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共有の新ビジネス

共有の新ビジネス

 何しろ、数学からできているから、図書館も同じです。偶々です。YouTubeみたいな読者ネット。新しいビジネスは、共有をベースにすれば、いくらでもやり方があります。図書館のやり方。

 図書館の借りるものを増やしていく。レイコップもドライクリーニングも対象にする。雪国なら、除雪機も対象になる。農協と一緒になって、田植え機も対象にできる。

 シェアを活かした、図書館ではないけど、当たり前に世界にどうしていくのか。当たり前と同時に、商売としてどうしていくのか。岡山か、どこかの図書館で、高額だけど、さほど使わないものを貸出していました。図書館の機能を考えれば、当たり前かもしれない。島根辺りなら、かなり意味があることになる。

 プリンターも図書館でシェア。こんなことを現在の図書館の人に言っても分かるはずがないので、そういうNPOを自分で作り出すしかないかもしれない。その時には図書館人を外しましょう。彼らは図書館を自分たちのモノと思っているので、面倒です。図書館でシェアできるものは多いです。なにしろ、本を無料で貸せる設備とシステムが全て揃っているのだから。

半年後の生活を先取り

 半年後をイメージして、土日から生活を変えます。ふつうの日も土日も一緒です。偶々、場所が違うだけです。だから、パートナーもIさんも会うという感覚ではなくなります。基本的には会えない。

 退職後のイメージからすると、会社でやっているのではなく、図書館とかスタバでやっている感じの気分に変えていきます。一日が過ぎた時の感想も、土日と同じようにします。会社の一日ではなく、自分の一日として。

 退職後の情報入手の仕方、接点。

 場所をどこにするかということでは、パートナーの「相談」がいい経験になっている。スタバなら、コーヒー一杯で2時間はしゃべれます。相手はいるけど。だけど、相手を求めるのはムダな努力です。なにしろ、条件がきつすぎます。パートナーほどの相手はいません。

 だから、仮想的な存在である、未唯に向かって話すのが一番いいかもしれない。未唯の空間を素材として。「相談」して、それを記録するのが一番いいかもしれない。それを繰り返す。その結果を未唯空間に反映させる。そういう作り方です。新しい本の作り方です。

 その意味では、「ネールが語る娘への歴史」です。ジャンルはどこへでも跳べるし、どんなことではしゃべれます。そのオーラルを打つために、図書館のパソコンコーナーを使いましょうか。家よりも入力しやすいです。それとも、タブレットにキーボードを仮想化して、スタバでやりましょうか。

 パソコン側のソフトはインスピレーションでないと、面倒です。退職後はプリンターを考えないといけない。パワーポイント16分割で印刷できるモノを探しておきます。

 「退職したから、ここは会社ではない。周りにいるのは、他者です」。この感覚で暮らします。全てが自分の時間だから、フルタイムを惜しみなく使うことです。

デジタルライブラリを体系化

 未唯空間をザナドゥー空間にしていく。個人のデジタルライブラリを体系化していく。ウィキペディアを空間化します。

パートナーのシステム設計

 パートナーにサファイアの考え方だけは渡さないといけない。システム設計には必要です。その他に必要なのは、データベース技術、それをまとめるのがキーワード空間です。

 表現するイメージも決めていきましょう。デカルトのような形、カントのような形、やはり、ヘーゲルでしょう。それとも、一般的な随筆の形。

ネックキャリー

 あとは、小さいノートがあれば、首から考えるためのツール群が完成します。ローディアは暑いので、モースキンにします。それとA4の紙を折り込むことも考えられます。パワーポイントと連携できます。

 ネック環境が完成したから、歩きながら、シートを見ながら、ICレコーダーに向かってすべてしゃべることができます。以前は、布団の中でしゃべり倒しました。書き起こしが大変でした。

 ノートはもう一つ付けましょう。そうでないと、落ちます。MOLESKINEのノートはこんなに小さくて、500円です。だけど、ノートに書く練習も大事です。MOLESKINEがなくなったら、手製で対応します。

未唯へ

 松坂屋の来店ポイントは「8月でもって終了させていただきました」。いつも、列を作って、ポイントをゲットしていたけど、やはり、やっている意味が分からなかったのでしょう。

戦争と平和の歴史

 4.2.2歴史哲学の中に、支配とか各国状況とか作ります。戦争と平和の歴史もこの中に入れます。

 何しろ、第4章は歴史編です。28歳の時に、60歳・70歳代で歴史をまとめるつもりだった。いくらでも時間を掛けて、歴史編は充実させます。キッチリ、まとめないといけない。参考情報は膨大です。それらがまとまっていない。数学と哲学を用いた歴史観を作り上げます。

歴史観

 ヘーゲルの歴史哲学以降、歴史観は産れていない。あとはマルクスですか。「21世紀の歴史」もその範疇に入ります。それなりに書かれているけど、さほど、先を書かれていない。同時に、過去137億年の遡っています。「137億年の物語」は現代までの歴史だけです。未来に触れてはいない。

未唯との対話

 未唯空間の10ジャンルを未唯に話すことをシミュレートしようか。

 もっと、しゃべること、書くことを充実させます。最低でも、週に2時間半の「相談」の時間帯を割り当てます。
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ペゾスの未来

『ジェフ・ペゾス』より 一生単位で一日を見直す

未来を確実なものにするには、未来を確信することだ。

 2013年8月、ペゾスがワシントン・ポストを2億5000万ドルで買収したというニュースは驚きをもって迎えられた。同紙は入札にかけられていたが、最もよい条件で、最も高い価格を提示したのがベソスだった。

 「いったい、なぜ?」と多くの人が疑問を持った。

 新聞は、インターネットの登場以前から、テレビやラジオなどによって存在価値を問われていた。インターネットの発達で、今では収益構造もおびやかされている。表舞台から消えつつあるようにも見えるメディアだ。

 一方でペゾスは、ワシントン・ポストの大株主であるウォーレン・バフェットを尊敬していて、長年の友人でもある。

 そこから見ると、ベソスの考えにアプローチしやすい。

 バフェットは、子ども時代に新聞配達のビジネスを手がけたほどの新聞好きで、ワシントン・ポストにも1973年から投資をしている。

 そのバフェットが、2000年には、新聞の未来を見限るような発言をしている。

 新聞は、情報を伝えるために森林を伐採し、高価な印刷機を買って、配送用トラックを使い、数枚重ねの紙をみんなに届けて……というくらい時間と費用がかかりすぎるメディアだと言ったのである。

 ところが、そのバフェットは12年になると、一転して、アメリカの地方紙63紙を買収している。ワシントン・ポストの株も、―株も売らずに持ち続けている。

 おそらくバフェットは、紙に印刷された新聞の未来は厳しいと考えている。しかし、新聞というメディアの本質には大きな期待をかけているのである。

 ペゾスの考えも、友人バフェットと同じなのだ。

 新聞の本質は、深く取材をして情報を読みやすくまとめるジャーナリズムにある。紙に印刷された新聞が消えても、ジャーナリズムは必要であり続ける。情報の伝え方は時代とともに変えれば・いいが、良質なジャーナリズムが消えてしまうと再生は簡単ではない。

 なのに新聞は、「今のままではダメだ」「でも、どうすればいいのか」という答えが見つからないまま、ずるずると今に至っている。ペゾスは、答えが見つかる前にダメになるかもしれない新聞に、救済の手をさし伸べたのだ。

 ベソスは、ワシントン・ポストの社員に「地図はなく、この先の針路の選択は容易ではない。新しいことを考え、試していかなければならない」という趣旨のコメントを出している。

「新しいこと」はペゾスにもまだ見えていない。ただ、それを信じているのは確かだ。

 ある時、ペゾスはバフェットに聞いた。

 「あなたの投資手法はとてもシンプルです。なのに、なぜ人々がその手法を真似しても、あなたのようになれないのでしょうか」

 「ゆっくり金持ちになろうとしないからだ。誰もが急いでお金をほしがりすぎるのさ」とバフェットは言い、ベソスはこれを、バフェットから受けた最高のアドバイスだとしている。誰よりもビジネスを急展開しつつ、長期的に考えるペゾスにぴったりだったのだろ

 ペゾスは、長期的視野に立てば、ジャーナリズムの救済という理想を実現する可能性はあると判断した。ただし、それは急がないビジネスである。ペゾスはワシントン・ポストの買収を、アマゾンではなく個人として行っているが、それは急がないことの表れに違いない。

 対照的なのがグーグルだ。

 グーグルは一時期、ワシントン・ポストと並ぶ名門紙ニューヨーク・タイムズの買収を検討している。だが、自らコンテンツを作成する企業となることへの疑問から取りやめたと、会長のエリック・シュミットは語っている。

 グーグルも、検索の精度をいくら高めても、価値ある情報がウェブに存在しなければ無意味であることはわかっている。だが、ジャーナリズムに手を出すリスクは負えなかったのだ。

 ペソスも、もちろん新聞社の置かれている厳しい状況とリスクをよく理解している。

 ペゾスはキンドルの開発にあたって「本という形」ではなく「そこにある情報」に注目したように、おそらく「新聞という形」ではなく、「良質なジャーナリズム」に注目しているのだろう。良質なジャーナリズムを守ることができれば、インターネットを使った新しい形のニュースの発信ができる。

 ただし、そのためにはある程度の時間が必要だ。

 数年前、世界的なメディア経営者として知られるルパート・マードックは、グループの新聞社幹部に対して、10年後にはネット新聞が十分な利益を生むようになるかもしれないが、問題はどうやってその10年を生き延びるかだ、という趣旨の話をした。

 だとすればペゾスほどぴったりの社主はいない。ペソスにとって、すべては長期に及ぶ計画だからだ。新聞もその視点で考えているだろう。ワシントン・ポストはきっと、答えを見つけるに違いない。
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キーワードとネットワークの関係

『読む技術』より ネット時代の読書術 ネットワークが支える読書

ネット時代に求められる読む技術として、もうひとつ、新たな対応が求められるものを取り上げます。

現代人の多くは、パソコンや携帯端末を前にして知的な生活を送っていますが、このネットにつながれた画面上で、人びとの知的生活をリードしているのは、実は「検索」の欄に入力した「ことば」ではないかと思います。キーワードによる検索が、読み書きの生活も含めて、生活全般に大きな影響を及ぼしていることを否定する人はいないでしょう。

しかし、この検索語とキーワードの関係や、これらと文章を読むこととの関係については、意外と意識していないものです。

わたしたちの生活は「検索語」が支配しているといっても過言ではない現実を考えると、検索語と検索システムが支配するネット社会での「キーワード」の圧倒的な位置を無視することはできません。

キーワードをとらえる力は、新たな読む技術として不可欠です。パソコンの画面上で、「文章を読んでいくこと」は、検索語としてのキーワードをつないでいくことと連動しています。検索語が、読む文章(テクスト)を決めていくのです。

検索エンジンの種類にもよりますが、気ままにネット・サーフィンを繰り返す場合も、事態は同じです。逆に、いくらか丁寧にキーワードをつないだとしても、それほど事態は変わらないでしょう。学術論文の検索においても大同小異ですが、それでも学術論文の場合は、論文の著者が四つから五つのキーワードをあらかじめ登録しておく習慣がありますので、事態はいくらか異なるかもしれません。

このように考えてくると、キーワードと文章理解との関係が非常に重要であることがわかります。そこで、この関係から、読む技術を見直してみます。

話を単純化するために、まずキーワードを言語の基本単位である「単語」に限定して、キーワードと知識との関係をとらえます。その後、単語の集合である文章(テクスト)や本の情報におけるキーワードの役割について考えてみます。

文章理解の研究が進展する一九七〇年代には、知識と記憶のありようについて、次のような見方が支持されました。

 ○知識は階層的に組織されていること

 ○情報(意味や概念)はネットワークとして結びついていること

 ○キーワード(トピック語)が文章の理解や表現活動をリードすること

知識は、階層構造をもって形成されており、これがネットワーク状になって記憶に蓄えられていると考えられました。しかも、こうしたネットワークの重要な特徴は、すべての概念(物事についての概括的な意味内容)が結びついているという点です。また、この概念のネットワークは、柔軟で可変的であるために、そこに新たな情報がもたらされると、この既存の概念構造が変化するということです。この変化が、知識を増やすことであり、なにかを学ぶことであると考えられたのです。そして、この変化を先導するものがキーワードであるとされたのです。

キーワード(トピック語)は関連する諸概念を統率する働きをしているのです。

一方、文章(テクスト)は、特定のトピック(話題)を中心に展開します。しかも、その主たる情報は、単語の連なりである「ことばのネットワーク」によって伝えられます。この単語の連なりに過ぎないものが、意味を伝える「概念のネットワーク」として有効に機能するためには、キーワードの「概念を統率する力」が不可欠なのです。文章は、キーワードの力によって、関連する概念が構造化されたものといっていいでしょう。この点から、キーワードをキーワードとしてとらえる力があるということは、文章の理解や表現活動の中心にあるものに焦点を合わせる力があるということになります。

本も長めの文章に過ぎないととらえることができますので、この点については同じように考えることができます。

実際、本を選ぶときも、書名や帯に記されたキーワードで判断することが少なくありませんので、キーワードに鋭くかかわる力がなければ、かなりの無駄をすることになります。

キーワードとネットワークの関係についてのこの見方は、知的生活のいろいろな局面に適用することができます。それだけに、この見方は、ネット社会における柔軟な思考や柔軟な読書を進める上で欠かせないものです。
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スンニー派シリア人のこれから

『報道されない中東の真実』より 宗教・宗派対立の真実 スンニー派シリア人--割を食わされた人々

一点指摘しなければならないのは、シリア経済のアキレス腱である農業に対する政府の無策とその影響である。シリアは基本的に農業国家である。しかも、半砂漠、砂漠地帯が国土の65%を占めているので、農業生産は降雨に非常に左右される。降雨不足という問題は慢性的なもので、しかも2006年から4年間は降雨不足がとりわけひどかった。シリア中央統計局によると、農業は2006年のGDPでは24・1%を占めたが、2007年には20・4%に落ち、さらに2008年には14・7%まで急速に落下していった。一応何とか主食の小麦生産は国内消費を賄うだけのものは生産できていたので、農業の不振についての政府の危機感は薄く、対応は後手に回った。農家の疲弊に対する政府の施策は、危機にあえぐ農業そのものに直接、正面から立ち向かうのではなく、農家の生活支援としての食糧援助を中心とする、いわば農民のその日暮らしを支援するものでしかなかった。

当時のシリア政府の経済政策は社会主義的計画経済制度から自由経済市場開放制度への移行を目指して、経済の効率化、生産性の向上を図り、輸出産業の振興を求めて競争力強化を推進するために、政府の関心はもっぱら商工業分野に向けられていた。農業に対する配慮は希薄だった。かえって、農村は将来の商工業分野への人材供給源という位置づけで考えられていた。東北地方は政治の中心地ダマスカスからきわめて遠隔の地にある。東北地方の農業が疲弊しているという情報はダマスカスにまで届いていたが、経済担当のダルダリ副首相から始まってシリア政府の経済官庁には危機感が薄かった。

東北地方の農業は壊滅的な影響を受け、土地を捨て離農する農民が大量に出た。彼らが向かった先はアレッポであり、南部のダラア地方だった。アレッポは東北地方からみてもっとも近い大都市である。遠方のダラア地方に向かったのには、それなりの理由があった。それは、ダラア地方も農業地であり、同地方は水の問題が比較的少なく、しかも農家一軒当たりの耕作面積がシリア国内では比較的広くて、東北地帯の農民を受け入れる余力があったことによる。

東北地方に残った農民たちの間では、資金不足、農機具不足などで十分な種籾を用意することさえ難しかった。事ここに至って政府は初めて事態の重大性に気付き、種籾の支援、農機具の供与などを行うのだったが、遅かった。

シリア政府は過去十数年の間積極的にスンニー派の国民に対して機会均等、適材適所政策を展開してそれなりにスンニー派の人々の社会進出・復権はできてきていた。社会には明るさが漂っていた。しかし、シリア経済は一定の着実な発展を実現したといっても、欧米諸国からの経済制裁もあり、国民全体が十分に潤えるだけの経済発展を実現することはできなかった。政治改革、民主化の動きも、国民の息吹に十分に対応できるだけのものを実現する条件が国内外で欠けていたこともあって、その分野では国民の期待に沿えなかった。それとともに、次の項で扱うアラウィ派の人々が過去40年間、それまでのアラウィ派の人々の歴史を塗り替えるようにして社会進出を実現しており、それはアラウィ派の人々の能力によるだけではなく、ハーフェズ・アサド大統領時代のアラウィ派優遇策のおかげによるところが大きかったのだ。

スンニー派の人々の目には自分たちの機会をアラウィ派に人々によって奪われたという気持ちが澱のように心の底に漂い続けていまだ十分にあがなわれていない。アラウィ派の人々がスンニー派の人々の感情に対し配慮するところなくエリート意識を振りまいて生活している状況の中で、シリアの民衆蜂起の際にスンニー派の反体制派組織が叫んだアラウィ派政権によってスンニー派国民が不当に機会を取り上げられ、虐げられてきたという呼びかけにスンニー派国民の一部が積極的に反応してしまい、そこから螺旋階段を転げ落ちるように宗教宗派抗争がいっきょに噴き出して今日に至ったのではなかったのではなかろうか。

そして、もう1点。ダラア地方で2011年3月に民衆蜂起があったとき、国営通信社が伝えた犠牲者たちの名前を見ていて、筆者は東北地方に特有な名前があることに気付いた。彼らは政府の農業政策の無策によって自己の農地から去らざるを得なかった農民たちだったのかもしれない。そんな彼らが金曜日のモスクで礼拝を済ませた後、他のダラア市民たちと一緒に街路に出て命を失った。だとすれば、シリアの民衆蜂起には、シリア政府の農業政策の失敗という側面があったことを見逃すことはできない。
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