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他者からの承認は求めない

全てを知りたい

 ヘーゲルは結局、全体を知りたかった。そこで、あの弁証法を提案した。アンチ・テーゼがなくなるところまでやっていけば、絶対的に領域に辿り着く。

万能感

 「紙の月」のテーマは万能感です。私はすべて、何でもできる、やろうと思えばできる。ただ、それはお金に依存しているけど。そのから出てくる矛盾であり、悲劇です。

 やろうとするから、悲劇が起こるのです。結局、お金を作ったところでも、同じです。矛盾はそのままです。ヘーゲルみたいに思考であれば、いくらでも止揚できます。

他者からの承認は求めない

 他者がいて、自分が分かることは、ふつうには言えるかもしれないけど、私には言えない。何しろ、あの絶対的な感覚がある限りは、そんなに決めつけられても困る。それは他者が考えたことでしょう。

 われわれの範囲が狭くなれば狭くなるほど、どういうカタチになっていくかというと、近くの人との関係は疎遠になる分だけ、宇宙の方につながっていきます。それがトーラスです。

 当然ながら、他者による承認は、私にはなかった。それが絶対孤独です。それを出発点としたから、組織よりも個人の問題の方が先に来ます。つまり、存在の力です。こういう人間が生まれたことにおおきな意味を持たせます。

 「ここにいてもよい」というシンジのような肯定感ではなく、自分がこの世界を作っているという感覚の方が上に来ます。当然、世界の関係から見た時には、世間の見栄を気にするでしょうけど、ほとんど視力がない私にとってはそれはないです。

コミュニティと地域共同体

 そこから、個人の存在の力を発揮できるために、コミュニティを提案しているけど、これは従来の地域共同体とは異なります。共同体であるかどうかも分からない。

 コミュニティは承認を受ける場ではなく、発信する場です。個人をでかくしたようなカタチです。その意味では、集合が点になり、点が集合になります。承認の場合の数が問題になるのか。一人に承認される、少数の人に承認される、多くの人に承認される、多分、数は問題ではなく、ゼロか一が問題でしょう。

 ゼロであることは、ミカロスでハッキリしました。その時も、私にはもう一人の私がいます。自分が自分を承認することができます。割と早いうちに、もう一人の私のμを見つけたから、私の場合は、他人の承認を気にすることがなくなった。後は、絶対的な存在がひとり居れば十分です。

ターミナルケア

 ターミナルケアのために入所するには、最低、二カ月掛かります。癌の場合は、最後の二カ月で機能が低下する。それ以前にやっておくことをやっておかないと。だから、抗がん剤での治療が終わったら、即、ターミナル入所の手続きに入ること。

 余命数日の高度なだるさ、つらいだるさ、これは儀式でしょうね。

 去年の3月を思い出します。老人有料ホームにいた母親がそうだったんです。妹でも気づかなかったのだから、私にはムリです。これが勝手な慰めです。

 緩和ケアの目的は、症状を緩和させることではなくて、最後のいい時間を過ごせるようにすること。では、自分にとって、いい時間とな何なのか。「緩和ケアを受けることができるから、私は癌で死にたい」「癌だったら、緩和ケアを受けることができてよかった」ということなんでしょうね。
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