みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

主の命により

2014年01月24日 | 出エジプト記
出エジプト記17章

 この章には、モーセを悩ませる民と、モーセとともに戦う人々が登場します。

 過越を体験し、海の水が分かれる中を歩き、苦い水が飲めるようになるのを見、マナとうずらを食べた民。水がなければ、これらを与えられた主に期待して祈り求めればよいのに、ここでも彼らはモーセにつぶやくのです。学ばない人々です。

 「主の命により」ということばを心に留めました。
神を信じる人は、「みこころ」ということばを使います。それを自分に都合がよいか悪いかということを測るものとしてはいないだろうかと問われます。

 神の命令によって旅立ち留まったのだとしたら、水が出ない所にいるのは「みこころ」です。そこで大変なことが起こったら、しかもあれほどのことを体験してきたのならば、彼らがすることは一つ。主に信頼して求めることです。しかしそうではありませんでした。
民によって殺されかかっているモーセは、ここで悩みを神に訴えます。神への道を持つ者がいることが窮地を救うのです。

 「主の命によってここにあるのだから…」と、どーんと構えているようにと教えられます。
それにしても、神はなんとあわれみ深いお方なのでしょうか。



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