みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

元どおりに…

2017年05月27日 | 詩篇

詩篇 126篇

 「夢を見ているみたい!」とほっぺたをつねって、「痛い!。夢じゃないんだ」というようなことを経験したことがあるだろうか、とこの詩篇を声を出し読んでいるうちに考えました。「ああ、有り難い」「感謝だ!」とその都度思うことは何度もありました。けれども、時の流れの中でいつの間にか忘れて、当たり前のように思っている自分がいることに気づかされます。

 1節は、新改訳聖書では「主がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、私たちは夢を見ているもののようであった」と訳されていますが、新共同訳聖書では「主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて わたしたちは夢を見ている人のようになった。」と訳されています。4節も訳が違います。どちらも、この詩篇をバビロンの捕囚からの帰還という歴史的な背景に基づくものとしていますが、翻訳によってずいぶん違うものなのですね。

 この詩篇は回復の喜びをうたっているのです。バビロンから帰って来る人々、帰してくださいとの願い、繁栄を元どおりにしてくださった、さらに繁栄を元どおりにとの願いには、主がシオンにお帰りくださって…との思いから出ているように思います。

 4節の「ネゲブの流れのように」ということばに目を留めました。ネゲブとは、いわゆる涸れ川(ワディ)です。乾期には水の流れなどないのですが、雨が降るとそこは突然水があふれ流れます。そして流れのほとりを潤します。神がおられない生活、人生はワディのよう。しかし、神がおられるべきところにおられるとき、そこは潤い繁栄する、種を蒔いても実りが約束されるという希望があることに、気づくのです。


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