テサロニケ人への手紙第一 3章
今年の当地の冬は、雪がよく降ります。けれども、注意して見ていますといつも春の到来を告げるこんな花がちゃんと咲いていました。これを見つけると「もう少しで春!」と気持ちが高まります。2月を迎えました。
3章を読むと、パウロとテサロニケの教会の間の麗しい関係を垣間見ることができます。パウロには、迫害の中でテサロニケの教会がどのようであるのかが心に掛かっているのですが、どうしてもテサロニケを訪ねることができません。そこで「わが子」と呼ぶテモテを遣わしました。
ここからは、テモテの報告を聞いたパウロの喜びがそのまま伝わってきます。心に留まるのは、7節の「私たちはあらゆる苦悩と苦難のうちにありながら、あなたがたのことでは慰めを受けました」ということばです。テサロニケの教会はパウロの2度目の伝道旅行で誕生したのですが、その旅はもちろん、私たちの旅人は違って快適とは程遠いものでした。ピリピで投獄され、テサロニケでいのちを狙われ、コリントでもののしられます。
そのような中、テモテの報告はパウロを慰めるものでした。すべての苦悩がどこかに行ってしまうような喜びだったのでしょう。パウロは与える側、テサロニケの教会は受ける側という図式で考えやすいのですが、ここでのパウロのことばから思うのは、そのようなことではない、ということです。
受けることに素直でありたいと、ここでのパウロの姿から考えます。