みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

まことの光

2021年12月24日 | クリスマス

ヨハネの福音書 1章6−13節

 「聖なる夜」をどのようにお過ごしになりますか。当地では家族が集まり一緒に食事をし、それから教会の礼拝に出かける人もいるようです。普段はそれほどでもない礼拝出席者がこのクリスマス時期には多くなるようです。私たちの教会はオンラインでの「賛美礼拝」、お借りしている教会では夜10時から外で礼拝を行います。私たちも予約していたのですが、ここ数日の寒さゆえにキャンセルしました。

 ヨハネは「光について証しする」ために神から遣わされたヨハネ(バプテスマのヨハネ)のことをここでまず記します。イザヤが「荒野で叫ぶ者の声がする…」と、イザヤ書40章3−4節で預言したのがこのヨハネです。使徒ヨハネはなぜ、ここでバプテスマのヨハネのことを書くのでしょうか。「彼は光ではなかった。ただ光について証しするために来た」ということを明らかにするため、つまり、まことの光を強調するためです。しかしそれは、バプテスマのヨハネを偽物だと言いたいのではありません。彼の使命を明らかにするためでもあるのです。そして、このことは、キリスト者の使命に通じます。

 ヨハネは常に「指し示す」人でした。イエスを指し示す人だったのです。さて、自分は常にイエスを指し示しているのでしょうか。

 その後で使徒ヨハネは「まことの光」を紹介します。「みことばの光」が書くように、イエスはまことの光です。それゆえすべての人を照らす、つまりすべての人にとっての光なる方なのです。しかし、光に照らされた時に人はイエスに対して二通りの応答をします。受け入れないこと、そして受け入れることです。なぜ受け入れないということが起こるのか、それはイエスがご自分の民が期待するような姿でこの世界に来なかったから、彼らが期待するような道を歩まなかったからです。

 「まことの光」なら分かりそうですが、そうではないのだということをここから考えます。12節のことばを心に留めて「聖なる夜」を迎えたいと思います。


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