みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

味方だから

2017年05月25日 | 詩篇

詩篇 123—124篇

 住まいが屋根の部分なので、ほとんどの部屋の天井が屋根の形に切られています。初めのうちはよく斜め部分に頭をぶつけていましたが、この頃はなくなりました。慣れてきた、いや、学習したのだと思うことにしています。

 部屋の斜め部分に天窓があり、仕事の合間に空を眺めることができます。空港を飛び立った飛行機のルートにあるので、「飛行機位置アプリ」と照らし合わせて「今の飛行機は…」と、行き先や飛行機の種類を確かめるという趣味も持てました。公園を歩いている時も空を見上げることが多くなりました。

 123篇は「あなたに向かって、私は目を上げます」ということばで始まります。作者は空を見上げているのではなくて、主なる神を見上げるのです。もちろん彼は、自分の目で神を見ることはできないのですが、上におられるお方に、「私をあわれんでください」と繰り返し訴えるのです。見上げるこの人の目からは涙がこぼれ落ちているのでは…と想像してしまいます。

 彼の心はいっぱいいっぱいになっています、「安逸をむさぼる者たちのあざけり、高ぶる者たちのさげすみ」で。この部分を新共同訳聖書は「平然と生きる者らの嘲笑に 傲然と生きる者らの侮りに わたしたちの魂はあまりにも飽かされています」と訳します。もしかしたら、主を恐れることのないものが面白おかしく生きていて、そんな人々から「何をそんなに悩んでいるんだ。神に頼るからだ…」などとあざけられたのかもしれません。

 続く124篇とのつながりで見れば、神はそんな者の味方であり続け、「あわれんでください」との訴えに答え、助け出してくださるお方なのです。

 きょうはキリスト昇天日で、当地は祝日です。ハレルヤ。


門口に立って

2017年05月24日 | 詩篇

詩篇 122篇

 「みことばの光」では、エステル記とネヘミヤ記を読む間に、詩篇122−126篇を読みます。これらの詩篇には「都上りの歌」(都に上る歌)という表題がついています。

 121篇が巡礼がエルサレムに向けて自分の町から出発する際に歌われたものだとしたら、122篇は巡礼がエルサレムに着いて、町を囲む門の前に立っている感動を歌い上げた歌です。「さあ、主の家に行こう」というのは、共に上って来た巡礼が声を掛け合って、神の宮に向かおうということばで、喜びと力強さが伝わってきます。

 続いて作者は、自分がいるエルサレムを感慨をもって眺めていいます。「よくまとめられた町」「多くの部族、…が上って来る」「主の御名に感謝するために」「ダビデの家の王座があったから…」。ここまでを読みながら、この詩篇はキリストを救い主と信じる者にとって、礼拝に赴(おもむ)く時のあるべき姿を伝えているのではないだろうかと考えるのです。

 喜びがあるか、主を信じる者の交わりにまとまりがあるか、ほかの主の民と共に神への感謝を携えているか、神のみことばによって生きてきたかなどということが、礼拝の姿勢でありたいと思わされます。

 作者は「エルサレムの平和のために祈れ」と呼びかけます。実際、エルサレムは「平和、サレムの町」の意味です。平和の町に着いた巡礼は、この町の平和、ここに生きる人々のために平和を祈ったのです。2月にエルサレムを訪ねました。ここが様々な人々から成っている緊張の町、争いの町だったということを思いました。

 主イエスによる「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから」ということばが頭に浮かびます。「エルサレムが平和であるように」と祈るとは、「私は平和をつくる者となる」という決意を求められているということです。他人事ではありません。


プリム

2017年05月23日 | エステル記

エステル記9章20節ー10章3節

 お昼にお茶をしました。私が頼んだのは「生姜ティー」。さて、どんなものが来たでしょう。熱湯の中にたくさんの生姜が…。それに蜂蜜がついていて、好きなだけ蜂蜜を入れられるようになっていました。とても美味しくいただきました。でも…、これなら家でもできるではないか! と思ったのでした。

 9章24、25節はエステル記の要約のようなものです。結末まで読み進めますと、こんなことだったと納得ですが、この書を初めて読んだ人は、途中ハラハラドキドキしたのではないでしょうか。

 ユダヤ人はこの出来事を忘れることのないようにと、「プリム」という祝日を設けました。そして、28節に「この記念が彼らの子孫の中でとだえてしまわないように」ということばのとおりに、「プリム」は現在に至るまで祝われています。太陽暦では春を前にした季節の祭りなので、大人も子どもも仮装をして祝うのだそうです。

 ちなみに、今年は3月12日がプリムの祭りの日。この日にはエステル記の朗読会も持たれるとのことです。朗読の中でハマンの名前が出てくると、机をどんどんと叩くのだそうです。

 心に留めたのは22節のことば。「自分たちの敵を除いて休みを得た日、悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り、貧しい者に贈り物をする日」とあります。キリスト者にとって「プリム」とは日曜日なのではないかと思うのです。そして、この日を喜びの日として、祝日としてうきうきと集って礼拝をする教会でありたいと願いつつ、今回のエステル記を読み終えることにします。


一変して

2017年05月22日 | エステル記

エステル記 9章1−19節

 抜けるような青空とぽっかりと浮かぶ白い雲の日曜日。礼拝でお借りしているドイツの方の教会では、駐車場でランチをしていました。このブログは当地時間で日曜日の夜7時ごろに書いています。まだまだ明るいので、アップしたら近くの公園を歩いて来ます。

 ユダヤ人が恐れていたアダルの月の13日が来ました。しかし、この間ユダヤ人絶滅を企てたハマンは死に、ユダヤ人モルデカイがハマンに代わって総理大臣となり、ユダヤ人にとっての「死の法令」を無効にする法令がモルデカイによって発布されて、状況は一変しました。おびえなければならないのはユダヤ人ではなくて、彼らの敵でした。

 きょうの箇所を読むと、ユダヤ人が多くの敵を殺したという記事に何となく割り切れない思いを持つ人もいるのではないかと思います。しかし、事はそんなに単純ではなさそうです。ハマンの死後も、シュシャン(スサ)にはユダヤ人を憎む者たちが数百人の単位でおり、さらに帝国全土では75,000人もいたことがわかります。ということは、ハマンは殺されましたが、ハマンの企てに加わった者が相当数いたということがわかるのです。それは、エステルが残忍とも見えるようなことを王に願っていることからもわかります。手綱を緩めないのです。

 イエスを信じる者には、目に見えない強大な敵がいます。少しでも隙を見せるとたちまちつぶしにかかってくるような相手です。ですから、この相手に対して私たちは手綱を緩めてはなりません。きょうの箇所からは、そのような促しを受けます。


彼をそれにかけよ

2017年05月20日 | エステル記

エステル記 7章

 あるお宅を訪ねようと車を走らせていました。次の四つ角を右に曲がると2分ほどで着けるのですが、なんとそこは工事で右折禁止。やむなく直進してUターン。結局遠回りをしてしまいました。その日はいつも通り慣れている道も思わぬ渋滞。「なんてこった!」という気分でした。結局約束の時刻を過ぎての訪問となりました。

 民族絶滅という危機がどんでん返しの結末になるために、エステルが、モルデカイが、王が…用いられたのはいうまでもありません。しかし、それらの人々を選び、ふさわしい時、あるべき場所に置いたのは、この出来事の真の主役である神です。

 エステルが招待した一度目の宴会の時のハマンは、天にも上るような気分だったことでしょう。けれども、それからの彼は、坂道を転がるように気持ちが落ち込み、いや、「なんてこった!」と落ち込むばかりか、いのちまで取られてしまうのです。

 「彼をそれにかけよ」という王のことばが心に留まります。ハマンはモルデカイをかけようとして作らせた、20メートルもの高い柱の上に自分がかけられいのちを落とすとは、夢にも思わなかったことでしょう。人の企ての頼りなさ、薄っぺらさのようなものを思わせることばに響きます。

 それとともに、飛躍があるかもしれませんが、柱にかけられたハマンの姿は、罪を犯したすべての者の行く末を表しています。ハマンがかけられた柱のはるかかなたに主イエスがかけられた十字架が見えるように思えました。私がかけられるべき柱に、神の子がおかかりになったことを…。

 よき週末、日曜日をお迎えください。


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