みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

自分を知る

2021年12月13日 | ヨブ記

ヨブ記 38章16−41節

 礼拝堂の暖房も直り、暖かな場所でアドヴェント第三日曜日の礼拝ができました。賛美をするとよく響く礼拝堂です。

 38章後半でも、ヨブへの神からの問いかけが続きます。16―30節までは「…あるか」「…知っているか」との問いかけ、31−41節では「…できるか」との問いかけです。前者は経験、体験を問うており、後者は能力や可能性を尋ねています。そして、これら一つ一つの問いかけの答えは、すべて「いいえ」です。神の語りかけを聞いたヨブは、どのような気持ちだったのだろうかと想像するのです。

 人からの問いかけであれば、見栄を張って「あるとも!」「できるに決まってる!」などと答えたくもなりますが、神の前ではそうはいきません。何一つ「ある」「知っている」「できる」と答えられないならば、自分の小ささをいやでも受け入れざるをえません。ここを読むと、人間はヨブの時代よりも何かが分かるようになったのだろうかとの思いになります。確かに解明できるになったこともあるでしょうが、

 さらに、神がここでヨブに問いかけておられるのは深遠、起源、星空などというとてつもなく大きなものから烏の子など小さなものに至るまでのことについてです。神の偉大さとともに知恵の深さ、細やかさを覚えます。「二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません」とのイエスのことばを思いました。

 神の大きさを知ることは自分の小ささを知ること…大切です。


2011-2024 © Hiroshi Yabuki