みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

光の子ども、昼の子ども

2021年02月03日 | テサロニケ第一

テサロニケ人への手紙第一 5章1−11節

 2月に入り、少しずつ日の出は早く、日の入りは遅くなってきましたが、天候が…。雲の上にさんさんと輝いている太陽の光を浴びたいと待ち望むこの頃です。

 主の日、つまりキリストの再臨を待ち望んでいた教会に、どのように待つのかをパウロは書いています。すぐにでもキリストはおいでになると信じていたのですから、中にはその時を特定して周りを巻き込み混乱させる者もいたことでしょう。このようなことは今に至るまで変わることはありません。パウロは一言確認します。「主の日は、盗人のようにやって来る」と。

 そうであるならば、人はいつ「その日」が来てもよいように備えている必要があります。やってはいけないことをこっそりとやっている者にとっては、それがバレルと困る相手が来るのは恐ろしいことです。子どもの頃、母親の留守中にこっそりと美味しいものをつまみ食いをしていたら、ガラッと戸が開く音がして美味しいもまずいも分からなくなったことを思い出します。

 「主の日」「その日」はすべての人にとってのさばきの日です。しかし、キリスト者にとってその日は救いの日。喜びの日です。ですから、テサロニケの教会に限らず、代々の教会はこの日が来るのを待っているのです。パウロは、あなたがたは光の子ども、昼の子どもなのだから、目を覚ましていようと勧めます。それはもちろん、眠らないなどということではありません。11節に「現に行っているとおり、互いに励まし合い、互いを高め合いなさい」とあります。目を覚ましているというのは、このような歩みなのです。


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