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「絶景のシロクマ」

11時まで寝ていた

 あさ、6時に起きて、朝食をとって、パソコンを行っていた。8時前に、急に眠たくなる。そうなると、5分も我慢できない。さらに右肩の下あたりが痛い。以前の心臓とはちょっと、外れている。

「絶景のシロクマ」

 シロクマがアザラシを捕る方法を知っていますか? アザラシのどの部分をたべるのか知っていますか? 一生に一度はそんなアザラシを見たいと思います? そんな時は『絶景のシロクマ』を読みましょう。これは地域活動でプレゼンしている人に対して、FBでコメントした言葉です。

 死ぬまでに見たい「絶景のシロクマ」。本当に見たいのかねと見ていた。見たくなりました。この「死ぬまでに見たい」というキャッチコピーが気に入りました。

 シロクマというのは白くはないですね。茶色です。彼らは何もない、流氷の上をなぜ、生きられるのか。流氷の下に居る、アザラシ。アザラシが流氷の裂け目の所に呼吸するために顔を出す。そこを撃つ。流氷がガチガチになると、アザラシは出てこない。

 だから、流氷が解けるような所にいます。それと温暖化というのは関係するんじゃないのかな。シロクマの体重を支える、十分な厚さと、アザラシが生活するのに十分な厚さの氷が必要。このバランスで成り立つ生活。

 そして、一年のうち、9カ月は絶食に近い形になります。そんな苦労を地球温暖化で「シロクマ」と言っている人は分かっているのか。

 シロクマの気分。引き続き、FBに「絶景のシロクマ」の写真をアップした。

 今週借りた40冊の中の一冊に『絶景のシロクマ』という本がありました。シロクマは流氷の割れ目から顔を出すアザラシを捕ります。氷が厚いとアザラシが出てきません。薄いと海に沈んでしまう。薄い時に、氷にへばっている様子はリクそっくり。そんなアザラシの苦労も知らずに、人間は勝手に暑くしておいて、地球温暖化を阻止して、アザラシを救おうと言っている。

 シロクマの気分で、ホット館に行くことにした。暑くて、歩行もままならないので、水中歩行です。水中方向には年寄りが多い。それも列をなしている。こういうのは好きになれない。女性はパートナーが最高齢ですね。35歳位がちょうどいい。スタバのバリスタの22歳だと、話が合わせにくいけど、スタバならいいか。
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「これからの一〇年」の二大問題

『日本の大問題「10年後」を考える』より

二〇一二年に開講した「本と新聞の大学」も三回目となりました。今回のテーマは、「これからの日本の一〇年を展望する--東京オリンピック後の日本を見据えて」というものです。

ちなみに、第一回が行われたのは東日本大震災からちょうど一年というタイミングでした。「日本はどうなる」をテーマに、当時の混沌とした状況の下で知をベースとした「座標軸」を提示しようと試みました。そして、翌年の第二回では、グローバルな視点から今の日本を捉えるべく「世界の中の日本」をさまざまな論点から考察しました。今回は、震災のダメージから少しずつ立ち直りつつある現在の状況を踏まえて、未来を展望してみよう、ということでテーマを決めました。

副題の「東京オリンピック後の日本を見据えて」について少し説明を加えると、「これからの一〇年」ということでは東京オリンピックは通過点に過ぎませんが、オリンピックという大きなイペントで日本の首都である東京がどう変わるのか、そしてそれが日本全体にどのような影響を与えるのか、というオリンピック後も見通す視点を持ちたいと思いました。

さて、そこで「これからの一〇年」ですが、私たちがどんな社会を作るかにあたって選択を迫られる問題を二つ挙げることができると思います。一つは「グローバル化」、もう一つは、「技術革新」です。

まず、「グローバル化」と日本社会の問題です。これは、日本の少子高齢化問題と深い関わりがあります。二〇二五年、日本では団塊の世代がみんな七十五歳以上の後期高齢者になります。一方で、日本政府は現時点でも一千兆円を超える借金を抱えており、高齢者に対して社会保障を手厚くする、あるいは維持することは極めて難しい状況になるでしょ

その解決策として、現在進行中のグローバル化の動きはこれから一層強まっていくと考えられます。つまり、超高齢化社会では、国境を低くして海外の「ヒト・モノ・カネ」を利用するしか生きていけなくなるのです。日本人はどんどん海外に出て行って海外で稼ぎましょう、また海外からもどんどん来てもらって日本で働いてもらいましょう、という流れが加速すると思われます。最近、企業や大学でよく言われている「グローバル人材の育成」や英語公用語化、法人税減税といったキーワードは皆、そうした流れの中から出てきていると言えるでしょう。

しかし、グローバル化には議論すべき問題があります。例えば、移民の問題です。旅行客が増えただけでも、「マナーが悪い」といった苦情が出るのですから、住み続ける外国人が増えれば、ストレスを感じる日本人が増え、日本人と外国人の軋棒は大きくなることが予想されます。

また、グローバル化を進めていけば、一人一人の働き手が非常に激しい競争にさらされることは間違いありません。これまでの日本人同士の競争が世界の人々との競争になるわけで、ほどほどということがなくなります。そして、競争に勝った者は豊かになるものの、多くの敗者が出ることは確実です。グローバル化による競争によって今以上に格差が拡大する社会になるでしょう。

さらに言えば、「日本らしさ」はどこまで守るべき価値があるのかということもあります。グローバル化により、安いコメが海外からたくさん入ってくることになった時、日本の水田風景は守るべき価値があるのかといった議論がされますが、さまざまな分野でそうした日本らしさについての議論が行われることになるでしょう。それはナショナリズムの高揚につながる可能性があります。

二つ目の「技術革新」です。ここにきて、技術革新のスピードが速まっているように感じます。この感じからすると、さまざまな技術の革新はさらに加速し、それにより、既存の価値観や社会システムを根底から変えていくような変化が起きる可能性があると思います。

例えば、アメリカではフェイスブックやアップルのような企業が、卵子凍結費用として、女性社員に上限二万ドル(約二百万円強)の補助を出す、という試みを始めています。その結果、女性社員は出産適齢期に関係なく、体外受精や代理出産といった手段によって子どもを持つことが可能になり、企業側は卵子凍結費用を肩代わりすることで、優秀な人材を確保できるわけです。いずれこうした考えは日本にも入ってくるでしょうが、それが当たり前、という時代になれば、おそらく家族の形も親子の関係も既存のライフステージも変わっていくことになると思います。

3Dプリンターの発達も社会を変えるかもしれません。理論上は3Dプリンターで何でも作ることができるのだそうです。例えば、デジタルデータと元になるいくつかの化学物質を用意すれば、3Dプリンターで薬も作れるようになるということで、研究が始まっていると聞きます。しかし、薬は毒でもありますから、3Dプリンターで毒や覚せい剤も作れてしまうことになります。作ってはいけないものを作ったケースとしては、すでに銃を作って逮捕された人が出ています。

こうしたことを考えるにつけ、技術の進歩は人類の幸せを本当にリードしてくれるものなのだろうか、と思わざるを得ません。グーグルなどが開発を進めているクルマの自動運転にしても、目指すところは無人運転ですから、将来は運転手という職業が必要なくなるわけで、膨大な雇用を奪う技術革新になるわけです。

「グローバル化」にどう対処するのかという問題は日本の進路という視点で考える問題であるのに対し、「際限のない技術革新」の是非は、国境を越えた地球規模の問題と言えるでしょう。先ほど、「選択を迫られる」と言いましたが、「グローバル化」以上にこの「技術革新」の問題は、個人の選択で対応できる範囲を超えるものかもしれません。しかし、それでも「この問題については、自分はこう思う」という軸を作っておくことは大事だと思います。その軸があることで、ぶれずに、まっすぐ自分の生き方を貫くことができると考えるからです。
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自動車メーカーの利益の源泉

『マーケティングに使える「家計調査」』より

高所得世帯への販売に安定して成功している食料品はあるのか?

 食料品の多くは、第1に、所得が高い世帯ほど支出額が大きくなります。第2に、所得が高い世帯ほど、対消費支出額シェアが低くなるのがふつうです。ところが、個々の食料品のなかには、たしかに例外的な存在ではありますが、Vの世帯の対消費支出額シェアがいちばん高いという品目もあります。

 では、どういった食料品で、Vの世帯の対消費支出額シェアがいちばん高くなっているのでしょうか。図表17と図表18で紹介します。

 図表17の上段の「かき(貝)」は、支出額・対消費支出額シェア・数量の3項目で、Vの世帯がトップです。数量でみて「かき(貝)」が平均より多く売れる月は、11月から3月までで、そのなかでもいちばん売れるのは19一月です。世帯主年齢別では、60歳代世帯がいちばん多い数量を買い、70歳以上世帯がいちばん高く買います。

 図表17の中段は野菜類のなかにふくまれる「れんこん」です。似たパターンは「さやまめ」でもみられます。さやまめには「さやいんげん、さやえんどう、枝豆、そら豆、グリンピース」などがふくまれます。高所得世帯は「れんこん」と「さやまめ」をとても好んでいて、え出額・対消費支出額シェア・数量・価格のすべてで、Vの世帯がトップです。

 「れんこん」は、9月から12月によく売れる野菜で、60歳代世帯がいちばん多い量を買い、70歳以上世帯がいちばん高く買います。佐賀市でいちばん多い量が食べられていて、金沢市でいちばん支出額が大きくなっています。「さやまめ」は春と夏によく売れます。60歳代世帯がいちばん多い量をいちばん高い価格で買います。数量でも支出額でも新潟市がトップで、価格I位は京都市です(京都市では、平均より少しだけ多い量が食べられています)。

 図表17の下段は、果物類の「もも」です。「もも」は、Vの世帯が支出額・対消費支出額シェア・数量でトップですが、価格がほぼ平均並みのため、「かき(貝)」と並んで「★★」の格付けです。6~9月の4ヵ月で集中して売れて、世帯主が50歳以上の世帯で好まれ、70歳以上世帯が数量・価格・支出額でトップです。

 果物類では、「他の柑きつ類」もVの世帯が支出額・対消費支出額シェア・数量・価格のすべてでトップです。「レモン、なつみかん、伊予かん、きんかん、はっさく、かぼす、すだち、ゆずなど」がふくまれます。いちばん多く買うのは70歳以上世帯ですが、いちばん高く買うのは29歳以下世帯で、興味深いデータです。愛媛県で多種多様な柑きつ類が生産されていることもあって、数量のI位は松山市、支出額のI位は高知市でした。

 ただし、図表17にある3品目も、さやまめ、他の柑きつ類も、2013年にはVの世帯にうまく売るのに成功していましたが、前年の2012年には、このようなパターンでは売れていませんでした。2013年には株価や不動産価格が上昇し、高所得世帯の消費が増えるというよ質産効果〃が働いたことで、一時的に成功したのでしょう。

 じつは、2009年から2013年まで、5年連続で高所得世帯にうまく売るのに成功している食料品が、たったひとつあります。図表18の「紅茶」です。Vの世帯が支出額・対消費支出額シェア・数量・価格のすべてで、Ⅳ以下の世帯を大きく引き離してトップとなり、堂々の「★★★」格付けです。30・40」50歳代の世帯で消費量が多く、60歳代世帯がいちばん高く買います。都市別では、消費量・支出額の両方で神戸市がI位で、価格は金沢市が1位です。

 2014年秋には、スタバ(スターバックスコーヒー)が1杯2000円近い高級コーヒーなど、高価格帯のコーヒーを販売して話題になりました。そうした高級コーヒーの豆も店頭で販売しました。高所得世帯に少しでも大きな金額を支払ってもらうためには、有効な試みです。

 しかし、2013年までの(コーヒー粉・インスタントコーヒー)」は、Vの世帯が対消費支出額シェアでトップになるような売り方ができていません。「緑茶(茶葉)」もダメです。そんななかで、コーヒーより先に、紅茶(茶葉)が図表のような成功を5年間続けています。ダントツの成功例です。

 もし、カフェの経営者が、高所得世帯にもっとうまく売りたいなら、コーヒーのメニューを工夫するよりも、高級な紅茶をメニューに載せることを考えるべきです。筆者は2007年に、『スタバではグランデを買え! 価格と生活の経済学』(ダイヤモンド社)という本を書きました(タイトルは編集者さんがつけたもので、本のなかでは「グランデを買え」とは主張していませんが……)。2009年以降は、『カフェでは紅茶を売れ!』という時代になっています。カフェにかぎらず、どの飲食店も、食料品を売るお店も、「紅茶」について真剣に検討するといいでしょう。

自動車メーカーの利益の源泉

 耐久消費財をみてみましょう。長期間にわたって、高所得世帯にいちばんうまく商品を売り込んできた業種のひとつは、自動車産業です。自動車メーカーの利益の源泉は「高所得世帯にいかに高いクルマを買ってもらうか」にあると、筆者は考えています。この点で日本の自動車産業は、国内市場でも十分に成功を続けているようにみえます。

 図表19で「自動車」そのものの消費をみていますが、支出額・対消費支出額シェア・数量・価格のすべてで、Vの世帯が他を大きく引き離してトップにいます。Ⅳの世帯がほぼ平均並みで、他の世帯は平均より低い値が並びます。

 価格戦略を中心としたビジネス戦略に成功し、高所得世帯にいかに高いクルマを買ってもらうかを優先した結果、クルマの販売台数は減少傾向にあるとしても、生活スタイルの多様化などの大きな環境変化を考えれば、とてもうまくやっていると感心するしかありません。

 図表20では「ガソリン」を取り上げています。ガソリン車を動かすには絶対に必要なエネルギーですが、年収別のガソリン消費をみると、支出額にも数量にもさほど差がありません。ガソリンのなかには、レギュラーガソリン、ハイオクガソリン、軽油がふくまれていて、少しは差がつきそうですが、Vの世帯は平均よりO・4%高いガソリンを買っているだけです。それでも、Vの世帯がいちばん高いガソリンを使っています。

 誤差の範囲といえる差ですので、表ではこの最高値の強調をしていません。都道府県庁所在市別では、ガソリン価格もプラス・マイナス3%程度までの差があります。図表20で価格にほとんど差がないのは、驚きです。低所得世帯でも、ハイオクガソリンが必要なクルマを中古で買って乗り回している人がいたりしますから、年収別の比較ではガソリン価格に差がっきにくいのかもしれません。

 「レンタカー料金」についても紹介しておきましょう。高所得のVの世帯が支出額でも対消費支出額シェアでもトップで、それぞれ平均の2倍とI・5倍です。高所得世帯にサービスをうまく売っているとわかります。堂々の「★★★」格付けです。

 自動車メーカーとしても、自動車購入とは代替的なレンタカー利用での価格戦略が、高所得世帯にたくさんおカネを支払ってもらうのに成功していたほうが望ましいのです。代替商品間の〝過剰な低価格競争〟に巻き込まれずにすみます。日本の自動車関連ビジネスは見事な連携をみせていると感じざるをえません。自動車メーカーが自らレンタカービジネスも手がけることの価値が、ここにあらわれています。
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思いを素直に発言する

『心が揺れないクセづけ』より ⇒ パートナーへの接し方を含めて

「自分はどうしたいか」を考える 人の期待に振り回されない

 人は、誰かに期待されれば、その期待に応えたいと思うものです。

 そのように考えることは、とても大切なことだと思います。

 ただし、注意点も必要です。

 人が自分に寄せる期待というものは、人によって違います。

 たとえば、夫からは、「女性であっても社会に出て活躍してほしい。やりがいのある仕事を持って、イキイキと活動している女性が好きだ」と言われる場合があります。

 しかし、一方で、姑からは、「女性は、結婚したら、家庭に入るべきだ。外で仕事などせずに、家のことをしっかりやっていくべきだ。そういうお嫁さんになってもらいたい」と言われるかもしれません。

 夫の期待に応えようとすれば、姑の期待を裏切ることになります。

 姑の期待に応えようと思えば、今度は夫の期待に応えられなくなります。

 ですから、この両人の期待に応えようとすれば、頭が混乱して、自分自身が生きていくのが辛くなっていくばかりなのです。

 このように、ある人と、また別の人との期待が食い違ってしまうことがよく起こるのです。

 いわば、「こちらを立てれば、あちらが立たず、あちらを立てれば、こちらが立たず」といった状態です。その両方の人がともに自分にとって大切な人である場合には、心の動揺はいっそう大きくなります。

 このようなことにならないためには、「私自身は、このように生きていきたい」という思いをしっかり持っておくことが大切です。

 自分自身が仕事を持って外で働きたいならばそうすればいいでしょう。自分自身が専業主婦になりたければそうすればいいのです。

 人の期待に応えようと思うことは大切であるにせよ、「自分はどうしたいか」という意志を持っていないと、心の動揺はおさまりません。

「自分の問題」と「他人の問題」を分ける 自分がやるべきことをやる、他人がどう思うかは気にしない

 「自分がやったことを、相手がどう評価しているか気になってしょうがない」と言う人がいます。これは、誰にもある心理でしょう。

 会社で働く人であれば、「私の仕事を上司は、どのように評価してくれているのだろうか。いい仕事をしてもらって、助かっていると思っているのだろうか。それとも、仕事のできない役立たず者だと感じているのではないだろうか」といったことが気にかかります。

 友人同士の関係では、「あの人とは表面的には仲良くつき合っているけど、心の中では私のことをどう思っているのだろうか?あまり相性がいい相手ではないと感じているのではないだろうか」といったことを気にかけます。

 相手が心の中で何を考えているかということは、こちらからはわかりません。

 他人の心の中をのぞき込むことはできないからです。

 ですから、「評価されてないのではないか」「嫌われているのではないか」「バカにされているかもしれない」と、あれこれ想像して、時には気を揉んだり、心を動揺させてしまうことになるのです。

 オーストリアの精神科医で心理学者だったアルフレッド・アドラー(19~20世紀)は「『他人の問題』で悩むべきではない。「自分の問題」に集中すべきだ」と言いました。

 会社員であれば、「いい仕事をすることに全力を傾ける」というのが、「自分の問題」です。友人とのつき合いであれば、「友人と仲良くやっていくために努力する」というのが「自分の問題」です。

 一方で、「それを相手がどう感じるか」というのは、「他人の問題」です。

 つまり、アドラーは、「自分がやるべきことを一生懸命にやることが大事だ。それを相手がどう思うかを気にしてもしようがない」と言っているのです。

 このような割り切った考え方をすることで、「他人が自分をどう思っているか」ということを気にして心が動揺することはなくなります。

思いを素直に発言する みんなと違う意見を言ってもいい

 自分一人だけが、みんなと違った意見を言うことに、強いプレッシャーを感じるタイプの人がいます。

 たとえば、会議の席で多くの人が賛成した意見に対して、自分だけは「それは非常に危険な考えだ。もしかしたら失敗するかもしれない」という問題意識を持っていたとします。

 しかし、それを発言する勇気がなかなか出ないのも事実です。

 「発言したほうがいいのか。それとも黙って、みんなの意見に従っておくほうがいいのか」と、心が動揺します。

 恐らく、こういうケースで心が動揺するという人は、自分だけ違ったことを言って孤立することへの怖れがあるのでしょう。

 多数派に対して、自分一人だけで異議を申し立てることによって、組織のなかで孤立して、苦しい立場に立たされることになるかもしれません。

 みんなから仲間はずれにされる恐怖心も働きます。

 しかし、それは「考えすぎ」だと心います。

 自分一人だけ違った意見を言ったからといって、筋が通っていれば、それで窮地に追いやられたり、仲間はずれにされることはありません。

 ですから、意見があれば、率直に発行するほうが賢明です。

 とにかく、大切なことは、普段から日常生活の中で、「自分が心ったことを素直に言う」という練習をしておくことが大切です。

 そして、自分の思いを素直に発言したからといって、有意義でまともな意見ならば、相手が自分に反感を持つわけではないということを理解しておくことが肝心です。

 そうすれば、会議のような席であっても、それほど動揺することなく、自分の意見を言えるようになります。
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