未唯への手紙
未唯への手紙
FBのメッセンジャーアプリ
FBのメッセンジャーアプリ
昨日、FBのメッセンジャーのアプリを入れたので、試したくて、用事もないのに、なわさんに「ワッ」と脅しのメッセージを送ったけど、無反応。そこで、「驚かないなーと」と追伸したけど、何もない。朝になって、気づいて、反応してきた。
タブレットに、FB登録の顔がアイコン化して、常に表示されます。それをクリックすると、メッセンジャーが見えて、また、クリックすると、アイコンだけになります。アプリとはこういうことなんだと分かりました。消し方が分からない。
スマホでは、こういう世界なんですね。煩わしいですね。これをパートナーとか愛さんと行っても、そんなに話すことはないです。
LINEをやっている男女は別れやすいと書かれていた。分かるような気がします。常にプレッシャーを感じるはよくないことです。
相手の状況が分かるということは、大変きついことかもしれません。未唯空間の仮説の一つの「状況把握」もどういうバランスを取るのか。自分が主体であることを維持させないといけない。
水曜日から金曜日までつながった
今週は水曜日から金曜日までつながります。その内、木曜日の未唯には気をつけないといけない。気をもむと、体のバランスを悪くする可能性に気をつけましょう。
愛さんの勤務状態を確認しました。以前は、レスが次の日だったけど、この最近は1~2時間で帰ってきます。そこで、14日に決めました。観る映画なども探さないといけないし、図書館の新刊書が盆休みでないことも確認しないといけない。
今週は、水曜日に未唯のお披露目会、木曜日にハレーすい星との遭遇、金曜日に愛さんとなりました。なわにメッセンジャーしたら、スペシャルな一週間と返してきた。
盆休みで医者がやっていない
お盆であることに気づきました。薬が切れていて、内科病院に行ったところ、「休診」と書かれていた。ケータイで電話したら、16日までとのこと。薬だけ処方してもらうことにした。
昨日、FBのメッセンジャーのアプリを入れたので、試したくて、用事もないのに、なわさんに「ワッ」と脅しのメッセージを送ったけど、無反応。そこで、「驚かないなーと」と追伸したけど、何もない。朝になって、気づいて、反応してきた。
タブレットに、FB登録の顔がアイコン化して、常に表示されます。それをクリックすると、メッセンジャーが見えて、また、クリックすると、アイコンだけになります。アプリとはこういうことなんだと分かりました。消し方が分からない。
スマホでは、こういう世界なんですね。煩わしいですね。これをパートナーとか愛さんと行っても、そんなに話すことはないです。
LINEをやっている男女は別れやすいと書かれていた。分かるような気がします。常にプレッシャーを感じるはよくないことです。
相手の状況が分かるということは、大変きついことかもしれません。未唯空間の仮説の一つの「状況把握」もどういうバランスを取るのか。自分が主体であることを維持させないといけない。
水曜日から金曜日までつながった
今週は水曜日から金曜日までつながります。その内、木曜日の未唯には気をつけないといけない。気をもむと、体のバランスを悪くする可能性に気をつけましょう。
愛さんの勤務状態を確認しました。以前は、レスが次の日だったけど、この最近は1~2時間で帰ってきます。そこで、14日に決めました。観る映画なども探さないといけないし、図書館の新刊書が盆休みでないことも確認しないといけない。
今週は、水曜日に未唯のお披露目会、木曜日にハレーすい星との遭遇、金曜日に愛さんとなりました。なわにメッセンジャーしたら、スペシャルな一週間と返してきた。
盆休みで医者がやっていない
お盆であることに気づきました。薬が切れていて、内科病院に行ったところ、「休診」と書かれていた。ケータイで電話したら、16日までとのこと。薬だけ処方してもらうことにした。
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地方都市圏における拠点・ネットワーク構造
『田園回帰1%戦略』より 田園回帰を支える社会システムと総合戦略
(1)新たな成長戦略は、多彩なロングテール活用
このような「小さな拠点」の形成は望ましい政策展開ですが、「小さな拠点」だけがポツンと生まれても機能しません。総合病院や高校といったより高次な機能は地方都市の中心にしかありませんし、「小さな拠点」に集められた資源や商品の中には、より広域なマーケットの中で高く評価されるものも出てくるでしょう。また、完全な自給自足は無理ですから、域外からの品物やサービスの提供も必要になります。「小さな拠点」の形成にとどまらす、地方都市圏全体の拠点・ネットワーク構造を考える必要があるのです。
一方、第1章で指摘させていただいたように、地方都市の衰退は、大きな問題となっています。単なるグローバル経済の末端になり下がっては、人口減少に歯止めはかかりません。地方都市形成の起源は、周辺の中山間地域を含めた圏域の人や物資の集散地にあります。多くの町が、今も地名に残っているように、「市場町」なのです。「上」ばかり、「東京ばかり」「中央ばかり」見るのではなく、周りの地域を改めて見渡して、今後の循環型社会における拠点とネットワーク構造を考えるべきです。「裾野」が元気にならない限り、「頂」の高さは生まれません。
地方都市を取り巻く中山間地域の特性は、何度も繰り返しますが、小規模・分散性です。昔から、いろいろなものが少しずつ、ここかしこで生産されてきたのです。
地方都市は、こうした多彩で、つながり・奥行のある豊かさを、これから求めていくべきではないでしょうか。東京と同じような、全国どこのものでも食べることができる豊かさを追求していては、いつまで経っても東京には価格でも品質でも品ぞろえでも勝てないでしょう。国内外の大産地や大きなメーカーは、一番多く、そして高く売ることのできる重星巾場へ最優先で出荷するはずです。地方都市に流れてくるのは、そのあとになります。
地方にとっての成長戦略は、重只がやってきたような大規模に集中させて専門的に生産されたものを遠くから持ってくる戦略ではありません。小規模で分散して生産されている多様な産物をできるだけ近くから手に入れる戦略のはずです。そうした細やかな生産や流通、消費の仕組みを、「規模の経済」の時代に、地方都市も打ち捨ててしまったのです。
これから地方都市や中山同地域が目指すべき基本戦略は、「ロングテール」の取戻しです。「ロングテール理論」は、アマゾン社のように、膨大なそれほど売れない商品群を、IT技術などを駆使して、それぞれ少数ずつではあっても全体としては幅広く存在している特定のニーズを有する消費者とリンクさせ、隠れていた需要を掘り起こし新たな収益を生み出すビジネスモデルです。
よく考えれば、自然も暮らしも、本来「ロングテール」な営みです。自然は、「ロングテール」な種の多様性によって、安定した生態系を形づくっています。暮らしも多様なおいしさ、美しさに囲まれてこそ、潤いのあるものになります。これからの循環型社会においては、自然と暮らしのロングテール=多様性を地域の中でうまく結びつけることがポイントなのです。
そうであれば、地方都市圏における拠点とネットワーク構造は、「小さな拠点」を一番の前線基地として、地域内の多様な自然・資源と多様な暮らしをつないでいく設計がなされるべきです。これまでの「規模の経済」優先の生産・流通・消費のシステムの中では、一定のまとまった量(ロット)に達しないものは、市場の流通から切り捨てられてきました。そして全国規模あるいは世界的規模で流通できる大量生産品が幅を利かせていたのです。しかし、集落地域における「小さな拠点」により域内の少量多品種の品々を集約し、広域的な流通へもつないでいければ、それぞれの地域の個性的なロングテールを地方都市圏や全国で共有できるはずです。同時に、予っした多様性ある資源利用により内部循環性も高まっていくのです。
小規模・分散性を活かす設計原理とは、重層的な拠点とネットワーク構造を張り巡らし、隅々の「細胞」まで「血管」と「神経」を行き渡らせることなのです。
(2)「小さな拠点」と「規模の経済」をつなぐ広域ハブ機能
地方都市圏全体の拠点・ネットワーク構造としては、図5-8のように、「小さな拠点」を支える二次的な拠点であり、域外の全国的あるいはグローバルなフローとのゲートウェイとしての役割を果たす地方都市の広域拠点を整備していく必要があります。この広域ハブまでは、新聞は新聞で、チョコレートはチョコレートで、ビールはビールで専門的に大量輸送されます。しかし、そこからの「小さな拠点」に至る域内フローは、大きくまとまったロットになり得ないので、「荷解き」をして異なる種類の品物を複合的に輸送していくことで効率性を上げるべきなのです(=「範囲の経済」)。「小さな拠点」から各世帯や事業所へのフローも当然ながら、少量多品種の複合的なフローとなります。そして、単に域外からの大量生産品を各世帯に届けるだけでなく、それぞれの世帯や集落で生み出されたロングテールな多彩な品々を集荷し、「小さな拠点」で集約し地域内での消費に回すとともに、地方都市の広域拠点へと共同出荷していくのです。
地方都市中心部に、地域内外を異なる設計原理(「規模の経済」と「範囲の経済」)を組み合わせて円滑に結ぶ広域ハブを形成させることで、従来からの大量生産品だけでなく、中山間地域の津々浦々で生産されるロングテールな少量多品種の生産品を経済循環の中へ取互尻すことが可能となってきます。
こうした重層的かつ複合的な拠点・ネットワーク構造がうまく機能するためには、情報面でのネットワーク進化が不可欠です。
先ほど「郷の駅」や「小さな拠点」の存立要件としても述べたように、柔らかいつなぎ役の配置を中心として地域内の情報が集約され、地域外へも発信されるようになることが必要です。
また、そうした情報共有の仕組みを土台として、さまざまな柔軟な発想による「合わせ技」での運び方を、新たな社会技術として開発していくべきです。
たとえば島根県益田市の真砂地区では、2014年10月から、市内中心部のスーパーマーケットヘの買い物支援バスを、地域の野菜を出荷する車としても複合利用して、すばらしい成果を上げています。こうした素敵な「合わせ技」をどんどん創造していきたいものです。
(3)真のコンパクトシティとは?
このような地方都市圏における拠点・ネットワーク構造の進化を展望すると、地方都市甲心部に求められる機能は、分野を横断した広域ハブが空間的に集積する「マルチコア」のようなイメージになります。地域内外の人やモノの流れを集中的に結節し、複合化させたフローで束ねていくことが求められるわけですから、分野的にも空間的にも集約度の高いシステム設計が重要なのです。
最近、コンパクトシティ論が流行し、なかには周辺部の中山同地域を切り捨てる理屈として誤用する例もあるようです。しかし、循環型社会でも通用する真のコンパクトシティとは、周辺部の中山間地域からも地域外からも複合的なアクセスをかけやすい広域ハブの形成を意味するはずです。
(1)新たな成長戦略は、多彩なロングテール活用
このような「小さな拠点」の形成は望ましい政策展開ですが、「小さな拠点」だけがポツンと生まれても機能しません。総合病院や高校といったより高次な機能は地方都市の中心にしかありませんし、「小さな拠点」に集められた資源や商品の中には、より広域なマーケットの中で高く評価されるものも出てくるでしょう。また、完全な自給自足は無理ですから、域外からの品物やサービスの提供も必要になります。「小さな拠点」の形成にとどまらす、地方都市圏全体の拠点・ネットワーク構造を考える必要があるのです。
一方、第1章で指摘させていただいたように、地方都市の衰退は、大きな問題となっています。単なるグローバル経済の末端になり下がっては、人口減少に歯止めはかかりません。地方都市形成の起源は、周辺の中山間地域を含めた圏域の人や物資の集散地にあります。多くの町が、今も地名に残っているように、「市場町」なのです。「上」ばかり、「東京ばかり」「中央ばかり」見るのではなく、周りの地域を改めて見渡して、今後の循環型社会における拠点とネットワーク構造を考えるべきです。「裾野」が元気にならない限り、「頂」の高さは生まれません。
地方都市を取り巻く中山間地域の特性は、何度も繰り返しますが、小規模・分散性です。昔から、いろいろなものが少しずつ、ここかしこで生産されてきたのです。
地方都市は、こうした多彩で、つながり・奥行のある豊かさを、これから求めていくべきではないでしょうか。東京と同じような、全国どこのものでも食べることができる豊かさを追求していては、いつまで経っても東京には価格でも品質でも品ぞろえでも勝てないでしょう。国内外の大産地や大きなメーカーは、一番多く、そして高く売ることのできる重星巾場へ最優先で出荷するはずです。地方都市に流れてくるのは、そのあとになります。
地方にとっての成長戦略は、重只がやってきたような大規模に集中させて専門的に生産されたものを遠くから持ってくる戦略ではありません。小規模で分散して生産されている多様な産物をできるだけ近くから手に入れる戦略のはずです。そうした細やかな生産や流通、消費の仕組みを、「規模の経済」の時代に、地方都市も打ち捨ててしまったのです。
これから地方都市や中山同地域が目指すべき基本戦略は、「ロングテール」の取戻しです。「ロングテール理論」は、アマゾン社のように、膨大なそれほど売れない商品群を、IT技術などを駆使して、それぞれ少数ずつではあっても全体としては幅広く存在している特定のニーズを有する消費者とリンクさせ、隠れていた需要を掘り起こし新たな収益を生み出すビジネスモデルです。
よく考えれば、自然も暮らしも、本来「ロングテール」な営みです。自然は、「ロングテール」な種の多様性によって、安定した生態系を形づくっています。暮らしも多様なおいしさ、美しさに囲まれてこそ、潤いのあるものになります。これからの循環型社会においては、自然と暮らしのロングテール=多様性を地域の中でうまく結びつけることがポイントなのです。
そうであれば、地方都市圏における拠点とネットワーク構造は、「小さな拠点」を一番の前線基地として、地域内の多様な自然・資源と多様な暮らしをつないでいく設計がなされるべきです。これまでの「規模の経済」優先の生産・流通・消費のシステムの中では、一定のまとまった量(ロット)に達しないものは、市場の流通から切り捨てられてきました。そして全国規模あるいは世界的規模で流通できる大量生産品が幅を利かせていたのです。しかし、集落地域における「小さな拠点」により域内の少量多品種の品々を集約し、広域的な流通へもつないでいければ、それぞれの地域の個性的なロングテールを地方都市圏や全国で共有できるはずです。同時に、予っした多様性ある資源利用により内部循環性も高まっていくのです。
小規模・分散性を活かす設計原理とは、重層的な拠点とネットワーク構造を張り巡らし、隅々の「細胞」まで「血管」と「神経」を行き渡らせることなのです。
(2)「小さな拠点」と「規模の経済」をつなぐ広域ハブ機能
地方都市圏全体の拠点・ネットワーク構造としては、図5-8のように、「小さな拠点」を支える二次的な拠点であり、域外の全国的あるいはグローバルなフローとのゲートウェイとしての役割を果たす地方都市の広域拠点を整備していく必要があります。この広域ハブまでは、新聞は新聞で、チョコレートはチョコレートで、ビールはビールで専門的に大量輸送されます。しかし、そこからの「小さな拠点」に至る域内フローは、大きくまとまったロットになり得ないので、「荷解き」をして異なる種類の品物を複合的に輸送していくことで効率性を上げるべきなのです(=「範囲の経済」)。「小さな拠点」から各世帯や事業所へのフローも当然ながら、少量多品種の複合的なフローとなります。そして、単に域外からの大量生産品を各世帯に届けるだけでなく、それぞれの世帯や集落で生み出されたロングテールな多彩な品々を集荷し、「小さな拠点」で集約し地域内での消費に回すとともに、地方都市の広域拠点へと共同出荷していくのです。
地方都市中心部に、地域内外を異なる設計原理(「規模の経済」と「範囲の経済」)を組み合わせて円滑に結ぶ広域ハブを形成させることで、従来からの大量生産品だけでなく、中山間地域の津々浦々で生産されるロングテールな少量多品種の生産品を経済循環の中へ取互尻すことが可能となってきます。
こうした重層的かつ複合的な拠点・ネットワーク構造がうまく機能するためには、情報面でのネットワーク進化が不可欠です。
先ほど「郷の駅」や「小さな拠点」の存立要件としても述べたように、柔らかいつなぎ役の配置を中心として地域内の情報が集約され、地域外へも発信されるようになることが必要です。
また、そうした情報共有の仕組みを土台として、さまざまな柔軟な発想による「合わせ技」での運び方を、新たな社会技術として開発していくべきです。
たとえば島根県益田市の真砂地区では、2014年10月から、市内中心部のスーパーマーケットヘの買い物支援バスを、地域の野菜を出荷する車としても複合利用して、すばらしい成果を上げています。こうした素敵な「合わせ技」をどんどん創造していきたいものです。
(3)真のコンパクトシティとは?
このような地方都市圏における拠点・ネットワーク構造の進化を展望すると、地方都市甲心部に求められる機能は、分野を横断した広域ハブが空間的に集積する「マルチコア」のようなイメージになります。地域内外の人やモノの流れを集中的に結節し、複合化させたフローで束ねていくことが求められるわけですから、分野的にも空間的にも集約度の高いシステム設計が重要なのです。
最近、コンパクトシティ論が流行し、なかには周辺部の中山同地域を切り捨てる理屈として誤用する例もあるようです。しかし、循環型社会でも通用する真のコンパクトシティとは、周辺部の中山間地域からも地域外からも複合的なアクセスをかけやすい広域ハブの形成を意味するはずです。
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新たな結節機能としての「郷の駅」構想
『田園回帰1%戦略』より 田園回帰を支える社会システムと総合戦略 「田舎の田舎」の定住を支える「小さな拠点」--「郷の駅」
①分散同地域に必要な「ハブ&スポーク構造」
中山間地域の特色は、資源や居住の「小規模・分散性」にあります。無数の小さな谷ごとに集落が散らばり、多彩な里地や里山の資源を多面的かつ循環的に近接利用してきたのです。このような居住形態自体に問題があるのではありません。むしろこれからの循環型の社会やライフスタイルの先進例とも見なすことができます。
しかしながら、分散的な居住形態にあって、各分野の拠点までも分散し、お互いをつなぐネットワークも縦割りで細分化すると、持続性に乏しい非効率な社会システムになってしまいます。居住形態が分散的であれば、拠点は集約化されかつネットワークは複合化されなければ、持続可能な社会システムは成立しないのです。
分散的な居住が優越する地域社会の基本的な設計原理は、ハブ&スポーク構造です。航空業界のように広域に分散している交通ニーズヘの対応として知られているネットワーク手法です。一定のエリアごとに域内のフローを一度束ねるハブを設定し、必ずそこを経由するかたちで路線設定を行なうと、路線数は劇的に減少し、路線当たりの輸送ロットは大きくなります。
また、同時に、旅客・貨物両部門において細分化された輸送ニーズを束ねて対応する複合化の可能性も広がります。山奥の集落に離れて暮らす一軒ごとに、それぞれ別個の交通手段により新聞や宅配便、収穫された野菜、通学や通院に関わる移動や輸送を行なうところに無理があったのです。また、単なる交通フローの集約化にとどまらす、ハブ拠点にさまざまな生活や産業の施設を併設すれば、ふだんは離れて暮らしていても、そこへ行けば、自然と他の住民とも顔を合わすことのできる広場が出来上がります。
②新たな結節機耶を担う「郷の駅」構想
私は、10年前から、このような中山間地域の分散的居住を支える新たなハブ、広場としての結節機能空間を「郷の駅」と名付け、その整備を提唱してきました。
「郷の駅」に対応する地域範囲は、基礎的な定住と循環を支える圏域となります。その人口規模は、山間部や離島など地域特性によっても、大きく異なりますが、おおむね人口300~3000人程度の小学校区・公民館区などがこれに相当します。第2章で取り上げた島根県でいうところの一次生活圏としての「郷」がこれに当たり、その平均規模は504世帯・1370人・平均集落数14・7となっています。島根県では、この地域範囲は、昭和の大令併以前の旧町村とほぼ重なります。
「郷の駅」は、域内外をつなぐ旅客・貨物のターミナル機能だけでなく、コミュニティ、行政、商業、金融、医療、福祉、教育など暮らしを支える一次拠点がそろう複合的な拠点です。また、地域の玄関口(ゲートウェイ)として一元的な地域情報の集約や発信を行ない観光案内などに役立てると同時に、移住希望者への定住案内窓口の機能も果たすことができます。集落単位の取り組みを補完する広域的な営農や林業に関わるセンター機能を備えることで、加工施設や直売市と連動して域内循環を促進し、教育や福祉施設への食材供給も行なうことができるでしょう。身近な道路こ冽川について草刈りや簡単な維持補修などのインフラ維持管理機能を有することで、災害時にも役立ちます。
今後の循環型社会に向けては、地域内の資源管理や域内のリサイクルを進めるエコステーションの機能も期待できます。そして、地域内のバイオマス資源や小型水力発電を活用するエネルギーステーション機能は、電気自動車のチャージ機能も含め、地域内のエネルギー自給と脱温暖化に大きな役割を果たすことでしょう。
また、同時に、「郷の駅」整備とセットで、域内の輸送システムも新交通システムに移行させるのです。電気自動車によりディマンド型の運行を行ない、地域住民も農産物も新聞も同時に複合輸送を行ないます。もちろん、観光客が同乗することもOKです。
将来的には、購入・維持管理・ガソリン代に多大な支出を強いられるマイカーではなく、集落で共通のアワーカー(Our Car)をカーシェアリングするシステムに移行していくことを視野に入れてもよいでしょう。身近な地域ごとに「郷の駅」が整備されれば、最近導入が始まっている超小型電気自動車で自宅からアクセスするといった仕組みも有望となります。
③「田舎の田舎」の定住と循環を促す五つの効果
このような「郷の駅」が整備されれば、小規模・分散性から生まれる中山同地域の条件不利性を緩和し、それぞれの集落に息づく多彩な自然と暮らしをつなぎ、地域内外でその豊かさを共有する定住と循環の基盤インフラとなり得ます。その具体的効果としては、次のような5点が考えられます。
輸送フローの集約効果一各種拠点が併設され一度に用事を済ませることのできるワンストップ効果が生まれるだけでなく、旅客・貨物の同時輸送など、輸送システムの複令化により効率化が飛躍的に進みます。その結果として、定住や循環の障害となっていた小規模・分散の条件不利性が緩和されま複合的なマネジメントによる持続性効果:各分野の施設を集約することによりィンフラの整備・維持管理コストが節減できるだけなく、分野単独ではI人役の仕事として成り立ち得ない施設や機能についても、他施設の業務との複合雇用等により新たな経営持続性が生まれます。
多分野連関による経済循環効果一地域内にこれまで失われていた各分野の産業や施設、機能が復活し、相互の連関性が高まると、地域内乗数効果により全体として所得・雇用が確保できます。出会いの場創出によるソーシャル・キャピタル醸成効果:分散的居住地域にとって貴重な、地域内外の人々が自然に顔を合わせる出会いの機会が創出され、ソーシャル・キャピタルが醸成されます。地元循環圏構築によるエネルギー自給と脱温暖化効果:再生可能エネルギーを基盤とした地元循環圏の構築に寄与し、将来的にマイカー依存度を下げることから、炭酸ガス排出量を大きく低減できます。
海外においても、このような整備効果に着目して、田園地域における複合的な拠点整備を進める政策展開が見られます。たとえば、イギリス(イングランド)においては、分散的に暮らす地域住民からのアクセスの利便性を高めるため、one stop shopと呼ぶ複合的な支援センターの整備を進めています。そこでは、各種行政手続きの総合窓口(写真5-2)だけなく、高齢者や障がい者の支援、職業紹介、IT研修、ミーティングルーム、ホールなどのさまざまな機能がニカ所に集約されています。
また、ユニークな事例として、イギリスの地域社会に根を下ろしているパブに着目し、「The pub is the hub!(パブこそ地域のつなぎ目)というキャッチフレーズにより、郵便局や商店も併設した多機能な地域拠点としてのパブづくりを支援しています。こうしたくつろげる多機能空間のあり方は、近年注目されている自宅、職場の間に位置する第三の居場所=「サードふノレィス」を人々に提供することになります。わが国の「郷の駅」にも、イギリスのパブのように地域内外の人々を柔らかくつなぐ空間を創りたいものです。
①分散同地域に必要な「ハブ&スポーク構造」
中山間地域の特色は、資源や居住の「小規模・分散性」にあります。無数の小さな谷ごとに集落が散らばり、多彩な里地や里山の資源を多面的かつ循環的に近接利用してきたのです。このような居住形態自体に問題があるのではありません。むしろこれからの循環型の社会やライフスタイルの先進例とも見なすことができます。
しかしながら、分散的な居住形態にあって、各分野の拠点までも分散し、お互いをつなぐネットワークも縦割りで細分化すると、持続性に乏しい非効率な社会システムになってしまいます。居住形態が分散的であれば、拠点は集約化されかつネットワークは複合化されなければ、持続可能な社会システムは成立しないのです。
分散的な居住が優越する地域社会の基本的な設計原理は、ハブ&スポーク構造です。航空業界のように広域に分散している交通ニーズヘの対応として知られているネットワーク手法です。一定のエリアごとに域内のフローを一度束ねるハブを設定し、必ずそこを経由するかたちで路線設定を行なうと、路線数は劇的に減少し、路線当たりの輸送ロットは大きくなります。
また、同時に、旅客・貨物両部門において細分化された輸送ニーズを束ねて対応する複合化の可能性も広がります。山奥の集落に離れて暮らす一軒ごとに、それぞれ別個の交通手段により新聞や宅配便、収穫された野菜、通学や通院に関わる移動や輸送を行なうところに無理があったのです。また、単なる交通フローの集約化にとどまらす、ハブ拠点にさまざまな生活や産業の施設を併設すれば、ふだんは離れて暮らしていても、そこへ行けば、自然と他の住民とも顔を合わすことのできる広場が出来上がります。
②新たな結節機耶を担う「郷の駅」構想
私は、10年前から、このような中山間地域の分散的居住を支える新たなハブ、広場としての結節機能空間を「郷の駅」と名付け、その整備を提唱してきました。
「郷の駅」に対応する地域範囲は、基礎的な定住と循環を支える圏域となります。その人口規模は、山間部や離島など地域特性によっても、大きく異なりますが、おおむね人口300~3000人程度の小学校区・公民館区などがこれに相当します。第2章で取り上げた島根県でいうところの一次生活圏としての「郷」がこれに当たり、その平均規模は504世帯・1370人・平均集落数14・7となっています。島根県では、この地域範囲は、昭和の大令併以前の旧町村とほぼ重なります。
「郷の駅」は、域内外をつなぐ旅客・貨物のターミナル機能だけでなく、コミュニティ、行政、商業、金融、医療、福祉、教育など暮らしを支える一次拠点がそろう複合的な拠点です。また、地域の玄関口(ゲートウェイ)として一元的な地域情報の集約や発信を行ない観光案内などに役立てると同時に、移住希望者への定住案内窓口の機能も果たすことができます。集落単位の取り組みを補完する広域的な営農や林業に関わるセンター機能を備えることで、加工施設や直売市と連動して域内循環を促進し、教育や福祉施設への食材供給も行なうことができるでしょう。身近な道路こ冽川について草刈りや簡単な維持補修などのインフラ維持管理機能を有することで、災害時にも役立ちます。
今後の循環型社会に向けては、地域内の資源管理や域内のリサイクルを進めるエコステーションの機能も期待できます。そして、地域内のバイオマス資源や小型水力発電を活用するエネルギーステーション機能は、電気自動車のチャージ機能も含め、地域内のエネルギー自給と脱温暖化に大きな役割を果たすことでしょう。
また、同時に、「郷の駅」整備とセットで、域内の輸送システムも新交通システムに移行させるのです。電気自動車によりディマンド型の運行を行ない、地域住民も農産物も新聞も同時に複合輸送を行ないます。もちろん、観光客が同乗することもOKです。
将来的には、購入・維持管理・ガソリン代に多大な支出を強いられるマイカーではなく、集落で共通のアワーカー(Our Car)をカーシェアリングするシステムに移行していくことを視野に入れてもよいでしょう。身近な地域ごとに「郷の駅」が整備されれば、最近導入が始まっている超小型電気自動車で自宅からアクセスするといった仕組みも有望となります。
③「田舎の田舎」の定住と循環を促す五つの効果
このような「郷の駅」が整備されれば、小規模・分散性から生まれる中山同地域の条件不利性を緩和し、それぞれの集落に息づく多彩な自然と暮らしをつなぎ、地域内外でその豊かさを共有する定住と循環の基盤インフラとなり得ます。その具体的効果としては、次のような5点が考えられます。
輸送フローの集約効果一各種拠点が併設され一度に用事を済ませることのできるワンストップ効果が生まれるだけでなく、旅客・貨物の同時輸送など、輸送システムの複令化により効率化が飛躍的に進みます。その結果として、定住や循環の障害となっていた小規模・分散の条件不利性が緩和されま複合的なマネジメントによる持続性効果:各分野の施設を集約することによりィンフラの整備・維持管理コストが節減できるだけなく、分野単独ではI人役の仕事として成り立ち得ない施設や機能についても、他施設の業務との複合雇用等により新たな経営持続性が生まれます。
多分野連関による経済循環効果一地域内にこれまで失われていた各分野の産業や施設、機能が復活し、相互の連関性が高まると、地域内乗数効果により全体として所得・雇用が確保できます。出会いの場創出によるソーシャル・キャピタル醸成効果:分散的居住地域にとって貴重な、地域内外の人々が自然に顔を合わせる出会いの機会が創出され、ソーシャル・キャピタルが醸成されます。地元循環圏構築によるエネルギー自給と脱温暖化効果:再生可能エネルギーを基盤とした地元循環圏の構築に寄与し、将来的にマイカー依存度を下げることから、炭酸ガス排出量を大きく低減できます。
海外においても、このような整備効果に着目して、田園地域における複合的な拠点整備を進める政策展開が見られます。たとえば、イギリス(イングランド)においては、分散的に暮らす地域住民からのアクセスの利便性を高めるため、one stop shopと呼ぶ複合的な支援センターの整備を進めています。そこでは、各種行政手続きの総合窓口(写真5-2)だけなく、高齢者や障がい者の支援、職業紹介、IT研修、ミーティングルーム、ホールなどのさまざまな機能がニカ所に集約されています。
また、ユニークな事例として、イギリスの地域社会に根を下ろしているパブに着目し、「The pub is the hub!(パブこそ地域のつなぎ目)というキャッチフレーズにより、郵便局や商店も併設した多機能な地域拠点としてのパブづくりを支援しています。こうしたくつろげる多機能空間のあり方は、近年注目されている自宅、職場の間に位置する第三の居場所=「サードふノレィス」を人々に提供することになります。わが国の「郷の駅」にも、イギリスのパブのように地域内外の人々を柔らかくつなぐ空間を創りたいものです。
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空海の言葉
『空海の言葉』より
闇から出て、闇に帰る
人間は誰しも暗闇の中から生まれてきて、
死ぬときはまた暗闇に帰っていく。
なぜ、人は生まれて、死ぬのか?
それは誰にもわからない。
虚無から生まれ、虚無に帰る
何もないところから現われることを生といい、
何もないところに帰っていくことを死という。
生と死こそが、あらゆることの根本にある。
計り知れないもの
心とは、計り知れないものだ。
そのことを知れば、
体も計り知れないものであると知ることができる。
体が計り知れないものであると知れば、
智慧が計り知れないものであると知ることができる。
智慧が計り知れないものであると知れば、
人間の存在そのものが計り知れないと知ることができる。
そして、人間の存在が計り知れないものであると知れば、
宇宙が計り知れないものであると知ることができる。
闇から出て、闇に帰る
人間は誰しも暗闇の中から生まれてきて、
死ぬときはまた暗闇に帰っていく。
なぜ、人は生まれて、死ぬのか?
それは誰にもわからない。
虚無から生まれ、虚無に帰る
何もないところから現われることを生といい、
何もないところに帰っていくことを死という。
生と死こそが、あらゆることの根本にある。
計り知れないもの
心とは、計り知れないものだ。
そのことを知れば、
体も計り知れないものであると知ることができる。
体が計り知れないものであると知れば、
智慧が計り知れないものであると知ることができる。
智慧が計り知れないものであると知れば、
人間の存在そのものが計り知れないと知ることができる。
そして、人間の存在が計り知れないものであると知れば、
宇宙が計り知れないものであると知ることができる。
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ポスト・アメリカのグローバリゼーション
『米中 世紀の競争』より
ペーター・ボスハルトにとって冷戦の終結とは、人々がようやく彼に注意を払うようになった瞬間だった。スイス国籍とチューリヒ大学の博士号を持つボスハルトは、成人後のほとんどの人生をかけて、外国の銀行や土木企業による途上国の巨大ダム計画支援をやめさせようと努めてきた。こうした計画がどうして金食い虫と化してしまうかを、彼は根気強く説明した。当の途上国にはほとんど利益をもたらさず、ただ一部の役人が建設契約から旨みを得るだけで、周辺環境には甚大な被害がもたらされる。この警告は長年の間、丁重な沈黙をもって迎えられていた。しかしベルリンの壁の崩壊以降、開発と環境の問題が舞台の中央に押し出されるようになってきた。人権や気候変動についての国連会議がカイロやリオ、北京で開かれる時代となり、ボスハルトも空気の変化を感じとった。「みんな私の電話に応答するようになってきた」と彼は言う。
冷戦終結の予期せぬ影響のひとつに、活動家たちの活躍の場が開かれたという点がある。一九九○年代は国際NGOの時代となった--非政府組織が途上国の諸問題をめぐってロビー活動やキャンベーンを繰り広げ、時には政治家や企業を悩ませた。冷戦の間、こうしたNGOの多くは気息奄々の状態だった。途上国への援助や融資が東西両陣営の政治的都合で決められていたためだ。それが壁の崩壊から変わりはじめた。突如として、賢明で若い大卒の若者たちがマッキンゼーではなく、オックスファム(オックスフォード飢饉救済委員会)やアクションエイドで働きたがるようになったのだ。メタルフレームの眼鏡にビルケンシュトックの靴を履き、流暢な英語にヨーロッパの誰りを残す物柔らかな語り口のボスハルトは、二〇〇二年からカリフォルニア州バークレーに本部を置くNGO、インターナショナル・リバーズを運営している。「我々がモスクワの言うとおりにしても、もう誰も非難する者はいない」と彼は言う。
ほどなくダムは、こうした国際的な積極行動主義の新しい波の政治的主戦場となった。大規模な水力発電のダムは一九六〇年代から、途上国経済にとっての特効薬として推進されてきた。国防長官としてベトナム戦争の遂行に当たったロバート・マクナマラが新たに総裁となった世界銀行は、こうしたプロジェクトを高額の出資によって支援した。ダムはまた、たとえば一九八〇~九〇年代に世界最大級の会社だったスイスのABBのような、土木系の多国籍企業の主なドル箱事業となった。しかし冷戦終結とともに、積極行動主義のNGOがグム計画の失敗例とそれに伴うコストの高さを指摘しはじめた。過去三〇年間に八○○○万人もの人々が巨大ダムのために立ち退かされ、その多くが新しい生計手段を見つけられずにいるのだ。子どもの頃アルプスを歩くうちに河川をこよなく愛するようになったボスハルトは、ダム計画を後押しする銀行を追及し、「環境マネーロングリング」だと非難しはじめた。強い圧力を受けた世銀は、大規模ダムヘの融資を大幅に削減した。一九九〇年代半ばにはある上級幹部が、ダムは「我々の頭痛の種の九五パーセントを占める」とぼやいたほどだ。世銀が融資を控えると、たいていの民間銀行も手を引いた。ABBなどの企業もこの部門から撤退した。ダム建設へのグローバルな取り組みがまったく一変したのだ。NGOによるロビー活動としては世界で最も成功した例といっていい。だが、そこに中国が現れた。
ボスハルトが初めて中国に注目するようになったのは、二〇〇三年末、北京がスーダン北部を流れるナイル川の大きな支流にメロウェーダムを建設する契約を結んだときだという。スーダン政府はこのプロジェクトを一九七〇年代から推進していて、一九九〇年代には政府の代表団がカナグ、ヨーロッパ、東南アジアを訪問して財政支援を求めたものの、いずれのときも何の収穫もなく帰っていった。世銀も関与することを避けた。このダムの影響で肥沃なナイル・バレーで働く数万人以上の農場労働者が土地を失うことになるだけでなく、スーダン政府が過去に行った人権侵害の記録を多くの政府が嫌ったという事情もあった。ところが中国のダム建設業者にとって、メロウェは自分たちの技量--欧米から得たばかりの知識や技術--を世界で発揮する格好のチャンスだった。
一九九〇年代には物議を醸した揚子江の巨大ダム、三峡ダムの建設が始まっていた。他のダム市場すべてが干上がっていただけに、この世界最大の水力発電ダムをめぐる競争は熾烈をきわめた。総額数十億ドルとも言われる契約を手にするために、欧米の建設グループは中国企業とのジョイントベンチャーに参加し、その合意の際の条件に従って、一部の技術を提供せざるを得なかった。そして一〇年後、中国のダム建設業者たちはその技術を吸収し、外国へ逆輸出しはじめた。中国の銀行は他の途上国に高額の金融支援を申し出て工事を開始するよう説得し、新世代のダム建設会社と強いパートナーシップを結んだ。中国は一国だけで巨大ダムの国際市場を復活させたのだ。二〇一○年には、全世界五〇カ国二二〇のグムに中国企業が関与し、世界最大規模のダムの上位二四のうち一九の建設に携わっていた。当時ボスハルトはまだ気づいていなかったが、彼は中国の融資と投資がグローバリゼーションの様相を完全に作り変える可能性があることを初めて理解したひとりだった。「今や彼らはどこにでもいる」とボスハルトは言う。
毛沢東は、現在のグローバリゼーションの時代を生み出した二つの事件の中心にいた。ひとつめは一九七二年のリチャード・ニクソンとの会見で、そこから中国の国際社会への復帰の道が開かれたのだった。二つめは当人の死である。それによって小平が一九七〇年代末に市場改革を開始し、中国は中央の計画によって麻痺した状態から経済大国へ転換することになった。中国がこの改革の道のりを歩んでいた三〇年間、北京とワシントンはお互いの経済の統合に大きな戦略的賭けを行っていた。中国は経済を向上させるにはアメリカの消費者と技術に接近しなければならないと考えた。アメリカは、中国の外側ではなく内側と結びつくことで世界経済ははるかに強固なものになると判断した。ここに、いわゆるグローバリゼーションが生まれたのだ。
今再び米中の経済関係は、一九七二年の会見に劣らぬほど重要な、今後の世界経済のありようを決定づけるであろう岐路に近づいている。ここ三〇年間のグローバリゼーションはアメリカのプロジェクトであり、アメリカの価値観、アメリカの資本、アメリカ主導の制度によって推進されてきた。しかしペーター・ボスハルトが初めて目の当たりにしたように、中国の金融と投資が主要な役割を果たすという、新たな局面に入ろうとしているのだ。米中の経済統合および経済協力の新たな段階は二つの道に分かれている。一方は、世界最大の両国経済がさらに依存度を増し、軍備やその他の部門での競争が抑制される道。もう一方の道を行けば、二つの軌道を持つ世界経済が形成される。アメリカを中心に回る西洋型のシステムと、北京の決める優先順位に従う中国主導の経済圏だ。
ペーター・ボスハルトにとって冷戦の終結とは、人々がようやく彼に注意を払うようになった瞬間だった。スイス国籍とチューリヒ大学の博士号を持つボスハルトは、成人後のほとんどの人生をかけて、外国の銀行や土木企業による途上国の巨大ダム計画支援をやめさせようと努めてきた。こうした計画がどうして金食い虫と化してしまうかを、彼は根気強く説明した。当の途上国にはほとんど利益をもたらさず、ただ一部の役人が建設契約から旨みを得るだけで、周辺環境には甚大な被害がもたらされる。この警告は長年の間、丁重な沈黙をもって迎えられていた。しかしベルリンの壁の崩壊以降、開発と環境の問題が舞台の中央に押し出されるようになってきた。人権や気候変動についての国連会議がカイロやリオ、北京で開かれる時代となり、ボスハルトも空気の変化を感じとった。「みんな私の電話に応答するようになってきた」と彼は言う。
冷戦終結の予期せぬ影響のひとつに、活動家たちの活躍の場が開かれたという点がある。一九九○年代は国際NGOの時代となった--非政府組織が途上国の諸問題をめぐってロビー活動やキャンベーンを繰り広げ、時には政治家や企業を悩ませた。冷戦の間、こうしたNGOの多くは気息奄々の状態だった。途上国への援助や融資が東西両陣営の政治的都合で決められていたためだ。それが壁の崩壊から変わりはじめた。突如として、賢明で若い大卒の若者たちがマッキンゼーではなく、オックスファム(オックスフォード飢饉救済委員会)やアクションエイドで働きたがるようになったのだ。メタルフレームの眼鏡にビルケンシュトックの靴を履き、流暢な英語にヨーロッパの誰りを残す物柔らかな語り口のボスハルトは、二〇〇二年からカリフォルニア州バークレーに本部を置くNGO、インターナショナル・リバーズを運営している。「我々がモスクワの言うとおりにしても、もう誰も非難する者はいない」と彼は言う。
ほどなくダムは、こうした国際的な積極行動主義の新しい波の政治的主戦場となった。大規模な水力発電のダムは一九六〇年代から、途上国経済にとっての特効薬として推進されてきた。国防長官としてベトナム戦争の遂行に当たったロバート・マクナマラが新たに総裁となった世界銀行は、こうしたプロジェクトを高額の出資によって支援した。ダムはまた、たとえば一九八〇~九〇年代に世界最大級の会社だったスイスのABBのような、土木系の多国籍企業の主なドル箱事業となった。しかし冷戦終結とともに、積極行動主義のNGOがグム計画の失敗例とそれに伴うコストの高さを指摘しはじめた。過去三〇年間に八○○○万人もの人々が巨大ダムのために立ち退かされ、その多くが新しい生計手段を見つけられずにいるのだ。子どもの頃アルプスを歩くうちに河川をこよなく愛するようになったボスハルトは、ダム計画を後押しする銀行を追及し、「環境マネーロングリング」だと非難しはじめた。強い圧力を受けた世銀は、大規模ダムヘの融資を大幅に削減した。一九九〇年代半ばにはある上級幹部が、ダムは「我々の頭痛の種の九五パーセントを占める」とぼやいたほどだ。世銀が融資を控えると、たいていの民間銀行も手を引いた。ABBなどの企業もこの部門から撤退した。ダム建設へのグローバルな取り組みがまったく一変したのだ。NGOによるロビー活動としては世界で最も成功した例といっていい。だが、そこに中国が現れた。
ボスハルトが初めて中国に注目するようになったのは、二〇〇三年末、北京がスーダン北部を流れるナイル川の大きな支流にメロウェーダムを建設する契約を結んだときだという。スーダン政府はこのプロジェクトを一九七〇年代から推進していて、一九九〇年代には政府の代表団がカナグ、ヨーロッパ、東南アジアを訪問して財政支援を求めたものの、いずれのときも何の収穫もなく帰っていった。世銀も関与することを避けた。このダムの影響で肥沃なナイル・バレーで働く数万人以上の農場労働者が土地を失うことになるだけでなく、スーダン政府が過去に行った人権侵害の記録を多くの政府が嫌ったという事情もあった。ところが中国のダム建設業者にとって、メロウェは自分たちの技量--欧米から得たばかりの知識や技術--を世界で発揮する格好のチャンスだった。
一九九〇年代には物議を醸した揚子江の巨大ダム、三峡ダムの建設が始まっていた。他のダム市場すべてが干上がっていただけに、この世界最大の水力発電ダムをめぐる競争は熾烈をきわめた。総額数十億ドルとも言われる契約を手にするために、欧米の建設グループは中国企業とのジョイントベンチャーに参加し、その合意の際の条件に従って、一部の技術を提供せざるを得なかった。そして一〇年後、中国のダム建設業者たちはその技術を吸収し、外国へ逆輸出しはじめた。中国の銀行は他の途上国に高額の金融支援を申し出て工事を開始するよう説得し、新世代のダム建設会社と強いパートナーシップを結んだ。中国は一国だけで巨大ダムの国際市場を復活させたのだ。二〇一○年には、全世界五〇カ国二二〇のグムに中国企業が関与し、世界最大規模のダムの上位二四のうち一九の建設に携わっていた。当時ボスハルトはまだ気づいていなかったが、彼は中国の融資と投資がグローバリゼーションの様相を完全に作り変える可能性があることを初めて理解したひとりだった。「今や彼らはどこにでもいる」とボスハルトは言う。
毛沢東は、現在のグローバリゼーションの時代を生み出した二つの事件の中心にいた。ひとつめは一九七二年のリチャード・ニクソンとの会見で、そこから中国の国際社会への復帰の道が開かれたのだった。二つめは当人の死である。それによって小平が一九七〇年代末に市場改革を開始し、中国は中央の計画によって麻痺した状態から経済大国へ転換することになった。中国がこの改革の道のりを歩んでいた三〇年間、北京とワシントンはお互いの経済の統合に大きな戦略的賭けを行っていた。中国は経済を向上させるにはアメリカの消費者と技術に接近しなければならないと考えた。アメリカは、中国の外側ではなく内側と結びつくことで世界経済ははるかに強固なものになると判断した。ここに、いわゆるグローバリゼーションが生まれたのだ。
今再び米中の経済関係は、一九七二年の会見に劣らぬほど重要な、今後の世界経済のありようを決定づけるであろう岐路に近づいている。ここ三〇年間のグローバリゼーションはアメリカのプロジェクトであり、アメリカの価値観、アメリカの資本、アメリカ主導の制度によって推進されてきた。しかしペーター・ボスハルトが初めて目の当たりにしたように、中国の金融と投資が主要な役割を果たすという、新たな局面に入ろうとしているのだ。米中の経済統合および経済協力の新たな段階は二つの道に分かれている。一方は、世界最大の両国経済がさらに依存度を増し、軍備やその他の部門での競争が抑制される道。もう一方の道を行けば、二つの軌道を持つ世界経済が形成される。アメリカを中心に回る西洋型のシステムと、北京の決める優先順位に従う中国主導の経済圏だ。
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