エレミヤ書 10章
「主よ,私は知っています。」10章23節
わが家で林檎ケーキの「講習会」。おいでになった方々は皆手際よく,オーブンまで入れるのはあっという間。そのあとは焼き上がるまで,そして切り分けられるまでのティータイムを愉しむことができました。夕食後味見をしました。
この章には,イスラエルの民が心を寄せていた偶像の虚しさが描かれます。それらはは,どんなに高価な材料を用い,高度な技術を駆使して,美しくまた力強く作られても,しょせんは人の手による造作物。そのようなものと神とは全く比較にならないと,預言者エレミヤは告白します。
6節は,「主よ,あなたに並ぶものはありません」ということばで包まれています。10節には「主はまことの神,生ける神,とこしえの王」とあります。そして,12節の主が創造主であるとのことばに続くのです。
そのお方が,偶像を頼りにするご自分の民をさばこうとしておられるなかで,23−25節でエレミヤは民のためにとりなします。23節のことばに目が留まります。ここでエレミヤは,人は自分の好む道を歩むのではなく,神が定めておられる道を歩むということを告白しています。
イスラエルの民は自分のやりたいことをやりたいようにした結果,神の怒りに触れ,さばかれようとしています。神のさばきのメッセージを語る預言者エレミヤは,人々の拒絶に苦しみ,涙します。「なぜ私をこのようなところに置くのですか」という思いの中で,彼は23節の真理の光に自分を照らすことをしたのでしょう。
「主よ,私を懲らしめてください」との祈り,イスラエルではなくて「あなたを知らない国々のうえに…憤りを注いでください」との願いは,神が定めておられる自分のための道を「知っている」エレミヤの決意に基づくものに思えます。
「自分のことは自分が一番分かる」は正しくはありません。