みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

怠け者の理屈

2018年11月13日 | 箴言

箴言 22章

 来年1月に持たれる東アジアのための祈祷会の打ち合わせがありました。韓国語と日本語の教会、そしてまとめ役のドイツの方と合せて6名で集まりました。話し合う中で、キリストにあって一つ、和解、神の家族などというキーワードが出てきて、どのように進めるかがまとまりました。1月17日(水)午後7時半からで、FEGフランクフルトが会場です。詳しいことが決ったら、この欄でもお知らせします。

 この章で目に留めたのは、「怠け者は言う。『獅子が通りにいる。私は広場で殺される』と」ということばです。怠け者の理屈です。怠け者が用意するこのあとのことばは、「だから私は家にいる」「だから私は出て行かない」でしょうか。

 箴言には、怠け者についてのことばが多く見られます。6章6節には「怠け者よ。蟻のところへ行け」とイソップ童話を思わせるような格言があります。26章14,15節には、噴き出してしまうような怠け者についての表現があります。「戸はちょうつがいで向きを変える。怠け者は寝床の上で。怠け者はさらに手を伸ばしても、その手を口に持っていくのを面倒がる」と書かれているのです。

 なぜ怠けることについての言及が多いのかを考えてみるに、神が人をご自分のかたちとして、神の似姿にお造りになり、地のすべての者を支配するようにという働きをお与えになったからだと考えます。すべては、神が一人ひとりに預けられたもの。何一つ自分のものはないのです。

 休息や安息と怠けることとは違います。考えてみれば、働く、何かに取り組むということがあるので(あったので)、休息や安息と言えるのですね。

 これらは、なすべきことを後回しにしたくなる私が心に留めるべき格言の一つひとつです。


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