ヨブ記 38章1−15節
30年も続いてきた家庭での聖書の会が、先月から曜日と時間が変更になっての再スタートとなりました。昨日はアドヴェントにふさわしい聖書箇所をいっしょに開きました。年を重ねている人々がほとんどの会、救い主を迎える方がありますようにと祈りつつ参加しています。
ついに神がヨブに語られました。しかし、それはヨブの訴え、ヨブの疑問に答えるという仕方ではなかったのです。1節の「主は嵐の中からヨブに答えられた」ということばに、まず目が留まります。嵐はすべてのものを巻き込み、人間の小ささを思い知らされます。
聖書は嵐という自然現象に主の臨在を伝えています。力を失い燃え尽きた預言者エリヤに神が語りかけた時、先駆けとして起こったのは大風(嵐)でした。預言者エゼキエルは、激しい風、大きな雲、きらめく火とともに神の臨在を体験しました。そしてヨブもこの時、腰を抜かすほどの嵐の中に神がここにおられることを知らされたのです。
神はヨブに、これまでの沈黙をわびることなく、言い訳することもなく、圧倒的なことばでご自分の大きさをことばで示そうとしています。知恵とことばの限りを尽くして自分の正当さを訴えたヨブを「知識もなしに言い分を並べて、摂理を暗くする」と言い放たれます。
すでにエリフはヨブに、高ぶることなく神の偉大さに目を留めるように語ってきました。そして神はこの時、ご自分のことばでそれを語られるのです。明けの明星も神が創造したもの、海も神が存在の限界を定めたものです。11節の「おまえの高ぶる波はここでとどまれ」は海へのことば。しかしそれは、暗にヨブへのメッセージであるかのようです。