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もう一人の自分

上から目線

 スコットランド人は北欧との親近感が強い。北欧の政治形態に憧れた。

 それと、イングランドの「上から目線」が嫌だった。女王様のつもりか。エリザベスⅡは女王様でした。

お腹が張っている

 お腹がかなり張っています。ガスで一杯です。このズボンにするとさらに圧迫されます。まあ、30日には、消化器の診療があるので、ちゃんと、この状態は分かってもらえるでしょう。ガスを抜いてもらいたい。

 そんなに場所も変わらないのに、消化器と泌尿科になるんですね。

もう一人の自分

 自分を斜め上から見ている自分に気づいたのは、確か、ルマン耐久レースの朝です。場所は東富士のアパートの階段下でした。朝、歩いていた時に感じました。

 明確に姿が見えたのは、2000年2月13日にロサンゼルスのホテルで、深夜3時でした。その時に、図書館に行くだけで、ロサンゼルスまで、来たのかと考えた時に、自分の力ではなく、行動する、もう一人の自分がつれてきたのかが分かりました。そして、見えました。

 もう一人の自分がいる限りは、他者の目線を気にすることはありません。自分の中の内なる世界で完全に閉じることができます。ちゃんと、自分を見ています。もう一人の自分は、必要な時に、私を乗っ取ります。その時は完全に性格に変わります。

 唯一、それが見えたと言ったのは、OZでした。私が変わったことが分かると言いました。だから、友達になりました。

大いなる意思

 その自分を見る目から、もう一つ上に、大いなる意思を発見しました。西洋なら、神というカタチで最初からあるけど、私の場合は後付けです。そして、色々な偶然が、色々な危機が現れるのは、大いなる意思がコントロールしていることを知りました。

 そこに与えられたものは、意思をもって与えられたものとして、使うなら使えばいい。はねるならはなればいい。大いなる意思とは、私は別の人格だから。

 何しろ、西洋では、もう神は死んでいるから。私をこの世界に放り込んだ存在として、大いなる意思を位置づけました。そうなると、他のものはすべて、内なる世界から外なる世界に置かれます。外なる世界は私と関係ない世界です。その中に、自分の身体そのものを入れました。

マーケティングでの発想

 プログラムトラブルに対して、工場工務では寝ないで作業した。そんなことを言うようでは、彼は単なる工場工務です。

 同じことを研究開発部署なら、どうなるか。多分、根本を考えれば、矛盾していることが分かる。それを直せというでしょう。同じ会社の中でもかなり、違います。そして、問題になっているのはマーケティングです。

 マーケティングというのは、作り手側の努力を一切、無視します。お客様にとって、快適かどうか、それを買う必要があるかないか、そのコストメリットで判断します。安くすれば売れるかというと、それも価値観によって変わってきます。努力とは関係ない世界で変わってきます。

 努力も、作るための努力よりも、考えるための努力。構造を変える為の努力。それをマーケティングは評価します。

スタバのニューラテ

 10月1日からスタバのラテが新しくなります。そして、ラテ・アートも本番です。

 ラテは好きです。私の注文は、「フォーヒア・ダブルトール・エクストラホット&エクストララブ・ラテ」です。前が長いです。

 いよいよエキストララブの出番です。ラテ・アートをきれいに作りには愛が必要です。心を落ち着けて。「エクストラ・ラブ」と唱えれば、きれいにできます。私の中で、とりあえず、「ラテ・アート」を「エクストラ・ラブ」にしましょう。

 スタバはラテ・アートでバリスタの愛を最大限に導き出せば、さらにおいしいコーヒーになります。
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