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ウガンダの地方分権化の歴史

『ウガンダを知るための53章』より

ウガンダは1970年代、長引く内戦と広範な人権侵害に悩む「絶望的な」アフリカの象徴であった。しかし、1986年の国民抵抗運動(NRM)政権成立以降、1990年代になると、ヨウェリ・ムセベニ大統領の指導のもとでアフリカの改革推進国の一つに浮上した。ウガンダ復興に大きく寄与したのが、無党制民主主義という政治体制の導入と、それと密接不可分な地方分権化の推進であった。そのねらいは、一般市民の政策決定への参加の拡大にあった。実はウガンダの分権化は、アフリカでも最も野心的な試みの一つである。1992年に正式に実施されはじめて以来、ウガンダの分権化の歴史は20年近くになる。したがってウガンダの実績を再度振り返ってみることは非常に有益である。

ウガンダの分権化改革の制度的な支柱となっているのが、地方評議会(LC)制度である。これは、村レベルのLC1から県レベルのLC5までの階層構造を持つ。各評議会は立法機関でもあり、行政機関でもあるため、日本でいう議院内閣制に近い。選出された議員は2種類に分かれ、恒常的に勤務する限られた議目]寇方政府における内閣を担う閣僚)と、議会開催時にのみ登院する議員がいる。前者の議員が政策決定機関を政治的に主導し、地方公務員が勤務する行政機構は政治部門の監督下にある。五つの階層からなる地方評議会は、それぞれの階層ごとに、政治的代表者の選出方法や、地方行政の配置が異なっている。

LC制度は、国民抵抗軍(NRA)が政権転覆をはかるゲリラ戦を展開していた当時の組織である抵抗評議会(RC)を起源としている。RCは地域住民との連絡に効果的であったため、政権確立後に全国に拡大することにしたものである。

RC/LC制度の全国展開に続いたのが、政治行政体制の法的枠組みの再編である。ムセペニ大統領は1992年10月、分権化政策を正式に発表し、1993年以降分権化政策は急速に進展していった。1995年に採択した新憲法は分権化を全国的政策に位置づけ、RC制度は地方評議会(LC)制度に改称された。1997年に制定された地方自治法は、分権化推進の法的枠組みを詳細に定めている。その後同法は数度にわたり修正され、選挙の仕組みにより民意を反映したり、また行政機構をより整合的にするための改善がはかられた。

RC/LC制度により、草の根レベルにおいて人々が比較的自由に意見表明をすることができる政治的な場が大きく拡大した。とりわけ、女性、若者、高齢者などにとって、政策決定に意見を反映させる機会が保証されることは、実に大きな変化であった。この制度が人々にとって身近になっていくにつれ、制度の問題点が浮き彫りになったが、そこでさらなる改善が実施されるという一種の好循環が生まれた。と・りわけ、村にあたるLCIは、村民の自治会的性格が強い。LC制度は現在、ウガンダの草の根レペルにおいて欠かすことのできない政治行政組織となっている。

このような分権化推進の結果、LC制度は以前よりもはるかに大きな自治を獲得するにいたっている。ウガンダでは、地方自治大臣といえども地方自治体の決定を容易に覆すことはできない。他の多くのアフリカ諸国ではありえないことである。

このような分権化の推進は、NRM政権が誕生した1986年の状況に端を発している。政治的に見れば、RC制度は、老練な他の政党の攻勢に直面していた当時まだ新興政治勢力であったNRMが人々の支持を固めるために設立したものである。したがって、地方分権化はNRM自身の政治的考慮と国家全体の安定という二つの目的が一致した結果、推進されたのである。そのため、NRMの政治体制である無党制民主主義およびRC/LC制度は表裏一体であり、ほぼ不可分であったといえる。

NRMの政治体制はこのころ政党活動を禁止しており、選挙に出る際は個人として立候補する必要があった。NRMの言い分は、それ以前の政党は民族および宗教の違いに沿って形成されており、それが内戦を長期化させた要因のIつになったからだとしている。これに代わるRC/LC制度では、あらゆるウガンダ人が、性別、年齢、宗教および政治的所属関係による差別を受けることなく、政策決定に参加できるはずであると主張した。LC制度がなければ、NRMの政治体制では大衆参加の機会がきわめて限られてしまう。実際に、LC制度は、1986年、1989年、および1996年以降5年おきに実施される地方選挙でも引き続きその機能を果たした。

分権化改革の実施に影響を与えたもう一つの重要な政治的要因は、ブガンダ王国の政治的影響力である。同王国は過去から現在にいたるまで、ウガンダで最も政治的影響力を有する王国である。独立後のウガンダの歴史を見てみると、ブガンダ王国の十分な支持を得ることなく全国を政治的に安定させることはほぼ不可能なことが明らかとなる。1990年代前半、ブガンダ王国比おいて「分権化」は、ブガンダ王により多くの政治的・経済的自治を付与する連邦体制と解釈された。この解釈は明らかにNRMの政治的意図に反するものであった。ブガンダ王国による連邦制の主張を前もって阻止するため、1990年代前半の時点では迅速な分権化が必要と考えられた。このブガンダ王国の要因は、ウガンダにおける1993年以降の急速な分権化の推進に貢献した。

以上二つの要因は、分権化改革が内発的であることを示している。これはきわめて特徴的である。一般に途上諸国比おける分権化は、外部援助機関が主導することが多い。ウガンダでは、援助機関は重要な役割を果たしたが、同時に分権化の意向は外部から押しつけられたものではなく、NRMの政治的な必要性から発していたのである。おそらく幸運であったといえるのは、このNRMの政治的意向は、長年の内戦を経たのちの安全の確保と生活の正常化という大多数の国民の願いに応えるものであったことである。LC制度はこの願いを満たす適切な仕組みであった。

しかし、内戦で疲弊したウガンダの復興を支えた無党制民主主義も、その歴史的役割を終えることになる。すなわち、1990年代以降の冷戦後の世界的民主化の流れや、ウガンダ自身の政治的・経済的復興により、2005年の国民投票では、複数政党制による総選挙をウガンダ人は選択した。2006年の総選挙では、1986年のNRM政権成立以降でははじめて、与党と野党との間で選挙が戦われた。これによりLC制度は、いねばNRM政治体制という生みの親から離れ、どの政党や政治体制にも属さない地方自治制度として歩んでいくこととなる。            (斎藤文彦)
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OCRのスキャナーがストレスの原因

未唯へ

 深夜番組で、グラドルの実態を放送しています。グラドルは本当に給料が安いんですね。8万円で生活できるのか。胸が大きくてもダメみたいです。

 老人ホームの母親は頭が痛いということで、ほとんど寝ていた。

販売店要望の実現

 道具つくりはeに任せましょう。地域の活性化のための販売店経営者の意識革新を今年のテーマにします。eの到着点として、ライブラリをさせましょう。ポータルは一緒に作りましょう。

 予言が当たっているというよりも、提案が当たっている。私は提案に留めます。eにも直接、依頼しましょう。次の提案は店舗の活性化から地域の活性化です。逆かもしれません。

何のために生まれてきたのか

 頭が良くて、良かったと思うときがあります。ただし、小さなことです。逆に、大きな余分をやっています。何のために生まれてきたのか。

ケータイ探索ボタン

 ポケットから、ケータイがなくなりました。シートの所にありました。ケータイを買ったときに、そのケータイが反応するようなボタンが欲しいですね。

OCRのスキャナー

 OCRのスキャナーの調子が悪い。スキャナーはさほど高くないので、買い換えてもいいけど、ソフトの「読取革命」との相性がわからない。エプソンなら継承できるかもしれないけど、保証されていない。

 『哲学オデュッセイ』でカントなどの記述をスキャンすると、途中で止まってしまう。しょうがないから、軽く押さえて、OCR化した。読取濃さが薄くて、5分の1を手入力している。

 入力作業を終わらないと、カントの『純粋理性批判7』のOCRが終わらない。かなりの工数を使っている。私の電子図書館の目玉です。

 その他にOCRしたのは、『ウガンダを知るための53章』『「統治」を創造する』です。ウガンダは「地方分権化の歴史」部分です。地域コミュニティの参考です。「統治」は「市民社会」未成熟論の部分とです。それと「ハイエクの社会哲学」です。ずっと、ハイエクは気になっています。

岡崎図書館で借りた10冊。例によって、老人ホームの駐車場で3冊、母親の部屋で1冊(北海道の歴史)を読んで、豊田市のスタバへ。そこで3冊を読んでいた。家に帰って、OCRしながら、残りの3冊を処理。

 211『北海道の歴史 上』
 539.2『「超小型原子炉」なら日本も世界も救われる!』
 369.1『住民主導の地域福祉行動』「地区社協」の住民力・地域力・福祉力
 130.4『哲学オデュッセイ』挑発する21世紀のソクラテス
 321.1『その先の正義論』宇佐美教授の白熱教室
 404『二つの文化と科学革命』
 234.0『過ぎ去らぬ過去との取り組み』ドイツと日本の比較
 311.0『「統治」を創造する』新しい公共/オープンガバメント/リーク社会
 104『いまを生きるための思想キーワード』
 230.7『失われた二〇世紀』
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