未唯への手紙
未唯への手紙
今後のヨーロッパはどうなっていくのか
『新・100年予測』より ヨーロッパ人の生活 イスラムとドイツに挟まれた地中海ヨーロッパ
EUは四つに分かれいる
当面、紛争の火種と言えばまず、EUの縁の部分である。だか、EUそのものも揺らいでいる。今のEUは大きく四つに分かれてしまっている。ドイツとオーストリア、その他の北ヨーロッパ諸国、地中海諸国、そして境界地帯の諸国である。四つ目は、過去の緩衝地帯を取り戻そうとするロシアの動きに直面している。地中海諸国では、高い失業率か悩みとなっている。大恐慌時代のアメリカより失業率の高い国すらある。北ヨーロッパ諸国は他の地域に比べれば問題か少ない。中でもドイツは比較的、良い状態だ。
EUは四つに分かれており、境界線を越えると、置かれている状況も、抱えている問題も見事にまったく変わる。体験する現実はそれぞれに違い、その違いは決して埋められない。どうすれば埋められるのか、想像してみることすら難しい。しかも、四つの違いはいまだに広がり続けている。いったんは統合しかげたように見えたヨーロッパは、再び元の国民国家の集まりに戻りつっある。彼らが超越しようと努力していた歴史にまた戻りつっあるのだ。
現在のヨーロッパの問題は、実は彼らの最も偉大な時代、啓蒙主義の時代に抱えていたものと同じである。問題の源は、たとえ魂を売り渡してでも、あらゆるものを手に入れたいという欲望にある。現在、彼らは、何も売り渡すことなくあらゆるものを手に入れたいと望んでいる。何より欲しいのは永遠の平和と繁栄だ。どの国も、自らの国家の主権は従来どおり保持し続けたい。ところが一方で、他の国には、国家の主権を従来と同じようには行使して欲しくない。
彼らは皆、「ヨーロッパ人」でありたいと望みなから、ヨーロッパ全体で運命を共有することは望んでいない。皆、自分の母語を使い続けたいと望んでいるか、そのことが完全な相互理解を妨げるとは思っていない。勝利を得たいとは思うか、そのために危険を冒すのはいやだ。完全な安心を得たいとは思っているか、自分の身を自分で守るつもりはない。
そこにはロシアの存在も大きく関わってくる。陸に閉じ込められたこの国を打ち負かすことはできない。ロシアの存在がある限り、ヨーロッパ大陸の安全か確保されることはないだろう。一九九一年にヨーロッパの新しい歴史か始まった。ソ連が崩壊し、EUが誕生したのである。二〇一四年、弱っていたように見えたロシアが再び力を持ち始め、EUとの境界にあった紛争の火種も復活した。また新たな歴史か始まったのである。EUの可能性には誰もか夢を抱いた。しかし、その夢ぱなんと短かったことだろう。ヨーロッパの最も危険な紛争の火種か二〇一四年に復活したことも驚きだ。第一次世界大戦が始まってからちょうどI〇〇年たった。ヨーロッパの地獄への降下か始まってから一〇〇年という年である。
いったん地獄に落ちたヨーロッパは、そこから這い上がった。ところか、ファウストですら、完璧な知識と引き換えに魂を売ったのに対し、現代のヨーロッパ人たちは、何の代償も支払わずに完璧を欲したのだ。だか、何事にも必ず代償が発生する。代償か何かを知らないというのは、最も危険な状態である。ただ、おそらく本人たちも知りたくはないのだろう。
ヨーロッパは世界の一部
三つの問いのうち最も重要な「今後のヨーロッパはどうなっていくのか」に答えるには、あの戦いの三一年間とは訣別できたのか、ということについて考えてみる必要かあるだろう。答えはノーだ。ただし、完全なノーというわけではない。重要なのは、ヨーロッパはもはや世界の中心ではないということだ。今はあくまで世界を構成する一部分でしかない。何かかあった時に世界に及ぼす影響はかつてに比べるとはるかに小さくなっている。二〇世紀の前半とは違い、ヨーロッパでの大戦争の発生を止められるだけの大きな力か現在はヨーロッパの外に存在する。アメリカだ。だか武力による問題解決はヨーロッパでは時代遅れになったという考え方は誤りである。それは幻想でしかない。過去においても幻想だったし、これからもそうであり続けるだろう。すでにわかったとおり、ロシアは自らの権威を取り戻そうと立ち上がっている。ドイツは、自らの国益とEUの利害の狭間で苦しんでいる。今、二つの利害は同じではないということである。
人間か戦争をするのは、愚かだからでも、過去に学んでいないからでもない。戦争かいかに悲惨なものかは誰もが知っており、したいと望む人間はいない。戦争をするのはその必要に迫られるからだ。戦争をするよう現実に強制されるのである。ヨーロッパ人はもちろん人間なので、他の地域の人間と同様、あるいは過去の彼らと同様、いつでも悲惨な戦争を選択せざるを得ない状況に追い込まれる可能性はある。戦争か平和か、その選択を迫られる時は来る。ヨーロッパ人は過去に何度も戦争を選択してきた。今後も選択する時はあるだろう。まだ何も終わってはいない。人間にとって重要なことは、いつまでも終わることはないのである。
EUは四つに分かれいる
当面、紛争の火種と言えばまず、EUの縁の部分である。だか、EUそのものも揺らいでいる。今のEUは大きく四つに分かれてしまっている。ドイツとオーストリア、その他の北ヨーロッパ諸国、地中海諸国、そして境界地帯の諸国である。四つ目は、過去の緩衝地帯を取り戻そうとするロシアの動きに直面している。地中海諸国では、高い失業率か悩みとなっている。大恐慌時代のアメリカより失業率の高い国すらある。北ヨーロッパ諸国は他の地域に比べれば問題か少ない。中でもドイツは比較的、良い状態だ。
EUは四つに分かれており、境界線を越えると、置かれている状況も、抱えている問題も見事にまったく変わる。体験する現実はそれぞれに違い、その違いは決して埋められない。どうすれば埋められるのか、想像してみることすら難しい。しかも、四つの違いはいまだに広がり続けている。いったんは統合しかげたように見えたヨーロッパは、再び元の国民国家の集まりに戻りつっある。彼らが超越しようと努力していた歴史にまた戻りつっあるのだ。
現在のヨーロッパの問題は、実は彼らの最も偉大な時代、啓蒙主義の時代に抱えていたものと同じである。問題の源は、たとえ魂を売り渡してでも、あらゆるものを手に入れたいという欲望にある。現在、彼らは、何も売り渡すことなくあらゆるものを手に入れたいと望んでいる。何より欲しいのは永遠の平和と繁栄だ。どの国も、自らの国家の主権は従来どおり保持し続けたい。ところが一方で、他の国には、国家の主権を従来と同じようには行使して欲しくない。
彼らは皆、「ヨーロッパ人」でありたいと望みなから、ヨーロッパ全体で運命を共有することは望んでいない。皆、自分の母語を使い続けたいと望んでいるか、そのことが完全な相互理解を妨げるとは思っていない。勝利を得たいとは思うか、そのために危険を冒すのはいやだ。完全な安心を得たいとは思っているか、自分の身を自分で守るつもりはない。
そこにはロシアの存在も大きく関わってくる。陸に閉じ込められたこの国を打ち負かすことはできない。ロシアの存在がある限り、ヨーロッパ大陸の安全か確保されることはないだろう。一九九一年にヨーロッパの新しい歴史か始まった。ソ連が崩壊し、EUが誕生したのである。二〇一四年、弱っていたように見えたロシアが再び力を持ち始め、EUとの境界にあった紛争の火種も復活した。また新たな歴史か始まったのである。EUの可能性には誰もか夢を抱いた。しかし、その夢ぱなんと短かったことだろう。ヨーロッパの最も危険な紛争の火種か二〇一四年に復活したことも驚きだ。第一次世界大戦が始まってからちょうどI〇〇年たった。ヨーロッパの地獄への降下か始まってから一〇〇年という年である。
いったん地獄に落ちたヨーロッパは、そこから這い上がった。ところか、ファウストですら、完璧な知識と引き換えに魂を売ったのに対し、現代のヨーロッパ人たちは、何の代償も支払わずに完璧を欲したのだ。だか、何事にも必ず代償が発生する。代償か何かを知らないというのは、最も危険な状態である。ただ、おそらく本人たちも知りたくはないのだろう。
ヨーロッパは世界の一部
三つの問いのうち最も重要な「今後のヨーロッパはどうなっていくのか」に答えるには、あの戦いの三一年間とは訣別できたのか、ということについて考えてみる必要かあるだろう。答えはノーだ。ただし、完全なノーというわけではない。重要なのは、ヨーロッパはもはや世界の中心ではないということだ。今はあくまで世界を構成する一部分でしかない。何かかあった時に世界に及ぼす影響はかつてに比べるとはるかに小さくなっている。二〇世紀の前半とは違い、ヨーロッパでの大戦争の発生を止められるだけの大きな力か現在はヨーロッパの外に存在する。アメリカだ。だか武力による問題解決はヨーロッパでは時代遅れになったという考え方は誤りである。それは幻想でしかない。過去においても幻想だったし、これからもそうであり続けるだろう。すでにわかったとおり、ロシアは自らの権威を取り戻そうと立ち上がっている。ドイツは、自らの国益とEUの利害の狭間で苦しんでいる。今、二つの利害は同じではないということである。
人間か戦争をするのは、愚かだからでも、過去に学んでいないからでもない。戦争かいかに悲惨なものかは誰もが知っており、したいと望む人間はいない。戦争をするのはその必要に迫られるからだ。戦争をするよう現実に強制されるのである。ヨーロッパ人はもちろん人間なので、他の地域の人間と同様、あるいは過去の彼らと同様、いつでも悲惨な戦争を選択せざるを得ない状況に追い込まれる可能性はある。戦争か平和か、その選択を迫られる時は来る。ヨーロッパ人は過去に何度も戦争を選択してきた。今後も選択する時はあるだろう。まだ何も終わってはいない。人間にとって重要なことは、いつまでも終わることはないのである。
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ヨーロッパの縁のトルコ
『新・100年予測』より ヨーロッパ人の生活 イスラムとドイツに挟まれた地中海ヨーロッパ
トルコの立場
当然、トルコも無関係ではいられない。トルコ人とアルメニア人は、大虐殺の悲惨な記憶もあって、互いに強い敵意を抱いている。一方でトルコは、ロシアのエネルギーに依存してもいる。少なくとも代わりの供給源か見つかるまでは依存せざるを得ないだろう。おそらく代わりを見つげるのは難しいので、トルコはロシアと明確に敵対することはできない。ただ、ソ連崩壊後に独立した国々は、トルコにとっては、ロシアとの間の緩衝地帯となって好都合だった。緩衝地帯が消滅し、ロシアの影響範囲が拡大すると、冷戦時代と同じ状態に逆戻りしてしまう。それは困る。こうした事情から、トルコとロシアは、特にアゼルバイジャンをめぐって政治的に対立するようになった。
トルコの立場は複雑だ。いずれは世界的な大国になるだろうが、まだそうなってはいない。現在は循環的な景気後退期に入っていて経済は好調とはいえず、内部には政治的緊張も抱えているが、どちらも長く続く問題ではないと思われる。トルコか世界的な大国となるのは、経済力が強いからだが、周囲の混乱状況もトルコの発展に大きく寄与すると考えられる。混乱によって、トルコには、投資と交易の機会か生じるからだ。もちろん、トルコ自身か紛争に巻き込まれてしまう危険性もある。トルコには黒海か重要で、そのため対岸のウクライナとは黒海をめぐって利害か対立しやすい。イラクやシリア、アラビア半島との間にも利害の対立はある。黒海の緊張が高まり、国の南も東も不安定で軍事衝突すら起きるような状況だとすれば、トルコの周辺でひとまず平穏なのはバルカン半島だけということになる。この何世紀もの歴史からわかるのは、バルカンの平穏は長くは続かないということである。ヨーロッパ大陸を除けば、トルコの周囲は紛争の火種ばかりというわけだ。
トルコとヨーロッパ大陸との関係は、ヨーロッパと北アフリカという、より大きな関係の中で考える必要がある。これには二つの次元かある。一つは、北アフリカ、特にリビア、アルジェリアから南ヨーロッパヘのエネルギーの供給だ。この流れはヨーロッパにとって極めて重要なものである。供給されるエネルギー自体もそうだが、ロシアの代替となるという意味でも大切になる。だが、リビア、アルジェリア、特にリビアの状況は不安定になっている。リビアで内戦か発生した時には、フランスとイタリアが軍事介入に賛成した。フランスは空爆を開始したが、アメリカに対しては早期警戒管制機(AWACS)による戦闘管理を要請している。フランス単独では作戦行動を維持できないことか明らかになったわげだ。結局、指導的な役割を担ったのはアメリカだった。この軍事介入、特にその余波はアメリカにとって幸せな体験ではなかった。
ヨーロッパは、エジプトで起きたような出来事に対処する際、アメリカに頼るのか常だった。ところか、アメリカの側は、以前に比べ、対応する態勢か整っていない。エジプトの問題は、これまでの経緯から見て今後も拡大する恐れがある。アメリカは、今のところ北アフリカに対し差し迫った利害を持たない。過激なイスラム運動には対処するか、それ以上のことをする気はない。たとえば、政権の交代を目論むようなことはあり得ない。ヨーロッパは違う。北アフリカからのエネルギー確保は、ヨーロッパにとってはどうしても必要なことである。
大量の移民
二つ目は、北アフリカとトルコからヨーロッパヘの、移民の大量流入という次元だ。この移民流入は、元はといえば、安い労働力を求めたヨーロッパの側から誘導したものだ。にもかかわらず彼らの存在は、ヨーロッパ内部に強い緊張を生むことになった。この緊張か、EU加盟国間であれば、ほぼビザなしで出入国ができるという現在の体制を脅かすまでになっている。デンマークのように、イスラム教徒の入国を規制したいという意向を示す国も出てきている。またイスラム教徒の移民は制限すべきということで、EU全体の意見は二致しつっある。北アフリカ諸国にとってこれは重大な問題であり、ヨーロッパヘの強い反感も生じている。地中海を越えてのテロ行為や、北アフリカ諸国の政権への脅威にもつながり得る。ヨーロッパはその事態に否応なしに巻き込まれることになる。
ヨーロッパ内部では、極右政党か勢力を拡大することも懸念される。金融危機や失業率の上昇などにより、既存の政党は信頼を失っているし、ヨーロッパ統合の理念を支持する人も減っている。ハンガリーやフランスなどで極右政党か支持を集めているのは必然とも言える。極右政党に共通するのは、EUへの敵意と、激しい反移民感情だ。自国の国益を優先し、ヨーロッパのエリートだちか掲げるような国境を越えた利益は二の次とする。彼らへの支持は、まだ政権を奪うのに十分なほどには高まっていない。しかし、連立政権の一部を構成するまでになった党もあり、得票を急速に伸ばした党もある。
ライン渓谷、英仏海峡、その他、古くからあるヨーロッパの紛争の火種は、今のところ総じて静かだ。フランスとドイツの緊張は高まってはいるか、火種に火がつくょうな状態からは遠い。ただ水面下では、紛争の原因になりそうなロマンティックーナショナリズムに火がつきかけている。多国籍な組織に権限を移譲することの正当性に疑問か投げかけられているのだ。それにょって古くから存在する国家間の紛争か再燃する恐れがある。極右政党の存在はそんな水面下の動きのごく一部にすぎないが、それ自体も無視はできない。ともかく経済に関する主権を移譲してしまうことに対する不安が全体に高まっていることは間違いない。
トルコの立場
当然、トルコも無関係ではいられない。トルコ人とアルメニア人は、大虐殺の悲惨な記憶もあって、互いに強い敵意を抱いている。一方でトルコは、ロシアのエネルギーに依存してもいる。少なくとも代わりの供給源か見つかるまでは依存せざるを得ないだろう。おそらく代わりを見つげるのは難しいので、トルコはロシアと明確に敵対することはできない。ただ、ソ連崩壊後に独立した国々は、トルコにとっては、ロシアとの間の緩衝地帯となって好都合だった。緩衝地帯が消滅し、ロシアの影響範囲が拡大すると、冷戦時代と同じ状態に逆戻りしてしまう。それは困る。こうした事情から、トルコとロシアは、特にアゼルバイジャンをめぐって政治的に対立するようになった。
トルコの立場は複雑だ。いずれは世界的な大国になるだろうが、まだそうなってはいない。現在は循環的な景気後退期に入っていて経済は好調とはいえず、内部には政治的緊張も抱えているが、どちらも長く続く問題ではないと思われる。トルコか世界的な大国となるのは、経済力が強いからだが、周囲の混乱状況もトルコの発展に大きく寄与すると考えられる。混乱によって、トルコには、投資と交易の機会か生じるからだ。もちろん、トルコ自身か紛争に巻き込まれてしまう危険性もある。トルコには黒海か重要で、そのため対岸のウクライナとは黒海をめぐって利害か対立しやすい。イラクやシリア、アラビア半島との間にも利害の対立はある。黒海の緊張が高まり、国の南も東も不安定で軍事衝突すら起きるような状況だとすれば、トルコの周辺でひとまず平穏なのはバルカン半島だけということになる。この何世紀もの歴史からわかるのは、バルカンの平穏は長くは続かないということである。ヨーロッパ大陸を除けば、トルコの周囲は紛争の火種ばかりというわけだ。
トルコとヨーロッパ大陸との関係は、ヨーロッパと北アフリカという、より大きな関係の中で考える必要がある。これには二つの次元かある。一つは、北アフリカ、特にリビア、アルジェリアから南ヨーロッパヘのエネルギーの供給だ。この流れはヨーロッパにとって極めて重要なものである。供給されるエネルギー自体もそうだが、ロシアの代替となるという意味でも大切になる。だが、リビア、アルジェリア、特にリビアの状況は不安定になっている。リビアで内戦か発生した時には、フランスとイタリアが軍事介入に賛成した。フランスは空爆を開始したが、アメリカに対しては早期警戒管制機(AWACS)による戦闘管理を要請している。フランス単独では作戦行動を維持できないことか明らかになったわげだ。結局、指導的な役割を担ったのはアメリカだった。この軍事介入、特にその余波はアメリカにとって幸せな体験ではなかった。
ヨーロッパは、エジプトで起きたような出来事に対処する際、アメリカに頼るのか常だった。ところか、アメリカの側は、以前に比べ、対応する態勢か整っていない。エジプトの問題は、これまでの経緯から見て今後も拡大する恐れがある。アメリカは、今のところ北アフリカに対し差し迫った利害を持たない。過激なイスラム運動には対処するか、それ以上のことをする気はない。たとえば、政権の交代を目論むようなことはあり得ない。ヨーロッパは違う。北アフリカからのエネルギー確保は、ヨーロッパにとってはどうしても必要なことである。
大量の移民
二つ目は、北アフリカとトルコからヨーロッパヘの、移民の大量流入という次元だ。この移民流入は、元はといえば、安い労働力を求めたヨーロッパの側から誘導したものだ。にもかかわらず彼らの存在は、ヨーロッパ内部に強い緊張を生むことになった。この緊張か、EU加盟国間であれば、ほぼビザなしで出入国ができるという現在の体制を脅かすまでになっている。デンマークのように、イスラム教徒の入国を規制したいという意向を示す国も出てきている。またイスラム教徒の移民は制限すべきということで、EU全体の意見は二致しつっある。北アフリカ諸国にとってこれは重大な問題であり、ヨーロッパヘの強い反感も生じている。地中海を越えてのテロ行為や、北アフリカ諸国の政権への脅威にもつながり得る。ヨーロッパはその事態に否応なしに巻き込まれることになる。
ヨーロッパ内部では、極右政党か勢力を拡大することも懸念される。金融危機や失業率の上昇などにより、既存の政党は信頼を失っているし、ヨーロッパ統合の理念を支持する人も減っている。ハンガリーやフランスなどで極右政党か支持を集めているのは必然とも言える。極右政党に共通するのは、EUへの敵意と、激しい反移民感情だ。自国の国益を優先し、ヨーロッパのエリートだちか掲げるような国境を越えた利益は二の次とする。彼らへの支持は、まだ政権を奪うのに十分なほどには高まっていない。しかし、連立政権の一部を構成するまでになった党もあり、得票を急速に伸ばした党もある。
ライン渓谷、英仏海峡、その他、古くからあるヨーロッパの紛争の火種は、今のところ総じて静かだ。フランスとドイツの緊張は高まってはいるか、火種に火がつくょうな状態からは遠い。ただ水面下では、紛争の原因になりそうなロマンティックーナショナリズムに火がつきかけている。多国籍な組織に権限を移譲することの正当性に疑問か投げかけられているのだ。それにょって古くから存在する国家間の紛争か再燃する恐れがある。極右政党の存在はそんな水面下の動きのごく一部にすぎないが、それ自体も無視はできない。ともかく経済に関する主権を移譲してしまうことに対する不安が全体に高まっていることは間違いない。
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ロシアとヨーロッパ大陸
『新・100年予測』より ヨーロッパ人の生活 イスラムとドイツに挟まれた地中海ヨーロッパ
ロシアの力
ロシアの軍事力はソ連時代ほど強力ではない。今の軍隊はいわば過去の名残りのようなものだ。ただ、それでもヨーロッパ諸国の軍隊よりは強い。つまり、ロシアはヨーロッパを実際に攻撃しなくてよい。またウクライナの経済が苦境にあること、ドイツにはロシアと敵対する意思がないこと、そしてウクライナはアメリカから遠いこと、などはすべてロシアにとって好都合だった。ウクライナはロシアにとって非常に大事な場所だ。ヨーロッパにとっても、ロシアとの間の緩衝地帯となるため重要である。しかし、アメリカにとっては、両者に比べてはるかに優先度か低い。ヨーロッパは自らの力でなんとかするしかなく、しかも、経済力をてこにするわけにはいかない。ロシアはウクライナを重視しているだけに、経済的理由からウクライナを好きにさせておくようなことは決してない。さらにロシアには切り札があった。天然ガスだ。ヨーロッパにはロシアの天然ガスがどうしても必要である。ガスを送ってもらうには政治的代償を支払わねばならない。
ロシアは西の緩衝地帯を再建しようとしている。ヨーロッパとアメリカは、緩衝地帯の必要そのものを否定し、ロシアに考え方の変更を求めるだろう。しかし、ヨーロッパに十分な軍事力かないため、公平なゲームはできない。境界地帯の「第二層」に属する国々、ポーランド、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアなどは、軍事力に頼るなど時代錯誤の態度だというヨーロッパ的な考え方を受け入れているか、ロシア軍が西へと進み始めれば、どうなるかわからない。最大の問題は、ロシアかどこまで行くのかということだ。
この問いに答えるには、もう一つの問いに答える必要かある。ヨーロッパの東端の防衛力はどのくらい弱いのかということだ。ロシアはヨーロッパに本格的に侵攻しなくても大きな力を得ることかできる。ヨーロッパの防衛力は、細分化か進んだことと、NATOか弱体化したことで著しく低下し、無防備と言ってもいいほどになっている。また、経済危機かまだ解決していないことから、特に東の国は強く支援を求めている。ロシアの経済は世界第八位の規模だ。深刻な弱点を抱えた経済とはいえ、ハンガリーやスロバキアくらいの国に救済のための投資をするくらいは何でもない。彼らをロシア側に引き入れれば、ポーランドやルーマニアなど比較的大きな国も、孤立を恐れロシアヘの態度を和らげるということもあり得る。
境界地帯の国々か防衛力を強化するという対策も理屈では妥当なように思える。しかし、彼らか強い同盟関係を結ぶのは難しいのではないか。細長い領域の防衛は容易ではないし、どの国も他国からの軍事的攻撃への対応には長けていない。経済的な懐柔によって同盟を突き崩される危険性も高い。ヨーロッパ大陸の他地域の国々からの相当な協力かないと、とても成功しないだろう。経済面、軍事面両方の支援がいる。鍵となるのはドイツの協力だ。
ドイツ問題
ドイツはヨーロッパでは最大、世界でも第四位の経済大国である。世界第三位の輸出大国でもある。必然的に経済のレンズを通して世界を見ることになる。一九四五年の敗戦はドイツにとって悲劇だったが、その体験が、後の発展の原動力にもなった。軍事に気を取られず、経済に集中したことで、今日の繁栄を築くことができた。そのため、どうしても軍事的な行動を不合理なものと見る傾向がある。問題は、軍事行動を起こすかどうかドイツの一存で決められるとは限らないということだ。もしロシアが、東ヨーロッパ諸国の弱さを利用するようなことがあれば、ドイツも何らかのかたちで軍事力を使う決断をせざるを得ないかもしれない。ロシアとの同盟を模索するという選択肢もなくはないが、ドイツの軍事力が弱いままだと、その同盟が危険な罠になる恐れかある。東ヨーロッパ諸国の連合を支援することでロシアを牽制しようとするかもしれない。あるいは、自らの手でロシアを東に押し戻せるよう、軍備を増強するという選択肢もある。
ドイツとロシアの間の境界地帯は、元来、紛争の火種になる場所だが、最近はより火のつきやすい状況になっている。ロシア周辺でそこだけか火種というわけではない。コーカサスは今もそうだし、ロシア人は自ら火種の温度を上げてもいる。アルメニアと長期的な条約を結び、かなりの規模の部隊をそこに派遣するなどしているからだ。これで、西側の支援を受けたジョージアは、ロシアとアルメニアに挟み撃ちされるような格好になった。また、これはアゼルバイジャンヘの脅威にもなった。アゼルバイジャンは、ヨーロッパにとってロシアに代わり得る有力なエネルギー供給国である。
ロシアの力
ロシアの軍事力はソ連時代ほど強力ではない。今の軍隊はいわば過去の名残りのようなものだ。ただ、それでもヨーロッパ諸国の軍隊よりは強い。つまり、ロシアはヨーロッパを実際に攻撃しなくてよい。またウクライナの経済が苦境にあること、ドイツにはロシアと敵対する意思がないこと、そしてウクライナはアメリカから遠いこと、などはすべてロシアにとって好都合だった。ウクライナはロシアにとって非常に大事な場所だ。ヨーロッパにとっても、ロシアとの間の緩衝地帯となるため重要である。しかし、アメリカにとっては、両者に比べてはるかに優先度か低い。ヨーロッパは自らの力でなんとかするしかなく、しかも、経済力をてこにするわけにはいかない。ロシアはウクライナを重視しているだけに、経済的理由からウクライナを好きにさせておくようなことは決してない。さらにロシアには切り札があった。天然ガスだ。ヨーロッパにはロシアの天然ガスがどうしても必要である。ガスを送ってもらうには政治的代償を支払わねばならない。
ロシアは西の緩衝地帯を再建しようとしている。ヨーロッパとアメリカは、緩衝地帯の必要そのものを否定し、ロシアに考え方の変更を求めるだろう。しかし、ヨーロッパに十分な軍事力かないため、公平なゲームはできない。境界地帯の「第二層」に属する国々、ポーランド、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアなどは、軍事力に頼るなど時代錯誤の態度だというヨーロッパ的な考え方を受け入れているか、ロシア軍が西へと進み始めれば、どうなるかわからない。最大の問題は、ロシアかどこまで行くのかということだ。
この問いに答えるには、もう一つの問いに答える必要かある。ヨーロッパの東端の防衛力はどのくらい弱いのかということだ。ロシアはヨーロッパに本格的に侵攻しなくても大きな力を得ることかできる。ヨーロッパの防衛力は、細分化か進んだことと、NATOか弱体化したことで著しく低下し、無防備と言ってもいいほどになっている。また、経済危機かまだ解決していないことから、特に東の国は強く支援を求めている。ロシアの経済は世界第八位の規模だ。深刻な弱点を抱えた経済とはいえ、ハンガリーやスロバキアくらいの国に救済のための投資をするくらいは何でもない。彼らをロシア側に引き入れれば、ポーランドやルーマニアなど比較的大きな国も、孤立を恐れロシアヘの態度を和らげるということもあり得る。
境界地帯の国々か防衛力を強化するという対策も理屈では妥当なように思える。しかし、彼らか強い同盟関係を結ぶのは難しいのではないか。細長い領域の防衛は容易ではないし、どの国も他国からの軍事的攻撃への対応には長けていない。経済的な懐柔によって同盟を突き崩される危険性も高い。ヨーロッパ大陸の他地域の国々からの相当な協力かないと、とても成功しないだろう。経済面、軍事面両方の支援がいる。鍵となるのはドイツの協力だ。
ドイツ問題
ドイツはヨーロッパでは最大、世界でも第四位の経済大国である。世界第三位の輸出大国でもある。必然的に経済のレンズを通して世界を見ることになる。一九四五年の敗戦はドイツにとって悲劇だったが、その体験が、後の発展の原動力にもなった。軍事に気を取られず、経済に集中したことで、今日の繁栄を築くことができた。そのため、どうしても軍事的な行動を不合理なものと見る傾向がある。問題は、軍事行動を起こすかどうかドイツの一存で決められるとは限らないということだ。もしロシアが、東ヨーロッパ諸国の弱さを利用するようなことがあれば、ドイツも何らかのかたちで軍事力を使う決断をせざるを得ないかもしれない。ロシアとの同盟を模索するという選択肢もなくはないが、ドイツの軍事力が弱いままだと、その同盟が危険な罠になる恐れかある。東ヨーロッパ諸国の連合を支援することでロシアを牽制しようとするかもしれない。あるいは、自らの手でロシアを東に押し戻せるよう、軍備を増強するという選択肢もある。
ドイツとロシアの間の境界地帯は、元来、紛争の火種になる場所だが、最近はより火のつきやすい状況になっている。ロシア周辺でそこだけか火種というわけではない。コーカサスは今もそうだし、ロシア人は自ら火種の温度を上げてもいる。アルメニアと長期的な条約を結び、かなりの規模の部隊をそこに派遣するなどしているからだ。これで、西側の支援を受けたジョージアは、ロシアとアルメニアに挟み撃ちされるような格好になった。また、これはアゼルバイジャンヘの脅威にもなった。アゼルバイジャンは、ヨーロッパにとってロシアに代わり得る有力なエネルギー供給国である。
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ヨーロッパの三つの問題
『新・100年予測』より ヨーロッパ人の生活 イスラムとドイツに挟まれた地中海ヨーロッパ
ヨーロッパの紛争の歴史
ごく簡単に言えば、ヨーロッパの紛争の歴史はまだまったく終わっていない、ということになる。ヨーロッパの基本的な構造は昔と変わっていない。狭い土地か多数の地域に分かれ、数多くの国民国家かひしめき合っている。そこには長い、怒りと憎しみの歴史かあった。中にはそんなことをすっかり忘れたかのようにふるまっている国もあるか、だからといって歴史か消えたわけではない。それか前面に出ている国も、背後に隠れている国もあるが、いずれにしてもヨーロッパ人の他のヨーロッパ人に対する怒りと憎しみか今も変わらずに存在することは確かだ。
一九四五年から一九九一年は平和の時代だったが、その平和はヨーロッパ人の力で得られたものではない。アメリカとソ連がヨーロッパで対峙していたために結果的に得られたものだ。続く一九九一年から二〇〇八年までの平和は、一応、ヨーロッパ人の力によるものである。この間は経済か概ね好調だったことと、ドイツかヨーロッパ統合に熱心に取り組んだことによって、大きな戦争か避げられ、全体的には平和か保たれたと言える。ただし、まったく戦争がなかったわけではない。ヨーロッパの中心部では起きなかったというだけで、戦争は起きていた。そして、二〇〇八年以降、いよいよヨーロッパか試される時が来ることになった。今もそれは続いている。EUに対する期待は、実態に合わないものだったことが明白になった。EUの真の姿が露呈したのである。再び大国となったドイツに対する不安も生まれた。静かだったロシアが存在を主張し始めた。こうしたことすべてかヨーロッパの今後に影響する。果たして何か待ち受けているのか、予想することは難しい。
二つの大戦のような大戦争がヨーロッパで再び起きるとは私は考えていない。それは、もはやヨーロッパか世界の政治体制や文化の中心ではないからでもある。三一年の間に二度も大戦か起きたのは、当時、世界のどこにもヨーロッパを止められる力が存在しなかったからだ。現在は、アメリカか当時よりも強力な国家として君臨している。一九一八年と▽几四五年に戦争を終わらせたのも、結局はアメリカだった。冷戦時代にもアメリカの力で戦争の発生は抑えられていた。現在でもそれはあり得るだろう。ヨーロッパに今、存在する紛争の火種は小さいものばかりで、実際に起きている戦争も小規模である。もしヨーロッパ全体を巻き込む大戦争が再び起きれば驚きだが、しばらくの間はまずあり得ない。とはいえ、何の摩擦も起きないとは考えられない。今のところ紛争か起きるとは想像できない二国間で摩擦か生まれることも十分あり得る。ヨーロッパは特殊な場所ではない。戦争は何も「歴史に学ばなかったから」起きるわけではないし、その人たちの人間性か悪いから起きるのでもない。戦争が起きるのはまず、利害の対立かあるからだ。利害の対立かあまりに大きくなり、戦った場合に生じる結果の方が、戦わなかった場合に生じる結果よりもましだ、と判断した時、人間は戦争をする。長い時間が経過するうちには、必ずどこかでそんな利害の対立は起きる。いくら起きないようにと願っても、防ぐことはできない。ヨーロッパ人も人間なので例外ではない。平和か続くようにと願うだけでは、戦争は防げない。悲しいことではあるか、事実は事実だ。
ヨーロッパ人
ヨーロッパは過去のような覇権的な地位をすでに失っている。全体ではまだかなり大きな経済力をっている。ただ、経済はいわゆる「ソフトパヮー」の一部であり、安全保障、平和に依存するものだ。海や空を自由に安全に利用できなければ経済は成り立だない。他国に貿易を拒否されては困るし、投資した海外の資産が攻撃の対象になってもいけない。ヨーロッパは今でも先進的な科学技術を有しているし、経済的にも豊かである。ヨーロッパ諸国と関われば、何からの利益になる可能性が高いということだ。その関係を拒否する力を持っていれば、他国は脅威に感じる。無視のできない脅威である。
ヨーロッパ人の投資資産や、ヨーロッパ人が結んだ商取引上の契約をどこまで尊重してもらえるかは、結局、将来への期待にかかっている。今後、さらに投資の促進、取引の活発化などか期待できれば、自然に尊重するに違いない。かつてヨーロッパの経済大国か後ろ盾にしていたハードパヮーはもはや失われてしまった。中国やロシア、アメリカなどは経済大国であると同時に軍事大国でもある。彼らは他国にヨーロッパと同様の利益をもたらすことかできるのに加え、契約違反などあった場合には武力による報復も可能である。つまり、尊重を怠った場合の結果か、ヨーロッパ相手の時より重大なものになる恐れがあるということだ。現状、それか問題になることはないが、世界的な大国どうしに利害の対立が生じると、ヨーロッパがその間で板挟みになることはあり得る。ハードパワーの欠如によって追い詰められることもあるだろう。「裕福だが弱い」というのは危険な状態なのである。
ヨーロッパ人もやはり、狼のいる世界に生きている。以前からいる狼に加え、最近はまた新たな狼も現れている。ドイツ、フランス、イギリスなどの大国なら経済力を盾にすることは可能だろうか、その他の諸国には難しくなる恐れかある。経済力だけで軍事力がないと特に厳しい。まず、ともかくアメリカに対抗できない。これが現在のヨーロッパを理解する上で、最も重要なポイントである。ヨーロッパ諸国に対しては、どの国であっても、軍事力を使って脅しをかければ、ほぼ間違いなく優位に立つことができる。おそらく相手は金銭で解決しようとするか、問題を無視して過ぎ去るのを待つか、黙って言うことに従うかのいずれかだ。少なくともすぐには戦おうとしない。
ヨーロッパの紛争の歴史
ごく簡単に言えば、ヨーロッパの紛争の歴史はまだまったく終わっていない、ということになる。ヨーロッパの基本的な構造は昔と変わっていない。狭い土地か多数の地域に分かれ、数多くの国民国家かひしめき合っている。そこには長い、怒りと憎しみの歴史かあった。中にはそんなことをすっかり忘れたかのようにふるまっている国もあるか、だからといって歴史か消えたわけではない。それか前面に出ている国も、背後に隠れている国もあるが、いずれにしてもヨーロッパ人の他のヨーロッパ人に対する怒りと憎しみか今も変わらずに存在することは確かだ。
一九四五年から一九九一年は平和の時代だったが、その平和はヨーロッパ人の力で得られたものではない。アメリカとソ連がヨーロッパで対峙していたために結果的に得られたものだ。続く一九九一年から二〇〇八年までの平和は、一応、ヨーロッパ人の力によるものである。この間は経済か概ね好調だったことと、ドイツかヨーロッパ統合に熱心に取り組んだことによって、大きな戦争か避げられ、全体的には平和か保たれたと言える。ただし、まったく戦争がなかったわけではない。ヨーロッパの中心部では起きなかったというだけで、戦争は起きていた。そして、二〇〇八年以降、いよいよヨーロッパか試される時が来ることになった。今もそれは続いている。EUに対する期待は、実態に合わないものだったことが明白になった。EUの真の姿が露呈したのである。再び大国となったドイツに対する不安も生まれた。静かだったロシアが存在を主張し始めた。こうしたことすべてかヨーロッパの今後に影響する。果たして何か待ち受けているのか、予想することは難しい。
二つの大戦のような大戦争がヨーロッパで再び起きるとは私は考えていない。それは、もはやヨーロッパか世界の政治体制や文化の中心ではないからでもある。三一年の間に二度も大戦か起きたのは、当時、世界のどこにもヨーロッパを止められる力が存在しなかったからだ。現在は、アメリカか当時よりも強力な国家として君臨している。一九一八年と▽几四五年に戦争を終わらせたのも、結局はアメリカだった。冷戦時代にもアメリカの力で戦争の発生は抑えられていた。現在でもそれはあり得るだろう。ヨーロッパに今、存在する紛争の火種は小さいものばかりで、実際に起きている戦争も小規模である。もしヨーロッパ全体を巻き込む大戦争が再び起きれば驚きだが、しばらくの間はまずあり得ない。とはいえ、何の摩擦も起きないとは考えられない。今のところ紛争か起きるとは想像できない二国間で摩擦か生まれることも十分あり得る。ヨーロッパは特殊な場所ではない。戦争は何も「歴史に学ばなかったから」起きるわけではないし、その人たちの人間性か悪いから起きるのでもない。戦争が起きるのはまず、利害の対立かあるからだ。利害の対立かあまりに大きくなり、戦った場合に生じる結果の方が、戦わなかった場合に生じる結果よりもましだ、と判断した時、人間は戦争をする。長い時間が経過するうちには、必ずどこかでそんな利害の対立は起きる。いくら起きないようにと願っても、防ぐことはできない。ヨーロッパ人も人間なので例外ではない。平和か続くようにと願うだけでは、戦争は防げない。悲しいことではあるか、事実は事実だ。
ヨーロッパ人
ヨーロッパは過去のような覇権的な地位をすでに失っている。全体ではまだかなり大きな経済力をっている。ただ、経済はいわゆる「ソフトパヮー」の一部であり、安全保障、平和に依存するものだ。海や空を自由に安全に利用できなければ経済は成り立だない。他国に貿易を拒否されては困るし、投資した海外の資産が攻撃の対象になってもいけない。ヨーロッパは今でも先進的な科学技術を有しているし、経済的にも豊かである。ヨーロッパ諸国と関われば、何からの利益になる可能性が高いということだ。その関係を拒否する力を持っていれば、他国は脅威に感じる。無視のできない脅威である。
ヨーロッパ人の投資資産や、ヨーロッパ人が結んだ商取引上の契約をどこまで尊重してもらえるかは、結局、将来への期待にかかっている。今後、さらに投資の促進、取引の活発化などか期待できれば、自然に尊重するに違いない。かつてヨーロッパの経済大国か後ろ盾にしていたハードパヮーはもはや失われてしまった。中国やロシア、アメリカなどは経済大国であると同時に軍事大国でもある。彼らは他国にヨーロッパと同様の利益をもたらすことかできるのに加え、契約違反などあった場合には武力による報復も可能である。つまり、尊重を怠った場合の結果か、ヨーロッパ相手の時より重大なものになる恐れがあるということだ。現状、それか問題になることはないが、世界的な大国どうしに利害の対立が生じると、ヨーロッパがその間で板挟みになることはあり得る。ハードパワーの欠如によって追い詰められることもあるだろう。「裕福だが弱い」というのは危険な状態なのである。
ヨーロッパ人もやはり、狼のいる世界に生きている。以前からいる狼に加え、最近はまた新たな狼も現れている。ドイツ、フランス、イギリスなどの大国なら経済力を盾にすることは可能だろうか、その他の諸国には難しくなる恐れかある。経済力だけで軍事力がないと特に厳しい。まず、ともかくアメリカに対抗できない。これが現在のヨーロッパを理解する上で、最も重要なポイントである。ヨーロッパ諸国に対しては、どの国であっても、軍事力を使って脅しをかければ、ほぼ間違いなく優位に立つことができる。おそらく相手は金銭で解決しようとするか、問題を無視して過ぎ去るのを待つか、黙って言うことに従うかのいずれかだ。少なくともすぐには戦おうとしない。
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9月11日に2万冊予定
2万冊までに130冊になりました。豊田市立図書館で30冊×4回、岡崎市立図書館×3回で目的達成です。ということは、9月11日(金)です。
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