goo

メルケルは科学者

未唯へ

 Iさんは土日は遊んで元気だったそうです。土日休みなんですね。何となく、意識しています。

 今週の豊田市から借りた本をOCRしたのは3冊だけです。

 何しろ、夢ばかり見ているので、あまり眠れていない。面倒だから、バスの2時間を除いて、睡眠時間は4時間半から3時間にしましょう。

コミュニティ化

 ゲーム化からコミュニティ化。この差は大きいです。

 二つのブロックを合わせます。そこから出たことはICレコーダーに話します。

メルケル

 やはり、物理学者とか科学者が首相にならないと、方向転換できない。いいものはいい。悪いものは悪い。メルケルが東ドイツ出身とは思わなかった。

『なぜメルケルは「転向」したのか』 メルケルの「敗北宣言」

 メルケルは福島事故に衝撃を受け、原子力についての立場を一八〇度転換させた。三月十一日にメルケルは分刻みのスケジュールの合間を縫って、テレビのニュースを食い入るように見ていた。彼女は「日本ほど技術水準が進んだ国でも、このような事態を防げなかったことは重大だ」として、福島事故の四日後に三ヵ月の「原子力モラトリアム」を発令した。三一年以上動いていた七基の原子炉を直ちに停止させるとともに、原子炉安全委員会に対し、国内の原子炉が洪水や停電などの異常事態に対して十分な耐久性があるかどうかについて、緊急検査(ストレステスト)を行うよう命じた。原子炉の稼動年数の延長が決まってからわずか四ヵ月後のことである。

 これ以降メルケルは、「原子力は過渡期のエネルギーとして必要だ」という立場を捨て、「経済に悪影響を与えない限り、原子力を出来るだけ早く廃止すべきだ」と主張し始める。メルケルはなぜ原子力擁護派から反対派に「転向」したのか。その背景を理解するうえで鍵となるのが、メルケルが二〇一一年六月九日に連邦議会で行なった演説である。この演説には、メルケルの福島事故や原子力のリスクに対する見方と、科学者らしい分析的な思考スタイルがにじみ出ている。少し長くなるが、ドイツ人の今回の事故に対する考え方を象徴する文章でもあるので、一部を引用したい。

 「……(=前略)福島事故は、全世界にとって強烈な一撃でした。この事故は私個人にとっても強い衝撃を与えました。大災害に襲われた福島第一原発で、人々が事態がさらに悪化するのを防ぐために海水を注入して原子炉を冷却しようとしていると聞いて、私は『日本ほど技術水準が高い国も、原子力のリスクを安全に制御することはできない』ということを理解しました。

 新しい知見を得たら、必要な対応を行うために新しい評価を行わなくてはなりません。私は、次のようなリスク評価を新たに行いました。原子力の残余のリスクは、人間に推定できる限り絶対に起こらないと確信を持てる場合のみ、受け入れることができます。

 しかしその残余リスクが実際に原子炉事故につながった場合、被害は空間的・時間的に甚大かつ広範囲に及び、他のすべてのエネルギー源のリスクを大幅に上回ります。私は福島事故の前には、原子力の残余のリスクを受け入れていました。高い安全水準を持ったハイテク国家では、残余のリスクが現実の事故につながることはないと確信していたからです。しかし、今やその事故が現実に起こってしまいました。

 確かに、日本で起きたような大地震や巨大津波は、ドイツでは絶対に起こらないでしょう。しかしそのことは、問題の核心ではありません。福島事故が我々に突きつけている最も重要な問題は、リスクの想定と、事故の確率分析がどの程度信頼できるのかという点です。なぜなら、これらの分析は我々政治家がドイツにとってどのエネルギー源が安全で、価格が高すぎず、環境に対する悪影響が少ないかを判断するための基礎となるからです。

 私はあえて強調したいことがあります。私は昨年秋に発表した長期エネルギー戦略の中で、原子炉の稼動年数を延長しました。しかし私は今日、この連邦議会の議場ではっきりと申し上げます。福島事故は原子力についての私の態度を変えたのです。(後略)」

 この演説は、物理学者メルケルと政治家メルケルにとって一種の「敗北宣言」でもある。彼女は「以前の自分の考えは誤っていた」と、居並ぶ国会議員、そして国民の前ではっきり認めたのだ。意見を大きく変えることはドイツ社会では好ましい評価を受けない。それまでの考えが浅かったことを証明することになるからだ。したがって。一国の首相がこれほど率直に「自分の考えが誤っていた」と公言するのは珍しい。通常は、さまざまな理由を挙げて、なぜ自分が別の考えを持っていたのかを正当化しようとするものだ。だがメルケルは一時科学者として働いた人間らしく、多言を弄して弁解はせず、己れの知覚能力、想定能力の限界を正直に告白したのである。

 メルケルの演説に表れているように、多くのドイツ人は日本について「(イテク国家」というイメージを抱いていた。「日本人は几帳面で、何事もきっちりと行う」という先入観もあった。福島事故が起こるまで、原子力事故の国際評価尺度でレベル七に達した原発事故は、チェルノブイリ事故だけだった。メルケルを含めたドイツ政府関係者は、「チェルノブイリ事故のような大事故が起きたのは、西欧や米国では使われていない黒鉛炉が使われていたことや、作業員の教育が徹底していなかったため」として、技術水準が低い社会主義圏に特有の事故だと考えていた。つまり、西側ではレベル七に達するような原子炉事故は起こり得ないと考えていたのだ。

 しかし福島事故は、その「常識」を覆した。ドイツ政府は「社会主義圏だからレペル七の事故が起きた」という言い訳を使えなくなった。つまり残余リスクがこれまで考えられていたよりも大きく、欧州でも大事故が起こり得るという結論に達したのである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )