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共生

ワクワク感がない
 また、虚しさで心が空っぽです。ワクワク感がない。
 朝と昼のさんとの会話でかなり、盛り返した。そんなんだ、今は秋なんだ! 楽しまなくては。
共生
 「共生」という論理だけで推し進めようとしている。「競争」に対する「共生」。
 何か、個人からではなくて、最初から組織から与えられるような感じです。
 そこには、福祉国家というのは国家の役割。あくまでも上からの力を駆使して、社会保障政策や完全雇用などを通じて、国民の福祉が増進された。
 全体主義も社会主義も福祉国家の一部に当る。共生の中に規範理念の色彩が強い。「こうあるべきだ」という概念です。規範概念に対するモノは、事実概念です。「こうである」という。まだ、その部分はできていない。
上から目線
 イングランドの「上から目線」。英国の新経済よりも、スコットランドは北欧の経済政策を望んだ。
 なぜ、個人の意識から始めないのか。何故、枠を決めようとするのか。
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ノルウェー 図書館の未来とは?

『ノルウェーを知るための60章』より 図書館の未来とは? ★あらゆる人々と知識、文化が出会う場所★

「図書館なんてもう古い、インターネットの時代には無用の長物」と考えられる方は少なくないだろう。ノルウェーでもこんな議論が新聞上で交わされた。南北に長い国土の住民に情報を素速く伝えるには、インターネットはかけがえのない手段だ。実際ノルウェー社会では、インターネットが著しく発展しており、一般家庭や学校、会社でもコンピュータやタブレット、スマートホンでインターネットを使わないと生活できないといっても過言ではない。週末や休暇を過ごすためのヒュッテという簡易なセカンドハウスにいても、インターネットアクセスが当然になりつつある。こういったヒュッテは、積雪の多い山や静かな海辺や小さな島にあったりするにもかかわらずである。あるいは通勤通学の電車(船の場合もある)のなかでも、インターネットにアクセスできることを当然の権利と考えている人は増えている。

しかし、一方で国中全ての人にインターネットアクセスの機会が十分にいきわたっているかというと、そうとはいえない現状も確固としてある。職場や家庭でインターネットにアクセスする手段がない人もまだまだいるのだ。そのため公共図書館は、従来の図書貸し出しに加え、インターネットによる情報にアクセスする機会の少ない人たちをサポートする役割を今日では担っている。それには設備提供とともに高齢者に無料で使い方を支援することも含まれている。

ノルウェーの図書館の特徴として、各種図書館が垣根を越えて連携していることが挙げられよう。一口に図書館といっても公共図書館、学校の図書館、大学や研究機関付属の図書館などあり、それぞれ利用者は異なったカテゴリーに属している。しかし、各図書館はこれらの垣根を越えて図書館間の貸し出しをしたり、一般利用者も自分の地元の公共図書館の貸し出しカードを持って大学図書館を訪ね、そのカードで大学図書館の本を借りることが可能なのだ。大学図書館が遠ければ、地元の公共図書館を通じて大学図書館の本を注文することも可能である。

2013年6月に改定されたノルウェーの公共図書館法では、それまでの図書館の使命「ノルウェーに住むあらゆる人のために質の良い資料を集め、保管し、提供する」という文言に加え、新たに、「それらの資料にアクセス可能であることを積極的に広く知らしめる」ことも図書館の義務としてあげられている。これを実現する格好の例が今首都のオスロ市に計画されているオスロ市ダイクマン中央図書館だろう。

敷居が低く無料で誰にでも気軽に立ち寄れる文化施設。2016年末から2017年にオープンを予定しているオスロ市のダイクマン中央図書館は、中央駅と海辺のオペラ座とを結ぶ道の真んなかに位置する。わざわざ出かけなくても何かのついでに気軽に立ち寄れる場所だ。地下I階地上5階の6フロアーの中央に吹き抜けがあり、あらゆる年齢に適した図書に加え、DVDやコンピューターゲーム、音楽CD、漫画などの貸し出し、多目的ホール、レストランも設置し、さまざまなレベルの文化活動が可能なように設備を備えている。近くには「叫び」で有名なノルウェーの画家ムンクの美術館が移築されることも決定した。国内文化の最先端を行くこの地区にある図書館で、オペラやバレエ、美術鑑賞に向かう途中で大人も子どもも気軽に無料で立ち寄れる最新設備の公共図書館。それが新たなオスロ市ダイクマン中央図書館である。

こういった時代の先端を行く図書館が常に新たなサービスを模索しながら提供している一方で、近代図書館の原点とも言える、あらゆる人に情報アクセスの機会を保障するという原則を守ろうと日夜努力をしている地方の小さな公共図書館が大多数を占めているのが実際の姿でもある。限られた予算のなかで利用者のニーズ合ったサービスをどう実現するのか、司書たちがいろいろな企画を組んだりアイデアを出しあっている。作家の夕べや読書会を開いたり、図書館のウェブサイト上で読者が書評交換する場を作ったり、フェイスブックやツイッター、インスタグラムを積極的に取り入れている図書館も少なくない。電子図書の貸し出しも試みられている。

無料で利用できる公共図書館は実は移民家庭の子どもたち、特に女の子にとって安心して放課後を過ごせる場所であり、移民の多い地区ではこのような利用者のために学習支援を提供したり、クラブ活動の場ともなっている。日本と違って放課後の課外活動は学校制度とは切り離されていて有料なので、無料で提供されるこういった活動の場は地元の子どもたちにとって貴重である。図書館はまた司書のおめがねに叶ったコンピューターゲームを楽しめる場でもある。毎年一晩中コンピューターゲームを楽しめる「ゲームの夕べ」を催している図書館もある。コンピューターゲームがメディアとして社会に定着している以上、その効果を積極的に捉えてゲームの利点を図書館から発信し利用してもらおうという試みである。

小さな地方のコミューンでは、公共図書館に潤沢な予算をつけることはできない。それでも図書館サービスを維持するために、同じコミューンの予算内で運営されている小中学校内の学校図書館に公共図書館を併設しているところも少なくない。毎日開館するのではなく、週に2・3回時間を決めて開館するところもある。同じコミューン内の司書が掛け坊ちで複数館の責任をもち、日によって移動して仕車をしているわけだ。あるいは、空間としての図書館を維持する代わりに、スーパーマーケットの一部に図書館コーナーを設け、司書がやはり週に何度か弐れて書籍を入れ替えたり管理をしたりしているところもある。こういった所では基本的に利用者がセルフサービスで本の貸借をしている。ブックモービ心は日本も含め色々な国でも見られるが、ブックボー卜というのはフィヨルドの国ノルウェーならではであろう。陸地に深く入り組むフィヨルドの奥まで半年に一度やってくるブックボートは、本だけでなくお話の会や、ちょっとしたお芝居も楽しめる大切な文化施設だ。

社会格差を少なくという点では、障がい者サービスも図書館の重要な課題であり、視覚障がい者や難読症者を対象とした資料の提供も図書館の重要なサービスで、図書館のなかに特別コーナーを設置している。少数言語サーミ語を守る図書館は北極圏の町カラショークにある。ここはさまざまな意味でサーミの人たちにとって重要な町だが、サーミ議会の建物内にサーミ特別図書館が設置されており資料が集められている。また、移民による多文化化の進むノルウェー社会において、公共図書館の多文化への対応も重要な課題である。先に挙げた新中央図書館も含む、オスロ市全体の公共図書館組織であるダイクマン図書館。ここには、国立図書館からの支援で多言語図書館も置かれており、オスロ市内だけでなくノルウェー全土の公共図書館に対し、ことに移民の間で多く使われている言語の資料をそろえサービスを行っている。
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これから人類はどのような進化を遂げるのか

『生命とは何だろう?』より 人類の未来は「進化」か「絶滅」か

これから私たちホモ・サピエンスはどのような進化を遂げるのでしょうか。前にも述べたとおり、生物種の未来には「進化」と「絶滅」の二つにひとつしかありません。したがって、このまま永遠にホモ・サピエンスという種が維持されることはあり得ない。ホモ属の誕生から二六〇万年、ホモ・サピエンスはまだ二〇万年-三八億年に及ぶ地球生命の歴史から見れば、私たちの存在はほんの一瞬の出来事にすぎません。数千万年後、数億年後には、そのとき存在している知的生命体の「祖先種」か、単なる「過去の絶滅種」かのどちらかになっているはずです。

もし絶滅するとしたら、その原因として誰もが真っ先に思いつくのは戦争でしょう。好戦的な性質を持つ私たちは、その知力をフルに発揮して、一瞬にして自分たちを絶滅させられるほどの核兵器を作り上げました。ある意味で、すでに絶滅の準備は整っているとさえいえます。

では、ホモ・サピエンスにとって絶滅は必然なのでしょうか--私はそうは思いません。仮にホモ・サピエンスが生物学的なレベルで好戦的だったとしても、一方で、それを制御するだけの知性を兼ね備えているのも事実です。

また、生物学的なレベルでも、ホモ・サピエンスには好戦的な性質とは正反対のものが備わっているのではないでしょうか。それは、他人と結びつくことによって集団を形成する性質です。その性質がなければ、集団で狩猟を行うことはできなかったでしょう。常に他者と敵対しているようでは、都市や文明を築き上げることも不可能です。

たくさんの人が集まって都市を作り上げるには、お互いに対する信頼が必要です。では、人類はなぜ他人と信頼関係を結べるのか。そこで重要な役割を果たしているのが、脳の神経回路にある「ミラーニューロン」という特殊な細胞です。文字どおり他人の心の中を「鏡」に映すように慮る能力を司る細胞だと思ってもらえばいいでしょう。

もっとも、他者の感情を理解する能力は人間にだけ備わっているわけではありません。たとえばチンパンジーも、相手が自分に興味を持っているかどうか、あるいは自分に対して怒りを感じているかどうかぐらいはわかります。

しかし、そこから先は難しい。あるチンパンジーが、別のチンパンジーに怒りの感情を向けているとしましょう。見られたチンパンジーは、相手が怒っていることを理解します。では、怒っているチンパンジーは、相手が「自分の怒りを理解していること」を理解できるでしょうか。

チンパンジーは、その能力が弱いと考えられています。自分の感情を相手が理解しているかどうかを、うまく理解できない。しかし人間は、それが当たり前にできます。相手が自分の感情を理解していることを理解できるし、その上で相手がどういう行動に出るかも推測できる。誰かに怒りを向けた瞬間に、相手が謝罪するか反撃に出てくるか、おおむね察しがつくわけです。

そういう能力がなければ、他者との信頼関係を築くことはできません。何手先までも他者の心の中を推察できるからこそ、相手とのあいだにシンパシーが生まれるのです。小学校では「誰とでも仲良くしましょう」と指導するので、これは教育によって身につく文化のような印象もありますが、実は生物学的な特徴として、私たちにあらかじめ備わっている能力なのです。
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日本における自動車交通の外部費用

『持続可能な交通への経済的アプローチ』より

日本における自動車交通の外部費用の推計

大気汚染、気候変動、騒音、事故の外部費用、インフラ費用の過少負担、混雑損失の合計は23兆9518億円(10兆3300億~46兆9109億円)、GDPの5.0%(2.1~9.7%)となる。走行距離当たり及び輸送量当たりでは表2.10に示す通りである。

本章における外部費用総額のGDP比を既存研究と比較したものが図2.1である。測定項目や測定方法が研究により異なっているため、あくまでも参考としての比較にとどまるが、本章の結果は諸外国の既存研究と大きくは異ならないといえるだろう。

中位推計値は兄山・岸本(2001)における32兆4505億円から23兆9518億円へ8.5兆円減少した。旧推計と同じ手法及びパラメータを用いた2010年値は、時点川の比較ができない騒音を除くと8兆9878億円となり、同じく旧推計から騒Ili・を除いた26兆6303億円の3分の1に減少している。これは環境、安全、混雑の水準が改善し、同時に道路投資額が削減されたことが主要因である。また外部費用を推計する上でVSLの選択が決定的に重要であることも明確となった。

なお、本章で示された走行距離当たり費用及び輸送距離当たり費用は、限界mではなく平均値であり、また人や積み荷ではなく車両に着目したものである。したがって、交通モードの転換による外部費用の変化を考える際には、本φ:で示された値をそのまま使うべきでないケースがあることはいうまでもない。例えば乗用車(マイカー)からバスヘの限界的な転換は、乗用車の外部費川を削減するが、バスの外部費用の増加はほぼ無視できる。また小型トラックの単位当たり外部費用が大きいが、端末輸送を大型トラックに転換することは,唖常、外部費用を増加させるであろう。また、技術進歩により燃費性能や排がX性能大きく改善された自動車の外部費用は、本章に示した値と異なるのも当然である。

外部費用計測の今後の課題として、あらゆる部分についてより精緻な推計が望まれる。とりわけ限界費用について、日本全体ではなく空間的、時間的な限定を設けた推定が必要であろう。またファーストベストの世界とは異なる、現実世界における政策において意味のある推計とするためには、自動車交通以外の交通モードとの比較研究も必要であろう。

これらの点については、本章のもととなる兄山・岸本(2001)の公表後、いくっかの発展的な研究もみられる。金本(2007)は、道路サービスの供給費用、他の道路ユーザーヘの外部費用、道路利用者以外への外部費用のそれぞれについて、社会的限界費用を推計した。鈴木(2010)は都道府県別・車種別に外部費用を推計した。目的や手法は本章と共通点もあり、外部費用総額は全国で34.7兆円と推計されている. Mizutani, Suzuki and Sakai (2011)は国内111都市における自動車の外部費用を推計し、都市規模が大きくなるほど加速的に外部費用が大きくなることなどを明らかにした。鈴木(2013)は国内100都市における普通貨物車による外部費用に焦点を当て、都市規模や人口密度が大きくなると平均外部費用も大きくなることを示した。有村・岩田(2011)は、自動車NOX・PM法や自治体による高汚染車の運行規制に対する費用便益分析をはじめ、交通に関する環境政策の多面的な分析を行っている。しかし依然、基本的概念の整理や、パラメータの信頼性の向上なども含め、自動車交通の外部費用推計に関して残された課題は少なくない。
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