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トヨタの労働争議

『初代クラウン開発物語』より ⇒ 私は1950年2月に本社の社宅で生まれた。背負われて、葬儀に参加したと母が言っていた。

人員整理が必至となり、トヨタの労働組合は50年(昭和25年)4月7日から闘争体制に入り、終結する6月10日までストライキや職場放棄、デモや集会などで、工場内は騒然とした空気に包まれる。会社からは再建のために1600名の希望退職者を募り、残留者には10%の賃下げを行なうという提案がなされた。組合では月産1500台体制をつくれば人員整理も賃下げもしないですむと主張、激しく対立した。

人員整理はしないとかねてから言明していた隈部は苦境に立たされ、組合の人たちから、いわゆる〝つるし上げ″られたりした。喜一郎の後継者と目されている取締役の英二も同様だった。つるし上げの席上でも英二は〝船が沈もうとしているときなので、誰かに降りてもらわなければ助かる道はない〟と主張した。

相次ぐストライキで4月と5月の生産は著しく低下した。会社側は取締役および部長・次長など30数名しかいなかった。組合では、連日工場の中庭で集会を開き、気勢を上げた。

飛行機関係の技術者から自動車に転身した代表的な人物ともいうべき長谷川龍雄は、技術部の職場闘争委員長となり、組合活動の先頭に立っていた。自らもこのときのことを回想して、〝技術者で融通がきかなかったせいか、やるとなるとまじめにやった。給料は下げられても仕方ないが、人員整理は絶対に認めるわけにはいかない、という気持ちだった〟と語っている。立川飛行機時代も27才で高々度戦闘機のチーフデザイナーとなり、トヨタに入ってもSC型乗用車や革新的なバスBW型の試作などを、中心になって設計した長谷川は、常にリーダー的役割を自覚していたといってよい。こうした労働争議でもその自覚が彼を活動家にしたのであろう。ただし、政治色を強めようという組合の動きに対しては、あくまでも会社の再建のためという主張を貫いた。

こうした争議があったためか、トヨタでは50年から52年(昭和25‘j27年)にかけて新入社貝の定期採用をしていない。49年(昭和24年)入社の佐々木紫郎や岩田大などは、最も若い方に属すことになり、人員整理の対象になるかもしれないと心配した。

中村の組合活動に対する態度は、長谷川と対照的だった。隈部に毒づいて無役となった中村は、当然組合員である。しかし、会社に要求ばかり出して、自分のことしか考えない組合のやり方はまちがっているという主張をくり広げた。社長の退陣を迫る組合幹部にくってかかり、賃金のことより設備にお金をかけなくてはダメだと、組合の主張にことごとく反対する。

組合にとっては一種の確信犯である。当時の組合はユニオンショップ制だったから、組合を除名されれば、会社をやめなくてはならない規則である。中村を説得しようとしても、意見を一向に変えようとしないので、除名しようという意見もあったようだ。組合との団体交渉に出席していた斎藤尚一も。社長や我々でもいえないようなことを、組合員の中村があちこちでいってまわっていたべこあとで語っている。

交渉の主役となる相手は隈部や英二だった。英二は会社の立場を誠心誠意説明する努力をしていた。そのため組合員の中には、〝英二さんより中村の方がよっぽど資本家的な発言をする。英二さんの方が話がまだわかる〟といっていた人もいたという。

やがて、首脳陣もこのままほうっておくわけにはいかないと、車体工場の次長にしたため、中村は非組合員となった。

闘争が激しくなると、さまざまな意見が出て、組合にも動揺が起こってくる。いつまでもストライキを続けていては生産が落ち、結果として自分たちの首をしめることにつながるという意見が大勢を占めるようになる。

そうしたムードになったところで、会社側から争議を早期決着したいという意向が示された。闘争終結のきっかけとなったのは、やはり喜一郎や隈部など最高幹部が辞任する意向を示したことであろう。

組合の指導的立場にいた弓削は、隈部副社長(この年の2月に昇格)の退任はやむを得ないと思っていたが、社長の喜一郎まで辞任するときいて、大きなショックを受けたという。社長をそこまで追い込むつもりは全くなかったからだ。多くの人は喜一郎まで辞めることはないと考えていたが、隈部が引責辞任する以上、隈部を副社長に任命した自分にも責任があると、喜一郎は主張した。

2000人前後の人たちが、希望退職という形で去り、6000人近い人たちが残ることになった。組合は、その後も賃上げを主として活動は続いたが、日産労組に比較すればストライキなど会社全体をゆさぶる大騒動はずっと少なく、これを契機に会社に協力的な組合になったということができる。

社長には豊田自動織機の社長である石田退三が就任した。紡織のかたわらトヨタの自動車部品をつくっていたが、繊維関係の産業は景気がよく、石田は銀行にも受けがよかった。お目付け役として三井銀行から中川不器夫が副社長としてトヨタ入りした。喜一郎、隈部という技術畑の経営者から、石田、中川という財務を中心とした人物にかわったということができる。会社の序列でいえば、大野修司常務がこのふたりに次ぎ、このときの株主総会で新たに常務となった豊田英二、斎藤尚一がこれに次ぐことになる。
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僕の奥様は面白い人である

『本質を見通す100の講義』より

正直に告白しよう。僕の奥様は面白い人である。

 このまえ、デッキに出てコーヒーを飲んでいたら、五十メートルくらい先だが、隣の家の前の道路で、奥様と見られる女性が縄跳びをしているのだ。どうしたのかと不思議に思ったので、そちらへ行ってみた。「何をしてるの?」ときくと、「縄跳び」と答える。それは想定内だ。「どうして、ここで?」と尋ねると、「今日は、○○さんがお留守だから」と答える。○○さんというのは、お隣のことである。

 縄跳びをしている理由は、たぶんダイエットだと思われる。自分の家ですれば良いと思うのだが、おそらくアスファルトがそこにしかなかったから、という理由だろう。お隣がいたら恥ずかしいから、留守のときにしているということである。これだけのことで、文章が九行も書ける。今までにどれほど稼がせてもらったか。ありかたいことだ。

 ちなみに、その縄跳びを見たのは、その一回だけである。ダイエットにしては、熱心さが不足している。それもいつものことで、これまでに二百通りくらいのダイエットを試しているので、僕も驚かない。つまり、やってみて、疲れるようなもの、続きそうにないものはたちまち却下されるのである。それから、縄跳びは通販で求めた品のようだが、必ず新しい道具(しかも専用品)を買うので、いろいろ痕跡が残るのも特徴の一つである。

 受け答えも非常に面白いので、僕はいちいちその言葉を記憶して、小説で使っている。どんなものがあるのか、ここでは詳しく書かないが、たとえば、「パスカルは鼻の周りだけ白いよね」と僕が言いかけると、「黒くしてほしい?」とおっしゃる。「いや、そうじゃなくて、そこが白い理由は何だろう」「私がしたんじゃないよ」「自然にあるものは、何か理由があるから、そうなっているんじゃないかな」「どうしてそういうことを私にきくわけ?」となる。「話をするほど追い込まれる感」がある。

 このまえは、僕が思いついた家の平面図を説明しようと、ノートとペンを持ってきて、彼女の前で図を描こうとしたのだが、「やめて、その音が私駄目」とおっしゃる。どうもペンの摩擦音のことらしい。そこで、別のタイプのペンを取りに行き、戻ってきて図を描こうとすると、「君のそのペンの持ち方が変」とおっしゃる。そこで、箸の持ち方もおかしいという話になり、こちらもつい黙っていられず、「茶碗はこう持つんじゃないか」と別の話をしたところ、「どうして、そういう関係ない話をするの?」とまた怒られた。

 べつにのろけているわけではない。もちろん、愚痴を零しているのでもない。なんだかんだといって、これで二ページも書けてしまう、ということが主旨である。

孤独の話を書いたら、結婚しているのに孤独なのか、と言われた。

 他社だが、『孤独の価値』という新書を昨年上梓した。大変好調に売れている。これは「好評」ということだろう。「気が楽になった」という声が沢山届いた。もちろん、中には反発の声もある。多かったのは、「この作者は結婚をしている。そんな人間が孤独のことを書くのが信じられない」というものだ。

 反論するつもりはない(だから他社の関係ない本で書いているのだが)。しかし、この批判をする人が誤解している二点の固定観念を指摘したい。

 一つは、孤独のことを書いても良いのは孤独の人間だけだ、という思い込みである。癌患者を励ますなら癌になれ、と言っているみたいなものだ。僕は、月面に立った経験は一度もないけれど、そこがどんなふうかだいたい知っている。石を拾って投げれば、どう飛ぶのかも知っている。月面でどうやって遊べば良いか、という本も書く自信がある。そもそも、月面に宇宙船を着陸させたとき、その宇宙船を設計した人間は、誰も月面に立った経験がなかったのだ。人間の想像力というものを、たぶんこの人は知らないのだろう。

 二つめは、結婚すれば孤独ではない、という思い込みである。おそらく、この人は結婚したことがないのだろう。だから、結婚すれば、今の自分の孤独がすっきりと消えてしまうと勝手に期待しているのだ。そういうものが、この人の孤独なのだ。この人の論理でいえば、結婚したことがない者に、どうして結婚後のことがわかるのか、と返せる。

 孤独と一口にいっても、いろいろな孤独がある。人間の数だけあり千差万別だ。それは、結婚だって同じで、いろいろな結婚がある。だから、言葉というもので、抽象化して、だいたいの共通点について、だいたいの傾向を見出し、ぼんやりとした対策を練ったり、ぼんやりとした考え方について議論をするのである。本を読むことも、他者と話をすることも、あらゆるコミュニケーションとは、そういう「歩み寄り」のうえで、少しでも自分に利となりそうなものを見つける行為なのだ。

 「誰も俺の孤独を理解できない」「あいつに俺の気持ちがわかってたまるか」と引き寵っていて何が得られるかを考えればわかると思う。歩み寄らなければ、手は届かない。

 そして、自分を完全に理解してくれる理想の人もけっして現れない。希望を持つのは悪くはないけれど、結局は絶望するだけだろう。

 僕は、引き寵りが悪いと思わないし、理想を持ったまま孤高に生きるのも素晴らしいと考えている。しかし、それには自分を永遠に絶望させないほど強い思想が必要だ。
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シェール革命が引き起こす地政学的影響

『新アメリカ論』より シェール革命の影響 シェール革命が可能にする安全保障戦略

①ロシアヘの影響

 多大な影響を受ける国の中でも、ロシアは深刻である。二〇一四年六月下旬から十二月初めにかけて原油価格は三八%下落した。国家の歳入の半分がエネルギー収入という資源依存経済のロシアにとって、エネルギー価格の高値維持は生命線ともいえる問題である。このことは歴史も証明している。

 一九八〇年代前半、レーガン政権はアフガニスタンに侵攻した旧ソ連を懲罰するため、サウジアラビアと協調して、原油価格下落を主導したと言われる。サウジアラビアが大増産し、それ以前は一バレル=三〇ドル台だった価格が長期にわたり一〇ドル~二〇ドル台に低迷した。これが、ソ連崩壊の遠因と言われている。

 一九九八年八月には原油価格は同九・八ドルの最安値を記録し、ロシアは同年夏、国債デフォルト(債務不履行)を宣言するに至った。これを受けてエリツィン大統領は盟友のクリントン大統領に原油価格の引き上げを懇願し、米側もロシア支援のため了承。サウジも賛同したとされる。

 現在のロシアは、過去十年近い原油価格の高騰に伴う蓄財としての多額の対外債権や十分な外貨準備(二〇一四年時点で約三四〇〇億ドル)を有していることを考えると、原油価格の低下によるリスクは限定的と考えられるが、現在の原油価格水準が長期化すれば、話は全く違ってくる。つまり、原油価格の低下は、どのような場合でもロシアにとっては、深刻な影響を起こしかねないことは明らかである。国家歳入の半分が資源収入と言われるロシアにとって、原油価格の低下は死活問題である。二〇一四年十二月に入り原油価格の下落が加速、ルーブルが下落したことで、ロシア債で評価損が増大、ルーブルに強気なオプションのほぼすべての価値が失われたとみられる。一九九八年の悪夢を想起させるに十分な状況である。

 ロシアにとって残された道は、アジアシフトであり、二〇三五年にはアジアヘのガス供給を総輸出の三〇%以上に増加させることを目指している。二〇一四年五月、世界最大のロシア国営天然ガス会社のガスプロムは、四〇〇〇億ドル規模で、期間三十年間に渡りロシア産天然ガスをパイプラインを通じて供給するガス供給協定を中国と調印した。ガスプロムは天然ガスの売却価格を公表するのを拒否しているが、業界筋によると、一〇〇〇立方メートル当たり三五〇-三八〇ドルとされる。これは欧州の大半の于不ルギー企業が過去二年間に結んだ長期契約に基づき支払っている金額に近く、複数の業界筋はガスプロムとしては採算ぎりぎりの価格設定だという。

 ロシアは長年、エネルギー資源を外交のカードとしてきたが、米国が世界のエネルギー供給国として強力な競争相手になると、これまでと同様なエネルギー外交では、地政学的な意味での国益を確保することが困難になることは明らかである。

②中東地域への影響

 チュニジアのジャスミン革命から始まった「アラブの春」以降、中東地域の地政学的リスクが拡大している。他方、中国は米国のアジア・太平洋地域への関与拡大を警戒しつつ、手薄になりつつある中東・アフリカ地域へ積極的な資源外交を展開している。米国が中東産の原油や天然ガスの顧客でなくなる場合、中東各国の米国離れも起こり得るし、この場合、資源輸入国としての中国のプレゼンスが拡大する可能性も想定される。

 こうした状況で、米国が非在来型の石油と天然ガスの生産が可能となったことで、中東からの石油を運ぶシーレーン防衛など、中東の安定と貿易の流れを確保する役割を、米国は継続して果たすかという不確実性が高まっている。これは、米国が、原油問題以外に、中東地域の安定が米国の国益にどの程度かかわると判断しているかである。

 この点については、国防計画の二〇一四年版でも、「持続的な合衆国国家安全保障上の利益」の六項目の中に世界の経済システムの安全と、海外にいる米国人の保護が含まれているが、一方で、ピュー研究所の世論調査やそのほかの調査は、米国国民の多くが、「米国はもっと自国内の問題に取り組むべきだ」と考えていることを指摘している。

 米国では、二〇一三年三月に予算管理法に従った強制支出削減条項が発動され、国防予算は毎年約八五〇億ドル(=日本の防衛予算の二年分相当)の強制削減措置が二〇二〇年度まで続くことになった。

 今後の米国の動きが、中東の地域安定やエネルギー供給ルートの維持などについて米国の貢献に依存している日本や中国、インドなど多くの国の経済的な健全性に影響を及ぼすことは避けられないと見るべきである。

③欧州への影響

 欧州各国は、エネルギーの多くをロシアから輸入しており、対露依存は突出している。ウクライナのような東欧有事の際の供給減や供給遮断のリスクと常に背中合わせにある。ただし、米国産の天然ガスは液化して欧州市場に持ち込む場合、英国の指標価格NBPを上回る可能性があり、価格的なメリットが見込めない。しかし、ロシアヘの過度のエネルギー依存を軽減し、調達先の多角化を実現していく手段として、欧州が米国のシェールガスを戦略的に受け入れていくことはあり得る。

④中国への影響

 シェール革命で原油価格の形成に決定的な影響力を持つことで原油市場の支配力を強めることができる米国に次いで、シェール革命の恩恵を受けるのは、原油の輸入依存率が六〇%に近い中国である。世界二位の経済大国である中国は原油安による歳出削減分を防衛や環境などの予算増に向けるのではなく、戦略的準備を積み増す可能性が高い。

 さらに原油安によって、中国はロシアとの交渉において有利になり、前述のように、ガス供給協定に調印した。長期的には、シェールオイル及びシェールガスの埋蔵量で世界一の中国は、シェール開発の技術の普及により多大な利益を売る得ることが予想される。したがって、米国の掘削技術自体が対中戦略の重要な要素となる。

 同時に、中国は石炭火力発電により発生する大気汚染の問題を抱えており、今後も大きな天然ガス需要が続くことを勘案すると、安定的に資源確保をするために、これまでの外交政策の見直しを迫られる可能性も見逃せない。
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内と外にすることで論理を飛躍

断片の知識

 本の断片の知識から何を得る。断片を断片にしておくだけでなく、その後を考えて、つなげることが読書家に許されることです。

 こんなことを知っているだけでは、今どきのFBと一緒です。自己顕示欲だけです。自己顕示欲とは、他者の承認を求めないといけない。それは成り下がることです。

メーカーの役割、位置づけがわからない

 昼前にパートナーからのメールがありました。まさか、こんなタイミングでメールが来るとは、初めてのケースです。山梨に向かう電車から打ってきました。ヒアリングに当たって、メーカーの役割、位置づけが分からなくなったと書かれていた。不安になったんでしょう。

 OとかFの助言は否定的なものばかりというのも、自信を無くす一因になっている。組織として、機能していない。そこを一生懸命、販売店の為に動き回っています。気をつけてくださいね。

 元室長の販売店に行くみたいです。会えたら、ぶっちゃけ、悩みを聞いてもらえばいいという助言をしました。販売店には甘えることです。それで初めて、平等な立場になれます。彼はアメリカ市場でいろいろ悩んできた、先輩です。

内と外にすることで論理を飛躍

 ローカルとグローバルから、内側と外側にすることによって、論理を大きく飛躍させることができた。その分、直すことが多くて、未唯空間に中々、手が付けられない。ローカルとグローバルには、その中に価値観が内包されている。それが邪魔になるときがあります。

 内側と外側には汎用性があります。どこにも内側と外側ができる。そして、内側が外側になり、外側が内側になる。

テレビドラマに出てくる人間

 テレビドラマに出てくる人間は、我々のように、この世界の放り込まれたのではなく、ある意図を持って生まれてきた。だから、論理的な存在でないといけない。
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