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プロパガンダの威力

『なぜ独裁はなくならないのか』より 世紀の独裁者 アドルフ・ヒトラー

ここでもうひとつ興味深いのは、伝達の道具としてのラジオの登場です。中継によって体験は広く人々に共有され、その影響は甚大なものがあります。今日のフェイスブック、ツイッターに相当するのが当時のラジオでした。

扇動家であり類まれな雄弁家として、言葉こそ力だと、大衆の心に入りこむ術を熟知していたヒトラーは、ラジオの力もわかっていたので、たいまつ行列を中継させたのです。

それこそプロパガンダです。ヒトラーにとってプロパガンダとは、《大衆の感情に訴えかけることによって彼らの想像力をよび起こし、国民大衆の心を引きつけることにある》(『わが闘争』から)のです。

ヒトラーという人間を直接知らない国民は歓迎したとして、ではヒトラーを知るヒンデンブルクや政治家、官僚たちは、なぜ警戒しなかったのでしょうか。

前出のキッシンジャーの『外交』はこのように書いています。

 《当初は、ヒトラーは一見まともに見えたので、彼の真のすがたは明らかにされなかった。ヒトラーが何度もその意図を明らかにしていたにもかかわらず、ドイツのエスタブリッシュメント(支配階級)も西ヨーロッパのエスタブリッシュメントも、彼が既存秩序を本当にひっくり返すつもりだとは考えていなかった。度重なるナチスのいやがらせになやまされ、恐慌と政治的混乱に士気を失ってしまったドイツの保守指導者は、ヒトラーを大統領に任命し、彼のまわりを尊敬しうる保守主義者達によって取りかこんで安心を得ようとしたのであった。しかしヒトラーが議会の動きによって封じこめられていたのもしばらくの間にすぎなかった。ヒトラーはいくつかの傍若無人な手段をとることによって政権についてからの一八ヵ月間に、自らを独裁者に仕立てた》

一見まともに見えてしまったことには無理ない側面もあります。たとえば、ヒトラーは首相就任直後の施政方針演説で、①国際協調と平和外交 ②ワイマール憲法の遵守と憲法四八条(大統領緊急令による基本的人権の停止条項)の濫用抑止 ③多党制の維持(共産党の活動も制限しない)と、じつにりっぱな方針を得意の弁舌で述べているからです。このとおりならば、すばらしい。

しかしこれがうそ八百であることは、すぐ明らかになります。約一か月後の二月末、国会放火事件が起きたことを利用し、ヒトラーは共産党の弾圧に乗り出し、それでもまだ十分でないと見るや、社会民主党などの議員を逮捕しはじめます。

こうして半年あまり後の七月には、ナチ党以外のすべての党は解散、一党独裁となったのでした。

首相を指名したヒンデンブルクも政党関係者たちも、ヒトラーのあやうさを、ある程度はわかっていたのだと思います。ですからまわりをしっかりかためれば大丈夫だと考えた。

しかしそれでは時おそし、というよりヒトラーの方が上手でした。主導権をにぎるや内政も外交も、自分の思いのままに進めて行ったのです。
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