詩篇 123—124篇
住まいが屋根の部分なので、ほとんどの部屋の天井が屋根の形に切られています。初めのうちはよく斜め部分に頭をぶつけていましたが、この頃はなくなりました。慣れてきた、いや、学習したのだと思うことにしています。
部屋の斜め部分に天窓があり、仕事の合間に空を眺めることができます。空港を飛び立った飛行機のルートにあるので、「飛行機位置アプリ」と照らし合わせて「今の飛行機は…」と、行き先や飛行機の種類を確かめるという趣味も持てました。公園を歩いている時も空を見上げることが多くなりました。
123篇は「あなたに向かって、私は目を上げます」ということばで始まります。作者は空を見上げているのではなくて、主なる神を見上げるのです。もちろん彼は、自分の目で神を見ることはできないのですが、上におられるお方に、「私をあわれんでください」と繰り返し訴えるのです。見上げるこの人の目からは涙がこぼれ落ちているのでは…と想像してしまいます。
彼の心はいっぱいいっぱいになっています、「安逸をむさぼる者たちのあざけり、高ぶる者たちのさげすみ」で。この部分を新共同訳聖書は「平然と生きる者らの嘲笑に 傲然と生きる者らの侮りに わたしたちの魂はあまりにも飽かされています」と訳します。もしかしたら、主を恐れることのないものが面白おかしく生きていて、そんな人々から「何をそんなに悩んでいるんだ。神に頼るからだ…」などとあざけられたのかもしれません。
続く124篇とのつながりで見れば、神はそんな者の味方であり続け、「あわれんでください」との訴えに答え、助け出してくださるお方なのです。
きょうはキリスト昇天日で、当地は祝日です。ハレルヤ。