みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

愚かな進言を気に入る

2017年05月18日 | エステル記

エステル記 5章

 きのうの気温は29度。あと一度上がれば日本で言う「真夏日」というところでした。夕方のウォーキングのついでに、アイス屋さんに立ち寄り、「アイスカフェ」を飲んで(食べて)きました。アイスカフェは日本のとは違って、無糖のコーヒーに、バニラアイスクリーム、さらに生クリームが乗ります。日本で言えば「コーヒーフロート生クリーム付」というところでしょうか。

 自分も、そしてシュシャンに住むすべてのユダヤ人も断食をして王への謁見を求めたエステル。王の好意を受けて、金の笏(しゃく)に触れることができました。王のことばから、エステルが王の寵愛を受けていたことを垣間見ることができます。

 エステルはハマンとともに自分が設ける宴会に出てほしいと願い、さらにもう一度二人で宴会に出てほしいと願います。このあとの展開を考えると、最初の宴席でエステルが王にハマンの悪巧みを明かさなかったことに、神の御手を見るのです。その晩にハマンが経験したこと、そして王が記録の書を読ませたことは、結末に向かって大きな意義を持つのです。宴会を二度持つということも、断食の中で神がエステルに授けた知恵だったのかもしれないと考えます。

 ハマンの行動を見ると、彼の人間性がくっきりと浮かび上がってきます。上機嫌から憤りへ。そして憤りを何とかしようと、友人や妻を呼んできて自分の自慢話を聞かせます。もう、ユダヤ人を絶滅するという法令が出されたのだから、「あんな奴放っておけ」と心を決めることもできたはずですが、そうではありませんでした。取り巻きたちはハマンに愚かな進言をします。それで気に入るのですから、ハマンの愚かさが際立ちます。

 心に湧いてくる苦々しい思いをどのように始末するかは、ハマンだけではなくて多くの人の課題です。


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