コリント人への手紙第二 11章1−15節
欧州でギターを学んでいる方が一泊されました。原稿を書いて(打って)いる時にも、隣の部屋での練習の曲が聞こえてきます。私の好きな「カヴァティーナ」です。夢のような時間に感謝。
この箇所からは、パウロがどれほどコリントの教会を熱心に思っているのかが響いてきます。「大使徒」だと主張している偽使徒によって、いわれのない風評が立てられ、コリント教会をパウロから、いや、キリストに対する真心と純潔が危機に瀕(ひん)していたのです。パウロの姿は、羊たちを悪い狼から守るために熱心に働く羊飼いのようです。
それにしても、パウロはずいぶんとひどい目に遭ったものです。話し方は素人だという評価が教会内を行き巡りました。教会からの報酬をもらわないのは不正をしているに違いないとの非難も沸き起こりました。パウロはそのような風評や非難に対して、「そのうち収まる」とか「神はご存じだから」などとして何も行動しなかったのではありません。公然と自分の言い分を主張しています。
けれどもそれは、彼のプライドが損なわれないためではありません。キリストとコリント教会の関係に亀裂が生じてしまうのを何としてでも食い止めたいのです。そして、コリントの教会がキリストの花嫁として歩むことを強く願ってのことでした。
謂(い)われのない批判が起こったときに、「神は知っておられる」とか「真実が明らかにされる」などとして何もしないのではなく、立ち上がって声を上げることの必要を、これまでの歩みの中で私自身がとってきた態度を反省しつつ、強く思わされます。教会がキリストへの真心から離れてしまわないように…。