『サウジアラビアを知るための63章』より
サウジアラビアを含む現在の湾岸諸国の経済体制は1970年代のオイルブームによって完成した。その特質を表現する概念として「レンティア国家(rentoer state)」という概念が広く知られている。石油収入という「地代(レント)に依存し、その「分配」をもとに成り立つレンティア国家論は経済的特徴のみならず、政治的な特徴をも同時に含意している。通常、産油国は「ロー・アブソーバー(資本低吸収)」諸国と「ハイ・アブソーバー(資本高吸収)」諸国に分けられる。「ロー・アブソーバー」諸国とは国内の市場や人口規模が小さく、石油収入を国内で使い切ることができない産油国のことであり、逆に「ハイ・アブソーバー」諸国は国内の工業がある程度発達していて、市場や人口の規模が大きく、石油収入を国内で使い切ってしまう産油国のことを指す。「ロー・アブゾーバー」諸国の代表がサウジアラビアやクウェートであり、「ハイ・アブゾーバー」諸国の代表がイランやアルジェリアである。「レンティア国家」論は「口ー・アブソーバー」諸国でその性格がより顕著に見られる。
レンティア国家論が広く世に知られるようになったのは、1987年のベブラウィーとルチアーらによる The Rentier States という著作の出版によってである。この著作の中で彼らは、「レンティア国家の概念を提唱する際、外国からの収入に依存する国家は、国内の課税収入に依存する国家とは本質的に異なる」と、レンティア国家を議論する際の根本を指摘している。そして「レンティア国家」と「レンティア経済」を区別し、前者は外国からの収入とレントの発生による収入が大部分である国家であるとし、後者をそのような収入に依存している経済であるとし、レンティア国家を次のように定義した。
・前提として、純粋なレンティア国家は存在しない。どの国家、経済にもレントの要素は存在する。レンティア国家はレントによる収入が優勢である国家をもって定義すべきである。
・レンティア経済は巨額の対外レントを受け取る。
・レンティア経済の特別なケースであるレンティア国家は、レントを生みだす活動に従事することは少なく、多くはレントの分配と使用に関与する。
・レンティア国家の政府は対外的レントを受け取る主体である。受け取ったレントを国民に分配するのが政府の中心的な役割である。
ここで、サウジアラビアをレンティア国家論の観点から見てみよう。サウジアラビアの国家を支える重要産業は石油である。そしてその石油輸出収入が国家財政の大部分となっている。サウジアラビアの歳入の9割近くが石油収入で占められている(残りが関税などの税収、海外投資収益など)。こうした石油収入はまさに「レント」そのものである。サウジアラビア政府(サウード家)は石油収入を独占するかわりに、国民に対する手厚い福祉・補助金政策、さらに国民を競争やリストラのない公務員として政府が雇用する「国家丸抱え」によってレントを国民に「分配」してきた。もっとも、「分配」という言葉は聞こえがよいが、「バラマキ」と言ったほうが実情に合っているかもしれない。またレントを「分配」することによって国民には納税の義務がなく(所得税、法人税、付加価値税等はサウジアラビア人に対しては課されていないが、ィスラームの教えにしたがった2・5%のザカート税は存在する)、それゆえ、国民の代表者からなる議会制度も存在しない(ただし、地方議会レベルの選挙は行われている)。まさに「代表なくして課税なし」の状態であり、石油収入であるレント「分配」がサウジアラビアにおけるサウード家の「支配の正当性」となってきた。
レントの分配は国民ばかりでなく、企業にも向けられた。サウジアラビアの企業の多くは国営・国有企業、ないしは政府(王族)が何かしら関与する形で育成されてきた。国営であるがゆえに、赤字経営となっても政府から補助金が投入されるため、経営の効率性はほとんど改善されることなく、それどころかレント・シーキング(例えば、自社の経営に都合のよい制度への変革を求めること等)の発生が起こる状態であった。
こうして国民は手厚い福祉のもとに不自由なく暮らし、企業も赤字体質で非効率でも経営が成り立つという、両者ともに「甘え」の構造が定着してしまった。こうした「甘え」を「レンティア・メンタリティ」と呼ぶ論者もおり、レント・シーキングとともにレンティア国家の問題点として指摘されている。現在、サウジアラビアでは若年層人口増加による失業問題が社会問題化している。政府はさかんに若者に対して民間部門への就職を促しているが、若者は好待遇の公務員への志向を変えない。民間もサウジアラビア人のレべルが概して低く、優秀な外国人が安価で雇用可能となれば外国人の雇用に傾く。ある種、現在の若年層失業問題は「国家が生みだした構造的失業」ともいえる。
石油収入というレントを基盤にして成り立っていたレンティア国家システムであるが、80年代半ば以降の原油価格低迷の時期には、石油収入が減少し、レンティア国家システムの維持が困難にならざるをえなくなった。財政赤字の拡大とともに福祉予算や補助金の削減などが行われたが状況はさほど改善せず、国民に対し租税を導入しようにも「レンティア・メンタリティ」から反対は大きく、さらに「代表なくして課税なし」という言葉に代表されるように、租税導入にはそれへの引き換えとして民選議会設立というこれまでの政治体制である「絶対王制」の転換を迫られることになる。サウジアラビアの経済改革は政治システムの転換とも密接に関わってくる問題なのである。
2005年以降、石油価格は歴史的な高値で推移していたため、サウジアラビアの石油収入、国家歳入ともに増加していた。それに呼応するかのように2013年の歳出額は2005年の約3倍に増加しているなど、近年は歳出増が著しい。とりわけ教育や社会福祉、インフラ整備などへの支出を増加させており、国民へより手厚い「分配」を行っている。一連の「アラブの春」騒動を受け、サウジアラビア国内でも体制変革を求める抗議活動が起こった。その影響から、2011年の歳出額は対前年比26%増と大幅に増加させた。国民に経済的恩恵を与え、王制に反感を抱かせないようにするためである。2014年秋、原油価格は急落し、サウジアラビアにとっては歳入減となるのだが、2015年予算においても歳出は増加の見込みである。石油収入を国民に「分配」し、自らの政治体制の維持・強化を図る動きは、石油価格の変動にかかわらずより一層強まっている。
サウジアラビアを含む現在の湾岸諸国の経済体制は1970年代のオイルブームによって完成した。その特質を表現する概念として「レンティア国家(rentoer state)」という概念が広く知られている。石油収入という「地代(レント)に依存し、その「分配」をもとに成り立つレンティア国家論は経済的特徴のみならず、政治的な特徴をも同時に含意している。通常、産油国は「ロー・アブソーバー(資本低吸収)」諸国と「ハイ・アブソーバー(資本高吸収)」諸国に分けられる。「ロー・アブソーバー」諸国とは国内の市場や人口規模が小さく、石油収入を国内で使い切ることができない産油国のことであり、逆に「ハイ・アブソーバー」諸国は国内の工業がある程度発達していて、市場や人口の規模が大きく、石油収入を国内で使い切ってしまう産油国のことを指す。「ロー・アブゾーバー」諸国の代表がサウジアラビアやクウェートであり、「ハイ・アブゾーバー」諸国の代表がイランやアルジェリアである。「レンティア国家」論は「口ー・アブソーバー」諸国でその性格がより顕著に見られる。
レンティア国家論が広く世に知られるようになったのは、1987年のベブラウィーとルチアーらによる The Rentier States という著作の出版によってである。この著作の中で彼らは、「レンティア国家の概念を提唱する際、外国からの収入に依存する国家は、国内の課税収入に依存する国家とは本質的に異なる」と、レンティア国家を議論する際の根本を指摘している。そして「レンティア国家」と「レンティア経済」を区別し、前者は外国からの収入とレントの発生による収入が大部分である国家であるとし、後者をそのような収入に依存している経済であるとし、レンティア国家を次のように定義した。
・前提として、純粋なレンティア国家は存在しない。どの国家、経済にもレントの要素は存在する。レンティア国家はレントによる収入が優勢である国家をもって定義すべきである。
・レンティア経済は巨額の対外レントを受け取る。
・レンティア経済の特別なケースであるレンティア国家は、レントを生みだす活動に従事することは少なく、多くはレントの分配と使用に関与する。
・レンティア国家の政府は対外的レントを受け取る主体である。受け取ったレントを国民に分配するのが政府の中心的な役割である。
ここで、サウジアラビアをレンティア国家論の観点から見てみよう。サウジアラビアの国家を支える重要産業は石油である。そしてその石油輸出収入が国家財政の大部分となっている。サウジアラビアの歳入の9割近くが石油収入で占められている(残りが関税などの税収、海外投資収益など)。こうした石油収入はまさに「レント」そのものである。サウジアラビア政府(サウード家)は石油収入を独占するかわりに、国民に対する手厚い福祉・補助金政策、さらに国民を競争やリストラのない公務員として政府が雇用する「国家丸抱え」によってレントを国民に「分配」してきた。もっとも、「分配」という言葉は聞こえがよいが、「バラマキ」と言ったほうが実情に合っているかもしれない。またレントを「分配」することによって国民には納税の義務がなく(所得税、法人税、付加価値税等はサウジアラビア人に対しては課されていないが、ィスラームの教えにしたがった2・5%のザカート税は存在する)、それゆえ、国民の代表者からなる議会制度も存在しない(ただし、地方議会レベルの選挙は行われている)。まさに「代表なくして課税なし」の状態であり、石油収入であるレント「分配」がサウジアラビアにおけるサウード家の「支配の正当性」となってきた。
レントの分配は国民ばかりでなく、企業にも向けられた。サウジアラビアの企業の多くは国営・国有企業、ないしは政府(王族)が何かしら関与する形で育成されてきた。国営であるがゆえに、赤字経営となっても政府から補助金が投入されるため、経営の効率性はほとんど改善されることなく、それどころかレント・シーキング(例えば、自社の経営に都合のよい制度への変革を求めること等)の発生が起こる状態であった。
こうして国民は手厚い福祉のもとに不自由なく暮らし、企業も赤字体質で非効率でも経営が成り立つという、両者ともに「甘え」の構造が定着してしまった。こうした「甘え」を「レンティア・メンタリティ」と呼ぶ論者もおり、レント・シーキングとともにレンティア国家の問題点として指摘されている。現在、サウジアラビアでは若年層人口増加による失業問題が社会問題化している。政府はさかんに若者に対して民間部門への就職を促しているが、若者は好待遇の公務員への志向を変えない。民間もサウジアラビア人のレべルが概して低く、優秀な外国人が安価で雇用可能となれば外国人の雇用に傾く。ある種、現在の若年層失業問題は「国家が生みだした構造的失業」ともいえる。
石油収入というレントを基盤にして成り立っていたレンティア国家システムであるが、80年代半ば以降の原油価格低迷の時期には、石油収入が減少し、レンティア国家システムの維持が困難にならざるをえなくなった。財政赤字の拡大とともに福祉予算や補助金の削減などが行われたが状況はさほど改善せず、国民に対し租税を導入しようにも「レンティア・メンタリティ」から反対は大きく、さらに「代表なくして課税なし」という言葉に代表されるように、租税導入にはそれへの引き換えとして民選議会設立というこれまでの政治体制である「絶対王制」の転換を迫られることになる。サウジアラビアの経済改革は政治システムの転換とも密接に関わってくる問題なのである。
2005年以降、石油価格は歴史的な高値で推移していたため、サウジアラビアの石油収入、国家歳入ともに増加していた。それに呼応するかのように2013年の歳出額は2005年の約3倍に増加しているなど、近年は歳出増が著しい。とりわけ教育や社会福祉、インフラ整備などへの支出を増加させており、国民へより手厚い「分配」を行っている。一連の「アラブの春」騒動を受け、サウジアラビア国内でも体制変革を求める抗議活動が起こった。その影響から、2011年の歳出額は対前年比26%増と大幅に増加させた。国民に経済的恩恵を与え、王制に反感を抱かせないようにするためである。2014年秋、原油価格は急落し、サウジアラビアにとっては歳入減となるのだが、2015年予算においても歳出は増加の見込みである。石油収入を国民に「分配」し、自らの政治体制の維持・強化を図る動きは、石油価格の変動にかかわらずより一層強まっている。
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