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自分理論を創る

『非エリートの思考法』より

最近セミナーや交流会を開催した時に知り合った方と、いろんなお話をさせて頂くのですが、「安易なノウハウに飛びつく方」が結構多いと感じます。即効性を求めているということですね。しかし、それを身につけただけでは、結果が出ることはありません。

これは、昔からある原理原則を「知った気になる。やったつもりになっている」という知的怠慢と、「周囲の人がみんな飛びついて勉強しているから、自分ももっと勉強しないと不安だ」という知的恐怖心が原因だと考えられます。

ある事業プランについて先輩に相談した時のことです。

私は「この提案書で違和感を覚える所があるとしたら、どこですか?」という質問を投げかけました。

すると先輩からは、「このプラン自体は面白いと思うし、費用対効果がありそうに思える設定だからいいと思う。でもこの提案書を見た限りでは、まだ考えが浅いと言わざるをえないな。薄っべらで表面的な理論構築は、見る人が見たら一発で分かるょ。こればっかりは学歴ではなくて、地頭で考えているかどうかだよ」という言葉が返ってきました。

私はいろんなノウハウを学んでいたので、それを提案書によどみなく積み込んだわけです。「よし、これくらい手を打っておけば反論の余地はないだろう」と若干自信過剰にもなっていました。しかしながら、それは、単なる小手先戦術が混在した、実質的価値があまりない、浅いプランになってしまっていたのです。

安易なノウハウを駆使しすぎて、「結局何が伝えたいのか分からない。自分が世の中に対して伝えたいこと、実現したいことや、そこにかける思いは一体どんなものなのか?」が全然伝わらないものになってしまいました。

顧客満足度の高さで知られる外資系の「ザ・リッツ・カールトンホテル」では、従業員全員がクレドカードを持ち、そこに書かれている行動基準に沿った行動ができているかどうかを日々共有化し、サービスの向上とマインドの醸成に努めています。これは「会社としてのサービス理論を従業員に理解させる」ためには非常に有効な方法です。

こういった企業で使われているものを個人で持って下さい、というのが「自分理論」です。リッツーカールトンのように言えば、「自分のクレド」を持つ、ということです。

これを作るには、まず次の質問に回答する必要があります。

 「自分が仕事をする上で最も大事にしたい考え方は何か?」

 「それはなぜか?」

 「自分か将来実現したいことは何か?」

 「それは周囲の人をどう変えることができるか?」

 「これまでに教えて頂いたこと、自分で学んだことで最も心に残っていることは何か?」

 「将来の目標のため、自分自身はどういった行動をとる必要があるのか?」

 「そもそも自分がしたいことって何だったのか?」

これらの質問に対してある程度答えを持ち、次は「どのようにそれをやっていくのか?」「日々の習慣にできることは何か?」を考えていくことが、自分理論になっていきます。最近では、大手企業にいれば安泰というわけにはいかなくなってきました。「自分に何ができるか」「何をしたいのか」「そう思った理由は何か」といった個人としてのミッションステートメントを行い、さらに世の中に対してどういう価値を提案できるか、といったことが大切になってきているのです。

エリート層の方はレールに乗ることに慣れてしまい、こういったことを考える機会があまりありません。しかし、非エリートは、「考え抜く」というステップを飛ばしてはいけません。考えて考えて考え抜き、自分だけのオリジナルストーリー、つまり自分理論を作って、どんどん世の中に自分のアイデア、考え方を伝えていくことが大切です。

自分理論はあなたの本質を表すものであり、経験からきているものなので、リアルな迫力があります。それを、考え方、方向性の軸としていくことで、あなたは周りに「自分が一貫性のある人間」だと認識される、というわけです。

一貫性ある人に人はついていきます。一貫性とは、「ブレない」ということです。
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人生は計画された偶然で決まる

『悩まない!技術』より

偶然のように見えて偶然でないこともあります。偶然が本当に偶然に起こったのか、自分がそこに関わっていないのか、もう一度、内的フレームで見直すことも大切です。

偶然だろうが、特例だろうが、たまたまうまくいったことは、私たちに与えられた貴重な資源です。それをチャンスとして生かさない手はありません。外的フレームと内的フレームをうまく使い分けて、悩みを克服するヒントを見つけ出しましょう。

運という名の偶然を生かす。これをキャリアづくりにあてはめたのが、教育心理学者・クランボルツ教授が提唱する「計画された偶然理論」です。

キャリアデザインというと多くの方が思い浮かべるのは、自己分析からスタートする、演繹的なやり方ではないかと思います。

就活前にやらされる、あれです。自分のやりたいこと、持っている性格や能力、今までの経験や周囲からの期待などを分析して、自分にふさわしい目標を持つことから始める方法です。

コーチングでも、目標を見つけ出すところから始めます。どちらも「夢を抱いて、志を実現すべき」という、いかにもアメリカ的な考え方の枠組みがベースとなっているのです。

ところが、多くのビジネスパーソンのキャリアを分析したところ、80%は偶発的な出来事によって決定づけられていたことが分かりました。つまり、予期せぬ出来事をいかに活用するかが、キャリア形成において重要だというのです。いわば帰納的なやり方にも一理あるのだと。

もちろん、既に述べたように、ボンヤリと運がやってくるのを待っているのではいけません。偶然が起こりやすくなるように働きかけたり、偶然をうまく活用する力が必要となります。だから、「計画された」という言葉が頭についているわけです。

偶然とは、一定の確率で起こることが、たまたま自分のところで起こることです。

サイコロを何度も振れば分かるように、連続して1が3回出ることもあれば、20回振っても一度も出ないこともあります。偶然は、短い目でみれば偏るほうが自然。いつ起こってもよいことは、かたまって起こるものです。

つまり、「偶然は誰にも平等に降ってくるわけではない」ということです。不運が続いたからといって、次に運が回ってくる保証もありません。運はいつも不平等です。

だからこそ、少ない運をどれだけ生かすかが重要となります。そのために欠かせないのがリフレーミングなわけです。
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項目の完結性

7月です

 7月です。パートナーは区切りをつけることができるのか。けじめはつかないといけない。企画の方をどのように行っていくかです。今までの経験は生かせないのは確かです。自分のアイデアが出せないと、言い様に使われます。

 そうは言っても、偶然をうまく使っていけばいいです。企画と言うのは自分の力だけではできないことでも、偶然で動き出すことがあります。私はそれでやってきました。

 この組織では、偶然を使わないとうまくできないです。そのタイミングでどういうことをするのか。そのために何を準備していくのか。偶然が揃わなければ、やらないでおけばいい。やらないのも企画です。

 とりあえずは、7月に異動したことを想定します。隣にいるのは幻影です。少し、感じるだけで十分です。私は問われなければ、応えない。

項目の完結性

 256項目の完結性に専念します。これは新しい考え方のまとめ方です。全ての企画に通じます。

 図書館クラウドの完結性を求めるとしたら、どこにどう働きかけるか、どういうメリットがあるのか、メリットがどう拡張していくのか、そういった要素で全てであることを証明しないといけない。

 図書館クラウドで一番重要なのは、これを作るためのシナリオです。総務省辺りも巻き込まないといけないし、図書館関係者の合意と推進力が必要です。一つの項目だけでも、一冊の本になります。

 どこでも図書館も一緒です。では、それでいかに儲けるかも必要だし、本の物流を考え、図書館との関係、教育委員会との関係も示さないといけない。一番、重要なのは、市民からのニーズをどう取り込むかです。図書館を単なる図書館として見ない。枠を超えるところが主流になるのでしょう。

 今は、完結性を保証する要素を増やすことです。項目は増やしません。その中に入れ込みます。

地獄の落ちろ

 宗教で地獄に落ちるという考えはおかしいです。勝手に生を受けさせておいて、怠慢だから、地獄に落ちろと言う論理は、神とか仏にはどうでもいいことです。経営者ではないのだから。

 何のために、その人とこの世に送り込んだのか。その責任の半分は神とか仏にあります。キッチリ、仕事をして欲しいです。

生涯学習という概念は古臭い

 生涯学習という概念をなくしましょう。あまりにも、イメージが涌かない。古臭い。未唯空間から生涯学習審議会以外は個人学習と、グループ学習に変えました。個人学習とグループ学習では大きく異なります。個人学習は個人の近傍系と関係します。グループ学習はグループのコミュニティ化と関係させます。

 ライブラリの概念としては、個人のものは公共のモノ、そういうものをバーチャルの世界でどうつなげていくのか、それをどう活用して、その結果をどのようにして、皆のものにしていくのか、というフェーズにしていかないといけない。

 個人が本当に使えるカタチにして、グループで行動できるカタチにしていくことです。

無からの歴史観

 ブログの反映をしていて分かったのは、私の歴史観です。無からの歴史観というか、生まれてきた理由からの歴史観です。その意味では38億年前からの歴史観です。これは循環というものを含めて、そういうカタチにしていかないと、歴史は理解できない。

 歴史は時空間という平面で見ると難しいけど、循環の固まりで割ると見えてくる。そのベースは自分の存在そのものです。歴史というものを考えた時に、分からないのは先行きです。時間軸でどう考えていくのか。

 それに集中できるかどうか。その時に、どういう要素が働くのか。
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