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図書館の棚の検索

日本人はなぜ戦争へと向かったのか

 予約しておいた本が届きました。共にNHKスペシャル取材班編集です。

 210.75『日本人はなぜ戦争へと向かったのか 外交・陸軍編』軍幹部ですら「負ける」と予想した戦争へ、日本はなぜ踏み込んでしまったのか。列強の動きを読み違えた日本外交の“楽観”、新興ナチスドイツへの接近、陸軍中央の戦略なき人事

 210.75『日本人はなぜ戦争へと向かったのか メディアと民衆・指導者編』民衆の“熱狂”を作り出したメディアの責任、アメリカとの圧倒的な国力の差を認識しながら開戦を決断したリーダーたちの迷走。

2.3「数学史」

 2.3「数学史」。次元が上がってきただけではなく、数学とは何かのベースです。つまり、考えるベースです。2.3.3「数学が先行」で現実の空間を超えました。では、どちらに行くのかを示したのが、2.3.4「「未来を表す」です。その最後に、分化と統合につなげている。ツールとしての数学の到達点です。社会全体のトポロジー。

数学がベースである

 数学がベースであるということは、その先まで含めて、色々な対象に対してベースになっていく。哲学とは言葉を介して、一緒になっていく。数学モデルを含めて、全体そのものを表すのも数学の役割です。

バッグを替えたい

 何でもかんでも入れられるバックにしましょう。ただし、ショルダーです。

 バックは、本当は赤のエルメスのイメージです。竹内結子とかパートナーだと似合うけど。赤のトートバックに再登場してもらおうか。

死の感覚

 昨日の夜は久しぶりに、あの感覚に襲われました。なくなるという感覚。この最近は、抽象的に考えていたから、なくなることが楽しみだったけど、やはり、分からない世界だから、つらいですね。

 「未唯との対話」をしないといけない。

図書館の棚の検索

 図書館の棚で14年・15年のラベルで検索しているけど、どれを読んだのかの一覧表が要ります。そうでないと、同じものを選びそうです。

 たとえば、2015年の『死の話をしよう』があったかどうか。ブログの検索が使えれば、6月12日に借りて、「すべては無に帰する」をピックアップしていることがわかる。

 キンドルHDを常時、検索できるように出来ると、データベースとして、全て使えるけど、奥さんは負担してくれないでしょう。今は、本の折り目で判断します。私は痕跡を残しています。誰にも分からないでしょうけど。

 それにしても、図書館の本棚は不思議ですね。1993年と2015年が並んでいます。この間に20年があるんですね。

2.4「社会に示す」

 2.4「社会に示す」では数学と社会との関係を示している。2.4.1「部分・全体という見方」で社会に数学を使う最大のポイントが部分であることを示します。それによって、先が見えてくるということと、全体を考えることができる。2.4.2「仕事に使える」は、会社で30年かけて行ってきたことを書き出します。

専門家を補う

 専門家は自分のエリアに限っていることです。全体を考えていないし、先を見ていない。数学を使えば、それが出来る。これはパートナーに引き継いでもらう。

 だから、会社生活は数学を使ったから、何もしなくてもできてしまった。最後の5年間は、全体を考えて、先を見ることだけをしていた。

スタバの男性のキャッシャー

 スタバの男性(大学生)から、メニューについて、「何か、相談に乗りましょうか」と言ってきた。嫌だ。私は15年来です。15年前は小学生でしょう。大きな顔をするんじゃない。

 相談に乗ってもらいたいのは、男性に当たって、困っているということである。こうなったら、「出待ち」をしましょうか。Iさんでは自然に「出待ち」が許されたのは、今、考えると不思議でした。

2.4.4「システム設計」

 2.4.4「システム設計」。これが会社生活での最大のポイントです。社会全体を数学でもって、システム設計しようとするものです。一種の集大成です。その出だしは、デカルトの方法序説に倣って、自分の生活規範を決めることです。システム設計の目的は環境社会として作り替える。

 それで持続型を保証できることを理論づける。ベースは最初にあるように、部分から全体をつくる。
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未唯宇宙項目の見直し 2.数学 2.1~2.2

数学で考える

 不変と空間で見る

  不変を知る
   不変は真理
   価値を見出す
   存在を超越する
   最後にわかる

  全体を考える
   空間をイメージ
   循環の中にある
   全てを規定
   点と同値

  先を知る
   数学はシンプル
   本質的なこと
   思考実験が可能
   空間のその先

  存在を認識
   存在から考える
   哲学的思考とクロス
   存在を前提とした真理
   認識から対象を生む

 数学は武器になる

  数学への思い
   不変を扱える
   全体が見たい
   シンプルにしたい
   数学を進化させたい

  全てを対象にできる
   相手を選ばない
   考える手段になる
   無限を身近にできる
   空間とつながる

  数学には真理がある
   有意義な生活
   考えるプロでいられる
   真理を考えるだけ
   真理を創り出す

  数学者の世界
   証明の後に感嘆符!
   実り豊かな世界
   こんな世界がある!
   数学者になろう

 空間解析

  リーマン面
   エルランゲンプログラム
   相対性理論に先行
   リーマン面の概念
   局所から全体を規定

  近傍系を定義
   点から始まる
   点の周りの同じもの
   同じならば接続
   位相が定義される

  空間を創造
   近傍系を規定
   位相空間と見做す
   近傍系の連鎖
   組み合わせで多様化

  挙動を解析
   近傍から性格を把握
   動きで空間を想定
   擬似空間で挙動予測
   特異点を回避

 多様体の考え方

  インバリアント
   不変を定義
   真理を表現
   空間を規定
   社会は常識が不変

  多様体
   社会の全体を表現
   地域は近傍の役割
   近傍と全体の関係
   柔軟な構造を示す

  無限次元空間
   リーマン予想前提
   {整数}が無限次元空間
   自分だけの空間
   三次元から抜け出る

  次元を超える
   皆は三次元空間にいる
   無限次元空間を旅する
   数学者の特権
   存在の無が居場所

空間モデル

 空間配置

  配置という考え
   ハイアラキーを否定
   ゼロからの創造力
   根本から組み立てる
   理系の発想

  全体を認識
   近傍系を要素とする
   アナロジーの活用
   全体構成から判断
   先行きが見える

  不変なものから再構成
   空間の連続性を保証
   不変要素を抽出
   不変をDNAと位置づけ
   不変と連続性でつなぐ

  まとめあげる
   数学での思考実験
   何度も作り上げる
   論理から構築
   解はシンプル

 トポロジー思考

  部分と全体の関係
   社会を全体と見なす
   トポロジーを適用する
   部分に数学アプローチ
   循環モデルを創造

  先行する図書館モデル
   グローバルな存在
   読書環境をつくる
   個人と地域を支援
   シェア社会を先取り

  マーケティングモデル
   売る・全体パターン
   消費者から生活者
   使う・部分パターン
   マーケティングが多様化

  歴史は時空間モデル
   歴史を時空間に存在
   歴史で空間配置
   地政学と国のトポロジー
   全体と未来を掴む

 ロジック

  部分は全体より大
   部品と型式の関係
   部品表は逆ピラミッド
   ハイアラキーを配置変換
   技術者思考をシステム化

  複雑なものは複雑に
   『複雑性とは何か』
   社会は複雑性に溢れる
   販売店システムを解析
   マーケティングは複雑性

  周縁から中核
   漂白される社会
   周縁を色づけ
   中核を取り囲む
   中核から全体に増幅

  原因と結果
   9.11は結果である
   結果を原因とみなした
   スパイラルが発生
   配置はスパイラルしない

 思考と行動

  内と外の関係
   思考は内に向かう
   行動は外へ向かう
   内内→内外→外内→外外
   部分、全体と掛け合わせ

  機能の遷移
   内の世界と外の世界
   Think、Act×Local、Global
   FacilitationとInterpretation
   EnpowermentとRealization

  サファイア循環モデル
   販売店の循環から抽出
   役割と機能を創出
   社会事例に適用
   数学理論化

  循環の出発点
   内なる世界の内向き
   内なる世界を変える
   外なる世界に働きかけ
   内なる世界をレベル向上
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OCR化した10冊

『新・100年予測 ヨーロッパ炎上』

 ルクセンブルグ抜出

 地中海連合抜出

『続・100年予測』

 地震型社会、日本

 戦略転換--アメリカ、イラン、そして中東

 地域の心臓部--イランとイラク

 西太平洋地域に向き合う

 技術と人口の不均衡

『ヨーロッパ統合史』

 ヨーロッパ統合とは何だったのか

  何をどのように明らかにしようとしたのか

  EU-NATO-CE体制の成立、変容、終焉

  帝国アメリカを抱きしめて

  主権を超えて? --国民国家とEUとの関係

  「ステルスのヨーロッパ」--統合の機能的手法とその問題点

  失われた「ヨーロッパ」を求めて--理念と機能の多元化

  結語--地域統合はどこに行くのか

 ユーロ危機を超えて

  ユーロ危機とはどのような危機なのか

  「メルコジ」による危機解決

  ユーロ危機が生み出した政治経済的混乱

  アラブの春とヨーロッパ

『14歳からの哲学入門』

 へーゲル

 ウィドゲンシュタイン

 あとがき 池田晶子

『教養としての哲学』

 思考法としての「相対主義」

 思考法としての「イデア説」

 思考法としての「無知のヴェール」

 思考法としての「唯名論」

 思考法としての「カテゴリー論」

 思考法としての「構造主義」

 思考法としての「上部下部構造」

 思考法としての「権力論」

 思考法としての「超人思想」

 思考法としての「根源的時間」

 思考法としての「強度」

 思考法としての「身体論」

 思考法としての「言語ゲーム」

 思考法としての「他者論」

 思考法としての「コミュニケーション的理性」

 思考法としての「主体化」

 思考法としての「無知の知」

 思考法としての「弁証法」

 思考法としての「否定弁証法」

 思考法としての「道具主義」

『100年予測』

 新世界の勃興

 二〇四〇年代

  戦争への序曲

  トルコ

  ポーランド

  圧力と同盟

  宇宙とバトルスター

  高まる緊張

『21世紀の国際法秩序』

 グローバル化の時代における人道的統治の探求

  グローバル化を考える--肯定的効果と否定的効果

  ブローバル化の挑戦に対応するために人道的統治のあり方を再構築する

  結論

『ザ・セカンド・マシン・エイジ』

 個人への提言

 ゲームはまだ終わらない

 コンピュータにできないことは

 人間の比較優位を探せ

 スキルを変え、教育環境を変える

 勉強しない大学生

 今後有利なスキルは何か

 絶対と言い切れることは一つもない

『内モンゴルを知るための60章』

 知識青年たちの内モンゴル

 「中華民族の英雄」チンギス・ハーン

『サウジアラビアを知るための63章』

 イスラームの誕生

 サウード家の統治

 アラブの春と遅れる民主化

 グローバル時代のイスラーム国家

 家族の絆とコミュニティー

 シーア派政策

 変化する女性のライフスタイル

 女性の地位と暮らし

 石油収入の分配
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石油収入の分配

『サウジアラビアを知るための63章』より

サウジアラビアを含む現在の湾岸諸国の経済体制は1970年代のオイルブームによって完成した。その特質を表現する概念として「レンティア国家(rentoer state)」という概念が広く知られている。石油収入という「地代(レント)に依存し、その「分配」をもとに成り立つレンティア国家論は経済的特徴のみならず、政治的な特徴をも同時に含意している。通常、産油国は「ロー・アブソーバー(資本低吸収)」諸国と「ハイ・アブソーバー(資本高吸収)」諸国に分けられる。「ロー・アブソーバー」諸国とは国内の市場や人口規模が小さく、石油収入を国内で使い切ることができない産油国のことであり、逆に「ハイ・アブソーバー」諸国は国内の工業がある程度発達していて、市場や人口の規模が大きく、石油収入を国内で使い切ってしまう産油国のことを指す。「ロー・アブゾーバー」諸国の代表がサウジアラビアやクウェートであり、「ハイ・アブゾーバー」諸国の代表がイランやアルジェリアである。「レンティア国家」論は「口ー・アブソーバー」諸国でその性格がより顕著に見られる。

レンティア国家論が広く世に知られるようになったのは、1987年のベブラウィーとルチアーらによる The Rentier States という著作の出版によってである。この著作の中で彼らは、「レンティア国家の概念を提唱する際、外国からの収入に依存する国家は、国内の課税収入に依存する国家とは本質的に異なる」と、レンティア国家を議論する際の根本を指摘している。そして「レンティア国家」と「レンティア経済」を区別し、前者は外国からの収入とレントの発生による収入が大部分である国家であるとし、後者をそのような収入に依存している経済であるとし、レンティア国家を次のように定義した。

 ・前提として、純粋なレンティア国家は存在しない。どの国家、経済にもレントの要素は存在する。レンティア国家はレントによる収入が優勢である国家をもって定義すべきである。

 ・レンティア経済は巨額の対外レントを受け取る。

 ・レンティア経済の特別なケースであるレンティア国家は、レントを生みだす活動に従事することは少なく、多くはレントの分配と使用に関与する。

 ・レンティア国家の政府は対外的レントを受け取る主体である。受け取ったレントを国民に分配するのが政府の中心的な役割である。

ここで、サウジアラビアをレンティア国家論の観点から見てみよう。サウジアラビアの国家を支える重要産業は石油である。そしてその石油輸出収入が国家財政の大部分となっている。サウジアラビアの歳入の9割近くが石油収入で占められている(残りが関税などの税収、海外投資収益など)。こうした石油収入はまさに「レント」そのものである。サウジアラビア政府(サウード家)は石油収入を独占するかわりに、国民に対する手厚い福祉・補助金政策、さらに国民を競争やリストラのない公務員として政府が雇用する「国家丸抱え」によってレントを国民に「分配」してきた。もっとも、「分配」という言葉は聞こえがよいが、「バラマキ」と言ったほうが実情に合っているかもしれない。またレントを「分配」することによって国民には納税の義務がなく(所得税、法人税、付加価値税等はサウジアラビア人に対しては課されていないが、ィスラームの教えにしたがった2・5%のザカート税は存在する)、それゆえ、国民の代表者からなる議会制度も存在しない(ただし、地方議会レベルの選挙は行われている)。まさに「代表なくして課税なし」の状態であり、石油収入であるレント「分配」がサウジアラビアにおけるサウード家の「支配の正当性」となってきた。

レントの分配は国民ばかりでなく、企業にも向けられた。サウジアラビアの企業の多くは国営・国有企業、ないしは政府(王族)が何かしら関与する形で育成されてきた。国営であるがゆえに、赤字経営となっても政府から補助金が投入されるため、経営の効率性はほとんど改善されることなく、それどころかレント・シーキング(例えば、自社の経営に都合のよい制度への変革を求めること等)の発生が起こる状態であった。

こうして国民は手厚い福祉のもとに不自由なく暮らし、企業も赤字体質で非効率でも経営が成り立つという、両者ともに「甘え」の構造が定着してしまった。こうした「甘え」を「レンティア・メンタリティ」と呼ぶ論者もおり、レント・シーキングとともにレンティア国家の問題点として指摘されている。現在、サウジアラビアでは若年層人口増加による失業問題が社会問題化している。政府はさかんに若者に対して民間部門への就職を促しているが、若者は好待遇の公務員への志向を変えない。民間もサウジアラビア人のレべルが概して低く、優秀な外国人が安価で雇用可能となれば外国人の雇用に傾く。ある種、現在の若年層失業問題は「国家が生みだした構造的失業」ともいえる。

石油収入というレントを基盤にして成り立っていたレンティア国家システムであるが、80年代半ば以降の原油価格低迷の時期には、石油収入が減少し、レンティア国家システムの維持が困難にならざるをえなくなった。財政赤字の拡大とともに福祉予算や補助金の削減などが行われたが状況はさほど改善せず、国民に対し租税を導入しようにも「レンティア・メンタリティ」から反対は大きく、さらに「代表なくして課税なし」という言葉に代表されるように、租税導入にはそれへの引き換えとして民選議会設立というこれまでの政治体制である「絶対王制」の転換を迫られることになる。サウジアラビアの経済改革は政治システムの転換とも密接に関わってくる問題なのである。

2005年以降、石油価格は歴史的な高値で推移していたため、サウジアラビアの石油収入、国家歳入ともに増加していた。それに呼応するかのように2013年の歳出額は2005年の約3倍に増加しているなど、近年は歳出増が著しい。とりわけ教育や社会福祉、インフラ整備などへの支出を増加させており、国民へより手厚い「分配」を行っている。一連の「アラブの春」騒動を受け、サウジアラビア国内でも体制変革を求める抗議活動が起こった。その影響から、2011年の歳出額は対前年比26%増と大幅に増加させた。国民に経済的恩恵を与え、王制に反感を抱かせないようにするためである。2014年秋、原油価格は急落し、サウジアラビアにとっては歳入減となるのだが、2015年予算においても歳出は増加の見込みである。石油収入を国民に「分配」し、自らの政治体制の維持・強化を図る動きは、石油価格の変動にかかわらずより一層強まっている。
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サウジアラビアのシーア派政策

『サウジアラビアを知るための63章』より

サウジアラビアはワッハーブ主義を基本とする宗教国家である。ワッハーブ主義によれば「堕落したイスラーム教徒」は不信者であり、イスラーム教徒とは見なされていなかった。初期ワッハーブ主義者にとって「堕落したイスラーム教徒」とは、イスラーム教義から逸脱していると見られた神秘主義者であり、またシーア派教徒であった。今では、公式的にはサウジアラビアでは神秘主義者は完全に排除されてしまったが、シーア派教徒はワッハーブ主義者からの迫害の歴史をつづりながらも、サウジアラビア国内に少数派として生き続けてきた。

現在、シーア派人口はサウジアラビア人口の10%、約200万人と見られている。シーア派住民の多くは東部州に居住している。シーア派住民が東部州に多く住むようになったのは、バーレーンなどのシーア派教徒との交流の歴史的経緯によるものである。シーア派教徒が居住している東部州は大油田地帯を抱え、イラクを頭上に、イランを対岸に控えている軍事的にも経済的にも重要な地域である。東部州のシーア派教徒はイランと同じ一二イマーム派である。東部州で特にシーア派教徒が集中して存在する地域はハサ地域とガティーフ地域である。ダンマーム地域やジュベイル地域には多少シーア派教徒が労働者として流れている状況である。東部州以外では、首都リヤドにも東部州から移り住んでいる状況が見られ、ヒジャーズ地方、特に南部にはシーア派のイスマーイール派やザイド派が存在している。

ここでは、東部州のシーア派の生活を中心に取り上げる。シーア派のモスクはハサ地域のホフーフ市のようなスンナ派との共同地帯では外見からモスクとは分からない形をとっているが、シーア派だけの地域では派手な雰囲気を持っている。特にガティーフのようにシーア派住民が95%を占めている地域では、金曜礼拝のモスクの屋根には金色の大きなドームが二つ付いており、その存在を誇示している。

東部州シーア派住民とイラン、イラクとの関連については、宗教的結びつきは非常に強く、イラン、イラクのシーア派聖地訪問が頻繁に行われている。シーア派住民はイスラーム法規定に関して意見を求める場合、イラクやイランのマルジャウ(イスラーム法的指導者)に見解を求めるグループもあり、師事するマルジャウを中心として連帯意識が形成されている。

就業面においては、シーア派教徒は中央政府機関から締め出されており、特に軍、治安関係では、シーア派教徒に対する信頼がないことから、雇用されることは難しい状況である。シーア派住民の中には、教育熱心な人が多く、政府機関などで働くよりも医師や弁護士などになって身を立てようとする者が多い。また、農園経営や商売を好んで行うのが現状である。ハサ地域とガティーフ地域では農業が主体であり、両地域で、シーア派住民はナツメヤシの大農園を経営しているのが散見された。商売などでも、ガティーフに隣接するダンマームでの金市場を掌握しているのはシーア派住民である。

スンナ派国民との付き合いに関して述べておこう。スンナ派とシーア派との間で、商売や仕事の付き合いは宗派に関わりなく行われているが、一般の付き合いは全く行われていない。必要以上の関わりを持つことをお互いに避けているのが現状である。結婚でも、シーア派はシーア派同士、スンナ派はスンナ派同士で結婚する。埋葬に関してもシーア派とスンナ派の墓地は全く別であり、スンナ派とシーア派が一つの墓地に埋葬されることはない。このようにワッハーブ主義のシーア派を否定する教えはサウジアラビア社会の中に完全に浸透しているといえる。

リヤドのスンナ派住民はシーア派について、シーア派は東部州に存在するが、町中では全く見かけることはないとの発言が多く、シーア派の存在そのものを軽視する雰囲気である。しかし、東部州では、半数以上を占めるシーア派はスンナ派にとって無視できない存在である。

1993年秋、シーア派反体制グループとサウジアラビア政府の和解が成立し、海外在住のシーア派反体制グループは、欧米のメディアを通じてサウジアラビアを非難する活動を中止し、一方サウジアラビア政府は海外在住のシーア派反政府グループ活動家の安全な帰国や、国内でのシーア派独自の宗教活動の自由を認めた。これを機に1994年、シーア派の活動家、ハサン・サッファール師(1956年生まれ)が10年間の亡命生活の後に帰国して、東部州のシーア派住民の指導的立場となっている。

以後、シーア派からの政府非難活動は見られなくなり、サウジアラビア政府もシーア派地域での開発に力を入れてきた。しかし、双方が完全に安心しているわけではなく、時折、問題が発生している。たとえば、2009年2月24日、マディーナの預言者モスクの周りでシーア派信徒だちと勧善禁悪委員会の活動員たちが衝突し、シーア派9人が逮捕される事件が起きた。その逮捕に反発して東部州にてシーア派住民のデモが発生し、混乱が続いた。そこで、アブドッラー国王は4月26日、東部州を訪問し、開発に総額144億ドルをあてることを発表し、一応の収まりを見せた。

また、「アラブの春」に触発され、2011年になって民主化運動の影響を受け、デモ騒動が東部州で始まり、同年10月4日にデモ隊と警察官が衝突して、双方に死傷者が出た。この事件から、双方が過敏になり、その後も散発的に衝突事件が起こっている。2012年7月に入り、サウジアラビア政府は東部州の警備を強化し、国内の暴動に対しては断固たる処分をする態度を示した。一方で、アブドッラー国王が同年8月15日にリヤドで「宗派学派間対話のためのセンター」の設立を発表し、シーア派教徒との対話を進めた。ハサン・サッファール師をはじめとするシーア派ウラマー7名が同センター設立を歓迎する内容の声明を発表し、その声明の中で、シーア派同胞に向けて、国内における行動はすべて平和的手段を採るべきであると強調した。同様に、2014年3月7日に内務省がテロリスト・リストを発表した時も、2日後にシーア派ウラマー10名が内務省発表を支持する声明を出し、その中で、テロを拒否し、国家に対して武力を用いることはないと宣言した。シーア派ウラマーの中には過激な発言をする者もいるが、ここに署名したシーア派ウラマーは1993年に成立したサウジアラビア政府との和解を重視している。ワッハーブ主義のサウジアラビア社会の中で、シーア派社会の安全を確保していく穏健なシーア派ウラマーの姿がそこにはある。
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