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英文多読の西澤さんは「タンペレ通信」の先生

先生は2001年に高専まで尋ねた西澤さんでした。

フィンランドに出張する前に、インターネットで調べていたら、『タンペレ通信』という日記風のサイトがありました。タンペレはフィンランドの大学と企業のコラボレーションとムーミン博物館で有名です。その博物館の上が市立図書館です。その中に、ロバニエミへ電車で旅行したことも記述されていました。

そこで、メールでアポを取って、高専の研究室に行って、フィンランドのこと、フィンランドのことから、英語の習得について2時間半ぐらい話し込みました。その時に、私が英語を習得できない理由は「理論で考えすぎ」ということで、慣れる方法を教えてもらいました。

今回、「英文多読」のセミナーと応募する時には、あの時の先生かなと自信はありませんでした。会った時に、「タンペレに行ってませんでした」と聞いたら、本人で、私のことはしっかりと覚えていました。この間の神田さんとか、今回の西澤さんとか、以前に縁が会った人に「偶然に」会うことが増えています。この調子で行くと、万博の西ゲートのセンター長のKURさんとか、東富士のNAKさんにも会えるかも。も。

英文多読については、多読三原則(辞書はひかない/わからないところは飛ばす/つまらなくなったら止める)を守って、ひたすら読めばいいということでした。この原則は、私が和文多読〈この最近は週28冊)の原則と一緒です。

だから、和文多読の癖が出てきました。かなりのスピードで読み飛ばしていました。同じ言葉が出てくるので、そのうち、こんなことぐらいは分かりました。後半になると寝ながら読んでいました。ここにも、この最近の習性が出てきています。

来週土曜日にもあります。その時には、高専の図書カードが手に入るので、英文多読用図書7,000冊も使えるようになります。フィンランドへ行って、「ラップランド戦争」について調査する日のために、ちょこっとがんばりましょうか。
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振り子電車で考えたこと

朝の特急で長野から名古屋に戻りました。長野には5回ぐらい行っているのですが、その都度、振り子電車には参っています。何しろ、変な具合に揺れる。だから、パソコンもできないし、本も読めない2時間40分を過ごさないといけない。

この最近はめまいが気になって、下を見ることも怖い状態です。いっそのこと、東京経由で長野新幹線にしたいぐらいです。

だから、半分寝ながら、心の中の不安定さというか、浅さみたいなものを考えていました。何が一番引っかかっているかと考えていたら、環境学習施設(eco-Tという名前がつけられた)のボランティア教育の内容を見てから、自分の中の市民参画の方向性を失っていることに気付きました。

講座では、NPO代表と自然系環境インタープリターの夫婦、生活系のファシリテーターと大学教授が行うことになっていました。市役所としては、カタチを整えたかっただけみたいです。私にとっても、ここ2,3年を振り返ると空しさです。この間の愛称募集のセレモニーで感じた「心の狭さ」にも通じるものです。

それは会社での次期システムの「説明会」でも感じたことです。「思い」という言葉が通じない世界にまた、なりつつある。それで済まそうとしている。済ますことを「しごと」にする人に囲まれている。そんな感じです。

では、どうするか? 私の答えは一つです。「未唯への手紙」を思考しながら決めたことは、どんなことがあろうとも、「偶然」と「未来」のキーワードで進めるということです。何しろ、色々な偶然に跳びこむだけです。販売店を回るにしても、偶々、そういうことになったところへ説明します。なぜ、そこかとか、全国を回るつもりかとかは考えません。そこが私を呼んでいるから、伝道師としていくだけです。それで「未来」を切り開きます。

そんなことを、振り子電車で揺れながら考えていました。だけど、明日の『英文多読』まで、申し込んでしまったけど、何を私はしたいのでしょうか? まあ、明日になれば分かるでしょう。
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長野でSa-(さあ!)の伝道師

長野でネットワークとSa-ライブラリへの理解活動。

2時から7時までの5人のシステムの人に5時間のミーティング。宮城での4時間半を抜いて、最長記録です。シンプルに説明するためにMIZさんに説明をお願いしたのですが、色々な思いがあって、どうしても口を出してしまった。私が話し出すと何しろ、くどい! 

長野の会社にとっては今が分岐点です。独自で行くのか、全体最適をして、お客様とのコミュニケーションに集中するかの分かれ目です。そのイメージの説明に時間を費やしました。現時点でのコスト計算だけでは未来は拓けません! だけど、本当にこれを言いたいのは、自分の会社のシステムの人たちにですけど。

その説明をしていると、この最近はGoogleの動きとか次世代ネットワークの話をし始めます。Sa-ファミリーを販売店に進めているのは、Googleが描く世界に危機感を持っているからです。市民〈お客様)がGoogleに取り込まれてしまったら、お客様と販売店のコミュニケーションはGoogleを使うしかなくなります。それでお互いに幸せになれるかです。

構図としては、マクドナルドに対するモスバーガーのような戦いです。マクドナルドのグローバリズムに対して、ローカルからの知恵でいかにお客様に訴えていくかです。ちなみに、この会社の従来のシステムはろくなものを食わせない高級料亭です。だから、説明の時にはThink Globally, Act Locallyも説明しています。だから、5時間もかかってしまいます。

おかげで、ICレコーダーのバッテリーをかなり、消化していましました。会議のときは大体ICレコーダーをオンにしておきます。これで7代目です。ソニー製市か使いません。機能はよくなって、5時間録音しても音質も電池の消費も全然気になりません。だけど、6代目の塗装とか、5代目の操作性の悪さとか、技術がでこぼこしています。それをICレコーダーの次が見えてきません。かなりソニーはやばいかもしれません。
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神田さんはFCでの知り合い

金山の全日空ホテルでWeb2.0のセミナーに参加しました。Web2.0は本当に多くの本が出ているけど、私が一番気に入ったのが、今回の講師の神田さんの「Web2.0でビジネスが変わる」というものでした。だから、申し込みました。その際に、皆に声をかけたところ、WATさんとMIZさんも行くことになりました。そのほかの男性は全然興味なし。彼らは本当にマーケティングのシステムを語ることができるのでしょうか、大いに不安です。だけど、穴から出てきそうもありません。多分、プーさんのように、穴の中でハチミツをたらふく食べて、出てこれないのでしょう。可哀想に。そのまま、引っ込んでおれ!

セミナーが終わったときに本人に確認したのですが、私が東富士の時に「FC(ファーストクラス)」というBBS〈今のブログみたいなもの)のメンバーでした。お互いに、やってきたという感じです。それと1995年の阪神大震災の時のFCでコミュニティを見る目が変わってきたことを確認しました。あそこが原点です。

主催者が中小企業のおやっさんを客層にしているので、ほとんどが中年のおじさんです。わが室の女性二人が珍しいほどです。そこに神田さんがテンガロンハットで登場したので、半分が引いてしまい、内容もWeb0.5ぐらいにいる人に対して、Web2.0側にいる神田さんから解説なしに「ロングテール」とか「ウィキペディア」の話をしたので、また半分ぐらいが脱落。

ビデオジャーナリストの強みを生かして、映像で訴えれば、Web1.5ぐらいの人には受けたけど、Web0.5の人に気兼ねして、変に説明したので、そういう人にも受けなかった。ということで、12.5%ぐらいの人にしか相手をしてもらえなかった。講演は本当に難しいなあ。と痛感しました。もっと

私としては、Web2.0という言葉に煩わされずに、ビジネスモデルは「偶然」と「未来」でつくり上げられることを痛感しました。自信が持てました。ここで神田さんの話を聞けたのは邂逅ですけど。

神田さんと話している間に、女性二人は帰ってしまったので、愛知の販売店でネットワークとSa-ポータルの話をするために向かいました。そこでもGoogleへの脅威を話していました。自分の中でかなり気になっているみたいです。
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やはり、「さあ!」でないとうごけない

一つずつ、カタチを作りながら、アピールしながら、サファイアの思想そのものを作り上げています。あまり時間は残されていません。早く、Sa-ソーシャルに行かないといけません。

だけど、何となく、日曜日の愛称募集での結果を考えています。結局は、参加している市民が期待しているものと、私が期待しているものが異なっているみたいです。今回は、それが名前の差になってしまった。

私としては、市民参画の施設の名前は「かわいらしい」だけではしょうがないし、小学4年生だけをターゲットにして、うければいいというわけではありません。それと、区の人とか、市役所のための施設と考えていません。もっと、大きなところに対して、日本をターゲットにした、環境活動の中核にしたかった、その思いを「さあ!」に賭けました。

この「さあ!」をベースにして、行動のための活動を拡大させたかった。そのためのカタチであり、宣言でした。「さあ!」には全国に唯一の場所であり、発信する場所というメッセージ性を入れました。それ受け入れられなかった。私が受け入れられなかった。

当然、市にはそこまでの先進性はないし、市民がそんな名前を勝手に決めることに耐えられないのでしょう。「さあ!」はギャップです。その雰囲気を感じて、NPOの代表も腰が引けてきました。だけど、自分なりにそれないの思いを作り上げてきたつもりです。思いがあれば、カタチに出来ると思ってきました。

会社の方は「Sa-」で最後まで自分で責任とれるけど、「さあ!」に決まったら、一番困るのは市役所です。彼らには、その名前に耐えられるだけのコンセプトを持っていません。普通でありさえすればいいのです。だから、ホッとしているはずです。別にどうでもいいけど。

今、思えば、区長をメンバーに入れたところで、話はついていたのでしょう。これで、当分、環境学習に関するイベントはありません。思いが届かない所にずっといてもしょうがない。だから、一人で次へ行きます。
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今度の月9にははまりそう!

今日から『のだめ カンタービレ』がスタートしました。番宣も見ていなかったので、偶々見ていたら、はまってしまった。土曜日までにコミック本を1・2・16巻と買ってしまいました。このまま、全巻にいきそうです。
ここで、題名の説明です。「のだめ」は主人公の名前の野田恵。ゴミ溜めの部屋に住むというか、そういう部屋になってしまうみたい。「カンタービレ」は音楽用語で「歌うように」だそうです。月9では久しぶりのラブコメです。それもコミック原作です。だから、「ニコニコ日記」以来です。
主人公の笑顔が素敵。それとピアノに向かっている指が好きになりました。
会社でも、コミック本を持っているか、女性に聞き捲くっていました。誰も持っていないし、始まったことも知らない人多かった。だから、ついでに宣伝しておきました。これだけいて、誰も興味がないとは・・・。
こうなったら、全巻を買って、会社のライブラリにおいて、番宣しようか。ちなみに、主人公は上野樹里(うえの・じゅり)で、「スウィングガール」にも出ていたそうです。JURさん、同じ名前ですね。
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「Sa-」と「さあ!」

愛称公開審査会が終わりました。何時に行ったらいいのかの案内がいくつも合ってわからなかったので、適当に10時過ぎに行きました。

私は「さあ!」「Lets!」という愛称をかなり前に提案しているから、これを皆が分かってくれるように、軸をぶらさずに押しました。

ここ3年ほど、市民参画をやっている中で分かったのは、活動に参画することの難しさです。色々なキッカケを与えても、活動に参画できないものです。環境を仕事にする人は多くいるけど、私みたいな「おちょこちょい」は少ない。もっと、「おちょこちょい」を増やすには、何かを行っていけばいいです。

その基本は偶然の出会いから、ちょっと足をのばすだけです。この点からすると女性の方が行動力に優れています。

今日も区長とか環境部の男性がいたが、彼らは仕事として、家族を養うため(家族はそんな思いとは別に生きているのに)動こうとするけど、「おちょこちょい」としては生きられない。

今回、私の提案を支持してくれたのは、NPO代表とJURさんです。あのNPO代表に感じるのは、空間に浮かんでいる感覚です。それと良いものは良いという感覚です。

結果としては、市役所としては当たり障りのないものになってよかったですね。「さあ!」なんて、名称が市役所とか、地元の区長会に受け入れられるにはまだまだ時間がかかります。本当に市民参画が始まらないと無理でしょう。

会社での「サファイア」とか「Sa-」で展開を図ろうとしています。実はこちらの方は全国販売店だから、6千箇所・11万人にかかわる名前です。私の存在一つで維持しています。そのために、機能を作り上げると同時に、全国販売店でメインとなる人を訪問して、プレゼンテーションしています。

これで、「Sa-」が「さあ!」を超えることができます。
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北朝鮮への圧力

歴史から何を学んだらいいのかがテーマです。

太平洋戦争の日本の姿と似てきている。追い詰められて、どうするかを「偶然」に負かそうとしている。アメリカへの突っ張り方もよく似ている。暗号が全て傍受されているのもよく似ている。

そうなると、その場所から逃げたくて、とりあえずやってみる状態が考えられる。その一瞬に賭けるために「真珠湾」を狙うことだけを考える。ムダな大和の建造を行っている。

追い詰める方も、どうして行くかの当てがあるわけではなく、偶然に任せようとしている。

核兵器があるということは、彼らの「ベルリン」に仕掛けることができる。ヒットラーが最終段階に持っていたら、移動手段がなくなっているので、ベルリンに仕掛けて、ロシア軍を道連れにしたでしょう。

こういうものは、緊張感が高まると、そこから逃れることだけを考えてしまう。しかし、日本にしても、ドイツにしても今から見ると、歴史の必然ではなかった。私としてはここでも、偶然と未来をキーワードにして、将来からのバックキャスティングしながら観察していきます。
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ブロック会議があった

会社のモラルのアンケートがE-ラーニングでやるようにメールで指示が来た。同じことばかり、聞くのと、自分たちの仕掛けたことで、あたかも、皆が分かってくれたような言い方になっていて、頭に来たので、途中でムシしました。管理と監視の典型みたいなものをメールで言ってくるな。。

グループの会議も、全然関係ないことで、1時間をつぶしている。我々のスケジュールを聞いても、彼らも時間つぶしをしているだけです。

そう考えると、月曜日の立哨もどうしようもない30分です。単に立っているしかないものです。よく分からない、「イエローストップ」とかのボードを持って。誰に何を言いたいのか、まるで分からない。意味がないことです。こうして、日本は時間だけを無駄にして敷くのでしょう。

それらの対応できるのは、今のところ、ムシだけです。それと孤独と孤立です。哀しいけど。
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太平洋戦争の責任者はだれ?

林茂『日本の歴史25 太平洋戦争』210.08で、戦争責任からするとだれが悪かったのかということを考えています。

このタイミングで、この本が新刊書コーナーにあったということは、私に太平洋戦争を考えてくれ、という指示(だれから)なのでしょう。そう思って読み込んでいました。

日本と比較すると。ドイツのほうはハッキリしています。なぜ、こうなったものを文献も含めて明確にしようと努力し、それを教育の反映してきました。また、ナチは「明るい未来」を国民に提示しようとしました。右でも左でも、国民に受けることは全て言うだけは言って、希望を持たせた。実際は何もしないで、ナチのやりたいことをやりぬいた。

日本のファッショは何しろ、「暗くて」何も未来を示していない。軍備軍備でお金がない。だけど、ロシア、アメリカ、イギリスに対抗するためにお金を使うしかないと自分を追い込んできた。満州から華北への侵入にしても、方針が合ったわけではなく、どんどん入り込んで、100万人を貼り付けてしまった。

太平洋戦争も、2年後に石油がなくなって、細々と暮らしていくか、ここは一か八かで戦うのかという、次元の低い選択肢で、山本五十六のいうような「とりあえず一年はやりましょう」みたいな突入していった。一か八かで占領しても、心がない以上はどうみても維持できないと分かっているのに。

そのときの武器は「美しい日本」の「愛国心」だけです。といっても、それを要求したのは国民にだけです。軍部は自分の主張を通すだけで、政治家は薩長政治の末期でだれもこれからの日本を考えるものはなくなって、押し付け合いです。首相指名しても皆避けてきた。その結果、軍部が勝手にやる世界を作り出してきた。坂本竜馬みたいな人間は皆死んでしまった世界です。

元々の原因は石油確保であったので、そのための戦略をとればいいです。エネルギー戦略です。このときの石油というのは、船舶用の燃料です。つまり、戦艦が動かせなくなるということみたいです。そのためには戦艦を使わない戦略に切り替えればいい。

むしろ、石油を民生で使って、日本での暮らしを変え、そこで作られた文化そのものをアメリカに対抗して、輸出して、アジアでなくてはならない国していけばいい。

と同時に、ファッショ化している列国に対して、アジアの人たちと夢を共通にして、中国を含めた各国で「維新」を起こしていけばよかった。それらも未来への夢があってこそできることです。

台湾・朝鮮・満州での成功体験しかない軍部では何も生まれてこない。その意味では、アメリカを簡単に理解できる"理数系"の人間に任せてしまえばよかった。現代の中国のように。

これも「未唯への手紙」の歴史編に組み込んでいきます
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