goo

地方コミュニティの重要な意義

『失われた30年』より

神野 ヨーロッパには地域再生の合い言葉が、二つあります。一つは、「ポリセントリック(polycentric)」。日本語に訳すと、多心型・多極分散型ということになる。EUの官僚たちは、多極分散型に地域政策を打っていこうとしています。もう一つの合い言葉は「レジリエンス(resilience)」、これは「危機的状況にも対応できる適応能力」と訳しましょう。ヨーロッパでは、災害や戦争などの危機的状況も十分に意識して、多極分散型の社会を作るにあたっては、そういった危機にも粘り強く対応できる社会にしていこうというかたちで動いているんです。

では、日本はどうかというと、今回の震災後に岩手に支援に行って感じたことがあります。近代以前の交通路というのは海と山とが結びついて、放射型に分散しているんですよ。ところが近代になってくると、いかに東京にすばやく行くかという単線型の発想で交通網が作られたわけです。しかし、そういう交通路は震災で全く役立たずになっている感じを受けたんですね。逆に、近代以前から三陸と結びつくための拠点として機能している遠野が、三陸復興の中心基地になっている。だから、レジリエンスを確保するうえでは、天災が起きたときに備えて、近代以前から維持されている地域間の結びつきを残していかないと、結局危険な目にあうことになる。

金子 たしかに、ポリセントリックとレジリエンスを二つながらカバーしておかないと、リスクに対応できないんですね。農業の大規模化だけを金科玉条のように提唱する人たちが、全く気がついていないことがある。それは、今回の被災地へ行ってもわかったけれど、コミュニティが残っているところほど再生が早いということです。

なぜかというと、震災で大勢の人がいなくなってしまったからです。そうすると土地が放置されて、簡単に誰かに譲るとか貸すとかいうことができません。別の言い方をすれば、所有権のある土地は、信頼している人にしか貸せないんですよ。

だから大規模農業が必要とする一定の規模を実現しようとするならば、逆説的ですが信頼感をベースにしたコミュニティが存在しないといけない。そうでないと、お互いの土地をスムーズに利用することもできない、貸し借りもできないということが起きてしまいます。一定の集約化をするにも、コミュニティをベースにしないとできないという面が目えていないんですね。

神野 地方分権というと、中央政府と地方自治体という政府間関係に焦点が絞られます。しかし、政府間関係だけではなく、日本の社会も中央集権的になっているのです。地域共同体はオープンではなく、タコツボのように一方だけが開いている。しかもその開口部は、中央つまり東京にしか開いていないわけです。

そうした地域共同体は、中央にしか開いていなかったがゆえに、グローバリゼーションの波に打ち砕かれると、砂のようになってしまった。棒倒しの砂山のように、一極集中化した東京が棒のように立っていて、周囲には砂のようになった地域共同体がある。地域の中核をなしていた工場が海外にフライトすると、周囲の砂は両手でかかれるように消えていく。その結果、中央の東京もあえなく倒れてしまうのです。

聖書には、家は岩の上に建てろと書いてある。その延長で考えると、各地域がそれぞれ磐石な岩のようになって、その上に国民全体の家を建てなさいということです。砂の上に家を建てると、グローバル化した経済から嵐が来れば、すぐに潰れてしまう。岩の上ならば、壊れないということです。

まず地域社会が経済も含めて一つの完結したかたちで成り立っていて、その上に日本があり、世界があるというイメージを育てないといけません。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

地域分散型ネットワーク社会への転換

『失われた30年』より

金子 非常に重要な指摘だと思います。大量生産型のエネルギーというのは、原発のような巨大施設を作り、そこで集中管理してエネルギーを生産し、高圧線で一気に流すという仕組みになりますね。実は送配電ロスが非常に大きく、しかも原発は運転したら止められないので夜間もずっと発電しています。だから、たとえば一晩中コンビニが開いているなんて無駄な電気の使い方が起きます。

私はこういうあり方を集中メインフレーム型と呼んでいますが、それに対して、再生可能エネルギーについては、地域ごとにバラバラにエネルギーが作られているわけです。一つ一つは小規模でも、それを貯めてネットワークで結ぶ。つまり一ケ所でドーンと発電して供給するのではなくて、それぞれの地域ごとに、太陽光、地熱、小水力、バイオマス、風力と、地理的な特性にあったエネルギーを作るんです。それらを貯めて、IT技術でネットワーク化してコントロールする。そうやって直流の超伝導にすると、送配電ロスは圧倒的に減るんですよ。

実際、この国は太陽光発電に向いているんですね。なぜかというと、ドイツの場合、日本に比べて日照時間が少ないので、太陽光発電や風力発電を組み合わせたコジェネレーションの効率がいちばんいいのは冬場ですが、ガス発電の余熱をそのまま利用できます。日本では冷房で電力を消費する夏に太陽光発電のピークが来ますね。だから、全部の家あるいは工場や倉庫の屋根に太陽光パネルを張るだけで、状況は劇的に変わるわけです。

地方では、農業用水のところで小水力発電をしていたわけでしょう。実は中国地方の農協は、そういう小水力発電所をたくさん持っている。みんな老朽化していますが、それらをもう一回再生するだけでもずいぶん違うんですよ。

神野 エネルギーの地産地消というのは、私たち二人が提唱した地方分権による地域再生の重要なポイントです。民主党政権の唱える「地域主権改革」にも「緑の分権改革」として盛り込まれていますが、いままでは無視されてきました。

金子 農水省や総務省や環境省などが、まだ少しずつですが、予算をつけ始めていますから、徐々に変わってきている。それが「地域分散型ネットワーク社会」ということです。これは、これまで神野さんが提唱されてきた「知識社会への転換」ということとほとんど同義です。どういうことかというと、いよいよIT革命が実体経済に入り込むということです。

エネルギーについては、先ほど言ったように、自然エネルギー由来の電力を、一つの町の中に貯め込んで、IT技術を駆使した送配電網によって、各ユーザー間や地域間での電力の需要と供給をコントロールするわけです。スマートハウスのような場合は、一つの家庭でも時間帯で効率化するようにコントロールできるようになります。

これまで、自然エネルギーは不安定だから使えないと言われてきた。たしかに、それぞれの地域に得意なエネルギーはあっても、それぞれは不安定なわけです。太陽光発電だったら昼しかできない。一方で都市は不足がちになる。でも、貯めることと広くつながることで、その弱点を克服できるようになったんですね。つまり、ネットワークでつながることによって、地域の自立的な基盤が生まれる。全てを自給自足でまかなうというイメージではなく、地域がつながりあうことでリスクを分散しながら、それぞれ自立していくようなイメージです。

集中メインフレーム型の場合、原発が一つ潰れたら、一気に全部が麻痺してしまう。それに対して、分散型ネットワークでは、たとえばある地方の風力発電がダウンしても、それは局所的に壊れるだけで、システムそのものがダウンするわけではない。二一世紀には、環境と安全という社会的価値を追求していけば、そういう地域分散型ネットワークに社会も経済も変わっていかなければならないし、またかならずそうなるはずです。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

項目の完結性の意味

未唯へ

 カーゴ・パンツを話題にTMとの会話ができました。よかった。

部品表表現

 この近傍系表現は部品表での表現と同じです。要するの腰の部分です。腰から下が構成であって、上は仕様です。項目は品番及び部位になります。これを会社に入った時に、最初に習得した技術です。それでもって、商品の全ての構成が表現されています。そこに付帯として、工程とか属性を持ちます。膨大なデータ-ベースです。

 文章でそれを作ろうとしています。文章の作り方そのものがライブラリの表現になっていけばいいと思っています。A7シートで分かる人はいないでしょう。あまりにもコンパクトにしています。カントではないけど、項目番号を決めて、その順番にロジックを作り上げていくのと同様の概念です。新しい思考には新しい表現。そう思ってもらえると、楽なんだけど。

項目の完結性

 完結性の検討に入りました。逆の順に行います。項目より、上の関係が気になるけど、あえて、項目以下に、品番構成部分の完結性を確認しています。

 256項目があるから、大変なのは確かです。これで詳細との関係もおこないます。品番の属性に当たる部分です。

 できるだけ、説明の方で補います。だから、表現は変えていきます。それを完結性の後で行います。膨大だから、8月一杯掛かります。

頭がふらつく

 相変わらず、頭がふらつくのと、睡眠不足からの眠気があります。別に邪魔にはなりません。先はないけら、結論を急げといっているようなものです。

詳細は品番の属性

 事実関係は詳細で述べるけど、例えば、地域コミュニティができている。こんな地域コミュニティがあります。地域コミュニティの必要性みたいなものは、多分、事例で述べます。項目にあるのは、地域コミュニティをいう言葉だけです。

ポータルとSFDC

 明日、電算部に聞いてみます。私は組織を離れているので、何でも聞けます。

 Hからの循環

 Hからの循環のイメージを作ります。新しいプロセスです。

 腰になる部分を探していた。部品表で腰という概念を得た。全体の系を表現しやすい。品番構成と仕様との関係。その真ん中の腰の部分は品番及びそれの集合体です。それでどんなものも表現できる。整理できる。品番から遡ることができる。汎用となるデータベースです。

 Hネットワークの腰になるのは、Hの店舗です。それをまとめているのが、Hの経営者です。そこで何がしたいのかで変わってきます。

 下の層にいるのが、お客様です。上の層は、H本社に対するサポートです。それと企画です。だから、真ん中の部分が動かないと、全体が動きません。

 企画から動かしても、一部の腰の部分は動くけど、それ以外は動けません。実質的に全体が動きには、腰の部分が動くことです。

 個人と地域コミュニティと言っているのも同じです。そこでのグループとそこでの個人が動くことで、価値観を共有したコミュニティができます。それが独立して、構成になって、社会全体を変えていくことです。

 Hからの循環は大きな意味を持っています。腰の部分が動くこと、下の層と上の層を安定的に動かしていきます。このプロセスができれば、地域コミュニティに採用できます。そして、世界を動かすことができます。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )