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7回忌で坊さんと会話

7回忌

 今日は父親の7回忌です。奥さんと妹が仕切っていた。集まったのは、未唯を除く家族4人と妹です。未唯は動物病院で手術が2件あるので、法事には出席できず。次男は静岡から朝、出てきたそうです。ミニ・クーパー・ワゴンで2時間とのこと。

 お坊さんは近所のお寺のジュニア。威厳はありません。こちらも、5人なので、のんびりと。正座はしびれるので、最初から胡坐です。妹が許可をもらっていた。

震災と親鸞

 お経が終わり、坊さんから講話。元々、正座ではなく、胡坐だったという話から、震災と親鸞の話になりました。法然と親鸞の南無阿弥陀仏について、かなりの知識を持っているので、震災がらみでお坊さんにぶつけました。親鸞の時と同じように、今は変革の時です。状況は似ています。そんなテーマにしていくつもりでロジックの組み立てを行いました。

 その時点で、奥さんから無関心と時間がないというサインが送られてきた。その後に、カントとかニーテェという西洋哲学に振るつもりだったが、取りやめました。お坊さんもこういう話をする相手がいないので、残念そうでした。

大きな肉のしゃぶしゃぶ

 お坊さんが帰らえられた後に、妹に怒られました。12時のしゃぶしゃぶへ行く時間が遅れた。孫たちが待っているそうです。本当に豪勢な肉でした。腹いっぱいになりました。

 奥さんには、この法事が終わったら、ダイエットに入ると宣言していたので、心置きなく食べました。

豊田市図書館は人でいっぱい

 今日、10時からの新刊書争いに完全に出遅れて、3時半過ぎに、図書館につきました。

 図書館は普段の2倍の人が居た。原因は不明です。そういえば、暖房が効いています。このせいかも知れない。感じとして、豊田市の町に来ている二との半分ぐらいいます。

 それに逆比例で、新刊書コーナーは壊滅状態でした。

豊田市図書館で借りた7冊。一冊は去年、予約した本なので、新刊書コーナーの本は6冊です。今までの最低です。

 311.23『西洋政治思想史』

 767.8『K-POP』遥かなる記憶

 993.61『粛清』

 548.29『iPad2ハイパーナビゲーター』パワーユーザーの上級テキニックを完全凝縮!!

 764.3『楽都ウィーンの光と陰』比類なきオーケストラのたどった道

 336.49『20代で絶対知っておきたい働く女性のマナー』24時間が“ハッピータイム”に変わる本!

 749.09『印刷業界の最新動向とカラクリがよ~くわかる本』 業界人、就職、転職に役立つ情報満載 「出版デジタル化時代のビジネスモデルを展望する! 次男が関係する業界です。今の状況はシャープのTVの販売不振で大きく変わったとのこと。

iPad2の再構成

 図書館に予約しておいた『iPad2ハイパーナビゲーター』が来たので、奥さんが使っていないiPad2を当分借りて,テストすることにした。

 販売店のコミュニケーションとかポータルをイメージします。
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国民統合をめざす「新しい政治」の系譜学

『現代史のリテラシー』より

ジョージ・L・モッセ『大衆の国民化-ナチズムに至る政治シンボルと大衆文化』 (佐藤卓己、佐藤八寿子訳、柏書房、一九九四年)

「ナポレオン戦争から第三帝国期に至るドイツの政治シンボルと大衆運動」を原著の副題とする本書は、ナチズム研究にシンボル分析を導入してファシズム理解に新局面を開いた名著である。二〇世紀のナチズム(国民社会主義)をナショナリズム発展の極致ととらえ、フランス革命以来「世俗宗教」となったナショナリズム(国民主義)を大衆的な儀礼や神話の領域から考察している。

そもそも、「大衆の国民化」というタイトルは、アドルフーヒトラーがその国民社会主義運動の目標を述べた『わが闘争』第一巻(一九二五年)の次の言葉から引かれている。

「広範な大衆の国民化は、生半可なやり方、いわゆる客観的見地を少々強調する程度のことでは達成されず、一定の目標をめざした、容赦のない、狂信的なまでに偏った態度によって成し遂げられるのだ」。

ドイツ史研究者の間では早くから注目されていた著作だが、その「国民化」概念の重要性がわが国で評価されるようになったのは翻訳刊行以後といえよう。エリック・J・ホブズボームが「伝統の大量生産」(『創られた伝統』所収)の冒頭で注記しているように、構築主義的ナショナリズム論の先駆としても評価できる。日本語版に寄せた序文でモッセは執筆の目的をこう要約している。

「〈ヒトラーの成功はどのように説明できるのか?〉 この問いは絶えず新しく投げかけられている。ナチ党の権力掌握への「政治」は十分明らかにされたし、その社会的諸前提の解明に多くの歴史家が携わってきた。しかし、国民社会主義を勝利に至らしめ--そして今日もなお広く影響を及ぼしている--「政治」の新たな認識については、総じて言えば、隅のほうで言及されるのみであった。本書が取り組んだのは、まさに自己表現によって政治とよばれうる“政治”の把握である。この時代を体験した我々の多くは、ナチ宣伝を、また大衆の感性的動員を軽蔑的に語るが、次の事実を忘れている。つまり、問題は主権在民に基礎付けられ、すでにルソーとフランス革命以来、近代の中心課題の一つと認められてきた政治様式なのである。すなわち、いかに住民大衆を国民国家に組み込み、いかに彼らに帰属感を与えることができるか、という問題である」。

こうした大衆参加の「ドラマとしての政治」が、ナチズムで終わらずテレビ時代、さらにインターネット時代の現在も「美しい装い」で演じられていることは改めて確認するまでもあるまい。

モッセは、大衆が国民として政治に参加する可能性を視覚的に提示する政治様式を「新しい政治」と呼ぶ。それは議会制民主主義者が理想とする合理的討論ではなく、国民的記念碑や公的祝祭などで表現された美意識に依拠する大衆政治の様式である。この「新しい政治」はルソーの一般意志、フランス革命の人民主権に端を発し、一九世紀を通じて大衆の自己表現と自己崇拝の様式を発展させ、国民社会主義を極致とする「世俗宗教」としてのナショナリズム運動において絶大な威力を発揮した。こうした視点から、モッセはナチズムを宣伝操作の運動ではなく、共感と合意の運動として捉えている。大衆の政治参加の感覚から民主主義を理解するならば、ヒトラーもまた民主主義者となる。資本主義を恐慌から発想することが許されるなら、民主主義をファシズムから思考実験することも許されよう。こうした文脈から、以下のように独特な章立てがなされている。

第一章・「新しい政治」、第二章「政治の美学」、第三章「国民的記念碑」、第四章「公的祝祭-源流と展開」、第五章「公的祝祭-演劇と大衆運動」、第六章「諸組織の参入-体操家・男子合唱団・射撃協会・モダンダンス」、第七章「労働者の貢献」、第八章「ヒトラーの美意識」、第九章「政治的祭祀」。

第一章で大衆参加のドラマを演出する「新しい政治」を定義した後、その政治美学を文学、美術、建築、演劇などから多角的に分析し(第二章)、その担い手となった建築家や芸術家(第三章)、あるいは体操家や合唱団などの市民サークルや教会(第四・五よ(章)、さらには労働者組織(第七章)までもがナチズムの政治的祭祀(第八・九章)に統合されていく過程をドラマチックに描き出している。また、分析の対象は絵画、彫刻、建築、賛美歌、演劇からスポーツ、労働者文化までドイツ文化史全域に及び、その分析には歴史学はもちろん神学、社会学、文化人類学、芸術学などの成果が盛り込まれている。特に、政治的祝祭の舞台である「聖なる空間」の構成要素、記念碑や広場、劇場などの分析は魅力的で、メディアーイペント史、ファシズム建築史としても読めるだろう。さらに「モダ三スム芸術はナチズムにどう受容されたか」(第五章)、「自立的諸組織(アソシエーション)の公共圏への参入はナショナリズムに何をもたらしたか」(第六章)、「労働者運動はナチ運動にいかなるモデルを提供したか」(第七章)という魅力ある個別テーマにも一定の回答を出している。

こうしたシンボル政治論によれば、大衆は政治組織によってのみならず、祝祭や神話、記念碑、美術、小説、音楽、演劇など広範な文化活動によっても政治の舞台に引き込まれる。つまり、日常生活のあらゆる相互行為は政治的意味を帯びてくることになる。ちょうど、キリスト教における良心の糾明で「行い」も「怠り」も罪になるように、政治の舞台では、参加するにしろ無視するにしろ非政治的であることは許されない。モッセが政治的無関心という大衆人の政治的な罪の言い訳に論駁し、大衆政治の現実に手を汚すことなく「イデオロギーの繭」に閉じこもった教養市民に厳しい批判を向けるのはこのためである。その意味で、ナチズム運動の成功を「プロパガンダ」や「テロル」という用語で説明することにモッセは批判的である。

「プロパガンダによってナチ党が幻影のテロリスト世界を樹立しようとしたという告発は、部分的にしか支持できない。テロルの存在は誰しも否定はできまい。だが、効果を上げるためにテロリズムの刺激を必要としないナチ文学やナチ芸術の正真正銘の人気を裏付ける証拠には十分な蓄積がある。これはまた同様に、ナチ党の政治様式についても妥当する。つまり、ナチ党の政治様式は民衆の好みにあったお馴染みの伝統に根ざしていたので人気を博したのである」。

つまり、ヒトラーの成功は、人々を操る宣伝技術によっていたのではなく、大衆が参加を体験しアイデンティティを獲得するシンボリックな同意承諾によって達成されたのである。

「ヒトラーの趣味は幼稚だと言われてきた。洗練された知識人の目から見れば、それはそうなのだが、ヒトラーの趣味は伝統的な民衆の理想にまったく調和していた」。

こうしたナチズム=ヒトラー理解には、「ドイツ国民もナチズムの絶対的なプロパガンダに操られた被害者だった」とする戦後的弁明に対するユダヤ人モッセの批判がこめられていよう。反ユダヤ主義について、モッセは経済的社会的要因に対する文化や神話の自律性を主張している。その妄想は経済的社会的な意味でのユダヤ人の存在やその解放とまったく無関係であり、むしろユダヤ人というフンンボル」が中産階級の疎外感や社会的ヒエラルヒーの危機感、あるいは都市の不安などにたまたま結びついたにすぎなかった。こうしたシンボル作用の解明には、宗教的祭儀の効果を説明する神学のカテゴリーが必要だとモッセは主張している。その結果、統計数値や官製文書に基づく歴史研究への懐疑的姿勢とともに、三文作家のベストセラー小説やキッチュな複製芸術などそれまで歴史家がすすんで取り上げようとしなかった大衆文化への真剣な取り組みが、本書の特徴となっている。
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絶滅型反ユダヤ主義の原典なのか アドルフ・ヒトラー『わが闘争』

『現代史のリテラシー』より

アドルフ・ヒトラー『わが闘争』 一九二五・二六年

かれら〔ユダヤ人〕がしばしば今まで住んでいた生活圏を放棄してきたことは、かれらの意図によるものではなく、追出された結果であり、かれらは、時々悪用した母体民族によって追出しを受けた。だがかれらの自己繁殖は、すべての寄生虫に典型的な現象であり、かれらはつねに自己の人種のために新しい母体を探している。(中略)つまり悪性なバチルスと同じように、好ましい母体が引き寄せられさえすればますます広がってゆく寄生動物なのである。そしてかれの生存の影響もまた寄生動物のそれと似ている。かれらが現われるところでは、遅かれ早かれ母体民族は死滅するのだ。

戦争開始時に、そして戦争中も、あらゆる階層から出て、あらゆる職業をもったわが最良のドイツ労働者数十万が戦場でこうむらなければならなかったように、これらの一万二千か一万五千のヘブライ人の民族破壊者連中を一度毒ガスの中に放り込んでやったとしたら、前線での数百万の犠牲者がむなしいものにはならなかったに違いない。それどころか、これら一万二千のやくざ連中が適当な時期に始末されていたとしたら、おそらく百万の立派な、将来にとって貴重なドイツ人の生命が救われたかも知れないのだ。だが、まつげ一本動かさずに数百万の人々を、戦場で血にまみれて死んでゆくままに放置したにもかかわらず、一万あるいは一万二千の民族を売る者、奸商、高利貸、詐欺師等を貴重な国民の宝物とみなし、それゆえかれらに触れることができないなどと公に布告することは、たしかにブルジョア階級的「政治」にお似合いのことでもあった。

ユダヤ人絶滅政策--ナチ自身の言葉で「最終的解決」--の発生メカニズムの説明方法において、ドイツ現代史の研究者は「意図派」と「機能派」とに分類されてきた。青年時代に反ユダヤ主義の思想を抱いた独裁者ヒトラーがそのプログラム通りに、一貫してユダヤ人の絶滅を目指しガス室を実現したとする「意図派」に対して、「機能派」は多頭支配の中でヒトラーを取り巻く諸勢力が競い合ってユダヤ人迫害をエスカレートさせた結果と解釈する。当然ながら、「意図派」は第三帝国の政策決定におけるヒトラーの絶対的な指導力を前提としており、「機能派」はナチ党内部の権力闘争の関数としてヒトラーの指導力を相対的に低く評価する。絶えず相対立し分裂を孕んだナチ運動の中で、総統ヒトラーの役割は分裂を回避し団結を維持することであった。そのため、多様な支持者の利害関係から超越した外敵シンボルとしてユダヤ人は最適であった。こうした反ユダヤ主義は運動のダイナミズムを維持するために繰り返されて過激化し、閉塞状況の中で単なるレトリックを超えた『袋小路からの。脱出策』(M・ブローシャート)として物理的絶滅が選択された。こうしたシステム維持機能論の他に、東欧ロシアに建設を予定したゲルマン大帝国のための強制移住政策、すなわち「民族の耕地整理」(G・アリ士との関連、あるいは独ソ戦の展開による食料問題や軍需問題を重視する機能的説明も有力である。いずれにせよ、社会構造史としてモデル化しやすい「機能派」が学界では主流だが、世間一般の通説としては「ヒトラー主義の論理的帰結」とする「意図派」的説明が受け入れられている。歴史家の批判を浴びながらもD・J・ゴールド(ーゲン『ヒトラーの自発的処刑執行人たち』二九九六年)がドイツでベストセラー化したのも、「絶滅型反ユダヤ主義」が普通のドイツ人にまで浸透してホロコーストを引き起こしたという直線的明快さにある。

実際、ヒトラーの主著『わが闘争』には、「絶滅型反ユダヤ主義」のステレオタイプが散りばめられている。この引用箇所も「意図派」の著作でしばしば引用されてきた。もちろん、「ヘブライ人の民族破壊者連中を一度毒ガスの中に放り込んでやったとしたら」という文句は、直接アウシュヴィッツのガス室を意味するものではない。また、害虫駆除・殺菌用のチクロンBが選ばれたのも決して「寄生虫」「バチルス」という比喩のためではない(最初は一酸化炭素が使われた)。それにもかかわらず、引用箇所は二つの点で重要である。

一つは、『わが闘争』にあふれるユダヤ人に対する独特な形容や比喩--たとえば「腐っていく死体の中の姐虫」「黒死病よりも悪質なペスト」「もっとも悪質な病原菌保菌者」「人類の永遠のバクテリア」「民族の毛穴から血を吸う蜘蛛」など--は、病理・衛生・生物学的な発想に依拠しており、ユダヤ人の宗教的定義を真っ向から否定する極端な人種的定義となっていることである。「血のボルシェヴィキ化を企むユダヤ人」の排除にも、「血のボイコット」たる人種法にも、人種衛生学や民族優性学の技術と知見が総動員された。ユダヤ人やロマ(いわゆる「ジプシー」)に対する絶滅政策を、精神薄弱者や精神病者への安楽死政策、労働忌避者や同性愛者など民族内部の「劣等分子」の強制収容や断種政策などと並ぶ「負の人種改良」とすれば、それは健全なアーリア人種の出産奨励や母性保護など「正の人種改良」と表裏をなすものであった。

もう一つは、ヒトラー自身が戦場で体験した「毒ガス」が象徴する第一次大戦によって、敗戦国ドイツが負ったトラウマである。ヴェルサイユ体制下のあらゆる社会的不満をヒトラーは国際的ユダヤ主義の陰謀と結びつけた。反ユダヤ主義の伝統は紀元四世紀にまで遡れるとしても、「アウシュヴィッツ」を生み出した直接の契機は、第一次大戦による無意味な大量死という国民的体験であろう。つまり、「奸商、高利貸、詐欺師等」という伝統的なユダヤ人イメージは、国民国家成立の一九世紀後半に流行した「人種衛生学」と結びつき、第一次大戦の厳しい経験の中で「民族共同体内の害虫」として鍛え上げられた事実を『わが闘争』はよく示している。世界史を優勝劣敗の人種競争と解するヒトラーの結論はつぎのようになる。「ユダヤ人問題を解決することなしに、ドイツの再生や興隆を別に試みることはすべてまったく無意味であり、不可能でありっづけるということである」。

こうしたヒトラーの意図は、「最終的解決」との直接的な因果関係はともかく、自殺の前日の日付をもつ「政治的遺言」の末尾まで一貫している。

「他の何ものにもまして、国家の指導者とその信奉者たちは人種法を厳重に維持し、あらゆる民族の毒殺者たる国際ユダヤ主義に対して容赦なく反対しなければならないのだ」。

だが、その一貫性にもかかわらず、「意図派」の議論は、ホロコーストの責任を独裁者ヒトラーの「個人責任」に集約してしまいがちであり、それを可能にしたドイツ社会やユダヤ人難民の受け入れを拒んだ周辺諸国の政治的責任を見落とす傾向もあるようだ。
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