みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

すべては神から

2013年10月18日 | コリント人への手紙第一
コリント人への手紙第一 11章1-16節


 ブログの更新が遅くなり、失礼しました。台風の関係で一日遅れでしたが無事に到着しました。きょうから日曜日まで、フランクフルト日本語福音キリスト教会の皆さんとともに、みことばを味わう時を持ちます。久しぶりに私をご覧になった方から、「ほっそりして…」と言われまして、ちょっと嬉しい気分です。でも、今回の旅で少し体重が戻るかもしれません。もっとも自重すればいいだけのことですが…。

 きょうから再び、コリント人への手紙を読みます。
 コリントの教会にあった様々な課題問題の一つに、礼拝における秩序がとれないでいたということがありました。「みことばの光」が説くように、この教会には、当時の習慣にならわずに礼拝中にかぶり物を脱ぐ女性がいて、問題となっていました。

 パウロの対応は「女性はかぶり物をつけよ」という当時の現実に添ったものでした。その根拠として、パウロは神の創造の秩序をあげています。「女のかしらは男であり」とのことば。「かしら」というと上下という印象がありますが、このことばは「みなもと」という意味で用いられているのであり、上下、優劣を表すものではないと考えられています。

 パウロは、ここで女性が男性よりも下であるとか、劣っているとかいう理由で、かぶり物をつけるべきだと勧めているのではありません。創造の秩序を取り上げつつ、さらに、「男も女によって生まれるのだからです」とも述べます。
 何よりも、心に留めるべきは「すべては神から発しています」とのことば。神から発しているものだから、それぞれに優劣や上下があるはずがないと考えるのです。

 それは、男女差別にとどまらず、障がい者差別、高齢者差別、さらに職業差別など様々な分野にも適用するべき大切な原則だと思います。
   


2011-2024 © Hiroshi Yabuki