未唯への手紙
未唯への手紙
二〇四〇年代の高まる緊張
『100年予測』より 二〇四〇年代 戦争への序曲 トルコ ポーランド 圧力と同盟 宇宙とバトルスター
バトルスターの配備、宇宙から制御する新世代兵器の導入、そして攻撃的な政治圧力と経済政策は、すべて日本とトルコを封じ込めることを狙ったものだ。日本とトルコからすれば、アメリカの要求はあまりにも極端で、理性を欠いているように思われる。アメリカは両国に全軍を本来の国境内に撤収すると同時に、黒海、日本海、ボスポラス海峡の通航権をアメリカに保証するよう要求する。
日本はこの条件に同意すれば、経済構造そのものを危険にさらすことになる。またトルコは経済混乱だけでなく、周辺国の政治動乱にまで巻き込まれる恐れがある。さらに言えばアメリカは、これと同等の要求をポーランド陣営に対しても行なうわけではない。むしろアメリカは、バルカン半島、ウクライナ、そして南ロシアをポーランドに委譲するようトルコに迫り、コーカサスを再び混乱に陥れようとする。
アメリカは、トルコと日本が降伏すると本気で考えているわけではない。それがアメリカの狙いなのではない。こうした要求を踏み台にして、両国に圧力をかけ、その伸張を阻み、不安を増幅させようとするに過ぎない。アメリカは日本とトルコが二〇二〇年当時の位置に戻ることを期待しているわけではなく、これ以上の拡張を阻止したいだけなのだ。
だが日本とトルコの見方は違う。両国からすれば、どんなに都合良く解釈したとしても、アメリカが解決不可能な国際問題を生み出して、両国の関心を急務の問題から逸らそうとしているように思われる。最悪の場合、アメリカは日本とトルコの地政学的崩壊の地ならしをしているのかもしれない。いずれにせよトルコも日本も、最悪の事態を想定して抵抗の準備をするしかない。
この頃のトルコと日本は、宇宙ではまだアメリカほど広範な経験を積んでいない。両国とも、有人宇宙システムを構築することはできるかもしれないし、この頃までにはそれぞれ偵察システムを立ち上げているだろう。だがアメリカの保有する軍事力は、両国の及ぶところではない。ましてやアメリカに方針の再考を迫る時間枠の中で、追いつけるはずもない。日本とトルコにしても、方針を再考できるような状況にない。
アメリカとて、日本ともトルコとも戦争をするつもりはない。アメリカの狙いは、ただ両国を締め付けて活力を損ない、アメリカの要求に従順にさせることにある。そんなわけで、アメリカの力を抑止することで利害が一致するトルコと日本は、自ずと同盟を形成するだろう。二〇四〇年代になれば、戦争における技術的転換のおかげで、緊密な連携が非常に取りやすくなっている。宇宙が、地上の地政学的情勢を一変させるのである。
トルコと日本はより一般的な側面でも、互いを支え合うことができる。アメリカは北米の強国だが、日本とトルコはいずれもユーラシアの強国である。
このことがごく自然な協力関係を生み出すとともに、両国に共通の目標を与える。日本の影響力は太平洋岸沿いに広がるが、二〇四五年までにはアジアの島嶼部全体と、アジア大陸にまで拡大しているだろう。トルコの勢力圏は中央アジアを超えて、中国西部のイスラム教地域にまで広がっている。つまり日本とトルコが協力することになれば、アメリカに比肩し得る、ユーラシア全体を支配する強国が生まれる可能性があるのだ。
そしてもちろんこの可能性をぶち壊しにするのが、ポーランドの存在であり、バルカン半島以北にトルコの影響力が拡大しないという事実である。だがこのことは、トルコと日本が協力関係を模索する妨げにはならない。万一トルコと日本の連合にヨーロッパの強国が一国でも加わるようなことがあれば、ポーランドは苦境に陥る。ポーランドの資源と注意が分散することで、ウクライナとロシアにおけるトルコの自由度が拡大し、トルコ・日本連合には三本目の支柱ができるからだ。両国の意中にあるのは、ドイツだ。もしドイツを説得することができれば--アメリカの支援を受けたポーランド陣営の脅威が十分深刻であり、三国が協力すればアメリカに十分な脅威を与え、慎重な行動を促すことができると説得できれば--日本とトルコにとって、ユーラシアを確保しその資源をともに搾取する可能性が、現実株を帯びてくる。
アメリカ諜報部は当然、東京とイスタンブールの外交協議を傍受し(この頃トルコの首都はアンカラから、伝統的都市イスタンブールに戻っている)、ドイツとメキシコに使者が送られたことを把握している。深刻な事態である。戦争が起これば、諜報部は日本・トルコの共同戦略計画に関する情報を入手するだろう。正式な同盟は存在しなくても、アメリカは自らが相手にしているのが、もはや二つの別々の御しやすい地域大国ではなく、ユーラシアの支配者たり得る単一の連合体のようだと気づき始める。これは、前述のアメリカの基本戦略の根底にある、根源的恐怖だ。日本・トルコ連合は、ユーラシアを支配すれば攻撃される恐れがなくなり、宇宙と海上でのアメリカとの対決に全力を傾けることができる。
アメリカは対抗措置として、これまで何度となく繰り返してきた政策を実行に移すだろう。それは両国を経済的に圧迫することだ。この頃まだ日本もトルコも輸出にある程度依存しているが、人口の急拡大が止まった世界では苦戦を強いられている。アメリカは経済圏を形成し、トルコと日本からの輸入を、同じ商品を供給できる第三国(アメリカである必要すらない)からの輸入に切り替えることを厭わない国に、その見返りとして最恵国待遇を授け、アメリカ向け輸出を優遇するだろう。つまり日本とトルコの製品に対する、特に目立たなくもないボイコットを組織するのだ。
両国への技術輸出にも制限が加えられる。ロボット工学や遺伝子工学の分野におけるアメリカの研究業績を考えれば、両国の先端技術力は間違いなく痛手を被るだろう。そして最も重要なことに、アメリカは中国、インド、ポーランド、ロシアにおける反トルコおよび反日勢力への軍事支援を急速に拡大する。アメリカの方針は単純明快だ。それは両国をできるだけ多くの問題で手こずらせ、同盟の形成を阻むことである。
だが日本とトルコにとって最も厄介なのは、アメリカが宇宙での活動を本格化することだ。バトルスター衛星群が構築されることを知った両国は、アメリカが必要とあらば侵略戦争に踏み切るつもりでいることを確信する。二〇四〇年代末までに、日本とトルコはアメリカのすべての行動を鑑み、その真意について結論を下すだろう。だがその結論とは、アメリカが日本とトルコを本気で潰そうとしている、というものだ。そしていま一つの結論は、同盟の形成こそが唯一の防衛手段になるということだ。同盟は抑止力として働く。あるいは同盟を結ぶことで、アメリカがどうあっても戦争を始めようとしていることを、はっきりさせることができる。かくして正式な同盟が結ばれる。そしてアジア中のイスラム教徒が、この同盟を通して勢力の岐路に立つという思いに奮い立つことだろう。
トルコとアメリカの対立によって息を吹き返したイスラム教徒の熱情は、東南アジアに飛び火する。日本はこれをきっかけに、同盟条約の条件の下でインドネシアに接近する。このことと、太平洋諸島における日本の長年のプレゼンスにより、アメリカの太平洋の制海権とインド洋へのアクセスは、もはや確実ではなくなる。だがアメリカが今もって確信していることが、一つある。アメリカは日本とトルコの勢力圏やユーラシアでアメリカが挑戦に直面することがあっても、両国が宇宙にあるアメリカの戦略的軍事力に挑戦することはあり得ないということだ。
日本とトルコを抜き差しならない状況に追い込んだアメリカは、それが招いた結果にうろたえながらも、最終的には問題に対処できるはずだという自信を崩さずにいる。アメリカはこのようにして招いた戦争を、実戦ではなく、むしろロシアと繰り広げた戦争のような、新たな冷戦と見なすだろう。この超大国は、現実の戦争で自らに挑戦できる国などいないと、信じて疑わないのだ。
バトルスターの配備、宇宙から制御する新世代兵器の導入、そして攻撃的な政治圧力と経済政策は、すべて日本とトルコを封じ込めることを狙ったものだ。日本とトルコからすれば、アメリカの要求はあまりにも極端で、理性を欠いているように思われる。アメリカは両国に全軍を本来の国境内に撤収すると同時に、黒海、日本海、ボスポラス海峡の通航権をアメリカに保証するよう要求する。
日本はこの条件に同意すれば、経済構造そのものを危険にさらすことになる。またトルコは経済混乱だけでなく、周辺国の政治動乱にまで巻き込まれる恐れがある。さらに言えばアメリカは、これと同等の要求をポーランド陣営に対しても行なうわけではない。むしろアメリカは、バルカン半島、ウクライナ、そして南ロシアをポーランドに委譲するようトルコに迫り、コーカサスを再び混乱に陥れようとする。
アメリカは、トルコと日本が降伏すると本気で考えているわけではない。それがアメリカの狙いなのではない。こうした要求を踏み台にして、両国に圧力をかけ、その伸張を阻み、不安を増幅させようとするに過ぎない。アメリカは日本とトルコが二〇二〇年当時の位置に戻ることを期待しているわけではなく、これ以上の拡張を阻止したいだけなのだ。
だが日本とトルコの見方は違う。両国からすれば、どんなに都合良く解釈したとしても、アメリカが解決不可能な国際問題を生み出して、両国の関心を急務の問題から逸らそうとしているように思われる。最悪の場合、アメリカは日本とトルコの地政学的崩壊の地ならしをしているのかもしれない。いずれにせよトルコも日本も、最悪の事態を想定して抵抗の準備をするしかない。
この頃のトルコと日本は、宇宙ではまだアメリカほど広範な経験を積んでいない。両国とも、有人宇宙システムを構築することはできるかもしれないし、この頃までにはそれぞれ偵察システムを立ち上げているだろう。だがアメリカの保有する軍事力は、両国の及ぶところではない。ましてやアメリカに方針の再考を迫る時間枠の中で、追いつけるはずもない。日本とトルコにしても、方針を再考できるような状況にない。
アメリカとて、日本ともトルコとも戦争をするつもりはない。アメリカの狙いは、ただ両国を締め付けて活力を損ない、アメリカの要求に従順にさせることにある。そんなわけで、アメリカの力を抑止することで利害が一致するトルコと日本は、自ずと同盟を形成するだろう。二〇四〇年代になれば、戦争における技術的転換のおかげで、緊密な連携が非常に取りやすくなっている。宇宙が、地上の地政学的情勢を一変させるのである。
トルコと日本はより一般的な側面でも、互いを支え合うことができる。アメリカは北米の強国だが、日本とトルコはいずれもユーラシアの強国である。
このことがごく自然な協力関係を生み出すとともに、両国に共通の目標を与える。日本の影響力は太平洋岸沿いに広がるが、二〇四五年までにはアジアの島嶼部全体と、アジア大陸にまで拡大しているだろう。トルコの勢力圏は中央アジアを超えて、中国西部のイスラム教地域にまで広がっている。つまり日本とトルコが協力することになれば、アメリカに比肩し得る、ユーラシア全体を支配する強国が生まれる可能性があるのだ。
そしてもちろんこの可能性をぶち壊しにするのが、ポーランドの存在であり、バルカン半島以北にトルコの影響力が拡大しないという事実である。だがこのことは、トルコと日本が協力関係を模索する妨げにはならない。万一トルコと日本の連合にヨーロッパの強国が一国でも加わるようなことがあれば、ポーランドは苦境に陥る。ポーランドの資源と注意が分散することで、ウクライナとロシアにおけるトルコの自由度が拡大し、トルコ・日本連合には三本目の支柱ができるからだ。両国の意中にあるのは、ドイツだ。もしドイツを説得することができれば--アメリカの支援を受けたポーランド陣営の脅威が十分深刻であり、三国が協力すればアメリカに十分な脅威を与え、慎重な行動を促すことができると説得できれば--日本とトルコにとって、ユーラシアを確保しその資源をともに搾取する可能性が、現実株を帯びてくる。
アメリカ諜報部は当然、東京とイスタンブールの外交協議を傍受し(この頃トルコの首都はアンカラから、伝統的都市イスタンブールに戻っている)、ドイツとメキシコに使者が送られたことを把握している。深刻な事態である。戦争が起これば、諜報部は日本・トルコの共同戦略計画に関する情報を入手するだろう。正式な同盟は存在しなくても、アメリカは自らが相手にしているのが、もはや二つの別々の御しやすい地域大国ではなく、ユーラシアの支配者たり得る単一の連合体のようだと気づき始める。これは、前述のアメリカの基本戦略の根底にある、根源的恐怖だ。日本・トルコ連合は、ユーラシアを支配すれば攻撃される恐れがなくなり、宇宙と海上でのアメリカとの対決に全力を傾けることができる。
アメリカは対抗措置として、これまで何度となく繰り返してきた政策を実行に移すだろう。それは両国を経済的に圧迫することだ。この頃まだ日本もトルコも輸出にある程度依存しているが、人口の急拡大が止まった世界では苦戦を強いられている。アメリカは経済圏を形成し、トルコと日本からの輸入を、同じ商品を供給できる第三国(アメリカである必要すらない)からの輸入に切り替えることを厭わない国に、その見返りとして最恵国待遇を授け、アメリカ向け輸出を優遇するだろう。つまり日本とトルコの製品に対する、特に目立たなくもないボイコットを組織するのだ。
両国への技術輸出にも制限が加えられる。ロボット工学や遺伝子工学の分野におけるアメリカの研究業績を考えれば、両国の先端技術力は間違いなく痛手を被るだろう。そして最も重要なことに、アメリカは中国、インド、ポーランド、ロシアにおける反トルコおよび反日勢力への軍事支援を急速に拡大する。アメリカの方針は単純明快だ。それは両国をできるだけ多くの問題で手こずらせ、同盟の形成を阻むことである。
だが日本とトルコにとって最も厄介なのは、アメリカが宇宙での活動を本格化することだ。バトルスター衛星群が構築されることを知った両国は、アメリカが必要とあらば侵略戦争に踏み切るつもりでいることを確信する。二〇四〇年代末までに、日本とトルコはアメリカのすべての行動を鑑み、その真意について結論を下すだろう。だがその結論とは、アメリカが日本とトルコを本気で潰そうとしている、というものだ。そしていま一つの結論は、同盟の形成こそが唯一の防衛手段になるということだ。同盟は抑止力として働く。あるいは同盟を結ぶことで、アメリカがどうあっても戦争を始めようとしていることを、はっきりさせることができる。かくして正式な同盟が結ばれる。そしてアジア中のイスラム教徒が、この同盟を通して勢力の岐路に立つという思いに奮い立つことだろう。
トルコとアメリカの対立によって息を吹き返したイスラム教徒の熱情は、東南アジアに飛び火する。日本はこれをきっかけに、同盟条約の条件の下でインドネシアに接近する。このことと、太平洋諸島における日本の長年のプレゼンスにより、アメリカの太平洋の制海権とインド洋へのアクセスは、もはや確実ではなくなる。だがアメリカが今もって確信していることが、一つある。アメリカは日本とトルコの勢力圏やユーラシアでアメリカが挑戦に直面することがあっても、両国が宇宙にあるアメリカの戦略的軍事力に挑戦することはあり得ないということだ。
日本とトルコを抜き差しならない状況に追い込んだアメリカは、それが招いた結果にうろたえながらも、最終的には問題に対処できるはずだという自信を崩さずにいる。アメリカはこのようにして招いた戦争を、実戦ではなく、むしろロシアと繰り広げた戦争のような、新たな冷戦と見なすだろう。この超大国は、現実の戦争で自らに挑戦できる国などいないと、信じて疑わないのだ。
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二〇三〇年代のトルコ
『100年予測』より 新世界の勃興
二〇二〇年頃まで続くヨーロッパでの米ロ対立のさなかに、別の副次的な対立がコーカサスで生じる。ロシアはこの地域に南進して、グルジアを再吸収し、アルメニア内の協力者と手を結ぶだろう。しかしロシア軍がトルコの国境に戻ることで、トルコは恐慌をきたす。オスマン帝国の滅亡と近代トルコの誕生から一世紀を経て、トルコは再び冷戦時代と同じ脅威にさらされる。
その後ロシアが崩壊すると、トルコは二〇二〇年頃に避けられない戦略的決定を下すだろう。ロシアから身を守るよすがとして、混乱した緩衝地帯を当てにするというリスクを、トルコは二度と冒さない。今回トルコはコーカサスを北上し、国家安全保障を確保するのに必要なだけ北進する。
ここにはさらに根の深い問題がある。トルコは二〇二〇年になれば世界で十指に入る経済規模を有している。二〇〇七年時点ですでに世界第一七位につけており、着実な成長を続けるトルコは、経済的に自立した国であるばかりか、戦略的に重要な国でもある。実際トルコはユーラシア諸国の中で、最も有利な地理的位置を占めている。トルコからはアラブ世界、イラン、ヨーロッパ、旧ソ連圏、そして何より地中海に、容易に出ることができる。トルコ経済が成長を続けているのは、トルコ自体が生産性の高い経済大国だというだけではなく、トルコが地域貿易の中心地だからでもある。
二〇二〇年のトルコは、混沌の大海原の中の、成長著しく、きわめて安定性の高い経済、軍事大国になっている。トルコには、情勢が不安定な北方だけでなく、あらゆる方向に困難が待ち受ける。南東には、何世紀も前から経済的にも軍事的にも振るわないが、歴史的に国内情勢が予測不能なイランが控えている。南方にはいつまでも不安定で経済発展が見られないアラブ世界がある。北西に位置するバルカン半島は、果てしのない混乱の中にある。そしてここにはトルコの宿敵ギリシャが含まれる。
だがより広い範囲の問題として、この頃のイスラム世界全体が極度に分裂していることが挙げられる。イスラム世界は歴史的に分裂しているだけでなく、アメリカの対テロ戦争のせいで著しく不安定な状態に陥った。二〇一〇年代末に起こる米ロ対立の過程で、ロシアがトルコ南方でアメリカに対する攬乱工作を行なえば、中東はさらに不安定になる。二〇二〇年代にはイスラム世界全体、特にアラブ世界が、考え得るすべての線に沿って分裂を起こすだろう。
イスラム世界は、自らの意思で一つにまとまることはできない。だがイスラム教大国による支配なら、受け入れることができる。一三世紀のモンゴル人によるイスラム帝国侵攻以降、イスラム教大国の中で、イスラム世界から帝国を生み出すことに最も頻繁に成功している国は、トルコである。一九一七年から二〇二〇年までの一世紀間は、トルコの支配が小アジアにとどまる、例外的な時期だ。しかしイスラム世界にとって、トルコの勢力--オスマン帝国や、イランから統治したテュルク勢力--は長期的現実なのである。実際トルコはかつてバルカン半島、コーカサス地方、アラビア半島、北アフリカを支配していた。
二〇二〇年代にこの勢力が再びよみがえるだろう。ロシアと対立するアメリカにとって、トルコは日本よりも一層重要な存在になる。エーゲ海と黒海をつなぐボスポラス海峡は、ロシアの地中海へのアクセスを阻んでいる。トルコは歴史的にボスポラス海峡を支配しており、したがって歴史的にロシアの利益を阻む存在だった。二〇一〇年代から二〇二〇年代の初めになっても、その状況は変わらない。ロシアがバルカン半島のアメリカ軍と戦うためには、ボスポラス海峡へのアクセスが欠かせない。万一ロシアがそのアクセスを得て地政学的目標を達成するようなことがあれば、自らの自治が脅かされることを、トルコは認識している。したがってトルコはアメリカとの反ロシア同盟に全力を注ぐだろう。
このようにして、トルコはアメリカの反ロ戦略にとって欠かせない存在になる。アメリカは卜ルコにコーカサスヘの北進を促し、またトルコがバルカン半島のイスラム教地域や、南方のアラブ諸国にまで勢力を拡大することを望むだろう。またトルコが黒海でロシアに立ち向かえるように、海洋力(海軍、空軍、宇宙)の増強に手を貸してやる。そしてトルコ海軍に対して、地中海でのアメリカ海軍の負担を分担し、北アフリカにおけるロシアの軍事的冒険を阻止するよう要請するだろう。その一方で、アメリカはあらゆる手段を講じてトルコの経済発展を後押しする。その結果、すでに成長著しいトルコ経済が、さらに活性化する。
ロシアが崩壊する時、トルコは一世紀の間失っていた地位を取り戻している。混乱した弱小国に囲まれたトルコは、地域全体に大きな経済的影響力を及ぼすとともに、軍事的にも大きな存在感を放っているはずだ。ロシアが崩壊すれば、地域の地政学的現実はトルコを中心として再編され、トルコはさしたる労力なしに、全方位に勢力を及ぼす地域覇権国にのし上がるのである。まだ正式な帝国ではないが、トルコは間違いなくイスラム世界の重心になる。
当然ながらトルコの勢力回復は、アラブ世界に深刻な問題を呈する。アラブ人はかつてオスマン帝国の下でトルコ人に不当な扱いを受けたことを忘れていない。だがトルコほどの力を行使できる地域強国といえば、イスラエルとイランしかなく、これらの国に比べれば、トルコの方がよほど受け入れやすい。アラビア半島の衰退が始まれば、アラブ諸国の安全保障と経済発展は、卜ルコとの密接な関係に依存するようになる。
アメリカはこの展開を、有益な一歩として受け止めるだろう。第一に、アメリカの親密な同盟国であるトルコが報われるからだ。第二に、不安定な地域が安定する。第三に、この頃はまだ潤沢なペルシャ湾の炭化水素資源が、トルコの勢力下に置かれる。そして最後に、トルコがこの地域でのイランの野望をくじくと考えられるからだ。moh
だが直接の結果がアメリカにとって好ましいものであっても、長期的な地政学的帰結はアメリカの基本戦略と衝突する。前述の通り、アメリカは複数の地域覇権国を誕生させることで、ユーラシアにより大きな強国が出現する脅威を阻止しようとする。だがアメリカは、この地域覇権国を怖れてもいる。こうした国が地域的挑戦国にとどまらず、世界的挑戦国にのし上がる可能性があるからだ。アメリカにとってトルコは、まさにこのような存在になる。二〇二〇年代が終わりに近づくにつれ、アメリカとトルコの関係はこじれていく。
トルコのアメリカ観もまた変化する。二〇三〇年代になると、アメリカはトルコの地域的利益を脅かす存在と見なされるようになる。さらに、オスマン帝国の崩壊以来、世俗主義を貫いてきたトルコが、イデオロギー転換を遂げている可能性もある。トルコは歴史的に宗教に柔軟な姿勢を取り、宗教を単なる信仰体系ではなく、一つの手段として利用してきた。そのためトルコは勢力拡大をアメリカに阻まれれば、単なるイスラム教国ではなく、イスラム教超大国をめざすイスラム国家--アルカイダのような、ただの派閥ではない--を標榜して、イスラム教徒のエネルギーを利用することが有利に働くと判断するかもしれない。そうなれば、この地域のアラブ系イスラム教徒は、こうした動きの背景や皮肉には目をつぶって、それまでの不本意な同調の姿勢から一転して、トルコの勢力拡張に熱心に肩入れするだろう。その結果アメリカは、アラブ世界と東地中海を組み従え、強大な力を秘めた、イスラム国家と対峙することになる。アメリカはほかの前線上に次々と問題が浮上する間にも、政治力と経済活力を併せ持つトルコによって、その存亡を脅かされるようになるのである。
二〇二〇年頃まで続くヨーロッパでの米ロ対立のさなかに、別の副次的な対立がコーカサスで生じる。ロシアはこの地域に南進して、グルジアを再吸収し、アルメニア内の協力者と手を結ぶだろう。しかしロシア軍がトルコの国境に戻ることで、トルコは恐慌をきたす。オスマン帝国の滅亡と近代トルコの誕生から一世紀を経て、トルコは再び冷戦時代と同じ脅威にさらされる。
その後ロシアが崩壊すると、トルコは二〇二〇年頃に避けられない戦略的決定を下すだろう。ロシアから身を守るよすがとして、混乱した緩衝地帯を当てにするというリスクを、トルコは二度と冒さない。今回トルコはコーカサスを北上し、国家安全保障を確保するのに必要なだけ北進する。
ここにはさらに根の深い問題がある。トルコは二〇二〇年になれば世界で十指に入る経済規模を有している。二〇〇七年時点ですでに世界第一七位につけており、着実な成長を続けるトルコは、経済的に自立した国であるばかりか、戦略的に重要な国でもある。実際トルコはユーラシア諸国の中で、最も有利な地理的位置を占めている。トルコからはアラブ世界、イラン、ヨーロッパ、旧ソ連圏、そして何より地中海に、容易に出ることができる。トルコ経済が成長を続けているのは、トルコ自体が生産性の高い経済大国だというだけではなく、トルコが地域貿易の中心地だからでもある。
二〇二〇年のトルコは、混沌の大海原の中の、成長著しく、きわめて安定性の高い経済、軍事大国になっている。トルコには、情勢が不安定な北方だけでなく、あらゆる方向に困難が待ち受ける。南東には、何世紀も前から経済的にも軍事的にも振るわないが、歴史的に国内情勢が予測不能なイランが控えている。南方にはいつまでも不安定で経済発展が見られないアラブ世界がある。北西に位置するバルカン半島は、果てしのない混乱の中にある。そしてここにはトルコの宿敵ギリシャが含まれる。
だがより広い範囲の問題として、この頃のイスラム世界全体が極度に分裂していることが挙げられる。イスラム世界は歴史的に分裂しているだけでなく、アメリカの対テロ戦争のせいで著しく不安定な状態に陥った。二〇一〇年代末に起こる米ロ対立の過程で、ロシアがトルコ南方でアメリカに対する攬乱工作を行なえば、中東はさらに不安定になる。二〇二〇年代にはイスラム世界全体、特にアラブ世界が、考え得るすべての線に沿って分裂を起こすだろう。
イスラム世界は、自らの意思で一つにまとまることはできない。だがイスラム教大国による支配なら、受け入れることができる。一三世紀のモンゴル人によるイスラム帝国侵攻以降、イスラム教大国の中で、イスラム世界から帝国を生み出すことに最も頻繁に成功している国は、トルコである。一九一七年から二〇二〇年までの一世紀間は、トルコの支配が小アジアにとどまる、例外的な時期だ。しかしイスラム世界にとって、トルコの勢力--オスマン帝国や、イランから統治したテュルク勢力--は長期的現実なのである。実際トルコはかつてバルカン半島、コーカサス地方、アラビア半島、北アフリカを支配していた。
二〇二〇年代にこの勢力が再びよみがえるだろう。ロシアと対立するアメリカにとって、トルコは日本よりも一層重要な存在になる。エーゲ海と黒海をつなぐボスポラス海峡は、ロシアの地中海へのアクセスを阻んでいる。トルコは歴史的にボスポラス海峡を支配しており、したがって歴史的にロシアの利益を阻む存在だった。二〇一〇年代から二〇二〇年代の初めになっても、その状況は変わらない。ロシアがバルカン半島のアメリカ軍と戦うためには、ボスポラス海峡へのアクセスが欠かせない。万一ロシアがそのアクセスを得て地政学的目標を達成するようなことがあれば、自らの自治が脅かされることを、トルコは認識している。したがってトルコはアメリカとの反ロシア同盟に全力を注ぐだろう。
このようにして、トルコはアメリカの反ロ戦略にとって欠かせない存在になる。アメリカは卜ルコにコーカサスヘの北進を促し、またトルコがバルカン半島のイスラム教地域や、南方のアラブ諸国にまで勢力を拡大することを望むだろう。またトルコが黒海でロシアに立ち向かえるように、海洋力(海軍、空軍、宇宙)の増強に手を貸してやる。そしてトルコ海軍に対して、地中海でのアメリカ海軍の負担を分担し、北アフリカにおけるロシアの軍事的冒険を阻止するよう要請するだろう。その一方で、アメリカはあらゆる手段を講じてトルコの経済発展を後押しする。その結果、すでに成長著しいトルコ経済が、さらに活性化する。
ロシアが崩壊する時、トルコは一世紀の間失っていた地位を取り戻している。混乱した弱小国に囲まれたトルコは、地域全体に大きな経済的影響力を及ぼすとともに、軍事的にも大きな存在感を放っているはずだ。ロシアが崩壊すれば、地域の地政学的現実はトルコを中心として再編され、トルコはさしたる労力なしに、全方位に勢力を及ぼす地域覇権国にのし上がるのである。まだ正式な帝国ではないが、トルコは間違いなくイスラム世界の重心になる。
当然ながらトルコの勢力回復は、アラブ世界に深刻な問題を呈する。アラブ人はかつてオスマン帝国の下でトルコ人に不当な扱いを受けたことを忘れていない。だがトルコほどの力を行使できる地域強国といえば、イスラエルとイランしかなく、これらの国に比べれば、トルコの方がよほど受け入れやすい。アラビア半島の衰退が始まれば、アラブ諸国の安全保障と経済発展は、卜ルコとの密接な関係に依存するようになる。
アメリカはこの展開を、有益な一歩として受け止めるだろう。第一に、アメリカの親密な同盟国であるトルコが報われるからだ。第二に、不安定な地域が安定する。第三に、この頃はまだ潤沢なペルシャ湾の炭化水素資源が、トルコの勢力下に置かれる。そして最後に、トルコがこの地域でのイランの野望をくじくと考えられるからだ。moh
だが直接の結果がアメリカにとって好ましいものであっても、長期的な地政学的帰結はアメリカの基本戦略と衝突する。前述の通り、アメリカは複数の地域覇権国を誕生させることで、ユーラシアにより大きな強国が出現する脅威を阻止しようとする。だがアメリカは、この地域覇権国を怖れてもいる。こうした国が地域的挑戦国にとどまらず、世界的挑戦国にのし上がる可能性があるからだ。アメリカにとってトルコは、まさにこのような存在になる。二〇二〇年代が終わりに近づくにつれ、アメリカとトルコの関係はこじれていく。
トルコのアメリカ観もまた変化する。二〇三〇年代になると、アメリカはトルコの地域的利益を脅かす存在と見なされるようになる。さらに、オスマン帝国の崩壊以来、世俗主義を貫いてきたトルコが、イデオロギー転換を遂げている可能性もある。トルコは歴史的に宗教に柔軟な姿勢を取り、宗教を単なる信仰体系ではなく、一つの手段として利用してきた。そのためトルコは勢力拡大をアメリカに阻まれれば、単なるイスラム教国ではなく、イスラム教超大国をめざすイスラム国家--アルカイダのような、ただの派閥ではない--を標榜して、イスラム教徒のエネルギーを利用することが有利に働くと判断するかもしれない。そうなれば、この地域のアラブ系イスラム教徒は、こうした動きの背景や皮肉には目をつぶって、それまでの不本意な同調の姿勢から一転して、トルコの勢力拡張に熱心に肩入れするだろう。その結果アメリカは、アラブ世界と東地中海を組み従え、強大な力を秘めた、イスラム国家と対峙することになる。アメリカはほかの前線上に次々と問題が浮上する間にも、政治力と経済活力を併せ持つトルコによって、その存亡を脅かされるようになるのである。
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二〇三〇年代のアジア状況
『100年予測』より 新世界の勃興
日本が中国に積極的に関与し始めたのは、一九世紀のことだ。ヨーロッパ列強が中国への干渉を始めた一九世紀半ばから第二次世界大戦が終結するまでの混乱期の間、日本は主に何らかの経済利益を求めて、つねに中国に影響力を行使していた。中国は一九三〇年代から四〇年代にかけての日本人の行状に対して、苦い記憶を引きずっているものの、日本が毛沢束後の中国に再進出し投資を再開するのを阻止するほどではなかった。
一九三〇年代の日本が中国に求めたものは、主に市場であり、次に労働力だった。二〇二〇年代になれば、前述の通り労働力に重点が移る。中国で地域化とある程度の分裂が進むなか、二〇一〇年代から二〇二〇年代になると日本は中国にかつてと同じ誘惑を感じるようになる。中国の地方に何らかの形の支配体制を確立すれば、移民受け入れに伴う社会的、文化的代償を払わずに、人口問題を迅速に解決することができる。ただし日本はどの地方を支配するにも、まずは地方との間に親密な関係を育まなくてはならない。
中国では多くの地域が、中央政府からの保護と、投資資本や技術を、外国に求めるようになる。このようにして、投資と技術を必要とする中国沿岸部と、労働力を必要とする日本との間に、一九世紀末から二〇世紀初めに見られたような共生関係がよみがえるだろう。
歴史を振り返ると、日本は労働力の調達以外に、もう一つの重要課題をつねに抱えてきた。それは原材料の確保だ。前述の通り日本は世界第二位の経済大国だが、原材料のほとんどを輸入に頼っている。これは日本の歴史的な重大問題であり、一九四一年に日本がアメリカと開戦した主な理由でもあった。真珠湾を攻撃する前の日本国内が一枚岩ではなかったことは、忘れられがちである。日本の指導層には、シべリア進出は日本に必要な原材料をもたらし、アメリカとの対戦よりリスクが少ないと主張する者もいた。いずれにせよ、日本がどれほど悲壮な思いで原材料を求めていたか、そして今後も求めるであろうことを、見過ごしてはならない。
この頃日本は中国北東部とロシアの太平洋沿岸部の両方に、直接的な利害を有している。だが日本は軍事的冒険には食指が動かない。それでいて、二〇二〇年代に何らかの思い切った措置を講じなければ、世紀半ばに間違いなく経済的破綻を迎えるだろう。日本の人口は現在一億二八〇○万人だが、二〇五〇年までに一億七〇〇万人に減少する。しかもこのうちの四〇〇〇万人が六五歳以上、一五〇〇万人が一四歳以下である。この五五〇〇万人が労働力から外れるとなれば、経済を管理可能な水準で維持することは難しくなる。労働力不足とエネルギー不安の板挟みになった日本には、地域覇権国を目指す以外に取るべき道はない。
日本とその歴史について、もう少し詳しく見てみよう。日本は現在世界第二位の経済大国であり、今世紀中もその地位を維持するだろう。殖産興業の時代から第二次世界大戦を経て、一九八〇年代の奇跡的な経済成長の間も持ちこたえた日本の社会構造は、いろいろな意味で産業化が始まる以前の社会構造とまったく変わっていない。
日本には、経済政策や政治方針を大きく転換しても、国内の安定が損なわれないという特質がある。日本は西洋との邂逅を経て、自分たちのような国が列強の前ではひとたまりもないことを痛感すると、めまぐるしいほどの速さで産業化を推進した。第二次世界大戦が終わると、社会に深く刻まれた軍国主義の伝統を捨て去り、突如として世界で最も平和主義的な国に生まれ変わった。日本はその後めざましい成長を遂げた。一九九〇年には金融危機の影響で経済成長が止まったが、このときも運命の逆転を淡々と受け止めた。
日本が大きな社会変革を経ても基本的価値観を失わずにいられるのは、文化の連続性と社会的規律を併せ持つからである。短期間のうちに、しかも秩序正しいやり方で、頻繁に方向転換できる国はそうない。日本にはそれが可能であり、現に実行してきた。日本は地理的に隔離されているため、国家の分裂を招くような社会的、文化的影響力から守られている。その上日本には、実力本位で登用された有能なエリート支配層があり、その支配層に進んで従おうとする、非常に統制の取れた国民がいる。日本はこの強みを持つがために、予測不能とまでいかなくても、他国であれば混乱に陥るような政策転換を、難なく実行することができる。
日本は当初、経済的手段を通じて必要なものを得ようとする。だが移民に頼らずに労働力の拡充を図ろうとする国は日本だけではないし、海外のエネルギー資源の支配をもくろむ国も日本だけではない。ヨーロッパ諸国も地域的経済関係の構築に色気を示すはずだ。中国とロシアの分裂した諸地域は、これ幸いとヨーロッパと日本を争わせ、漁夫の利を得ようとするだろう。
日本にとって難しいのは、このゲームに負けるわけにいかないことだ。日本の求めるものと、その地理的位置を考えれば、東アジアに影響力を行使する以外に道は残されていない。だがここに影響力を行使すれば、間違いなくいくつかの抵抗に遭う。第一に、何年も前から反日運動を展開している中国政府は、日本が中国の国家としての統一性を意図的に損なおうとしていると考えるだろう。さまざまな強国と同盟関係を結ぶ諸地域は、互いに優位に立とうとする。このようにして日本の利益を脅かすおそれのある複雑な抗争が生じるため、日本は思った以上に直接的に干渉せざるを得なくなる。そして最後の手段として、軍国色を強めるのである。遠い先かもしれないが、いずれ必ず軍国主義が復活する。二〇二〇年代から三〇年代にかけて世界の強国が存在感を強める中で、中国とロシアがますます不安定化すれば、日本も他の国と同じように、自国の権益を守らなくてはならなくなる。
アメリカは二〇三〇年頃までに、積極性を高める日本に対する考え方の見直しを迫られる。日本はアメリカと同様、本質的に海洋国家であり、原材料を輸入し、加工品を輸出することで成り立っている。シーレーンの確保は日本の生命線だ。日本は東アジアヘの関与を、大規模な経済的関与から小規模な軍事プレゼンスヘと変化させるうちに、特にこの地域のシーレーンの防衛に関心を向けるようになる。
事態は次のような展開を見せるだろう。アメリカが日本の軍事力の増大に反応し始めると、日本は不安感を募らせ、日米関係は悪循環に陥る。日本がアジアで基本的国益を追求するためには、シーレーンを支配する必要がある。これに対して、世界のシーレーン支配を国家安全保障の絶対条件と見なすアメリカは、日本の攻撃性の高まりと思われるものを牽制しようとして、日本に圧力をかけるのである。
日本の拡大する勢力圏の中心に位置するのが、韓国だ。韓国は二〇三〇年よりかなり前に南北統一を果たすものと考えられる。統一韓国は、日本と遜色ない約七〇〇〇万人の人口を抱える。韓国の経済規模は現在世界第一二位だが、二○三〇年には統一を経て順位を上げているはずだ。韓国は歴史的に日本の支配を怖れている。日本が中国とロシアで力を増すにつれ、真ん中にとらわれた韓国は不安を強める。韓国はそれ自体でも侮れない強国だが、その真の重要性は、韓国がアメリカにとって強大化する日本への対抗勢力であり、アメリカが日本海で勢力を誇示するための拠点だということにある。韓国が台頭する日本に対抗すべくアメリカに支援を求める結果、反日同盟が出現するだろう。
その一方で、中国国内にも変化が生じている。中国は過去数世紀にわたって三、四〇年の周期を繰り返している。中国は一八四二年にイギリスに香港を割譲した。一八七五年頃、ヨーロッパが中国の属国を支配し始めた。一九一一年には、孫逸仙(孫文)が清朝を倒した。一九四九年に共産主義者が中国を支配した。一九七六年に毛沢東が死去し、経済拡大期が始まった。そして二〇一〇年の中国は、国内の分裂と経済の低迷に苦しんでいるはずだ。となると、次の揺り戻しが起こる可能性が高いのは、二〇四〇年代ということになる。
この時の揺り戻しは、政治的支配を回復し、中国における外国勢力を抑え込もうとする中国政府の動きという形を取る。ただしこのプロセスは当然二〇四〇年代に始まるわけではなく、この頃最高潮に達する。それが表面化するのは、外国、特に日本の侵略が激化する二〇三〇年代だ。アメリカは状況をコントロールする手段の一つとして、この事態を利用するだろう。つまり、中国の再統合を目指し日本の動きを封じようとする、中国政府の取り組みを支援するのだ。このようにしてアメリカの政策は、第二次世界大戦以前の原型に回帰する。
二〇四〇年代までに、日米間には著しい利害の不一致が生じているはずだ。この頃アメリカは、日本の力の高まりへの警戒感を共有する、韓国および中国の政府と手を結んでいる。日本はアメリカが自らの勢力圏に介入することを恐れて、必然的に軍事力を増強する。だがアメリカの軍事力と、アメリカの築き上げた地域同盟に立ち向かう日本は、著しく孤立する。日本はこの圧力に単独で対抗できるはずもなく、かといって周辺には頼りにできる国もない。しかし技術転換が地政学的転換をもたらし、日本が同盟を形成する機会は、アジアの向こう端に現われるのだ。
日本が中国に積極的に関与し始めたのは、一九世紀のことだ。ヨーロッパ列強が中国への干渉を始めた一九世紀半ばから第二次世界大戦が終結するまでの混乱期の間、日本は主に何らかの経済利益を求めて、つねに中国に影響力を行使していた。中国は一九三〇年代から四〇年代にかけての日本人の行状に対して、苦い記憶を引きずっているものの、日本が毛沢束後の中国に再進出し投資を再開するのを阻止するほどではなかった。
一九三〇年代の日本が中国に求めたものは、主に市場であり、次に労働力だった。二〇二〇年代になれば、前述の通り労働力に重点が移る。中国で地域化とある程度の分裂が進むなか、二〇一〇年代から二〇二〇年代になると日本は中国にかつてと同じ誘惑を感じるようになる。中国の地方に何らかの形の支配体制を確立すれば、移民受け入れに伴う社会的、文化的代償を払わずに、人口問題を迅速に解決することができる。ただし日本はどの地方を支配するにも、まずは地方との間に親密な関係を育まなくてはならない。
中国では多くの地域が、中央政府からの保護と、投資資本や技術を、外国に求めるようになる。このようにして、投資と技術を必要とする中国沿岸部と、労働力を必要とする日本との間に、一九世紀末から二〇世紀初めに見られたような共生関係がよみがえるだろう。
歴史を振り返ると、日本は労働力の調達以外に、もう一つの重要課題をつねに抱えてきた。それは原材料の確保だ。前述の通り日本は世界第二位の経済大国だが、原材料のほとんどを輸入に頼っている。これは日本の歴史的な重大問題であり、一九四一年に日本がアメリカと開戦した主な理由でもあった。真珠湾を攻撃する前の日本国内が一枚岩ではなかったことは、忘れられがちである。日本の指導層には、シべリア進出は日本に必要な原材料をもたらし、アメリカとの対戦よりリスクが少ないと主張する者もいた。いずれにせよ、日本がどれほど悲壮な思いで原材料を求めていたか、そして今後も求めるであろうことを、見過ごしてはならない。
この頃日本は中国北東部とロシアの太平洋沿岸部の両方に、直接的な利害を有している。だが日本は軍事的冒険には食指が動かない。それでいて、二〇二〇年代に何らかの思い切った措置を講じなければ、世紀半ばに間違いなく経済的破綻を迎えるだろう。日本の人口は現在一億二八〇○万人だが、二〇五〇年までに一億七〇〇万人に減少する。しかもこのうちの四〇〇〇万人が六五歳以上、一五〇〇万人が一四歳以下である。この五五〇〇万人が労働力から外れるとなれば、経済を管理可能な水準で維持することは難しくなる。労働力不足とエネルギー不安の板挟みになった日本には、地域覇権国を目指す以外に取るべき道はない。
日本とその歴史について、もう少し詳しく見てみよう。日本は現在世界第二位の経済大国であり、今世紀中もその地位を維持するだろう。殖産興業の時代から第二次世界大戦を経て、一九八〇年代の奇跡的な経済成長の間も持ちこたえた日本の社会構造は、いろいろな意味で産業化が始まる以前の社会構造とまったく変わっていない。
日本には、経済政策や政治方針を大きく転換しても、国内の安定が損なわれないという特質がある。日本は西洋との邂逅を経て、自分たちのような国が列強の前ではひとたまりもないことを痛感すると、めまぐるしいほどの速さで産業化を推進した。第二次世界大戦が終わると、社会に深く刻まれた軍国主義の伝統を捨て去り、突如として世界で最も平和主義的な国に生まれ変わった。日本はその後めざましい成長を遂げた。一九九〇年には金融危機の影響で経済成長が止まったが、このときも運命の逆転を淡々と受け止めた。
日本が大きな社会変革を経ても基本的価値観を失わずにいられるのは、文化の連続性と社会的規律を併せ持つからである。短期間のうちに、しかも秩序正しいやり方で、頻繁に方向転換できる国はそうない。日本にはそれが可能であり、現に実行してきた。日本は地理的に隔離されているため、国家の分裂を招くような社会的、文化的影響力から守られている。その上日本には、実力本位で登用された有能なエリート支配層があり、その支配層に進んで従おうとする、非常に統制の取れた国民がいる。日本はこの強みを持つがために、予測不能とまでいかなくても、他国であれば混乱に陥るような政策転換を、難なく実行することができる。
日本は当初、経済的手段を通じて必要なものを得ようとする。だが移民に頼らずに労働力の拡充を図ろうとする国は日本だけではないし、海外のエネルギー資源の支配をもくろむ国も日本だけではない。ヨーロッパ諸国も地域的経済関係の構築に色気を示すはずだ。中国とロシアの分裂した諸地域は、これ幸いとヨーロッパと日本を争わせ、漁夫の利を得ようとするだろう。
日本にとって難しいのは、このゲームに負けるわけにいかないことだ。日本の求めるものと、その地理的位置を考えれば、東アジアに影響力を行使する以外に道は残されていない。だがここに影響力を行使すれば、間違いなくいくつかの抵抗に遭う。第一に、何年も前から反日運動を展開している中国政府は、日本が中国の国家としての統一性を意図的に損なおうとしていると考えるだろう。さまざまな強国と同盟関係を結ぶ諸地域は、互いに優位に立とうとする。このようにして日本の利益を脅かすおそれのある複雑な抗争が生じるため、日本は思った以上に直接的に干渉せざるを得なくなる。そして最後の手段として、軍国色を強めるのである。遠い先かもしれないが、いずれ必ず軍国主義が復活する。二〇二〇年代から三〇年代にかけて世界の強国が存在感を強める中で、中国とロシアがますます不安定化すれば、日本も他の国と同じように、自国の権益を守らなくてはならなくなる。
アメリカは二〇三〇年頃までに、積極性を高める日本に対する考え方の見直しを迫られる。日本はアメリカと同様、本質的に海洋国家であり、原材料を輸入し、加工品を輸出することで成り立っている。シーレーンの確保は日本の生命線だ。日本は東アジアヘの関与を、大規模な経済的関与から小規模な軍事プレゼンスヘと変化させるうちに、特にこの地域のシーレーンの防衛に関心を向けるようになる。
事態は次のような展開を見せるだろう。アメリカが日本の軍事力の増大に反応し始めると、日本は不安感を募らせ、日米関係は悪循環に陥る。日本がアジアで基本的国益を追求するためには、シーレーンを支配する必要がある。これに対して、世界のシーレーン支配を国家安全保障の絶対条件と見なすアメリカは、日本の攻撃性の高まりと思われるものを牽制しようとして、日本に圧力をかけるのである。
日本の拡大する勢力圏の中心に位置するのが、韓国だ。韓国は二〇三〇年よりかなり前に南北統一を果たすものと考えられる。統一韓国は、日本と遜色ない約七〇〇〇万人の人口を抱える。韓国の経済規模は現在世界第一二位だが、二○三〇年には統一を経て順位を上げているはずだ。韓国は歴史的に日本の支配を怖れている。日本が中国とロシアで力を増すにつれ、真ん中にとらわれた韓国は不安を強める。韓国はそれ自体でも侮れない強国だが、その真の重要性は、韓国がアメリカにとって強大化する日本への対抗勢力であり、アメリカが日本海で勢力を誇示するための拠点だということにある。韓国が台頭する日本に対抗すべくアメリカに支援を求める結果、反日同盟が出現するだろう。
その一方で、中国国内にも変化が生じている。中国は過去数世紀にわたって三、四〇年の周期を繰り返している。中国は一八四二年にイギリスに香港を割譲した。一八七五年頃、ヨーロッパが中国の属国を支配し始めた。一九一一年には、孫逸仙(孫文)が清朝を倒した。一九四九年に共産主義者が中国を支配した。一九七六年に毛沢東が死去し、経済拡大期が始まった。そして二〇一〇年の中国は、国内の分裂と経済の低迷に苦しんでいるはずだ。となると、次の揺り戻しが起こる可能性が高いのは、二〇四〇年代ということになる。
この時の揺り戻しは、政治的支配を回復し、中国における外国勢力を抑え込もうとする中国政府の動きという形を取る。ただしこのプロセスは当然二〇四〇年代に始まるわけではなく、この頃最高潮に達する。それが表面化するのは、外国、特に日本の侵略が激化する二〇三〇年代だ。アメリカは状況をコントロールする手段の一つとして、この事態を利用するだろう。つまり、中国の再統合を目指し日本の動きを封じようとする、中国政府の取り組みを支援するのだ。このようにしてアメリカの政策は、第二次世界大戦以前の原型に回帰する。
二〇四〇年代までに、日米間には著しい利害の不一致が生じているはずだ。この頃アメリカは、日本の力の高まりへの警戒感を共有する、韓国および中国の政府と手を結んでいる。日本はアメリカが自らの勢力圏に介入することを恐れて、必然的に軍事力を増強する。だがアメリカの軍事力と、アメリカの築き上げた地域同盟に立ち向かう日本は、著しく孤立する。日本はこの圧力に単独で対抗できるはずもなく、かといって周辺には頼りにできる国もない。しかし技術転換が地政学的転換をもたらし、日本が同盟を形成する機会は、アジアの向こう端に現われるのだ。
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未唯との対話に戻ろう
二万冊を目途にする
二万冊で一旦、本の方への執着心を解きます。その代わり、ICレコーダーを中心に考える方へシフトします。そのために、二万冊に向けて、急ピッチで行います。あと、100冊です。出来たら今月一杯で目途をつけます。
未唯との対話に戻ろう
FBは見ないようにします。あまりにも無意味です。ネットも断たないといけない。誰も繋がってしないし、つながる必要もないし、承認もしていないから。だから、「未唯との対話」に戻ります。
それでも、キンドルHDを持つのは、データベースを持つためです。決して、FBのためではない。
未唯空間の項目に結論を付けていく
未唯空間の項目、一つ一つに考える余地がある。それを考えると同時に、全体を考える。一つ一つの項目に結論を付けていきましょう。併せて、偶然が全てを用意してくれることの確認。
日本はどこと戦争するの?
「戦争法案」については、違憲だというよりも、どこと戦うのかが不明です。どう考えても、アメリカと戦うことになりそうです。そうしたら、本に記述を見つけました。日本とトルコ、そして、ポーランドが2050年代にアメリカと宇宙戦争する。絵空事ではなく、インテリジェンスに従った結論として。
池田晶子「14歳の哲学」はすごい
池田晶子「14歳の哲学」に対して、「14歳の哲学入門」はかなり、異なります。池田晶子はすべて、自分の意見です。ソクラテスを除いて、哲学者の名前が出てくることがない。ハイデガーの論理が飛躍しているから面白いと書かれていたので、ハイデガーへの興味が出た。
入門は、哲学者の言ったことを、面白く話しているだけで、それが正しいのか悪いのか、真理なのか真実なのか、何も述べていません。
14歳からすると与えられることはないですね。自分で考える、自分のモヤモヤしたものに対して、言葉を与える。それに対しては、哲学者そのものをぶつけては重すぎます。
言葉にすること
何しろ、感じたことを全て、言葉にすることしか、今は与えられていません。言葉が無意味であることはよく分かります。
哲学には「人類」という言葉が出てくるけど、人類がすべて私ならば、「私」という言葉で十分です。
人類が私ならば、何も説明する必要もない、言葉を介する必要もない。もう一人の自分のためにか。
パートナーに話すこと
「他者論」についても、他者が居ないという、私の感覚がある限りは、いくら展開しても無理です、無駄です。
パートナーに話すためにやりましょう。やはり、相手は要る。
未唯空間数学編
2.1「数学で考える」の目次を書いたのは、8月5日です。数学編は進まないですね。あとは、スケジュール表をどうするかです。
数学編も長い道のりです。
今日の午後はやはり、反映にしましょう。その間に岡崎市立図書館から借りた本を読むぐらいにしましょう。どんな中途半端でいいから、ここに書くこと。
2.5「サファイア理論」
2.5「サファイア理論」を数学的に見る。順番からしたら、部分の位相化が先で、その後に全体の位相化となる。サファイア循環としてなすこと、持続可能性の機能があることをどう証明するか。
二万冊で一旦、本の方への執着心を解きます。その代わり、ICレコーダーを中心に考える方へシフトします。そのために、二万冊に向けて、急ピッチで行います。あと、100冊です。出来たら今月一杯で目途をつけます。
未唯との対話に戻ろう
FBは見ないようにします。あまりにも無意味です。ネットも断たないといけない。誰も繋がってしないし、つながる必要もないし、承認もしていないから。だから、「未唯との対話」に戻ります。
それでも、キンドルHDを持つのは、データベースを持つためです。決して、FBのためではない。
未唯空間の項目に結論を付けていく
未唯空間の項目、一つ一つに考える余地がある。それを考えると同時に、全体を考える。一つ一つの項目に結論を付けていきましょう。併せて、偶然が全てを用意してくれることの確認。
日本はどこと戦争するの?
「戦争法案」については、違憲だというよりも、どこと戦うのかが不明です。どう考えても、アメリカと戦うことになりそうです。そうしたら、本に記述を見つけました。日本とトルコ、そして、ポーランドが2050年代にアメリカと宇宙戦争する。絵空事ではなく、インテリジェンスに従った結論として。
池田晶子「14歳の哲学」はすごい
池田晶子「14歳の哲学」に対して、「14歳の哲学入門」はかなり、異なります。池田晶子はすべて、自分の意見です。ソクラテスを除いて、哲学者の名前が出てくることがない。ハイデガーの論理が飛躍しているから面白いと書かれていたので、ハイデガーへの興味が出た。
入門は、哲学者の言ったことを、面白く話しているだけで、それが正しいのか悪いのか、真理なのか真実なのか、何も述べていません。
14歳からすると与えられることはないですね。自分で考える、自分のモヤモヤしたものに対して、言葉を与える。それに対しては、哲学者そのものをぶつけては重すぎます。
言葉にすること
何しろ、感じたことを全て、言葉にすることしか、今は与えられていません。言葉が無意味であることはよく分かります。
哲学には「人類」という言葉が出てくるけど、人類がすべて私ならば、「私」という言葉で十分です。
人類が私ならば、何も説明する必要もない、言葉を介する必要もない。もう一人の自分のためにか。
パートナーに話すこと
「他者論」についても、他者が居ないという、私の感覚がある限りは、いくら展開しても無理です、無駄です。
パートナーに話すためにやりましょう。やはり、相手は要る。
未唯空間数学編
2.1「数学で考える」の目次を書いたのは、8月5日です。数学編は進まないですね。あとは、スケジュール表をどうするかです。
数学編も長い道のりです。
今日の午後はやはり、反映にしましょう。その間に岡崎市立図書館から借りた本を読むぐらいにしましょう。どんな中途半端でいいから、ここに書くこと。
2.5「サファイア理論」
2.5「サファイア理論」を数学的に見る。順番からしたら、部分の位相化が先で、その後に全体の位相化となる。サファイア循環としてなすこと、持続可能性の機能があることをどう証明するか。
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