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2018年11月20日 | コリント人への手紙第二

コリント人への手紙第二 5章11−21節

 風が強く吹いています。木々をゆすったり窓に当たったりする音なのですが、寒さを演出するものの一つだと言えるでしょうか。

 人は互いに評価し合っています。それがある程度は間違っていないこともあれば、的外れだということもあります。今は情報があっという間に世界を駆け巡ります。誰かについての無責任な報道、うわさが一人歩きしてしまうということが起こりやすいと時代でもあります。

 この手紙を書いたパウロも、使徒ではないという烙印(らくいん)を押されていました。

 11節で「私たちのことは、神の御前に明らかです。しかしそれが、あなたがたの良心にも明らかになることが、私の望みです」と書いているのは、私が使徒であることをコリントの人々の前に明らかになることを願っているという意味です。そして、教会に入り込んできた「うわべを誇る人たち」のことばに振り回されることなく、コリント教会の人々に「私たちのことを誇る」ようにと願っています。

 13節を読みますと、「パウロは正気ではない」という批判さえあったことを知ることができます。ひどいものです。しかし彼は、そんなふうに見えるのだとしたらキリストの愛が私たちを捕えているからだと、受けて立ちます。

 人が人を見る目は確かなものではありません。パウロもそのように見られていたのです。いや、パウロだって以前はナザレのイエスを「肉にしたがって」知ろうとしていました。→16節 

 17節は、自分を批判し使徒であることを否定する人々に対する反論と見ることができます。さらには、「キリストの愛が私たちを捕えている」自分を見つめ直すことばでもあります。ありがたいことです。


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