人はもっといい選択ができる」と。

 確かにそうだ。たとえば買い物も、どこにどんなものがあり、それはいくらかを比較検討して買うのと、何の情報もなく買うのとでは、雲泥の差が生じる。ブリンは「知っていることは損になることじゃない。得することなんだ」と言いたかったのだろう。

 本来、こうした情報は伝統メディアが伝えるものだった。だが、そこに売る側の意図が当然のように入ってくるようになり、信頼性は失われた。そんな時代が長く続いた。グーグルは、できるだけ意図のない情報を、できるだけたくさん伝えるようにすることで、情報の民主化を実現した。

 それは、思いがけない効果を世界にもたらした。たとえば独裁国家や圧政が敷かれている国に共通するのは、情報の統制だ。そこに正しい情報がもたらされれば、人は自由に判断し、行動できるようになる。情報は力だったのだ。

 その力をもたらしたのがグーグルであり、「歴史上で最も有機的な民主化支援ツールの一つ」といわれるフェイスブックだった。

 「僕がやろうとしているのは、一人ひとりに自分の声を与えることなんだ」とザッカーバーグは言っている。ほんの数世代前までは、今のような情報共有も、自分の意見を伝えることもできなかった。ほんの何年か前までは、そういうことができるのはごく一部の人たちに限られていた。だが、今は違う。SNSやインターネットのツールを使えば、自分の考えを世界中に伝えることができる。

フェイスブックが目的とするのは、知る力を高めることだ。仕事を世界に対する義務ととらえる

 SNSと一口に言っても、そこに分類される企業のすべてが同じ目的に向かっているわけではない。ビジネス向けのネットワークを提供する企業もあれば、さまざまなメディアのポータルサイトとして機能するネットワークもある。

 規模もずいぷんと違っている。フェイスブックやマイスペースのような世界規模のものもあれば、地域独自のネットワークのようなもの、大手企業が社内コミュニケーションの活性化を目的にスタートさせたものもある。

 では、フェイスブックが目ざしているのは何か。

 ザッカーバーグは「フェイスブックが目的とするのは、自分たちの世界がどうなっているのか、それを知る力を高めることだ」と話している。そのために必要な情報を伝え、みんなで情報のやりとりができるシステム。それがフェイスブックの目ざすところだ。

 人間が幸福になるためには、自分の周囲の世界について熟知しておく必要がある。熟知するために人々が必要とし満足するだけの情報を効率よく提供することがフェイスブックのいわば義務なのだ。

 こうした考え方は他のSNSにはあまり見られない。フェイスブックには、他のSNSにない独特の「熱さ」があるが、それはザッカーバーグの考え方からきているといえる。

暇つぶしの手段を崇高な目的に変える

 フェイスブックのスタートはハーバード大学の学生が同級生や友人との交流をより深めるためのものだった。それだけに、ある程度のユーザーを抱えるようになっても、「フェイスブックは単なる暇つぶしにすぎない」といった批判があった。

 確かにフェイスブックは、物的な生産に関与するわけではない。自分の友人に何か変わったことはないかといったことを見て時間が過ぎていくのだから、人によっては暇つぶしと呼ぶかもしれなかった。

 批判に対して、ザッカーバーグは、人を理解できるようになることは暇つぶしではないと反論した。そして、フェイスブックの最終目的を「人々が自分の置かれた世界をよりよく理解するための手助けとなることだ」と定義した。

 たとえば同じ大学にいる人々が何を考え、大学で何が起きているかを知ることは大切だ。大学からの通知ではなく、一人ひとりが情報提供者となれば、より正しい情報が得られる。それだけ正しい判断、行動ができるようになる。それは暇つぶしなどではなく、世界をよりよく知り、時によりよく変えていくために欠かせないことだ。

 こうした崇高な目的に加え、ユーザー数が増えることでネットワーク効果が増すようになっていった。

 ネットワーク効果とは、同じ製品を利用するユーザーが増えると、その製品の効果や価値が高まることだ。たとえば携帯電話は登場当時、珍しいだけで便利ではなかった。だが、今では便利なだけでなく必須製品となっている。

 SNSにネットワーク効果が加われば、世界を動かす力になることもできる。それは、2008年の米国大統領選挙が「フェイスブック選挙」と呼ばれ、2011年の中東での革命が「フェイスブック革命」と呼ばれたことからも明らかだ。

 ザッカーバーグほど情報の共有を広げ、世界にもっと透明性を加えることを熱く追求している人間は、SNSの世界にはいないだろう。
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恋愛・結婚

『人生の教科書』より

恋愛は幻想であるべきだ

 最近の若い人には「自分主義」が散見される。「自分らしさ」に最大の価値を見出す人や、やたらと「私はそうは思わない」と反対してみせる人など、とにかく「私」が主役。

 今、世の中に「私らしく」といったことを歌いあげる歌も溢れているが、自己の内面を深めたり、進化させたりという努力の蓄積の浅い若者が「自分」を主張してみせても、そこにはなんの根拠もない。そんなことに力を注ぐのではなく、この「私」がどう進化していくかということに対する興味を持つことこそが大事なのだ。その興味が根抵にないと、恋愛も現実に翻弄される味気ないものになってしまう。

 恋愛において本当に重要なのは、自分ではなく相手であって、それも現実ではなく幻想でなければならない。なぜなら、その幻想によって人は脳内を刺激され、「変化」し「進化」することができるからだ。

 なんとなく男女が出会い、なんとなく恋愛して肉体関係だけが始まる……そんな恋愛などつまらない。相手の精神生活に対して恋をするのでなかったら、恋愛なんかしちやダメだ。

 現実と幻想の見境がつかなくなる精神状態が恋愛であって、現実そのものを受け入れたら恋愛なんて途端につまらなくなる。

 相手に対して、現実の姿で考えるのは人生設計であり、そこにあるその人物の夢や幻のようなものに思いをめぐらせるのが恋愛であるとも言える。

 可能性から言えば、探せば自分にとってもっといい相手がいるかもしれない。しかし、そんなことを考えて「はたしてこれでいいのか」なんて悩んでも、永遠に答えを出せないし行き止まりだ。だから、恋をするなら思い切り幻想に浸って、脳を刺激するべきだ。それによって、人は思い悩み、成長し、進化することができるのだ。

恋愛とは後悔の連続である

 「人生における後悔をなるべくなくしたい」という意見があるが、理解しがたい。

 自分に与えられた苦難については「いい試練だった」と思えばよいのであって、その経験を後悔する必要はない。苦難を乗り越えようとする時間は人生において無駄な時間ではなく、成長するための糧だからだ。

 ただし恋愛においては、後悔はしなければならない。自分か与えられた苦難はいいとしても、自分が人に与えている苦難というものもあるはずで、それについては考えなくてはならないからだ。

 恋愛では、相手に必ずなんらかの苦労をかけているものだ。いくら自分かきちんとしていると思っていても、相手から見たら不満だらけかもしれない。順風満帆に見えても惚れ合っていれば愛が醒めるのを心配するし、誰かから片想いをされているとしたら、自分が何もしていなくても苦難を与えていることになる。

 だから後悔しないでいられる恋愛というものはまずない。「自分の行動のすべてが人を傷つけない」という保障がなければ、恋愛において後悔しないなどということは不可能である。人を傷つけておいてその痛みを感じない想像力のなさというのは信じられない。「後悔しない恋愛」があるとしたら、それは無神経だというだけである。

 私は、「自分なんかが生きていること自体が過ちなんだ」というくらいのことを思っていないと、薄ら厚かましい人間になると思っている。まったく後悔しなければ人としての成長もない。

 自分の行動が人にどのような影響を与えるかという想像が働くと、人は自ずと後悔することになるはずだ。後悔しない人間は、想像力のない人間である。

 人と付き合うということはそれほどに大変な作業であって、人生、一瞬一瞬が後悔の連続なのだと思う。
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岡崎市図書館から10冊

ステッドラーのペン

 やけでステッドラーのペンを買ってしまった。3150円です。赤・黒、シャープ、サインペンの4つの機能があるが、外見からは見えないようになっています。

 どっち道、先が短いから、まあ、いいか。

岡崎市図書館から10冊

 I146.1『精神分析の名著』 フロイトから土居健郎まで

 335.5『図解韓国四大財閥早わかり』4つの企業が韓国GDPの50%以上を占めている ①サムスン ②ヒュンダイ ③SK ④LG 彼らの「強さの秘密」を知れば、「韓国経済の真相」が見えてくる。

 335.8『市民社会があぶない』改正公益法人制度が日本をほろぼす 「新しい公共」を活気ある社会に向けて

 364.0『社会保障改革への提言』いま、日本に何が求められるのか ベーシック・インカム

 141.6『「ひとりではいられない」症候群』また借りて来てしまった

 498『権力の病理』誰が行使し誰が苦しむのか 医療・人権・貧困

 490.2『明治二十一年六月三日』鴎外「ベルリン写真」の謎を解く 計十九名の日本人医学者が集合した。

 302.4『ボツワナを知るための52章』また借りて来てしまった

 314.8『「シティズンシップ教育」』平成23年度協会フォーラム講演録 哲学カフェはお酒が前提。これは差別化!

 361.4『ズバッと「伝わる」技術』
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シリアの現政権がこれからどうなる

『シリア』より

七月、反体制派グループでは全国で一〇〇万人以上の民衆が街路に出たと主張したが、政府側ではせいぜい一三万五〇〇〇人程度だったとしている。革命が成功するにはクリティカル・マスといわれるほどの民衆が街路に出る熱気と勢いが必要だが、シリアではまだそのレベルには達していなかったと私は見ている。その判断はダマスカスの知識人たちも共有し、同地の外交団でも同様の見方だ。四月以来、国連が監視団を派遣して治安状態がやや改善したときでも、デモの規模は、反体制派の発表によっても全国で数千人から数万人程度だ。

次に、国民の中の積極的政権支持派でもなく反政権、反体制派でもない中間層といわれる多くの国民は、次第に虐殺など非人道的行動ぶりが明らかになってきた反体制派グループに対していっそう警戒的、批判的になってきた。

国民の生活条件は決してよくない。それでも生活苦からくる社会の不満は反政府運動となって顕在化するまでにはなっていない。経済界でも政権に対する不満は大きいが、積極的に反体制派に肩入れして政権打倒に向かう動きにはなっていない。

政権の内部崩壊の兆しも見えてこない。これまで政権から離反したメンバーはほとんどおらず、国防軍、治安軍、警察の中でも離脱者は限定的である。

他方、国外で活躍する反体制派グループは国際社会から広い理解と支援を受けていながら、国内の民衆から強い共感を得るにはなっておらず、連携はほとんどできていない。 また、民衆蜂起が始まって以来一年余り過ぎても、いくつもある反体制派グループ間で大同団結すらできていない。

確かに、国民はアサド政権について、民衆蜂起を弾圧する過程で大変に反感を増大させたことだろう。政権に密着した一部のアラウィ派に対する批判には大きいものがある。今後の政権運営については治安機関と軍の影響力が強まるのは避けられない。

それでもバシャール・アサド大統領個人に対する批判となると事情は変わってくる。大統領夫妻の生活はアラブ世界にあって例外的ともいえるほどつつましい。国民はそれを知っている。アルジャジーラが一二年二月に報道した映像で負傷したいたいけない子供が「バシャールに神の鉄槌が下されますように。神が私たちの復讐を遂げて下さいますように」とたどたどしく喋る場面があったが、実はそれは典型的な「やらせ」映像だったことが判明している。

シリアの民衆蜂起についてはいくつも考える課題がある。

カタール、サウジアラビア、そしてトルコの過剰なまでの反シリア姿勢。これら諸国の権益がシリアによって直接的にも間接的にも侵されたわけではない。彼らはアサド政権が民衆蜂起によって比較的短期間で崩壊しうると読み、民衆への支援と称して一気に突き進んだ。だが、読み間違った。

アラブ連盟の歴史の中で加盟国が自ら進んで公然と他の加盟国の政権打倒に邁進するカタールとサウジアラビアの動きは前代未聞の事態である。アサド政権が生き延びるとなると、両国はブーメラン効果に直面する可能性が出てこよう。トルコにしてもエルドアン政権がこれまで封印してきた問題が噴出してくるだろう。

メディアのあり方についても深刻な問題を提示した。アルジャジーラなど湾岸諸国の衛星放送局は客観的報道を目指すというジャーナリズムの姿勢から大きく逸脱した。衛星携帯電話、さらにBGAN端末器などを国内の反体制派グループに積極的に供与したと言われる。そして、武装集団側で明らかに挫造したニュースを報道し続け、その一方で、たとえばシリアにおける新憲法採択の国民投票を無視し、ほとんど報道しない。一二年二月にダマスカスのタッゼ地区で起きた未明の銃撃戦では、深夜の騒音で目を覚まされた付近の住民たちは早速テレビをつけて、アルジャジーラなどが報じる荒唐無稽なニュースやコメントぶりを「堪能」した。

アルジャジーラ社内ではジャーナリズムの危機だとして過去一年、有能な記者が数多く退職する事態が進行していることは前述したが、また、ニュースの信頼性が落ちるにつれて往年の名声も色槌せてアラブ世界で視聴者離れ現象が起きていると聞く。

過去六〇年余り、中東世界では中東紛争の公正で永続的包括的な解決を実現することが最重要課題であるという共通認識が存在し、中東世界の政治外交的重心がイスラエルとその周辺地域に位置していた。その一方で、第四次中東戦争後にアラブの産油国が演出した二度の石油危機を経て原油価格が高騰し始めて以来、湾岸諸国の富が飛躍的に拡大してアラブ世界の経済的重心は確実にGCCの湾岸諸国に移動し、二〇世紀末から二一世紀になると湾岸諸国は政治外交分野でも自国の可能性を強く意識するようになった。その地域での最も深刻な脅威はイランである。中東世界における重心の移動という大きなうねりが生んだ出来事が、シリアの民衆蜂起以来の事態であるというべきであろう。

ニューヨークの人権団体Human Rights Watch一二年三月に、政権側に加えて反体制側でも非人道的行動を働いており、それは一一年九月以来特に増えていると発表した。すると、米国のシリア駐在フォード大使(帰国してワシントンで勤務中)は人権団体の発表の一週間後に行われた下院での公聴会で従来どおりのシリア政府非難を語気強く繰り返すのだったが、出席議員に反体制側の残虐行為について質問されて初めて、去年ホムス市内の事態が危険になって以来同じような報告は入手していたと答えるのだったが、言葉は曖昧で力弱く、内容にも乏しい。

ホムス市内の緊張の高まりとは一一月頃のことだ。だが、一二年春に辞職したアルジャジーラのベイルート支局長は一一年四月に武装グループがレバノンから国境を越えてシリア側に入るのを目撃し、五月には武装グループがシリア政府側と武力衝突している現場を報告したと語っている。

また、私の友人の従兄弟だちがすでに八月にホムスで反体制派グループに拉致され殺されている。しかも、殺される前にYouTube上に二回「出演」し、最初の回は、自分は上官が一般市民を殺せと命令したので脱走した兵士であると「証言」し、二度目には市民を五人殺したと「白状」した。

だが、その従兄弟は軍籍にはあるが文官であって武器には縁がなく、「証言」も「白状」も強制された偽りのものだ。友人のさらに他の従兄弟は黒の目出し帽の男たちに無理やり拉致され、市民が見ている前で首を切り落とされた。市民はその異常な様子に手も足も出せなかったという。情報収集の最前線にいるはずのフォード大使の情報が事態の展開から大きく遅れている。民衆蜂起が何カ月もの間平和的であったというのは神話、作られた話でしかない。
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民衆蜂起の裏にムスリム同胞団の動き

『シリア』より

二〇一一年三月以来の民衆蜂起である。政府は武闘活動をするグループを掃討する過程で逮捕した容疑者の一部をテロリストと呼んで自白する様子を放映してきた。それらの容疑者は市場の売り子や塗装師、鍛冶屋、じゅうたん運び屋、タクシー運転手、食堂従業員、工場労働者など、大半がインフォーマル・セクターの労働者だが、出獄者なども少なくなく、中にはイスラム法学士や経済学士などの高学歴者も少数ながら混じっている。

その高学歴者たちによる自白内容の特徴は、サウジアラビアに滞在しているときにイスラム教と無縁の世俗政権であるシリア政府を打倒する運動を始めるよう反政府活動への参加を誘われ、資金的支援を約束されたというのである。

四月に放映された自白内容では、容疑者はインフォーマル・セクターの人物だが、ムスリム同胞団メンバーが間に立ってレバノンの国会議員から資金と武器を受け取って武闘事件を起こしたと語る。

当然ながら名指しされたレバノンの国会議員は直ちに否定し、彼が所属する派閥の領袖であるサアド・ハリーリ元首相もムスリム同胞団との関係を強く否定するのであったが、ウィキリークスで公表されたベイルートの米国大使館の公電によれば、○六年サアド・ハリーリは米国大使に対してシリアにはアサド政権の代わりにムスリム同胞団が参加する政権が望ましいと語って、ムスリム同胞団との関係を示唆している。

ちなみに、サアド・ハリーリは暗殺された元首相の父ラフィーク・ハリーリと同様にサウジアラビアの国籍も持っており、サウジアラビア王室との関係が非常に強い。

アサド政権は三月以来の民衆蜂起の裏に、イスラム保守派のみならず、想定していなかったムスリム同胞団の動きを強く感じ取り、三十年前とは比較できないほどに国外勢力との関係を深めた彼らの動きを認めて、深刻な危機感の下に容赦ない弾圧を志向した。

同時に、政権側では懐柔策を示してムスリム同胞団とその周辺に襖を打ち込もうとした。大統領は六月二〇日の演説の中で、「三十年前のムスリム同胞団との対決はシリアの歴史の暗い部分である。今日でも当時の対決を引きずって同胞団関係者とみなされて公務員になることを拒否され、社会保障を受けられず、旅券の発給もしてもらえないなどの不利益を受けている人びとがいることを承知している。この問題は正義の問題であり、近く完全に解決させる」と言葉を尽くして強調し、ムスリム同胞団と周辺部分の人びととの離反を試みた。

また、イスラム保守派の人びとへの対応策としても、政府ではニカーブの禁止措置を事実上撤廃し、イスラム主義者たちから非難されていたカジノも閉鎖させた。

しかし、民衆蜂起の熱気はますます高まるばかりで、懐柔策は効果を上げない。政権は不退転の覚悟でムスリム同胞団とイスラム保守派に対抗するため強硬策で突き進んでいった。

それまでに反政府デモはほぼ全国に広がったが、ダマスカスと第二の都市アレッポでは市内での人出は多く、人びとは町のカフエに集って、おだやかに日々は過ぎていった。商人や工場経営者などの実業家たちは深刻な危機に直面したが、それでも静かに耐えた。

八月になった。この年のラマダン(断食月)は八月だった。反政府側はラマダン中も街頭に出続け、運動をさらに拡大すると叫んでいたが、政府側では取締りと鎮圧の手を緩めないばかりか、いっそう強化した。
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