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生まれてきたくれたことに感謝します

自分しかできないこと

 自分しかできないことをやることを心がけてもらいたい。他者のためにやる必要はない。他者は考えてはいない。そこに、生まれてきた理由を求めていく。それによって、つながっていく。

超のんびり

 今日は超のんびり行きましょう。昨日の待つ心が消去しないといけない。車で来たので、家に直帰せずに、サウナの後にゆっくり考えましょう。未唯との対話もしていない。

 『哲学』の入力があるので、のんびりできない。その分、早く帰りましょう。

生まれてきたくれたことに感謝します

 9月9日は中野美代子の誕生日です。生きていないであろうメールアドレスにメッセージを出しましょう。「生まれてきたくれたことに感謝します」

 パートナーは確か、サファイアです。今度会った時に誕生日を聞きましょう。今年のメールは私の誕生日から48通です。その前が去年の9月17日です。

歴史のコード化

 20万年と1万5千年、やはり、歴史の中の時間のコードは人口と関係を持っています。我々の遺伝子は1万年前からさほど変わっていない。

無から有が生まれる

 無から有が生まれないというけど、私の心は何なのか。どうしても、無から生まれたとしか思えない。私が見るところでは。

 137億年まで遡らなくても、無から有が生まれる例がこんな近くにある。自分の存在、宇宙の存在、神の存在は皆、イコールかもしれない。

 存在と無から考えると、宇宙の中に私がいる、と同時に、私の中に宇宙がいる。その無限性です。その方が答になりやすい。時間はこの宇宙誕生と共にできたという感覚は持てないですね。無限性を持つ。

 未唯空間で辿り着いた、「存在の無」を考える。「存在と無」が「存在の無」になることは、LL=GGという方程式で完成します。つまり、存在と無が同一になる。

未来方程式

 その途中に未来方程式と宇宙方程式が出てくる。そんなところですか。現在は、国と企業でもって、民主主義と資本主義を作り出している。その中核は国の存在です。その単位での自由です。

 未来方程式というのは、個々の人間の存在をベースに情報共有でつなげていく。下のエネルギーを上げるのに社会の形態(民主主義と資本主義)を変えて、個人の自由を再定義することで、社会の安定を果たすこと、

 そうなると、神の存在そのものになるかもしれない。なにしろ、他者がいないんだから。皆、私の世界の神。

大いなる意思へのレポート

 「結局、分からなかった」という感想文を帰った時に出しましょうか。大いなる意思に。

所有の歴史

 囲い込みで共有地が私有地に変えられた。14世紀に人口が増えてきたため。

政治哲学

 政治哲学は最初は自由とは何か? 政治は自由を議論するものです。

 『哲学』で政治哲学はゆっくり考えましょう。
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哲学ツールキット

『哲学』より 哲学ツールキット

わからないが、わかっている

 ソクラテスは、「X」とは何かを知るのに最も適していると思われる人々に、「Xとは何か?」としばしば尋ね、それから反例を用いて彼らの答えの限界を明らかにした。たとえば、彼はアテネの将軍ラケスに「勇気とは何か?」と尋ねる。将軍は、戦いで逃げずに戦うこと、と定義する。しかしソクラテスはすぐに、この定義の反例を思いつく。戦争では逃げずに戦っても、その愚かな辛抱強さから、自分自身と他の人々までも危険に陥れる者もいる、と。それは勇気ではない。真に勇敢な人は、逃げずに戦うべき時と、逃げるべき時の両方を心得ている人だ。

 ラケスが何度か勇気の定義を試みて失敗したあと、ソクラテスは、あらゆる勇敢な行動に共通し、それらに特有である本質的性質はあるにちがいないが、我々はこの性質が何かはわかっていないと結論づける。ラケスは勇敢な男だが、「勇気」とは何かを定義することができない。勇気の「本質」は彼にも隠されているのだ。

 しかし、ソクラテスが使った方式--反例法--は、ある意味では、人はみなこの知識を有していることを示唆している。というのは、ラケスも、逃げるべき時に愚かにも逃げない人物が真に勇敢でないということはわかるのだから、ある意味で彼はすでに勇気とは何かを知っている、というわけだ。ラケスがそれを知らなかったとしたら、反例を出されたと気づくことがどうしてできようか?

 「Xとは何か?」と尋ねるとき、我々が求めている知識は、ある意味では、すでに我々が有している知識だと言える。それは、我々の中に埋もれている(実際、ソクラテスは生まれつき備わっていると信じた)と言ってもいい。我々はたんに、その知識を明快でわかりやすく説明できないだけだ。反例法は、我々が明快に説明する手助けとなる。

家族的類似

 「芸術とは何か?」と問うとき、我々は、あらゆる芸術に共通する性質があるに違いないと推測する--それを芸術に「する」何かがある、と。しかし、その性質を突きとめるのが実に難しいことを考えると、案外そのような共通の性質があるに違いないという推測の方を疑問に思うべきかもしれない。

 西欧哲学の歴史は総じて、とらえどころのない共通の性質を突きとめようとして不成功に終わる試みから成り立っている。プラトンの対話篇の中で、ソクラテスは、あらゆる美しいものに共通し、それらを美しくする何か、すべての芸術作品を芸術作品とする何かが存在すると考えている。ソクラテスは反例法を使って、そのひとつの性質となりうるものについての様々な提案を打ち砕く。ウィトゲンシュタインは、共通の性質を求めるのは多くの場合、的外れの作業だろうと抜本的な意見を述べている。彼は、「家族的類似」によって考える方がより有効だと提案している。大家族の集合写真を見れば、類似が見てとれる。家族の何人かは同じ目をしており、他の数人は同じ鼻をしている、というように。しかし、このような部分的に一致する類似点にも関わらず、必ずしもあらゆる顔に共通するたったひとつの特徴があるわけではない。

 ウィトゲンシュタインは、このような類似を「家族的類似」と呼んでいる。我々独自の家族的類似概念を作るのは簡単である。「小型装置」という言葉を、次のように定義してみよう。一連の6つの特徴(右)の3つ以上を有するそのときだけ、それは小型装置である。下記の様々な物体にこの基準をあてはあると、どれが小型装置の「家族」に属しているかいないかがわかる。

 ウィトゲンシュタインは多くの概念--ひょっとすると彼はそれに芸術も含めた--は、このような類似の観点で理解することが最良だと提案し、ゲームを例にとる。「我々が「ゲーム」と呼ぶ行為の例を考えてみよう。盤面ゲーム、カードゲーム、球技(ボールゲーム)、オリンピック・ゲームなど.そのすべてに共通するものは何か?……それらを見てみると、すべてに共通するものは見当たらないが、類似点、関連性、その数々が見つかる:。ウィトゲンシュタインが正しいとすれば、たとえばあらゆる芸術作品に共通する性質の探求--芸術哲学者のクライヴ・ベルを夢中にした疑問--は、誤解に基づいたものである可能性もある.「Xとは何か?」という質問が出た場合はいつでも、そのXが家族的類似概念であるかを考える価値はある.

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哲学の歴史

『哲学』より 哲学の歴史 現代

絶対的観念論

 19世紀前半は、ドイツの絶対的観念論運動が支配的だった。ドイツの観念論者には形而上学的な精神が染み込み、18世紀の偉大なる体系構築者、スビノザ、ライプニッツが持っていた野望の一部が復活した.この学派の3人の偉大な思想家、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルは、みな新教の牧師の息子で神学を学んだ。彼らの思考には宗教的な影響が顕著に見られる。彼らはカントに従い、人間の意識を第一の形而上学的事実として捉えたが、実在に単一の形式を与えるのではなく、心もしくは精神をその構成要素とみなした。もしも宇宙が思考と同一であるとしたら、自分の考えることで我々は実在を特徴づける絶望的な心に精神の知識に至ることができる。

 こうした形而上学的楽観主義は、当然ながら、経験的探究を知識の基礎とする哲学への再評価という反動をもたらた。フランスでは、オーギュスト・コントの実証哲学が科学的裏付けのない知識を拒否し、宗教的ヽ形而上学的思考は時代遅れだとみなした。彼は社会を科学の研究対象として捉えるべきだと主張し、「社会学」という言葉を作り出した。イギリスではミルが経験主義者の立場から似たような課題を介護し、発見の帰納的論理を作りだそうとした。政治においてミルは自由主義者であり、社会を改善するために父のジェイムズ・ミルとジェレミー・ベンサムの功利主義的倫理学を発展させた。それよりも急進的なマルクスは1848年の『共産党宣言』で、資本主義組織と階級社会の打倒を呼びかけた。

 ショーベンハウアー、ニーチェ、キルケゴ-ルが代表する学派も、19世紀の重要な思想のひとつだ。彼らはそれぞれ異なる形で理性と科学への信仰に異を唱えた。ショーペンハウアーは現象の背後に知ることのできない実在があるとしたカントの考えを受けいれながらも、人間の経験の核に非理性的なものを認めた。ニーチエも理性を人生のカギとなる力として尊ぶ啓蒙思想に異を唱え、キルケゴールは個人の主観的意識の現実性に重きを置いた。

現象学

 一方、ドイツでは、これとは別の伝統の基礎が作られていた。フッサールは、哲学は考える主体から始まるべきだとするデカルトの理論に戻り、意識に直接現れてくるものを記述するにとどめる哲学へのアプローチを表して「現象学」という言葉を作った。フッサールヘの批判を通して、ハイデガーは「現存在」という、抽象的な人間存在でありその自身による世界内での位置づけ方であるものを理論の中心に据えた。のちの思想家、とくにサルトルの実存主義的現象学にハイデガーが与えた影響は計り知れない。

マルクス主義

 2つの世界大戦、ナチスによるユダヤ人大虐殺、ロシアと中国における共産主義革命は時代の政治哲学に衝撃を与えた。レーニンによるマルクス主義の唯物論的解釈はマルクスに基づくとともに、社会主義の東側諸国で追求され、変化をもたらす際の共産党の役割といった実際的な問題へと向かった。レーニンは哲学を世界を記述するものと見るのではなく、マルクスのように世界を変える道具、階級闘争の武器だとみなした。しかし、20世紀後半には、マルクス主義の語る歴史のような壮大な物語への信奉は薄れ始めていた。

ポストモダニズム

 20世紀の思想家の多くは、ルネッサンス以来優勢だった実在の体系的かつ完全な説明と、人間の進歩に関する楽観的な見方にますます懐疑的になっていく。第二次世界大戦の終結以来、彼らの見解はしだいに融合し、ポストモダニズムと呼ばれる動きへと至る。その立場はたとえばキルケゴールの哲学や、客観的な知識やひとつの「真理」といった観念へのニーチエの懐疑に代表されるような、啓蒙的価値に批判的だった19世紀哲学の要素を受け継いだ。真理という観念は力が姿を変えたもの、合理性は不合理な世界に対する人間のこじつけだとするニーチエの見解は、リオタールやフーコ-など20世紀の哲学者に深い彫響を与えた。
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