みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

ことばを破らない

2011年03月04日 | 民数記
民数記30章

 3月とは思えない寒い朝を迎えた関東地方。朝早くの祈祷会に向かう途中、東の空がかすかに明るく変化。見事なグラデーションです。光の変化から春を感じ取れるのは幸せなことだと思いました。
 今朝の新聞一面トップは、「受験生の逮捕」。どうしても合格したかった、でも先に受けた試験の結果が思わしくなかったから…、と報じられていました。

 きょうの「みことばの光」に、主イエスが「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」とだけ言うように教えられた、との文章がありました。ことばを破らないというのは、その人が責任を持てることばを発し、受け止めよというとではないか。
件(くだん)の受験生君は自分の責任以上を望もうとしたとも考えられます。

 続く女性の請願についての教えにも、「ことばの責任」を思いました。
「女性たちの主の前における請願や物断ちの積極的な意味は、女性が神のかたちに造られたものであり、神に対して責任ある応答ができる存在である」と「みことばの光」にあります。
 
 「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」と言えなくなるのは、神のかたちに造られた者であるとの自覚を、どこかに追いやってしまうから…、きょうの聖書箇所から考えたことです。

 


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1 コメント

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自分のことばに責任を持ちたい。結婚式…とありまし... (山ちゃん)
2011-03-04 10:11:00
今日の箇所では、「物絶ち」と「誓願」に反応してしまいました。大好き[E:heart01]と言うか、依存性なくらいコーヒーが好きなのですが、もう、1ヶ月になるでしょうか、なんと、絶っているのです。教会の姉妹と、高校時代の友人の息子の突然の発症…。どちらも難病です。その祈りのために。
同時に主に誓願をたて、自分の娘を主にささげなければならなくなった士師記のエフタの記述を思い出し、主に対することばに責任を持つ重要さを思いました。「守れないことばは発語しない」「守れることばを発語する」確かにそうですね。
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