未唯への手紙
未唯への手紙
絶滅型反ユダヤ主義の原典なのか アドルフ・ヒトラー『わが闘争』
『現代史のリテラシー』より
アドルフ・ヒトラー『わが闘争』 一九二五・二六年
かれら〔ユダヤ人〕がしばしば今まで住んでいた生活圏を放棄してきたことは、かれらの意図によるものではなく、追出された結果であり、かれらは、時々悪用した母体民族によって追出しを受けた。だがかれらの自己繁殖は、すべての寄生虫に典型的な現象であり、かれらはつねに自己の人種のために新しい母体を探している。(中略)つまり悪性なバチルスと同じように、好ましい母体が引き寄せられさえすればますます広がってゆく寄生動物なのである。そしてかれの生存の影響もまた寄生動物のそれと似ている。かれらが現われるところでは、遅かれ早かれ母体民族は死滅するのだ。
戦争開始時に、そして戦争中も、あらゆる階層から出て、あらゆる職業をもったわが最良のドイツ労働者数十万が戦場でこうむらなければならなかったように、これらの一万二千か一万五千のヘブライ人の民族破壊者連中を一度毒ガスの中に放り込んでやったとしたら、前線での数百万の犠牲者がむなしいものにはならなかったに違いない。それどころか、これら一万二千のやくざ連中が適当な時期に始末されていたとしたら、おそらく百万の立派な、将来にとって貴重なドイツ人の生命が救われたかも知れないのだ。だが、まつげ一本動かさずに数百万の人々を、戦場で血にまみれて死んでゆくままに放置したにもかかわらず、一万あるいは一万二千の民族を売る者、奸商、高利貸、詐欺師等を貴重な国民の宝物とみなし、それゆえかれらに触れることができないなどと公に布告することは、たしかにブルジョア階級的「政治」にお似合いのことでもあった。
ユダヤ人絶滅政策--ナチ自身の言葉で「最終的解決」--の発生メカニズムの説明方法において、ドイツ現代史の研究者は「意図派」と「機能派」とに分類されてきた。青年時代に反ユダヤ主義の思想を抱いた独裁者ヒトラーがそのプログラム通りに、一貫してユダヤ人の絶滅を目指しガス室を実現したとする「意図派」に対して、「機能派」は多頭支配の中でヒトラーを取り巻く諸勢力が競い合ってユダヤ人迫害をエスカレートさせた結果と解釈する。当然ながら、「意図派」は第三帝国の政策決定におけるヒトラーの絶対的な指導力を前提としており、「機能派」はナチ党内部の権力闘争の関数としてヒトラーの指導力を相対的に低く評価する。絶えず相対立し分裂を孕んだナチ運動の中で、総統ヒトラーの役割は分裂を回避し団結を維持することであった。そのため、多様な支持者の利害関係から超越した外敵シンボルとしてユダヤ人は最適であった。こうした反ユダヤ主義は運動のダイナミズムを維持するために繰り返されて過激化し、閉塞状況の中で単なるレトリックを超えた『袋小路からの。脱出策』(M・ブローシャート)として物理的絶滅が選択された。こうしたシステム維持機能論の他に、東欧ロシアに建設を予定したゲルマン大帝国のための強制移住政策、すなわち「民族の耕地整理」(G・アリ士との関連、あるいは独ソ戦の展開による食料問題や軍需問題を重視する機能的説明も有力である。いずれにせよ、社会構造史としてモデル化しやすい「機能派」が学界では主流だが、世間一般の通説としては「ヒトラー主義の論理的帰結」とする「意図派」的説明が受け入れられている。歴史家の批判を浴びながらもD・J・ゴールド(ーゲン『ヒトラーの自発的処刑執行人たち』二九九六年)がドイツでベストセラー化したのも、「絶滅型反ユダヤ主義」が普通のドイツ人にまで浸透してホロコーストを引き起こしたという直線的明快さにある。
実際、ヒトラーの主著『わが闘争』には、「絶滅型反ユダヤ主義」のステレオタイプが散りばめられている。この引用箇所も「意図派」の著作でしばしば引用されてきた。もちろん、「ヘブライ人の民族破壊者連中を一度毒ガスの中に放り込んでやったとしたら」という文句は、直接アウシュヴィッツのガス室を意味するものではない。また、害虫駆除・殺菌用のチクロンBが選ばれたのも決して「寄生虫」「バチルス」という比喩のためではない(最初は一酸化炭素が使われた)。それにもかかわらず、引用箇所は二つの点で重要である。
一つは、『わが闘争』にあふれるユダヤ人に対する独特な形容や比喩--たとえば「腐っていく死体の中の姐虫」「黒死病よりも悪質なペスト」「もっとも悪質な病原菌保菌者」「人類の永遠のバクテリア」「民族の毛穴から血を吸う蜘蛛」など--は、病理・衛生・生物学的な発想に依拠しており、ユダヤ人の宗教的定義を真っ向から否定する極端な人種的定義となっていることである。「血のボルシェヴィキ化を企むユダヤ人」の排除にも、「血のボイコット」たる人種法にも、人種衛生学や民族優性学の技術と知見が総動員された。ユダヤ人やロマ(いわゆる「ジプシー」)に対する絶滅政策を、精神薄弱者や精神病者への安楽死政策、労働忌避者や同性愛者など民族内部の「劣等分子」の強制収容や断種政策などと並ぶ「負の人種改良」とすれば、それは健全なアーリア人種の出産奨励や母性保護など「正の人種改良」と表裏をなすものであった。
もう一つは、ヒトラー自身が戦場で体験した「毒ガス」が象徴する第一次大戦によって、敗戦国ドイツが負ったトラウマである。ヴェルサイユ体制下のあらゆる社会的不満をヒトラーは国際的ユダヤ主義の陰謀と結びつけた。反ユダヤ主義の伝統は紀元四世紀にまで遡れるとしても、「アウシュヴィッツ」を生み出した直接の契機は、第一次大戦による無意味な大量死という国民的体験であろう。つまり、「奸商、高利貸、詐欺師等」という伝統的なユダヤ人イメージは、国民国家成立の一九世紀後半に流行した「人種衛生学」と結びつき、第一次大戦の厳しい経験の中で「民族共同体内の害虫」として鍛え上げられた事実を『わが闘争』はよく示している。世界史を優勝劣敗の人種競争と解するヒトラーの結論はつぎのようになる。「ユダヤ人問題を解決することなしに、ドイツの再生や興隆を別に試みることはすべてまったく無意味であり、不可能でありっづけるということである」。
こうしたヒトラーの意図は、「最終的解決」との直接的な因果関係はともかく、自殺の前日の日付をもつ「政治的遺言」の末尾まで一貫している。
「他の何ものにもまして、国家の指導者とその信奉者たちは人種法を厳重に維持し、あらゆる民族の毒殺者たる国際ユダヤ主義に対して容赦なく反対しなければならないのだ」。
だが、その一貫性にもかかわらず、「意図派」の議論は、ホロコーストの責任を独裁者ヒトラーの「個人責任」に集約してしまいがちであり、それを可能にしたドイツ社会やユダヤ人難民の受け入れを拒んだ周辺諸国の政治的責任を見落とす傾向もあるようだ。
アドルフ・ヒトラー『わが闘争』 一九二五・二六年
かれら〔ユダヤ人〕がしばしば今まで住んでいた生活圏を放棄してきたことは、かれらの意図によるものではなく、追出された結果であり、かれらは、時々悪用した母体民族によって追出しを受けた。だがかれらの自己繁殖は、すべての寄生虫に典型的な現象であり、かれらはつねに自己の人種のために新しい母体を探している。(中略)つまり悪性なバチルスと同じように、好ましい母体が引き寄せられさえすればますます広がってゆく寄生動物なのである。そしてかれの生存の影響もまた寄生動物のそれと似ている。かれらが現われるところでは、遅かれ早かれ母体民族は死滅するのだ。
戦争開始時に、そして戦争中も、あらゆる階層から出て、あらゆる職業をもったわが最良のドイツ労働者数十万が戦場でこうむらなければならなかったように、これらの一万二千か一万五千のヘブライ人の民族破壊者連中を一度毒ガスの中に放り込んでやったとしたら、前線での数百万の犠牲者がむなしいものにはならなかったに違いない。それどころか、これら一万二千のやくざ連中が適当な時期に始末されていたとしたら、おそらく百万の立派な、将来にとって貴重なドイツ人の生命が救われたかも知れないのだ。だが、まつげ一本動かさずに数百万の人々を、戦場で血にまみれて死んでゆくままに放置したにもかかわらず、一万あるいは一万二千の民族を売る者、奸商、高利貸、詐欺師等を貴重な国民の宝物とみなし、それゆえかれらに触れることができないなどと公に布告することは、たしかにブルジョア階級的「政治」にお似合いのことでもあった。
ユダヤ人絶滅政策--ナチ自身の言葉で「最終的解決」--の発生メカニズムの説明方法において、ドイツ現代史の研究者は「意図派」と「機能派」とに分類されてきた。青年時代に反ユダヤ主義の思想を抱いた独裁者ヒトラーがそのプログラム通りに、一貫してユダヤ人の絶滅を目指しガス室を実現したとする「意図派」に対して、「機能派」は多頭支配の中でヒトラーを取り巻く諸勢力が競い合ってユダヤ人迫害をエスカレートさせた結果と解釈する。当然ながら、「意図派」は第三帝国の政策決定におけるヒトラーの絶対的な指導力を前提としており、「機能派」はナチ党内部の権力闘争の関数としてヒトラーの指導力を相対的に低く評価する。絶えず相対立し分裂を孕んだナチ運動の中で、総統ヒトラーの役割は分裂を回避し団結を維持することであった。そのため、多様な支持者の利害関係から超越した外敵シンボルとしてユダヤ人は最適であった。こうした反ユダヤ主義は運動のダイナミズムを維持するために繰り返されて過激化し、閉塞状況の中で単なるレトリックを超えた『袋小路からの。脱出策』(M・ブローシャート)として物理的絶滅が選択された。こうしたシステム維持機能論の他に、東欧ロシアに建設を予定したゲルマン大帝国のための強制移住政策、すなわち「民族の耕地整理」(G・アリ士との関連、あるいは独ソ戦の展開による食料問題や軍需問題を重視する機能的説明も有力である。いずれにせよ、社会構造史としてモデル化しやすい「機能派」が学界では主流だが、世間一般の通説としては「ヒトラー主義の論理的帰結」とする「意図派」的説明が受け入れられている。歴史家の批判を浴びながらもD・J・ゴールド(ーゲン『ヒトラーの自発的処刑執行人たち』二九九六年)がドイツでベストセラー化したのも、「絶滅型反ユダヤ主義」が普通のドイツ人にまで浸透してホロコーストを引き起こしたという直線的明快さにある。
実際、ヒトラーの主著『わが闘争』には、「絶滅型反ユダヤ主義」のステレオタイプが散りばめられている。この引用箇所も「意図派」の著作でしばしば引用されてきた。もちろん、「ヘブライ人の民族破壊者連中を一度毒ガスの中に放り込んでやったとしたら」という文句は、直接アウシュヴィッツのガス室を意味するものではない。また、害虫駆除・殺菌用のチクロンBが選ばれたのも決して「寄生虫」「バチルス」という比喩のためではない(最初は一酸化炭素が使われた)。それにもかかわらず、引用箇所は二つの点で重要である。
一つは、『わが闘争』にあふれるユダヤ人に対する独特な形容や比喩--たとえば「腐っていく死体の中の姐虫」「黒死病よりも悪質なペスト」「もっとも悪質な病原菌保菌者」「人類の永遠のバクテリア」「民族の毛穴から血を吸う蜘蛛」など--は、病理・衛生・生物学的な発想に依拠しており、ユダヤ人の宗教的定義を真っ向から否定する極端な人種的定義となっていることである。「血のボルシェヴィキ化を企むユダヤ人」の排除にも、「血のボイコット」たる人種法にも、人種衛生学や民族優性学の技術と知見が総動員された。ユダヤ人やロマ(いわゆる「ジプシー」)に対する絶滅政策を、精神薄弱者や精神病者への安楽死政策、労働忌避者や同性愛者など民族内部の「劣等分子」の強制収容や断種政策などと並ぶ「負の人種改良」とすれば、それは健全なアーリア人種の出産奨励や母性保護など「正の人種改良」と表裏をなすものであった。
もう一つは、ヒトラー自身が戦場で体験した「毒ガス」が象徴する第一次大戦によって、敗戦国ドイツが負ったトラウマである。ヴェルサイユ体制下のあらゆる社会的不満をヒトラーは国際的ユダヤ主義の陰謀と結びつけた。反ユダヤ主義の伝統は紀元四世紀にまで遡れるとしても、「アウシュヴィッツ」を生み出した直接の契機は、第一次大戦による無意味な大量死という国民的体験であろう。つまり、「奸商、高利貸、詐欺師等」という伝統的なユダヤ人イメージは、国民国家成立の一九世紀後半に流行した「人種衛生学」と結びつき、第一次大戦の厳しい経験の中で「民族共同体内の害虫」として鍛え上げられた事実を『わが闘争』はよく示している。世界史を優勝劣敗の人種競争と解するヒトラーの結論はつぎのようになる。「ユダヤ人問題を解決することなしに、ドイツの再生や興隆を別に試みることはすべてまったく無意味であり、不可能でありっづけるということである」。
こうしたヒトラーの意図は、「最終的解決」との直接的な因果関係はともかく、自殺の前日の日付をもつ「政治的遺言」の末尾まで一貫している。
「他の何ものにもまして、国家の指導者とその信奉者たちは人種法を厳重に維持し、あらゆる民族の毒殺者たる国際ユダヤ主義に対して容赦なく反対しなければならないのだ」。
だが、その一貫性にもかかわらず、「意図派」の議論は、ホロコーストの責任を独裁者ヒトラーの「個人責任」に集約してしまいがちであり、それを可能にしたドイツ社会やユダヤ人難民の受け入れを拒んだ周辺諸国の政治的責任を見落とす傾向もあるようだ。
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