みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

だれが、神に指図したのか

2016年12月09日 | ヨブ記

ヨブ記 36章15−33節

 きのうは、当地時間早朝に「みことばの光」3月号の編集をしました。前にも書いたことですが、今の時代ならではの編集光景だな、と改めて思います。アメリカに住む方に原稿をお願いし、日本の方といっしょに編集するのですから…。3月号から、ちょっとした変化があります。届きましたらご確認ください。

 エリフはヨブに厳しいことばを投げかけています。それはヨブを貶(おとし)めるためではなくて、何とかして自分の過ちに気づいてほしいという心から出ている行為です。7日の本欄で書いたように、若いエリフが人生経験豊かなヨブにこのような鋭いことばを語るのは、どれほどのことだったのかと想像するのです。小細工しないで直言できるのだとしたら、愛に基づく真実のゆえなのだと思うのです。

 23節の「だれが、神にその道を指図したのか」ということばを覚えます。エリフは、「ヨブよ。それはあなただ」と言っているのです。人が到底及びもつかない神を、「ああしろ、こうしろ」「ああでなければならない、こうでなければならない」と指図することなどできないのに、あなたは自分の潔白を強く主張するために、神にそのような態度を取っているのではないか。改めよとエリフは迫るのです。そして、そのようなことをするのではなくて、神を賛美せよと続けています。

 神への指図などするわけがないと思うのかもしれません。けれども、いつの間にか神を自分の好む枠の中にはめ込もうとしているようなことがあるのではないか、と考えさせられます。


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